Hard Boiled Shanguri-la

「この世は天国か地獄か」と聞かれたら、私はとりあえず天国だと答える事にしています。この世に天国を求められない人間はロクな死に方をしないだろうと思うからです。肯定というのは難しく、長く険しい道程です。せめて明日は晴れだと祈りたいものです。

 ブログをご覧の皆さん初めまして。大将と申します。私が日々徒然なるがままに書きつづる事をどうぞご覧になって、何か思う事があったら足跡を残していってください。この場が皆さんの住む現代社会に対して何らかの形で答えを提示する場、またはご交流の場となれば幸いです。なお、当ブログの記事・写真等の無断転載は禁止です。


テーマ:
{F46F8642-A56C-44CB-AD73-61E723305369}

100625_171358.jpg
 途中でカフェイン系の飲料を沢山飲んで、何とか宿に戻って来た。本当に無駄な移動だ。ただ疲れただけである。数年ぶりの運転なのに、事故もなく宿の駐車場に漸く駐車する・・・・と、ゴンッという鈍い音がして車体の後部が後ろの壁に当たった。もう一回車体の位置を調整する・・・・またゴンッと音がした。
 実は大将、駐車場と名がつくものはどこにも縁石(あるいはその機能をするもの)があると思っていたのである。ところがその安宿はそうではなかった。何もなかったので、そのまま後ろの壁に激突していたのだった。後部を調べてみるとへこんだ跡が・・・・やってしまった。ここまで100km近く走ってきて全く事故がなかったというのに・・・・
 丑三つ時を過ぎた深夜だというのに、やはり入り口では番犬がワンワン吠えかかる。うまい具合にかわして寝床へ。グッスリ、11時まで寝た(チェックアウト期限は12時、車の返却は13時)。起きた時に気づいた事は、このままある程度遠くまで行っておけば交通費が浮くという事である。次に行っておきたかったところは、北谷だ。中日ドラゴンズのキャンプがある事で有名だそうだが、私は野球に全然興味がないので、全く知らなかった。ガイドブックで見る限り、何か綺麗で色々な店もある観光地のようだ。13時まで時間があるし、車で向かうには近い場所にあるので行く事にした。
 ガソリンを満タンにし、待ち合わせのスーパー駐車場へ。事情を説明すると、5000円多めに払ってほしいと言われた。それ以上修理費がかかる場合はこちらでどうにか自腹を切ると言われた。すんません、あの・・・・こんなんでいいんですか? 沖縄のレンタカー屋の良心ぶりに頭が下がった。すんません、以後気をつけます。。。
 さて、多めにお金を使ってしまい、今日はどうお金を浮かそうか・・・・しかしこの北谷アメリカンヴィレッジというところ、桜木町の港をビーチにおきかえたような、お洒落で素敵な場所だった。家族連れやデートには持って来いだろう。むさいおっさんの一人旅行にはちと向いてなさそうかもしれない・・・・が、とりあえず洗濯物がたくさん溜まっている。どこかコインランドリー的なところはないかと探したが、ここら辺は住宅街等ではなく一種のリゾート地なので、あまりありそうにない。が、うまい具合に近くのホテルのランドリーを使わせてもらえる事になった。洗濯物はビーチで乾かす事にした。
 観覧車、映画館、ライヴハウス等、様々な店があるが、とりあえず温泉のちゅらー湯に入る事にした。こちらに来てからというもの、シャワーばかりで湯船につかる事をしていなかった。結局今回の旅行で、湯船に入ったのはここだけである。このアメリカンヴィレッジに二泊し、一日1回ずつ、明けた三日目の早朝も入ったので、合計三回も入る事になった。久しぶりにゆっくりのんびりできた。近くにある観覧車が気になったので乗ってみたが、ようく考えてみれば、行きと帰りに飛行機という超観覧車に二回も乗るのだ。あまり意味はなかったのではないかと後で思った。
  色々と店にも行ったが、一番の安上がりはレンタカー屋と待ち合わせたスーパーで惣菜や弁当を買う事だ。都合よく半額落ちになっていたら、尚嬉しい。5000円の穴埋めのため、二泊とも野宿する事にしたのだ。よく探せば近くにいいゲストハウスがあったが、コンビニが沢山あり、トイレや飲料補給に困る事はなかった。サンセットビーチに夕陽が沈むのを見ながら、何処か横になれる場所を探した。ここら辺から外人さん率が少しずつ多くなる。北上すると近くに嘉手納基地があるためか、外人さんだらけになった。日本人(というか東洋人)は私だけ。辺りが真っ暗になった事もあってか、急に心細くなって来た。
 「ヘーイ」
 と、酔っ払った白人が声をかけて来たが、あまりいい話はできそうにないので無視した。基地の軍人さんだっただろうか?
 「ファック!」
 パリーンとガラス瓶の割れる音がして、近くで外人同士が殴り合いの喧嘩を始めた。仲間が宥めて止めようとしている。・・・・こんなところで野宿しても大丈夫なのか?  身体中が蚊に刺された。残念ながら虫除けは持って来てはいない。海沿いの屋根があるベンチでその日は一晩過ごした。
 さて次の日、当てもなくこのアメヴィレをウロウロする。この日はあまり特筆する事はない。夜に、ライブハウスのモッズというところに行ったくらいか。夜海岸で寝転んでいたら、意気がった若者がビールをかけるふりをして来た。この綺麗な景色に私のようなむさいおっさんは不快だそうである。いじめをする者と似たような心理なのだろう。ライブハウスに向かった時も、「あいつが行くんなら行きたくねえ」的な事を言っている意気がった若者がいた。中はお洒落でいいところだった。出ている歌手も皆うまい。那覇の宿の名古屋スタッフの言う通り、沖縄には歌手を育てる土壌のようなものがあるのではないか?  そして皆、持ち歌に島唄系の歌を持っている事が印象に残った。同じ東京や関東に住んでいる者が、こう言った共通前提を持っているだろうか?  首都圏が単なる色々な奴の寄せ集め的な場所としてしか機能していない現在の一端を見た気がした。色々な人に昔の話を聞いてみるに、どうやらそうではなかったらしい。同じ東京に住んでいるというだけで、世代を越えて今ではあり得ないような共通性を感じられていたそうである。出演している若い歌手の一人で、一度東京に行って帰って来た子もいた。そういえば前にやった芝居の共演者の中にも一人、沖縄出身の子がいたなあ。彼女はわざわざお金と手間暇をかけて、なんでこんなゴミゴミした東京に来たのだろう。沖縄には全てが揃っているではないか。

100627_022439.jpg

100627_135735.jpg
 朝までやるのかと思っていたが、どうやら二時で閉店らしい。店を出てビーチで朝まで過ごす事にした。ここならばハブに噛まれる事はないし、床面もサラサラとしている。例のごとく蚊に刺されはしたが、なんて事はない。寝やすい環境だった。朝起きてちゅらー湯につかり、北上する事にした。バスに乗り、読谷の方に向かう。途中座喜味城があったので、そこに寄った。郷土博物館にも寄った。読谷はKiroroの故郷だそうで、通った高校も側にあった。
 そして一番の見所はやちむんの郷だ。陶芸家達が集まる村で、焼き物の行程を一通り見せてもらえる。残念ながらこれからも旅を続けるので、荷物になる焼き物を買うわけにも行かなかった。それに当時の大将は陶芸に関して全く疎かった。16年3月の梅パン公演「モルヒネ」をこなした後だったらば、少しは違っていただろうに。登り窯もいくつかそこにあったそうなので、感銘を受ける事はもっともっと沢山あっただろうに残念ではある。
 宿は真栄田岬の側のお洒落なところに決めた。歩いて数分で浜辺に辿り着ける。行こうと思っていたレストランは休みで、近くの居酒屋で夕食をとった。結構高くついた。一人旅だし、近くにファミマもあったそうなので、そちらで食えばずっと安く済んだだろうに。
宿主さんは沖縄好きで、サラリーマン時代から毎年沖縄を訪れていたという。知識が豊富で色々なことを教えてもらった。海を堪能したければ、シュノーケル一つあるだけでも全然違う事。板に乗って漕いで、随分と遠くまで行った人がいたような事。首里城から王が大和に朝貢する時、斎場御嶽や久高島のクボー御嶽などからノロが祈りを捧げていた事。上げればキリがない。もうちょっと連泊したら更に多くの話が聞けただろうに。ちなみにここ真栄田岬の辺りは名所青の洞窟のあるところなのだが、存在自体を私が知らなかった事もあって、行かずじまいだった。
 朝起きたら雨が降っている。夜中干していた洗濯物の事を思い出した。随分濡れてしまった。仕方がないので、濡れたまま鞄にしまい、移動する事にした。今日泊まる宿で干すことにしよう。また飽きもせず北上だっ。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
{6373D1DC-783D-4AF1-91D1-30EB99115236}

