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  今日の日替わりマスターは太井さん。ふくよかで、110kgの巨漢だ。関西から来た料理人で、この宿の晩飯を一人で作ってくれている。冷蔵庫に残っている食材を縦横無尽に組み合わせ、毎回色々な実験を行っている。ある時などはひじきの中にコーンが入っていた。そりゃあどちらも甘いけどさ。宿主は別店舗に出かけており、彼がリーダー的ポジションでこの宿をまとめ上げている。彼とは後に二回会う事となる。熊本を旅行した時南阿蘇の支店で一回(この時彼は俺の事を覚えていなかった)、またここに戻って来た時一回である。学生時代は相撲部に所属しており、力士になるつもりだったそうだが、大会での大怪我のせいで断念せざるを得なくなったそうだ。大の献血マニアで、当時既に30回もしていて(ちなみにおれはこの時36回、今は95回)、景品でもらった沖縄限定版のシーサー献血ちゃんのバスタオルを見せてくれた。昨日のマスターとは役者が違う。どっしりと構えた人格者である。相撲取りになれなかったのが残念でならない。
今日のお客さんは秦野の人、IT会社員、関西の学生カップルなどなど出身も身分も様々だ。カップルがレンタカーで美ら海水族館に行って来た事を自慢していた。IT会社員は会社の愚痴を語り、もう辞めてこちらに住むか、デイトレーダーにでもなりたいと言のを、カップルが冷ややかな顔をして聞いていた。彼は小説を一度も全部読んだ事がない事を話し続けている。デイトレについては、つい先日知人の知人が株で大失敗をして借金まみれになった事を聞いていたので、やめておけと言っておいた。秦野の人はここに来てもう一ヶ月になると言う。特段どこに行くという事もなく、ここでまったりと過ごしていると言う。沈没はまだしていないと本人は言うが、側から見れば似たようなものだ。太井さんの話では、そうやって長期に渡り滞在していると突然、「ちょっとそこ掃除しといて。」とスタッフに言われたという。宿のスタッフにスカウトするぞと言うサインらしい。客がいつの間にかスタッフになっているというのは、芝居の世界ではちょっとありえない事なのでびっくりした。
その後色々な話をしたのだがあまり覚えていない。結局また2時頃まで飲んで寝た。彼らとは太井さん以外には会っていない。いちゃりばちょーでーと言っても大体が一期一会の関係だ。本土に帰ってからも関係が続くという事は、少なくとも私にはない。まあ、当時フェイスブックをやっていればまた別の関係性ができたのかもしれないが。

朝になった。昨日とは違い今日はどこに行くか全く考えていなかった。もう一晩同じ宿でとってしまったため、北の方へ旅立つ事もかなわない。9:30に漸く宿を出てモール街をうろつき、宮古そばを食す。まだ行っていない場所に行こうと、地図を広げた。那覇港の側に国立劇場おきなわがある。特に芝居を見るわけではないが、行って見ることにした。
結果から言うと・・・・この日はどこにも目ぼしいところに行く事はなかった。劇場の前をうろつき、近くの食堂で肉野菜そば(やべ、連続でそばだった)を食べ、そこで中城(なかぐすく)城側の廃ホテルの映像を見る。中城城跡に行ってみたくなった。ブラブラして帰って来た。

