私たちは、玉ねぎの芯のところに、圧倒的な光を持っています。

 

 

例外なく、一人一人にそれは存在します。

 

 

しかし、その光がカーテンのヴェールで覆われていて、外に出てこない。

 

 

玉ねぎの外の皮から、芯まで、様々なカーテンをしていて、皮を被っていて、光が外に出てくることができない。

 

 

その芯の他、すべては、素の自分ではなく、過去から現在まで自分と思ってきた自分。

 

 

芯の他の皮たちに、物事が反応すると、それはこわばりとしてカラダに残る。

 

 

芯の他のすべてに自分が在ると思っていると、それが病気になって、カラダに出てくる。

 

 

私たちは、私たちの芯さえ見ることができれば、ストレスフリーになれる。

 

 

私にとって今までは、できない私を直視して、いかに自分ができていないか、ということを視る旅だった。

 

 

武道の動きとか、そういった鍛錬で、自分を視るということを学びました。

 

 

それは大事。自分を直視する、面と向き合うことは大事。

 

 

でも、面と向かうということが分かったら、もう、自分ができないということをこれでもか、というほど強化することはいらない。

 

 

素までたどり着いたら、できるようになるから。

 

 

そして、自分でないものを分かっていく必要がある。

 

 

玉ねぎの芯と、そうでない皮の区別をつけて、知っていく。

 

 

その過程が大事。

 

 

それを伝えに行きます。