{090F5358-6A6D-406A-960E-0E22982CA94F}
{5A666D27-0B3C-4206-B522-5909AA89DD06}

{64782181-6076-4222-BEB4-8520AE2028A6}


{B3A52364-33DE-49CA-A55E-8C410A08607B}
{089664E2-E330-4A70-943D-08B22C6433CE}


 入り口で荷物を預け、城(ぐすく)に入る。ここの庭園の開けたスペースで最近は様々な団体が催しを行なっているらしい。数年前はMISIAがライブを行い、更に近年では中城演劇祭なるものが開催されているそうである。沖縄にある世界遺産登録の大きな城の中で、一番保存状態の良い城らしい。なるほど、祭壇やら井戸やら城壁やらがくっきりと残っている。アステカの遺跡や万里の長城のような造りだ。境内の方からは太平洋が望める。
 すぐ側には謎の骨組みだけの廃墟がある。何でも一回も営業せずに潰れてしまったホテルらしい。72年に沖縄はアメリカから日本政府に返還され、中城城は史跡に指定された(今は世界遺産)。ところが、である。日本の法律では史跡に登録された場所の敷地の中に道路を通してはいけないという決まりがあった。中城城のすぐ隣に建設されていたホテルまでは、中城城の敷地を通さなければそこまで行ける道がなくなってしまい、結果ホテルとして営業できなくなってしまったという。中には食堂があり、高い滑り台のあるひび割れだらけのプールの床からは草が伸びきっているという。歴史に翻弄されたホテルだったのだ。

 陽も落ちてきた。露出していた脚や腕は結構蚊に喰われてしまった。そろそろ宿を探さなければヤバイ。とりあえずコザ十字路まで行き、そこの近くのゲストハウスに泊まる事にする。近くにかねひでというスーパーもあり、下がレストランになっているので、食うには困らない。ただ、である。沖縄は市にそれほどお金がなく保健所がうまく機能していないせいか、野良犬がけっこう多いのだ(飽くまで当時の事で、今はどうだかはわからない)。当然糞も多く、危うく踏みそうになるのも一度や二度ではなかった。近くの公園でかねひでで買った食物を食べていると、野良犬がやって来て食われそうになった事がある。まあ、街の方は栄えているし、気が向いたら行って見るのも悪くはない。
 宿に入ろうとすると、何処からか犬の鳴き声が・・・・ドアを開けると大きな犬がワンワン吠えかけるではないか。小ちゃな犬ならば可愛いが、これ程大きい犬はちと怖い。小5の時に大きな白い犬に半日追い回された事があるので。宿のスタッフが宥めてチェックインする。3泊した宿とは違い、かなり中は汚い。羽虫が数匹飛んでいるのが見えた。犬は番犬として飼っていて、入って来た者にはとりあえず吠えかけるようにしつけてあるそうだ。おいおい、客商売としてこれはいかがなものなのだろう?  防犯対策ならば入口にカメラを設置しておけば済む事ではないか?  犬は出かけて帰って来る度に吠えかかり、フロント周辺にいる時はいつも追いかけて来る。しかし客室までは追っては来ない。そこら辺はうまくしつけてあるようだった。
 さて、明日は何処に行こうか?  前の宿で「レンタカーを借りた方が得だ」というような話を聞いていた。しかし1日数千円かかり、一人旅なので割り勘も効かない状態で借りるのは果たして得策かどうかは微妙だった。とりあえず一日だけ、宿に色々と並べてあるチラシにあるレンタカー屋で試しに借りて見る事にする。「一日3000円」と、ここら辺では一番安いそうだ。宿に置いてあった聖闘士星矢ハーデス編や銀河伝説ウィードを読みながら眠りに落ちて行った。
 次の日の朝、普通に起きて普通に宿を出たのだが、レンタカー屋に行くのにどうやら道に迷ってしまい、着いたのが13時となってしまった。後から聞いた話によると、電話一本かければ宿まで持ってきてくれるそうである。随分時間を損した。色々と契約を済ませて、早速車に乗ってみる。車を運転するのは実に4年ぶりで、しかも全然慣れていない車である。ギアのチェンジがハンドルの隣についていたり、サイドブレーキがどれだかわからなかったりと、色々と初めて経験することが多かった。ちなみに自分一人でレンタカーを借りたのも初の事だった。ナビがついていたそうだが、結局使い方がわからず使わなかった。
 恐る恐るアクセルを踏むと、おお、動いた。速い速い、やっぱり歩くのとはわけが違う。みるみるうちに道路を進んでゆき、勝連城まで辿り着いた。

100624_134030.jpg
 中城よりは狭く、城壁と道が残っているくらいだったが、大きかったので迫力はあった。
 道を急ぐ、勝連半島から海中道路を進み、その先の伊計島や伊平島へと渡った。途中海岸があり、少し泳いだ。海岸整備費として400円程とられた。
 島々をぐるっと一周廻り、勝連半島を戻り、北上する。とりあえずレンタカーを借りる事だけを考えていたので、それでどこまで行くか具体的には考えていなかった。17時くらいにどこの名勝地も閉まってしまうし、そして何より、前の犬の居る宿に連泊するために荷物を置いてきてしまった。どれだけ進んでもまたコザにもどらなければならない。次の日の13時までに。本当に誤算だった。車の中に荷物はいくらでも積めるので、フル装備でも構わないし、コザから遠くの次の目的地にもそのまま行けたはずだったのだ。
 まあいい。とにかく329号線を北へ北へ。レンタルしている今日中に名護を越え、古宇利大橋まで行ってやろうと考えた。ところが、である。慣れていない運転で神経がへとへとに疲れてしまい、謎の睡魔が訪れた。基地移転問題の騒がれている辺野古の辺りから北は、店も少なくくねくねと通る山道が続いている。古宇利の一歩手前の屋我地島に辿り着く前に辺りは真っ暗になってしまった。これじゃあ海が黒々と見えるだけで全く壮観ではない。せっかくそこまで来たのにまた引き返す事にした。今度は西側の58号線を南下していった。いやあ、本当に眠い。こんなにも慣れていない事がつらい事だとは・・・・
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
{35ADE9C2-3836-41C6-AF3F-665C594E6624}


  今日の日替わりマスターは太井さん。ふくよかで、110kgの巨漢だ。関西から来た料理人で、この宿の晩飯を一人で作ってくれている。冷蔵庫に残っている食材を縦横無尽に組み合わせ、毎回色々な実験を行っている。ある時などはひじきの中にコーンが入っていた。そりゃあどちらも甘いけどさ。宿主は別店舗に出かけており、彼がリーダー的ポジションでこの宿をまとめ上げている。彼とは後に二回会う事となる。熊本を旅行した時南阿蘇の支店で一回(この時彼は俺の事を覚えていなかった)、またここに戻って来た時一回である。学生時代は相撲部に所属しており、力士になるつもりだったそうだが、大会での大怪我のせいで断念せざるを得なくなったそうだ。大の献血マニアで、当時既に30回もしていて(ちなみにおれはこの時36回、今は95回)、景品でもらった沖縄限定版のシーサー献血ちゃんのバスタオルを見せてくれた。昨日のマスターとは役者が違う。どっしりと構えた人格者である。相撲取りになれなかったのが残念でならない。
今日のお客さんは秦野の人、IT会社員、関西の学生カップルなどなど出身も身分も様々だ。カップルがレンタカーで美ら海水族館に行って来た事を自慢していた。IT会社員は会社の愚痴を語り、もう辞めてこちらに住むか、デイトレーダーにでもなりたいと言のを、カップルが冷ややかな顔をして聞いていた。彼は小説を一度も全部読んだ事がない事を話し続けている。デイトレについては、つい先日知人の知人が株で大失敗をして借金まみれになった事を聞いていたので、やめておけと言っておいた。秦野の人はここに来てもう一ヶ月になると言う。特段どこに行くという事もなく、ここでまったりと過ごしていると言う。沈没はまだしていないと本人は言うが、側から見れば似たようなものだ。太井さんの話では、そうやって長期に渡り滞在していると突然、「ちょっとそこ掃除しといて。」とスタッフに言われたという。宿のスタッフにスカウトするぞと言うサインらしい。客がいつの間にかスタッフになっているというのは、芝居の世界ではちょっとありえない事なのでびっくりした。
その後色々な話をしたのだがあまり覚えていない。結局また2時頃まで飲んで寝た。彼らとは太井さん以外には会っていない。いちゃりばちょーでーと言っても大体が一期一会の関係だ。本土に帰ってからも関係が続くという事は、少なくとも私にはない。まあ、当時フェイスブックをやっていればまた別の関係性ができたのかもしれないが。

朝になった。昨日とは違い今日はどこに行くか全く考えていなかった。もう一晩同じ宿でとってしまったため、北の方へ旅立つ事もかなわない。9:30に漸く宿を出てモール街をうろつき、宮古そばを食す。まだ行っていない場所に行こうと、地図を広げた。那覇港の側に国立劇場おきなわがある。特に芝居を見るわけではないが、行って見ることにした。
結果から言うと・・・・この日はどこにも目ぼしいところに行く事はなかった。劇場の前をうろつき、近くの食堂で肉野菜そば(やべ、連続でそばだった)を食べ、そこで中城(なかぐすく)城側の廃ホテルの映像を見る。中城城跡に行ってみたくなった。ブラブラして帰って来た。