  そしてまた夕食。今日は塩焼肉定食だった。明日から北上するので、今夜はこの宿最後の夜だ。若者ばかりのこの宿のバーに、一人60歳強の年配の男性がいた。話が合わないのか、一人で寂しそうに飲んでいる(勿論あくまでも私の主観、本人は全然そうは思ってもいないかもしれない)。話しかけてみる。何やら難しい話をした事は覚えている。資本家が国内にいないので6,70年代のようには分かりやすい形で敵が見えなくなっている事。本土が疲弊したら沖縄に、沖縄が疲弊したら中国等のBRICs諸国に、BRICsの次は新たな発展途上の国にと、グローバルエリートは居を構える場所を替えていけばいいので、戦おうと思ったらもういなくなっているような事があり得る事などを話した。分かりやすい例として、マイケル・ムーアの出世作「ロジャー&ミー」を紹介しておいた。GMがデトロイトから工場を人件費の安いメキシコに移した事で、徐々に疲弊し荒廃していく故郷を記録したドキュメンタリーだ。最後にムーアがGM会長ロジャー・スミスを直撃インタビューする様が圧巻だった。
他にも色々な人と色々と話したけど、随分と時間が経っているので、もう覚えていない。皆元気でやっているだろうか。こういったゲストハウスで会う人は、次に同じ場所に来てもお客さんもスタッフも総入れ替えとなっているので、宿主以外二度と会う事はない(ここの宿主に関しては一度も会っていない。例外なのは太井さんに三度会った事か?  あともう一人、太井さんと熊本で再開した時にそこの支店に居たスタッフと、太井さんと三度目に会った時に同じ再開したくらいか。彼は私の事を覚えていなかった)。宿主も数年ぶりに会うと、その間に宿に来る沢山のお客さんに会っているので、こちらの事など全く覚えていないのだ。ほぼ一期一会の関係なのである。余程客がキャラの濃い人であるか、すんごく迷惑をかけた人であるか(そういう人にはもう宿には来て欲しくないだろうが)、毎年でないにしても定期的に宿に来ている人であるならば別だろうが。

さて、今日から北上するぞ。意気込んで58号線(沖縄の南北を走っている国道)沿を北に行くバスに乗る。とりあえず今話題になっている普天間基地周辺にでも行ってみよう。北上していたバスは伊佐の辺りから内陸部に入って行く。普天間のバス停で降りて、基地の周辺をうろついてみる。ゲートがあり、そこから車が出て来た。黒人兵が運転している。横断歩道を渡ろうとしていたら彼が道を譲ってくれた。壁沿いを歩いて行くと、本当に住宅や学校のすぐ隣だ。何でもこの基地は航空法が整備される前にできたらしい。それにしてもこの近さはどうにかならんだろうか。
ふと大学時代の部室を思い出していた。住宅のすぐ側で、舞台部が夜通しで中で作業を行なっていると近隣からうるさいとよく苦情が来ていたっけ。この近さも今の法律ではダメなのだそうで、部室棟一帯が整備された後は、大学の門内に移動させられてしまった。お陰で現役の子達は夜通し部室にいる事はできない。衣装部や舞台部はどうするんだろう?

話が逸れた。一時間強うろついた後に行こうと思っていた中城城に行く事にした。地図を見ながら中城村の方に行く・・・・と、途中で道を間違えた事に気がついた。どうやら中城城は中城村にあるのではなく、北中城村にある事が地図でわかった。雨がポツポツと降って来る。亜熱帯の気候で多そうだという印象があったが、沖縄に来て雨に降られたのはこの時が初めてだった。コンビニに入りそこで少し雨宿りをし、レッドブルを飲んだ。
パワーも回復したので北中城村への道を急ぐ。道を間違えた場所に漸く戻って来た。昼食を食べた食堂がある。かなりの道を戻って来たので、けっこう時間をロスした計算になる。ちなみに最近また中城を訪れた時、同じような場所で道を間違えた。つくづく学習能力のない男である。急いではいないと言うものの、あまり遅くなると宿にたどり着けなくなる可能性がある。今日泊まる宿はまだ決めていなかった。
途中中村家住宅に行く。赤瓦の琉球家屋で、280年も前に建てられたそうだ。中は武家屋敷のような作りになっており、いい趣があった。帰りの休憩室ではちんすこうとさんぴん茶が無料で差し出されていた。そこでガイドさんと少し話をした。
そこから大きな道に戻り、道なりに行くと中城城跡だ。