  そしてまた夕食。今日は塩焼肉定食だった。明日から北上するので、今夜はこの宿最後の夜だ。若者ばかりのこの宿のバーに、一人60歳強の年配の男性がいた。話が合わないのか、一人で寂しそうに飲んでいる(勿論あくまでも私の主観、本人は全然そうは思ってもいないかもしれない)。話しかけてみる。何やら難しい話をした事は覚えている。資本家が国内にいないので6,70年代のようには分かりやすい形で敵が見えなくなっている事。本土が疲弊したら沖縄に、沖縄が疲弊したら中国等のBRICs諸国に、BRICsの次は新たな発展途上の国にと、グローバルエリートは居を構える場所を替えていけばいいので、戦おうと思ったらもういなくなっているような事があり得る事などを話した。分かりやすい例として、マイケル・ムーアの出世作「ロジャー&ミー」を紹介しておいた。GMがデトロイトから工場を人件費の安いメキシコに移した事で、徐々に疲弊し荒廃していく故郷を記録したドキュメンタリーだ。最後にムーアがGM会長ロジャー・スミスを直撃インタビューする様が圧巻だった。
他にも色々な人と色々と話したけど、もう随分と時間が経っているので、もう覚えていない。皆元気でやっているだろうか。こういったゲストハウスで会う人は、次に同じ場所に来てもお客さんもスタッフも総入れ替えとなっているので、宿主以外二度と会う事はない(ここの宿主に関しては一度も会っていない。例外なのは太井さんに三度会った事か?  あともう一人、太井さんと熊本で再開した時にそこの支店に居たスタッフと、太井さんと三度目に会った時に同じ再開したくらいか。彼は私の事を覚えていなかった)。宿主も数年ぶりに会うと、その間に宿に来る沢山のお客さんに会っているので、こちらの事など全く覚えていないのだ。ほぼ一期一会の関係なのである。余程客がキャラの濃い人であるか、すんごく迷惑をかけた人であるか(そういう人にはもう宿には来て欲しくないだろうが)、毎年でないにしても定期的に宿に来ている人であるならば別だろうが。

さて、今日から北上するぞ。意気込んで58号線(沖縄の南北を走っている国道)沿を北に行くバスに乗る。とりあえず今話題になっている普天間基地周辺にでも行ってみよう。北上していたバスは伊佐の辺りから内陸部に入って行く。普天間のバス停で降りて、基地の周辺をうろついてみる。ゲートがあり、そこから車が出て来た。黒人兵が運転している。横断歩道を渡ろうとしていたら彼が道を譲ってくれた。壁沿いを歩いて行くと、本当に住宅や学校のすぐ隣だ。何でもこの基地は航空法が整備される前にできたらしい。それにしてもこの近さはどうにかならんだろうか。
ふと大学時代の部室を思い出していた。住宅のすぐ側で、近隣から夜うるさいとよく苦情が来ていたっけ。この近さも今の法律ではダメなのだそうで、部室棟一帯が整備された後は、大学の門内に移動させられてしまったっけ。お陰で現役の子達は夜通し部室にいる事はできない。衣装部や舞台部はどうするんだろう?

話が逸れた。一時間強うろついた後に行こうと思っていた中城城に行く事にした。地図を見ながら中城村の方に行く・・・・と、途中で道を間違えた事に気がついた。どうやら中城城は中城村にあるのではなく、北中城村にある事が地図でわかった。雨がポツポツと降って来る。亜熱帯の気候で多そうだという印象があったが、沖縄に来て雨に降られたのはこの時が初めてだった。コンビニに入りそこで少し雨宿りをし、レッドブルを飲んだ。
パワーも回復したので北中城村への道を急ぐ。道を間違えた場所に漸く戻って来た。昼食を食べた食堂がある。かなりの道を戻って来たので、かなり時間をロスした計算になる。ちなみに最近また中城を訪れた時、同じような場所で道を間違えた。つくづく学習能力のない男である。急いではいないと言うものの、あまり遅くなると宿にたどり着けなくなる可能性がある。今日泊まる宿はまだ決めていなかった。
途中中村家住宅に行く。赤瓦の琉球家屋で、280年も前に建てられたそうだ。中は武家屋敷のような作りになっており、いい趣があった。帰りの休憩室ではちんすこうとさんぴん茶が無料で差し出されていた。
そこから大きな道に戻り、道なりに行くと中城城跡だ。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

100621_145709.jpg

100621_150537.jpg

100621_153624.jpg

 今日のマスターは名古屋から来た音楽プロデューサー?のような人。よく知られている歌謡曲のカバーを新人ミュージシャンに歌わせて、稼いでいるそうだ。故あって沖縄に来て、長々と過ごすうちにここのスタッフになったと言う。
 「おれねえ、臭いにとっても敏感なのよ。臭い奴はダメだね。この前シャワールーム掃除してたらさ、外人達が入った後らしくて、毛と臭いが本当に酷くってさ・・・・」
 おいおい、何でそんな否定的な話から突然話し始めるんだ? 音楽プロデューサーとしてはどうだかわからないが、客商売としてはどうなのだろう? 自分は繊細な事に敏感だという事を言いたいのかもしれないが・・・・そういえば夕食の時、自分専用の水を買って持ってきていた。沖縄の水は自分に合わないのだそうだ。確かに水道水はイマイチだ。山原以外あまりいい山がないからだろう。
 「そういう人ってこういう集団生活できないんじゃないの? ここはお客さん選べないだろうからそういった人沢山来るだろうし・・・・」
 「・・・・・」
 今になって思うと、この言葉が彼の琴線に触れてしまったのかもしれない。客の一人の私にとっては知った事ではないが。
 客には神戸から来た保険屋さん、秦野から来た人、関西から来た学生カップル、IT会社員など、様々だ。保険屋は今日斎場御嶽(せいふぁうたき)に行ってきたそうである。昨日来て今日一日かけて斎場御嶽とその近くの港から渡ってすぐにある神の島久高島に行ってきたそうだ。とてもいいところだという事をトクトクと語っていた。特に明日行く場所がなかったので、行ってみる事にする。ちなみに平和記念公園には昨日行って来たそうだ。私と違って平和祈念資料館にも言って来て、そこで平和のありがたさを改めて感じたそうだ。彼女の話を聞いて、次回の旅行でまた平和記念公園に行き、資料館へ行ってみる決心をした。明日は午後の便で帰るのだが、それまでにちと時間があるという。どこか近場にいいスポットはないかと聞かれ、豊見城の辺りにある旧海軍司令壕はどうかと提案しておいた。バスの時間がうまい具合に合うかどうかは調べてなかったのでわからなかったが。
 「横浜の人ってお洒落ですよね。」
 「・・・・・!?」
 お洒落と言われたのは初めてだ。勿論これは私本人の事ではなく、あくまで横浜一般の人を指しているのだろうが。泡盛は飲みなれていないのか、かなり酔ってきている。飲めば飲むほど饒舌になって来ていて、しかしこちらの話はあまり聞いていないようで、あるいは酔いが回って聞いてもすぐに忘れてしまっていて、同じ事を何度も何度も聞いて来る。3歳年下だという事が話の中で判明した。ずっと私が年下だと思って話していたようで、びっくりしていた。この頃から私は実年齢よりも若く見られるようになってきた。20代の頃は2~4歳は年上に見られていたというのに・・・・顔に年輪が刻まれていないからだろうか。
 「どこから来たんですか?」
 「神奈川は横浜です(さっき言ったじゃないか)。」
 「横浜の人って遊び人が多いですよね。」
 「さっきお洒落って言ったじゃないか(でも裏返せばそういう事になるのかもしれない)。」
 「あれは・・・・口から出まかせです。」
 「・・・・・」
 その後彼女は何度も何度も同じ事を聞いてきて、2時のここが閉まるまで一緒に居た。客室に帰る途中の階段で、財布を忘れた事に気づき、私が保護者のような形で付き添い、屋上まで取りに帰った。カウンターの上に置きっぱなしになっていたのだった。
 「財布はちゃんとポケットにしまっておかないと。客の中に悪い奴がいたらどうするの?」
 「・・・・・」
 客室に戻り、彼女はウンともスンとも言わず自分の寝床に帰っていった。それ以降彼女とは会っていない。元気でやっているだろうか。確かめようにも名前も聞いていないし、今頃その当時の事など忘れているだろう。
 時間は少し遡る。マスターが音楽関係の仕事をしていると知ったので、聞いて見たいことがあった。隣では保険屋さんがフラフラしながら別の人と話をしている頃だ。
 「沖縄は音楽が盛んだと聞いたのですが、ここら辺でライブが見れるいい店ありませんか? ライブハウスみたいなとこ。」
 「全然ダメだよ。確かにねえ、ここの人達は元々音感が良く、それを育てる土壌もあるんだけどね、構成や段取りがメチャクチャ。これで2000円なんか全然とれないって感じでね・・・・」
 おいおい、何で客のおれが敬語で貴様がタメ語なんだよ? しかもおれは6歳年上なんだぜ。それにおれはただのここに訪れた観光客なので、歌がうまくてそれを育てる土壌があるのならばそれで十分なのだよ。だからそういった事は聞いていないんだけど。
 その後楽器ができるかどうかという話になった。他の人は大なり小なり楽器が使えるという。しかし私は・・・・
 「おれはダメだなあ。エアギターくらいだよ。」
 「へえ、じゃあ君、何かの大会で優勝でもしたことあるの?」
 おめえの言ってるのは「できる」の範囲内じゃあねえよ、と音楽を生業にする者として多分言いたかったのだろう。私が同じ音楽業界の者ならばそれでもかまわないのだろうが、ここはゲストハウスで、私はそこに泊まりに来たただの観光客である。それにこのタイミングでなぜこんな事を突っ込むのだろうか。彼は自分の立場や相手の立場を全く考えていない。責任を負う宿主でもなく、ただの腰掛けだからこそこういった事も平気で行えるのだろう。もう彼とは二度と会いたいとは思わなかった。
 その時に限らず沖縄を旅行していてよく思うのが、フレンドリーさと無礼さを混同している者が多いという事だ。客が敬語なのに向こうはタメ語というのがよくある事例だ(向こうが自分よりずっと年上ならばそれもありなのだろうが)。上記の日替わりマスターはフレンドリーさすらない。一体どういう社会を渡って来た者なのかがわからない。ここでは「いちゃりばちょーでー」でも、そうでない社会から来た人間で、その社会の常識を踏まえているという事を完全に忘れている。いや、元々そういった常識がない世界から来た者もかなりいる。でもまあ何というか、そういった人たちも受け入れてくれるのが沖縄の温かさなのだろうが。
 その日他の人達とも話したのだがよく覚えていない。上記の二人の印象が強すぎたためだろうか。

 朝になった。2時までやっていたのだから、保険屋ほどでないにしろ100円につられてかなりの量の泡盛を飲んだはずなのに不思議と二日酔いになっていない。むしろ心地よい目覚めだった。泡盛はあまり二日酔いをしないらしい。先日行ったjefに行き、ぬーやるバーガーのセットを頼む。ゴーヤバーガーにポークランチョンミートの挟まった豪華版だ。不思議な食感を楽しむと開南のバス停へ・・・・と、もうバスは行った後じゃあないか。前日にちゃんと確認していない私が悪いのではあるが、次のバスまであと2時間近くもあるぞ。代わりに那覇市牧志第一公設市場をうろついてみる事にした。
 肉やら魚のみならず、色々なものが売っている。特に肉屋では、生てびち、つまり豚足が生々しく丸ごと切株で置いてある。あと豚の顔の生皮も飾ってあったりで、心臓の弱い人は見るのに注意が必要だ。沖縄では豚をたくさん使う。雑菌がたくさんいるという内臓もちゃんと洗って中身汁として調理したり、捨てるところがないくらいだ。昔まだ沖縄が貧しかった頃、野菜だけでは足りない動物性タンパク質を辛うじて豚でとってどうにか凌いでいたと言う。無駄な栄養がないから沖縄の人は長寿なのだそうだ。今は別の県に抜かされてしまったが、当時は日本一の長寿県であり、日本一という事は世界一だった。もっとも今は体に悪いものがたくさん入ってきているし、栄養過多なので、若い世代が年をとった時、今のお年寄り達程は長生きできないだろうと言われている。
 二階には食堂もあり、数年後サーペンティーナの公演で沖縄を訪れた時、初めに訪れ、皆で食事をするところとなる。公演自体はこの公設市場の裏にある児童館前広場にて行った。ここら辺一帯は昔闘牛場だったらしい。初めはお客さんが全然入らず苦労したものだが、ちょうど沖縄を訪れていた弟に泊まっている宿にチラシを配ってもらったりして、楽日の頃は児童館の子供達も手伝って宣伝してくれて、満員になるようになった。どうやら周りを行き交う人達には児童館内部のイベントだろうと思われていたらしい。野外劇というのも含めて今まで行った事のない経験ばかりになった。
 
 さて時間はあっという間に過ぎた。南城行きのバスに乗る。二日目に訪れた佐敷の辺りを通り過ぎ、安座間サンサンビーチの前に辿り着いた。なんだ、あすこからすぐそこの場所にあったんじゃないか。ここで一泳ぎしてから目的地の斎場御嶽へゆく。琉球王国最高峰の聖域と呼ばれている場所だけあって、不思議な場所だった。石が素朴に置いてあるだけの祭壇なのに、何かしら寒気のようなもの、霊的なものを背中に感じるのである。岡本太郎もここで何か感じたらしい。他の、沖縄の人達の作った文化とは格が違うのだそうだ。大きな岩と岩の間を通り抜けて海辺へ。樹々の間はからは海が臨め、その先には島が見える。久高島だ。保険屋さんが行って来たという神の島だった。今回は行かなかったが、次回の旅で訪れる事となる。
 その二回目に訪れた時は専ら自転車を宿で借りて移動していたのだが、ここに来るのは距離的な問題もあってか今回と同じようにまたバスを利用した。起きる時間が遅れて、またバスを乗り過ごした。二度も同じ失敗を繰り返すとは、とんだマヌケである。今回と同じバスで来たものの、ここに着いたのは久高島へ行くフェリーがちょうど出た後だった。仕方がないので、またここ斎場御嶽に行くことにした。サンサンビーチで時間を潰し、昼食をとって知念岬に行った。変わった形をした小さな蟹が沢山いる場所だった。海があらゆる方面に見渡せる。絶景であると同時に、地球が丸いのだと実感できる場所でもあった。
  時間を調節して久高島へ。一周数時間で回れてしまう小さな島である。斎場御嶽がそこから見えるというクボー御嶽は立ち入り禁止だった。他にもここには立ち入り禁止の場所がいくつかある。ゆっくりゆっくりと回りたいが、フェリーの関係でそうも行かない。宿を引き払ってここに泊まれば良かったなと思ったりもした。一通り回った後最終フェリーで安座間港へ戻る。バスは出た後だった。フェリーとバスの時間が微妙にズレているのである。夕食の時間が間に合わない。初めて夕食の取り置きの電話を宿にかけた。
  さて初回の話に戻ろう。二回目と同じように知念岬を回り、ゆっくりしてからまたバスで帰って来た。今日の夕食はソーキの煮つけだった。例の如くお代わりは自由だったが、遅れてくる女の子のため取り置きがされていた。
 
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:


100620_135231.jpg
100620_100248.jpg

 周りの鼾などが少しは気にはなったが、他に特に問題はなくまた次の日の朝がやって来た。洗濯物は昨日近くのコインランドリーで洗ってしまったが、そろそろ荷物をある程度小分けにしないと、面倒な事になる。行った名所のパンフが増えて行き、食いきれなかった飲食物などもある。持って来た大きなバッグだけでは足りなくなって来た。ふと見ると、誰かの私物だろうか、それとも捨てられずにそのにまだ置いてあっただけだろうか、「アルテック」と書いてある。ここら辺のチェーンの酒屋の袋のようだった。周りに誰もいなかったので、ありがたくその袋を頂戴して宿を予約出る事にした。ゲストハウスはチェックインの時に、宿帳書いて先払いで済ましてしまっているので、チェックアウトの時はそのまま何も言わずにその場を去るという事が多い。客が去りたい時にその場に宿主やらスタッフがいるとは限らないからだ。逃げるようにその場を後にした。

 さて朝飯だ。モール街を開南の方に進んで行くと、JEFというハンバーガーショップがあった。ゴーヤーバーガーやらヌーヤルバーガー等、他で見た事もない不思議なバーガーがメニューにある。その時はゴーヤーバーガーを頼んだ。バーガーの中にゴーヤーの卵とじが入っていて、不思議な食感だった。
 今日はひめゆりの塔に行ってみようと思った。本島の南部に位置し、バスに乗ればすぐに着きそうである。ところが途中までしか行かない。ここから先はまた別のバスに乗り換えねばならないそうだ。面倒なので歩く事にする。糸満の辺りをうろついていると、「いとまん美々ビーチ→」という看板を見つける。そういえばまだ沖縄のビーチには一度も行っていない。ひめゆりの前にちと行って見る事にした。電信柱には選挙ポスターが所狭しと貼ってある。「あ、またあの顔だ」と、沖縄の候補者ばかりに詳しくなってしまった。そういえばこの年の7月は参議院選挙だった。散々色々な場所を廻った末に美々ビーチにたどり着いた。思ったよりも小さな海岸で、長方形に海の中が囲われている。「ここから先は遊泳禁止」のラインなのだろう。本土の方でもよく見かける。こちらの方にはハブ貝やらハブクラゲ、更にはウミヘビなどもいるので、こう言った区切りは必要になって来る。自己責任で自由に泳ぎまわりたいのなら籬島の方に行けばいい。そちらの方が海も断然綺麗なのだから。
  浜辺にはシャワー室やらトイレやらがある。トイレで海パンに着替え、早速泳ぎに行く。驚いたのは水がとても透き通っていて、底まで見透せる事である。それだけ水が澄んでいるという事だろう。あと舐めてみてもそれ程塩辛くない。そのままコップにすくって飲んでみても、あまり苦にならなそうだった。そして浜辺に立って気づいた事がある。砂が足にひっつかない。浜辺に上がって脚を叩くくらいで全部落ちてしまうのだ。それもそのはず地面にあるのは湘南とかと違って砂ではなかったからだ。何か小さくて色々な形をした陶器のようなものが海面から浜辺の方にかけて、びっしりと敷きつめられている。なんじゃこりゃ?  へっぽこな陶芸家か何かが失敗した陶器を捨てて行ったのか?  いやいや、数が半端なく多過ぎる。それらは珊瑚の死骸だったのだ。肉眼で珊瑚というものを見た事が(水族館ではあったかもしれないけど)なかったので、しかも海水に浸かっていないところだったのでびっくりした。
 しばらく泳いだ後、ここを後にする。近くの大きなスーパーにて菓子パンテビチなるものの煮つけを購入する。豚足というもの自体は食った事があるが、ここまで生々しく切株の輪切りにされているのを見るのは初めてだ。甘い味つけがしてあって、どろっとしたコラーゲンのようなものがあり、中々美味だった。

 さてさてその後どこをどう動いたのか、時間がいつの間にか経っていたのを覚えている。三日もフル装備でこの熱気の中を移動し続けのは流石にきつい。皮膚もかなり日焼けし始めてしまった。休み休み地図を確認する。喜屋武の辺りに着いた。確かガイドブックにはここら辺にあると書いてあったのだが・・・・見つけた。芸能人達にも有名なペンションだそうだ。17:30頃、まだ暗くなる前にたどり着けたのは幸いだった。入り口にはよく見た顔が沢山並んでいる。洒落た個室にてまずはベッドにちょこっと倒れこむ。シャワーを浴び、水分をとった後、また倒れこむ・・・・寝てしまった。起きたのは23時頃だった。
 「もう夕食はやってないよ。」
 げえ・・・・外には特にこの時間にやっていそうな店もなく、開けた場所でもないのでコンビニもない。今日は晩飯抜きである。まあいいだろう。一日抜くのもたまにはいいものである。先程と同じようにまた朝まで寝ればいいのだから・・・・と、今度は眠れない。5時間以上寝た上に飯を食っていないので、そうは眠れないのである。
 仕方がないので持って来た本を読みつつ明日の計画を練る事にした。岡本太郎の「沖縄文化論」、50年代終わりまだ日本に返還されていない頃の沖縄に岡本太郎が訪れた時の記録である。今では泡盛やらチャンプルーやら、メイドイン沖縄として胸を張って島んちゅは外から来たお客さんに出せるが、当時は自分らの文化に引け目を感じるようにしていたそうである。何が自信であるか、状況と関係性で微妙に変わってくる事があるのだろう。昔は地方から東京に来た若者の訛りが治らない事をバカにされたそうだが、最近では方言を話せる子は重宝され、クラスの人気者になれるそうである。日本全国が均質化され、ローカリティが喪失したので、希少価値になったからだ。そう考えると、私が沖縄に何度も来たくなるのもわからなくもない。沖縄にはローカリティ的なものが沢山残っているからだ。最近では色々な業者が入って来て、観光ビジネスが盛んになり、そうでもなくなって来はしたが・・・・そんな事を考えている内に眠ってしまった。明日に行く場所はひめゆりと、その近くの平和記念公園に決まっているので、殊更考える必要もなかった・・・・むにゃむにゃ・・・・
 次の日の朝になった。華麗な朝飯を食し、ひめゆりまでのバスを教えてもらう。
「沖縄のバス路線は色々と入り組んでて、新しい路線ができたり消えたり、こっちの人でも分かりにくいから、ちゃんと運転手さんに聞きなさいね。」
沖縄では電車がない分バスが発達していて、外から来る人でレンタカーを借りない人が旅行をするのにバスは必ず利用せねばならないものだった(あくまで当時の考えである。別の回に来た時、ゲストハウスにて自転車を借りればいい事に気づいた。一日500円で那覇周辺ならば大抵のところは行ける。ただし、晴れている時に限るが)。前にも記した通り、道がクネクネ曲がっているので、真っ直ぐ進んでいるつもりでもいつの間にか違うところに向かっていたりする。知らないところに行くのに運転手にちゃんと聞く事は必要だった。
 「ありがとうございます。」
 「あ、岬の方にハーリーが来てるよ。行く前に立ち寄っておいたらいいさあ。」
 ハーリーポッター?  ダーティーハーリー?  前知識が全くないものを音だけで聞く程シュールな事はない。今日は特に急いでもいないので、岬にハーリー見物に行く事にした。
本島の最南端喜屋武、ここら辺は畑がずっと続いているばかりで、店など特に見当たらない。水分は自販機で購入する事にする。普段あまり自販機を使う事がない私ではあるが、この時ばかりは仕方がない。脱水症状になれば命に関わる。ここでアクエリアスを購入し、気づいた事がある。沖縄の自販機のそばには缶やペットボトルを捨てるためのゴミ箱が都市部以外ほぼない。缶は自分で、ゴミの捨てられるところまで持って行くしかないのだ。自分なんぞはビールやら何やら外で飲み歩きながら、その缶を捨てる場所を自販機のそばに期待していたタチなので、それがないのはちょっとびっくりする。
 ーリーの会場に着いた。集団ボートレースの事だったんだとこの時初めて気づいた。龍の形をしたボートを皆一生懸命漕いでいる。


爬竜(ハーリー)とは、毎年旧暦の5月4日に沖縄県各地の漁港で行われる爬竜船(はりゅうせん)競漕とその祭り。爬竜船(はりゅうせん)を漕ぎ競い合うことで航海の安全や豊漁を祈願する。「ハーレー」「ハーリー」と地域によって呼び名が違う。

基本的には「航海の安全」や「豊漁」を祈願する御願(ウガン)を主旨とした海の神事であるため、伝統に則り旧暦の5月4日に行うが、近年ではハーリーシーズンの日曜日や祝祭日・ゴールデンウィークなどにずらして催し、観光化する地域もある。(wikipediaより)

 

 ペンションの前まで戻って来て、目の前の道路でバスに乗る。すぐにひめゆりの塔に着いた。写真の通り献花をする石碑があり、そこに花を添えて来る。生き残った人達の証言の記録を見る。「自分が生き残ったのは単に運が良かっただけだ」「もしあの時手榴弾を持っていたら、それを使って自害していただろう」等、本当に追い詰められた人達の生々しい話を聞く。大日本帝国に捨て石とされた歴史としての沖縄をあまり私は知らない。そしてそれは今も尚基地の問題も含めて続いている。近くの食堂にてカレーすばを食す。好きなものをたらふく食べられるのは平和なお陰である。平和が空気のように当たり前に存在していて感謝もできない事自体が平和な証拠なのだ。一日晩飯を抜いたくらいでひーこら文句を垂れられる事自体が平和だったのだと、その時初めて気づいた。

外でバスを待っているとタクシーの運ちゃんが声をかけて来た。
 「もうバス行っちゃったよ。」
 はて?  まだ到着の時刻ではないはずだが・・・・沖縄のバスは遅れる事はあってもはやめに着くことは滅多にない。予定表を確認するとやはりまだだった。
 「残念、ちょっと前だったね。兄ちゃんどこ行くの?」
 「平和記念公園まで。」
 「じゃあ乗って来なよ。安くしとくからさ。」
 初乗り470円と本土に比べればベラボーに安い。ありがたいと思ったのが運の尽きだ。後で分かったことなのだが、これがこの人の少ない客を捕まえるための手口なのだ。バスが行ってしまったのも本当かどうか分かりやしない。まあ、今となっては確認する手段もないのだが。
 「昨日どこ泊まったの?」
 「南の楽園です。」
 「あすこ人気だよねえ、芸能人がよく集まってるし・・・・」
 とりとめもない話をしている内に平和記念公園に着いた。大きな公園の所々になモニュメントがある。丘の方に登って行くと、それぞれの県ごとに分かれて石碑が建っていた。その中の沖縄県平和祈念資料館にはその時は行かず、次回来た時に行った。
ここでまた面白い立て札を見つけた。「バーベキュー禁止」だって?  ここでやろうと言う奴がいるというのがまず驚きだ。基地は沢山あるものの戦争の陰などはもうほとんど見えなくなってしまっているのが沖縄の哀しいところである。
 「おうい、玉泉洞まで乗って行かないか?  今からならば暗くなるまでに行けるよ。そこで冷たいビールを一杯クイッとひっかけてから帰っても全然那覇まで着けるよ。」
 先程の運ちゃんがひょこひょこと近づいて、また声をかけて来た。
 「別にいいです。」
 別に急いでいるわけでもないので、高い金出してタクシーに乗る必要はなかった。バスをゆっくり待てばいいだけだ。ちなみにこの時玉泉洞がどんな所だか知らなかったので、行こうという気にも特段にはならなかった。実際に行ったのは次回ここに来た時である。
 さて、今日はどこに泊まろうか。荷物全部持ちながら移動するのはさすがにそろそろもうやだなあ。どこか連泊できるいいゲストハウスはないかなあ。。。そんな事を考えている内に時間が少しずつ経って行ってしまった。
 「500円でぐしちゃんまで乗せて行ってやる。いいから乗れ。」
 あの運ちゃんがタクシーごとそばに接近して来た。すげえな、命令形かよ。その勢いに気圧されて乗る事にされてしまった。ちなみに当時の私はぐしちゃん(具志頭)がどこか分かっていなかった。喜屋武(きゃん)にしろ今帰仁(なきじん)にしろ、奇妙な読み方の地名が沖縄には多いものである。定価ならば800円くらいなのでタクシーを利用するという点では得ではあるが、ここからまた那覇に戻るバスに乗るので、合計で1000円以上はしてしまう。これから行くゲストハウスでチャリンコを借りれば一日たった500円だ。どれだけ損をしているかわからない。旅先でタクシーを使うのはこの時を機会にやめにする事にした(実際は天草に行った時、日曜のため終バスがなくて使ったのだが)。
 開南に戻って来た。そこからモール街に入って行き、先日使ったコインランドリーにて洗濯をする。真夏と同じなので、私の持って来た着替えの分量では2.3日に一回洗濯しないと着るものがなくなってしまう計算になる。この前行ったのとは別のゲストハウスが近くにあり、そこに行く。ちょっとしたビルの二階から上がほとんどそのゲストハウスになっている。今回は1500円だ。多分あすこよりはマシだろう。中に入ると綺麗とは言えないものの、広々としたゆんたく場に沢山のお客さんがいる。これくらいで安ければちょうどいい。宿のシステムの説明を受け、ベッドで一休みしていると、スタッフがシュガーナッツのでかい空き缶をカンカンカンとけたたましく鳴らしている。
「飯いかがっすか〜。」
何事だろうか?  運がいい事にスタッフが夕食を作ってくれるシステムがあり、280円で食す事ができる。スタッフ達の賄い飯を作る時に一緒にお客さんの分も飯を作ってしまおうというもので、食材費だけ貰おうという仕組みだ。これ以上高くすると飲食店の許可を申請しなくてはならないらしく、色々と面倒なのだそうだ。今日の夕飯はマグロ丼だった。給食のように余ったのものは好きなだけ食える。19:30を越えて帰ってくる客は、電話一本で取り置きができるので安心して帰って来れる。それに何てこった、ここで洗濯機を使わせて貰えば、タダで洗濯できたではないか。
 22時から屋上でバーが開く。屋上に掘っ建て小屋が建ててあり、ちょっとした雨風などは凌げるようになっている。そこにスタッフが日替わりでマスターとなり、色々と話ができるのだ。客室は3階までで、そこから1階挟んで屋上があり、早く寝たい人と夜中まで騒ぎたい人が完全に分断される。とてもいい立地条件だった。泡盛の水割りが100円、各種ジュース割りが150円、オリオン発泡酒・雑酒系が200円、オリオンビールが250円と、とても安く飲める。ツマミは各自か、たまにマスターが小さい霰か何かの小袋をくれたりする。マスターの気分が続くまでここは開いているので、6,7月のこの時期は大体午前2時くらいまでになるだろうか。(続) 
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:


100618_091850.jpg

100618_091558.jpg

100622_182336.jpg

 朝6:50に起きて、ドリンクバーにて2杯ほどコーヒーを飲み、まとめておいた荷物を持って外へ出る。今日もいい天気で、まだ気温がそれ程高くなく温和なのがいい。この時はまだ夜勤をやっていなかったので、寝る時間帯の時差に悩まなくて済んだ。国際通り沿いのマックにて朝マックをほうばりながら今日行く場所を決める。前記にもある通り、当時の私は沖縄に何があるのか前知識がほとんどなかったので、とりあえずガイドブックに大きく載っているところに行ってみる事にする。識名園というのが先日行った首里城の南辺りにある。これも世界遺産とされているので、そちらに今日は行く事にした。

 国際通りを終点まで行き、そちらから南下する。バスで行けばすぐなのだろうが、直接行ったところでまだ開園していないだろうし、何より私は歩くのが好きだった。ゆっくりゆっくりと変わりゆく見知らぬ土地の景色を眺めながら、見知らぬ街の風の香りを感じ、見知らぬ人の騒めきを聞く。そして更にその先、そこで出会った見知らぬ人達と話をする楽しみに漸く出逢えるようになるのはあと2日後の事で、まだその時の私は極端に異郷の人見知りだった。1000km歩けば歩く旅の良さが見えてくるという。その歩く旅の達人から見れば私なんぞ本当のひよっこ中のひよっこだった。
 与儀公園の前を通過する。沖縄の街を見ていて思ったのが、やはりここは異国だなという事である。街路樹は椰子の木だし、ガジュマルのような蔓の絡まった樹がいたるところにある。赤瓦の民家が建ち並ぶ中に所々空き家や空き地があり、ほぼ必ずと言っていい程門の所に狛犬のように二匹対になったシーサーがいる。そういえば沖縄のライオンズマンションの門番はシーサーだと聞いた事がある。まあ、ライオンもシーサーも元は同じなのだから問題はあるまい。あとよく道の角っこにある謎の文字「石敢當」。なんでも風水の護符だとかで、これがあるお陰で邪気がここから逃げて行くそうである。そして一番違うのが墓。本土のように墓石が鏡餅状に重なっているのではなく、それ一つが大きな仏壇のようになっている。墓場の側を通りかかり、見慣れぬ風景にびっくりしたものだった。
 沖縄の道はクネクネと蛇行している。国道や県道を道なりに歩いていても、いつの間にか別の路線に入っていたりする。先ほどの右への分かれ道が続きの道だったという事がよくあった。そして私が行く今回の道はアップダウンが激しい。まだ開いていない店の隣を通り抜けて、目的地へと急ぐ。沖縄の店はチェーン店が少ない。コンビニは普通に展開しているが、飲食店はマック、吉野家など数えるほどしかなく、「●●食堂」という個人経営の店が多い。夜には居酒屋も兼ねていたりする。飲んだくれて家に帰る時に使うのは専らタクシー(ゆいレールしか電車のようなものは走っていないからである。しかも那覇の国際通り+αのみなので、沖縄の他の部分には電車文化のようなものはまずないと言っていい。本土に来て、まず困ったのが切符の買い方だったと言う今帰仁出身の人もいるくらいだ)だ。
 なぜかここに来る前日に観た友人達の芝居を思い出しながら、ゆっくりゆっくりと道を進んでいた。旗揚げ以来ずっとやってきた作演出がやめてしまい、別の人が作・主催が演出で再出発したばかりだったので、全く期待していなかったところを、カウンターを喰らったかのような出来だったので、びっくりした事がずっと頭から離れなかったからだろう。約6年ぶりにそこで知り合った皆と飲めた。この旅行が終わった後10月の公演の初日打ち上げでまた彼らと一緒に飲んで以来ずっと彼らとは飲んでいない。その10月の公演で彼らは新たな方向性を見つけたそうだ。硬派な社会派の芝居をする劇団として、今もその方向性は変わっていない。
 話が横道に反れた。ある程度歩くとやはりもう疲れたので(歩く旅の達人には到底なれないのがここからもよくわかる。しかしねえ、私の旅は時間が限られているからね)道行く人に聞き、識名園近くまでいけるバスに乗る。園内に入ると、緑色の池を渡る橋や道が至る所にあり、池のないところは亜熱帯の樹々に囲まれている。中国や日本風の庭園なのに、その樹々を見るとここは沖縄だなあと感じてしまうのだ。あと石でできた水場の湧泉もあり、ここで水を汲んでいたという。建物の屋根は赤瓦でできていた。屋敷の内部は武家屋敷のようではあるが、その赤瓦を見るとやはり沖縄である。六角堂は中国的なものを匂わせるが、そこを見ると明らかに中国とは一線を画している。外国使臣歓待や国王一家の保養のために造られただけあって、中は広々と日本間が続いていた。諸外国の違うものに触れながら、段々とその地のオリジナルなものを作り上げて行く。デビューしたばかりの新人漫画家が既に売れている有名な漫画のパロディをやりながら、連載が進むに連れて画力のみならず独創性を発揮していくのに似ていた(ん?  変な例だなあ)。クレオールなチャンプルー文化である沖縄の成立過程を見ているようで非常に興味深かった。
 樹々が生えている方に行くと、「ハブに注意」の看板が。確かにハブは恐ろしい。ドラマ版寅さんはハブに噛まれて死んだ事を思い出した。ハブに噛まれて死んだフランス人将校もいたそうだし、岩場の穴の中にいるのを子供が手を突っ込んだ時に噛まれた場合、十中八九死ぬのではないか?  ハブの大きさにも寄るだろうが。ハブにはこの時出会わなかったが、地面におそろしく大きなカタツムリを発見した。めちゃくちゃデカイ!  俺が知っているのと比べて5倍はあるぞ。この後名護に行った時、雨に降られた日にたくさん同じくらい大きなのに出くわした。ここら辺のカタツムリはとても大きい事がわかった。

 識名園を出てバスに乗り、大里公園へ行く。そこに何があるかは知らないが、ここら辺に来たのでとりあえず行ってみようというのが意図だった。しかし降りて見て、特に目を惹くものはない。でも今まで二つも連続して世界遺産を見て来たので、何もなく見えるのは無理もないかもしれない。そこから歩いて歩いて東海岸の方へ行く。途中で見つけた食堂にてソーキそばとジューシーを食す。「この肉はジューシーだ」とか言うのは聞いた事があるが、商品として見たのは初めてだ。ご飯の中に豚肉を入れた炊き込みご飯の事だ。これをおにぎりにして売っているところもある。外を出て道を歩いて行くと、マングースらしきものが通り過ぎるのが見えた。
  新里から新開に出る。そして331号線を東に歩いて行く。サトウキビ畑が見えて来た。南国情緒漂ういい風景だ。ここから先どこに行くという事もないが、海岸沿いを行けるところまで行って見る。途中であった食堂で夕飯を食し、佐敷の辺りで日も暮れて来たので引き返す事にする。那覇行きのバスに乗り、国際通り近くで降りる。長々と歩いてきたのに、帰るのは一瞬だ。文明の便利さと共に空しさも感じたりする。
 国際通りの脇道に平和通りというモール街がある。土産物屋や雑貨屋、食堂、軽食屋が所狭しと並んでいて、高円寺や上野のガード下ような場所もあった。ここに来る時はもう日も暮れていて、そろそろ今日の宿を探さねばならない。近くにガイドブックにあった安いゲストハウスを見つけ、そこに泊まる事にした。
 「ゲストハウスってこんなものか・・・・」
 そう私が思ってしまったのは、ここがベラボーに安いところだったからだ。もうちょっと高い1500円くらいが那覇では相場だが、同じ値段でもピンキリである。ここは本当にキリの方だった。一応キッチンやバストイレがあり、ネット環境も整ってはいるものの、全てが汚い。まあ、大学の部室棟にしょっちゅう寝泊まりし、ダニに身体中刺されていた私にとっては何てことないが、若い女の人にはたまったもんじゃないだろう。
先程食べた夕飯は足りなかったので、下の食堂にてまたちょこっと食し、これを今日のシメの食事とした。
 「何?  飯何処がウマイかだって?  自炊すりゃあ一番安くあがるよ。」
 泊まっている長期滞在者のおっさんが教えてくれた。確かにその通りだ。キッチン冷蔵庫が完備してあるので、連泊するならばその通りだと素直に納得する。しかし・・・・そこにはもう泊まるつもりはなかった。旅行者らしき人は他に一人も泊まっておらず、皆長期滞在者の巣のようだった。確かにここにずっと泊まり続けていれば、アパート借りるよりも安く済む。安い物価と温和な気候にどっぷりと浸かってしまい、そこから何処に行くという事もなく数ヶ月、あるいは数年居続ける事を「沈没」と言うらしい。主にアジアの方の安宿にそう言う人たちがたくさん居て、言葉が定着したそうだが、ここ沖縄にもかなりの数がいる。田舎のに行けばそうでもないのだろうが、ここ那覇はバイトもそこそこあり、物が何でも揃うので、けっこう多く、問題になっているそうだ。
 「ヨイヨ〜イ、ヨイヨ〜イ・・・・
 夜中に寝ていると、先程のおっさんが何やら掛け声をかけながら入って来る。多分酔った時の口癖なのだろう。突然始まって何かと思ったが、慣れれば何でもないのかもしれない。二段ベッドのドミトリーの上の階に私は寝ていた。彼は下の方だ。その後は静かに寝れた。やはり布団があるのとないのとでは大違いだ。ゲストハウスというものの良さを再確認した。ここにはもう泊まりたくはないが・・・・
 さて、明日は何処行こうかなあ・・・・
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

100617_183948.jpg
100704_214026.jpg
{326C98E5-6F8C-401D-B32E-39161383586A}



 県道29号を真っ直ぐ行く。城に近づくにつれて、段々と丘の上に登って行くように、標高が高くなって行く。首里城は珊瑚の地盤の上に建っているという事で、世界遺産にも登録されているそうである。途中瑞泉酒造に行き、無料の試飲を行いたかったが、道を間違えて行けなかった。帰りに行こうとしたらもう真っ暗だったので、いつかまたここに来た時にみおくる事にした(最近行った時に漸くできた)。登りに登って漸く首里城にたどり着いた。
 守礼門をくぐり、いざ敷地内へ入る。宝物殿の正殿以外は無料なので(近々庭に入るにも料金がかけられるそうだが)、ゆったりと中に入って行く。ここ守礼門にしろ、首里城の丹塗りにしろ、中国や朝鮮半島から多大な影響を受けている。ヤマトや東南アジアも含めて、様々な文化のチャンプルーされるところに位置しているのがよくわかる。戦後にはそれにアメリカが入ってくる事になるのだが。城郭西側の物見台から街を見下ろす。市街やその先の海の水平線までが一望できる。
 確かここで行きつけのゲストハウスのオーナーが奥さんになる人に黄昏時にプロポーズしたそうである。沖縄・九州に4店舗同じ系列店があり、全部行ったことがあるが、彼とは一度も出会っていない。いつも私がいるところとは別の店舗に出張してしまっているのである。最近沖縄を訪れた時、別のとある老舗のゲストハウスに泊まったのだが、その時のお客さんの話では、ある時そのオーナーさんが泊まりに来ていた事があるという。理由を尋ねたら、妻と喧嘩したからだという。長年一緒にいると色々あるのだなあと思ったものだ。
 さて、本題に戻ろう。建物は戦時中に燃えてしまって、本物はもうなく、今あるのは平成になるかならないくらいの頃に当時の設計図を見ながら再建したものだそうである。宝物殿を見て、龍潭の辺りをウロウロして、気がつくともうかなりの時間になっていた。本当は写真にあるような石畳の琉球古道を歩きたかったのだが、それはまたの機会に譲る事にする。

 さて、問題は宿だ。ゲストハウスというものがあって、安く泊まれるという事でこちらに来たのだが、なぜかその日はゲストハウスに泊まるような気分ではなかった。その当時私は沖縄でないにしてもゲストハウスというもの自体に泊まった事がないので、気分がどうこうという事で判断できる基準が自分の内面にないのだが、何といえばよいか説明が難しい。とにかくそんな気持ちではなかったのである。また歩いて国際通りの方を目指す。途中で腹が減ったので夕飯を食いに行きずりの食堂へ。そこで何を食ったっけなあ?  沖縄そばではなかった事だけは確かだ。沖縄塩やきそばかフーチャンプルーか。フーチャンプルー自体はアドバイスを受けた旅行会社の友人と一緒に飲んだ時に作ってもらった事があるので知っていた。ゴーヤーチャンプルーは有名なので、本土にいる時に何度も食った事があるが、それ以外にもソーメン(ミン)チャンプルーやらナーベラー(ヘチマ)チャンプルーなどがある。沖縄の料理は本島ではあまり馴染みのない、変わったものばかりだ。ソーミン以外のチャンプルーには豆腐が入っている。本土のものとは違ってかなり硬い。そうでもないと煮ている間に崩れてしまうからだろう。
 「へえ〜、あんた神奈川から来たの?」
 店にいた客が話しかけて来た。イチャリバチョーデー(出逢ったら皆兄弟)の風習があるように、本島ではあまりお目にかけないような光景や、周りの人との関係性が発生するのが沖縄のいいところである。南国ゆえの陽気さもあるだろうが、外から来た人と仲良くしなければやっていけないという現実的な問題もあるのだろう。現に沖縄は仕事の絶対量が少なく、観光事業でもっている面が多い。
 彼に教わったのは、本島と沖縄では同じ名前の料理でも全然違うものを指す事が多いという事である。例えばちゃんぽん。本土では普通長崎ちゃんぽんのように、クリーム色のスープの中に太麺が入ったラーメンのようなものを想像するが、こちらでは卵とじ丼である。そしてぜんざい。本土ではこしあんの中に白玉の入った汁粉のようなものを想像するが、かき氷に金時マメのようなでかい豆が乗ったものを指す。伝言ゲームのように本土から伝わって来る段階で違うものに変わってしまったのだろうか。このエキゾチックな感じを良しとするか悪しとするかは、本当に人によって面白いくらいにバッサリと二つに分かれる。「二度と沖縄なんぞには行きたくない」という人も中にはごくたまにいる。
 食事が終わった後にわざわざ神奈川からよく来てくれたという事で、店長から小さなサーターアンダギーを5つほどもらう。なるほど、話には聞いていたが素朴なドーナツだ。口の中の水分がけっこう持っていかれる。飲み物なしで食すにはかなり骨が折れる。
 店を出てゆいレールに乗る。首里から数駅戻って来ただろうか? 今日一日は歩き続けたので、もう疲れてしまった。電車賃にすれば数10円しか違わない。全く無駄な事が好きな人間だなと自分ながらつくづく思う。牧志という駅に着いた。国際通りの終点である。その当時は国際通りというものがどういうものかすら知らなかった。なかなか栄えている繁華街に着いたなあという印象だった。
 県庁前から始まり東西に1,6km延びる沖縄最大の繁華街である。飲み屋やコンビニ、様々なレストランや土産物屋・雑貨屋が軒を連ねている。私が辿り着いた時はもう暗くなっていたので、それほどでもなかったが、昼間には三線やら島唄やらの音が鳴り響く。ここにいれば手に入らないものはほぼないと思えるほど店が溢れかえっている。ちょっと人気のない田舎の方に行くとまた全然変わって来る。
 「友人が高校の修学旅行で沖縄行ったんだけど、国際通り以外に見るものなかったって言ってましたよ。」
 サーペンティーナで沖縄公演に行った時の事を知人に話した時の反応である。その彼女の友人が3日程の修学旅行中にどこを具体的に移動したかわからないので何とも言えないが、いくらなんでもそれはないだろう? 観光地があるからこそ観光客をあてにした繁華街ができるのだ。メインを蔑にしてその副産物のみを愛でるとはこれいかに? 多分この人は「二度と沖縄になど行かない」派の人なのだろう。
 屋台で買った何かを食しながらローソンで買ったオリオンビールをチビリチビリとやる。今日は結局ネットカフェに泊まる事にしたのだが、ナイトパックが22時からなので、かなり時間がある。沖縄のコンビニはローソンとファミマが多く、セブンイレブンはない(最近進出するという話が出始めているが)。それとあとはcocoストアというピンクの看板のコンビニである(最近はファミマに統合されたか何かして見かけないが)。小さな離島や田舎の方以外は普通にあり、ここでお金を降ろす事ができたりする。
 しかし、今日は疲れた。22時になったのでネカフェ自遊空間の個室に入り、ガラケーの目覚ましを6:50にセットし、「爆乳キャットファイト2」を観ながら寝る事にする。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
{33613223-2EA5-4D1C-AD59-F81E632A1AA8}

  そうそう、何度も沖縄に旅行に行きながら、一度もその事をここに書いた事がなかった事を思い出した。備忘録とするにはちと時間が経ち過ぎだが、一応書き残しておく事にする。時間が随分と経っているので、記憶が曖昧で、別の場所に行った時の記憶とごっちゃになっているかもしれない事をご容赦いただきたい。
  あれは今から7年前。民主党に政権が移り、鳩山政権が普天間基地の移設問題を扱っていた時の事である。最近も辺野古に一部移設が決まり、沿岸の埋立工事がつい最近始まり問題となっているが、当時の政府民主党はまた別の角度から移設について問うていた。私がよく見ているネットニュース番組でもその事が取り上げられ、司会者の一人が沖縄好きという事もあり、様々なゲストとの対談の特別番組が組まれていた。ちょうど同じ頃、私の住む地域の市立図書館の蔵書を検索していたら、沖縄の安宿を紹介するガイドブックを偶然にも見つけた。那覇近辺では1500円程でベッドを借り泊まれる(ドミトリーという。ユースホステルを更に簡素化したような形だ)宿がザラにあるという。俄然興味がわいてきた。ちょうど有給もたまっている事だし行ってみる事にした。
 「台風も終わりベストシーズンじゃないか。レンタカーを借りるならば、古宇利大橋にでも行ってみるといい。備瀬のフクギ並木でのんびりするのもいいかもね。」
 旅行会社の友人からそんな返事が返ってきた。6/17、羽田から沖縄那覇空港に飛び立つ。飛行機に乗るのは9年ぶりだった。九州を旅行した帰り、広島での震度7の地震のお陰で東海道新幹線が止まり、博多で足止めを食らってしまったので、仕方なく福岡空港から乗ったのが人生初の飛行機だった。後から考えれば格安航空券を使えばずっとずっと安く行けたのだろうが、この時はまだ気がつかなかった。
 那覇空港を出ると蒸し暑さとともに日差しの強烈さに圧倒された。気温だけならば東京や熊谷の方が上ではあるが、亜熱帯特有の日差しの強さは、ライターか何かで皮膚を直接焼かれているとでも考えなければあり得ないくらいだった。当然に皮膚のケアが大切になってくる。半袖だと二の腕から下の出ている部分が焼けに焼け、火傷を負ってしまうので、日焼け止めが必携だった。周りを見渡すと長袖で歩いている人もチラホラといる。変に日焼けをするくらいならば長袖の方が良かったりするのだ。
 2002年から走っているゆいレール(モノレール)に乗れば今日の目的地首里城までは直ぐに行きつける。しかしそれでは味気ないし、そもそも私は沖縄の全体的な地理がどうなっているか、ここに来るまで知らなかった。那覇が沖縄のどの辺にあるかすら知らなかったのだ。だが元々見知らぬ街をぶらつくのが大好きだったので、それも苦にならなかった。行けるところまで歩いて行ってみようと思った。
 ・・・・とは言うものの、家の近所を歩くのとはわけが違う。先程書いた通り暑いし、何より着替えやらタオルやら、旅行に必要な一式が全部バッグに入っているのだ。しかも私のはキャリーではない。7kg前後の荷物を背負って行かねばならぬのである。時間をかけゆっくりと、沖縄の街がどんなものか、見渡しながら歩いて行く事にしよう。
 なるほど。本島からかなり離れて亜熱帯の地域にあるためか、周りにある植物が全然違うのにまず驚いた。まず那覇空港から市街に行く途中の街路樹はヤシの木のようだし、脇に生えているのも、やたらと葉が大きくて、関東ではまずお目にかけないものばかりである。それと気のせいか、心なし風の香りが甘いような感じがする。サトウキビか何かの香りがここまで飛んできているためだろうか?
 ずっと一本道の道路を歩き、漸く街のようなものが見えて来た。明治橋の下は海になっており、左右を見ると遠くの空が見渡せる。自分が今までに肉眼で見て来た海の中では一番綺麗なもので、これが見れただけでも沖縄に来て良かったなあと思えた。携帯で海の写真を撮り、弟に送る。そして通りすがりの食堂にて沖縄そばを食す。はて、うどんのような麺なのにそばとはこれいかに?  調味料群に見たことのないものがある。瓶の中に赤唐辛子が黄色っぽい液体の中に沈んでいる。コーレーグースだ。赤唐辛子の泡盛漬けだった。これから数年後、サーペンティーナ沖縄公演を行った時、皆で食堂で昼食をとった時、主役の子が入れすぎて困った顔をしていた事も伏せて思い出した。
 那覇の臨海の辺りは綺麗に整備されていて、まるで横浜や桜木町のようだった。街の上の方をゆいレールが走り、無駄にスペースを専用しないように計画されているのだろうか。そろそろ歩き疲れたので、旭橋の駅前に着いたのをきっかけにしてゆいレールに乗ってみる事にする。といっても、それ程長くは乗らない。数駅乗った後安里駅にて降り、また首里の方面に向かってゆっくりゆっくりと歩き進んでいった。ゆいレールは那覇をクネクネと曲がるように走っており、地図を見ると真っ直ぐを通っている道を直進した方が速い場合が多い。安里〜首里間もそのように見えたからである。駅の裏通りは飲屋街になっており、スナックや小さい飲屋がたくさんあった。しかし・・・・どれもこれも名前や佇まいのセンスが三昔半くらい前のものだった。夜中に歩いていると店からけんさんが出て来て、絡んで来たチンピラをむしゃくしゃついでに殴り殺してしまい、ムショを出てくる時に何色かのハンカチを用意してほしいと妻に言いそうである。ちょっとした昭和の思い出横丁に迷い込んだような感じだった。沖縄は本島と切り離されているので、ガラパゴス的に昔のものがそのまま残っているのかと思いきや、おもろまちの新都心の方に行くと、小綺麗なショッピングモールやら県立美術館があったりする(実際にそちらに行ったのは次の回に来た時の事ではあるが)。古いものと新しいもののギャップが面白かった。

いいね!した人

テーマ:
{23BEDA19-E5E7-4053-BF20-6F9A590F2DFB}

{F701A249-C87C-4965-93FE-BA2296823515}


 思い出が沢山詰まったゲームボーイ。小中学生の頃Jという友人に貸したら、いつの間にかBというジャイアンみたいな奴にの手に渡っていた。ゲームボーイ表面の「オ」のような字はBにつけられたものである。Jに貸すとそういった事がよくあった。Bの手に渡るとほとんどの確率で返って来ない。「闘将拉麺男」も「ドラゴンボール」も、「ちょっと借りてくね」と持っていかれて、もう30年近く返って来ていないのだ。スーファミやこれが戻って来たのが奇跡のようなものである。スーファミの場合は彼の家に行った時に彼の兄が偶然にも居て、返してくれたからだ。全くもって酷い事をする奴である。

 数年前家に偶然にも捨てられずに残っていたのを発見した。それから芝居の小道具としてここ最近二回ほど使った。二年前に使った時は怪物を操る謎のリモコン装置として利用した。稽古中に落としてしまい、写真にあるように差込口が欠けてしまったのはそのためである。電源が入らなくて、ゲームをプレイできないにしても、ちゃんと使い用はあるのだ。持ち腐れにならないよう、宝はちゃんと使用しなければならない。何も博物館的に大事に飾っておくだけが宝のあり方ではないのである。

 ところが、である。つい最近の公演で2度目に使った時の事だった。今回このゲームボーイは自閉的なヒロインが始終操作している小道具として使われた。ヒロインの「彼女」は、まるで汚いものでも触るように、このゲームボーイを毛嫌いしていた。確かに汚い。ところどころ薄汚れているし、変な匂いもする。俺にとって思い出が沢山詰まった掛替えのないものでも、「彼女」にとっては不快の象徴でしかなかったようだ。何かの戯曲で読んだ事がある。「どんなにけがえのない思い出でも、他人にとっては三文芝居のネタにすらならない」と。何だったっけか? あれ・・・・
 稽古中に、「中古屋に行ってワンダースワンか何か買ってきて、それに替えたい」ような事をずっと言っていた。嫌気に勢い余ってか、本番中に床面に叩きつけてスイッチの部分をぶっ壊してしまった。結果この写真よりも酷いものになってしまってのだ。
 そんな・・・・やめてくれよそんな事・・・・
いいね!した人

テーマ:

{900A55BE-72C9-4310-BC66-690A5DCFD637}



ご来場の皆さま並びに関係者各位に感謝申し上げます。

とても不思議な公演期間でした。小屋入りや仕込みなどにはあまり時間がかからないにも関わらず、やたらと緊張し、疲労を感じました。年齢的に体力がなくなってきている兆候かもしれません。肝臓が張っているのでお酒が好きでしょう?と整体の人にも言われました。

さてさて次は、早ければ6月終わりくらいになります。夏が来る前に一本出ておきたいところです。詳細わかり次第この場にアップしますのでどうぞよろしくお願いします。

と、ここまで書いて思ったことがある。最近言っていることがほとんどみんな同じだ。「疲労した」「年齢のせいだ」「体力がなくなってきている」これらを禁句にしよう。もっともっと他にも感じる事がいくらでもあるはずなのに、結局そちらに終始してしまう事になる。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。