はぐれ化学者のつぶやき

某旧帝大から、地方私大に異動した、若手(?)化学系教授のブログ。


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学生を追い詰める「ブラック研究室」の実態

という記事がYahooに出てから、私は自分の旧帝大時代の出身研究室を真っ先に思い出した。

 

記事にはこう書いている。

”学生にとってはブラック研究室の実態を暴くことにメリットはなく、目標にはなり得ない。研究室から円滑に卒業し、就職やステップアップなど次の活躍の場を得ることがゴールだ。そのためには不正を暴いて波風を立てることは合理的でない。果たして倫理教育で学んだモラルはどこまで有効なのだろうか。”

まさにその通りである。見てみぬふりをしている学生はあまた存在してる。

 

”ある大学院生は研究室に入ってから、先輩たちが博士号取得に5―10年かけている実態を知った。教授が米サイエンスなどのトップジャーナルしか投稿を認めないのだ。”

うわぁ、自分がいた研究室と全く同じことを書いてある~。

 

”先輩に「博士号取得に5年かかれば他の研究室では雇われない。行き場所がなくなる」と打ち明けられた。自身は3年で博士課程の単位を取得後、退学して就職した。  最初は小さな不正でも、積み重なり続ければ絡め取られる。窮地に追い込まれるほど、モラルだけで不正への誘惑には抗えない。”

こんな不正などをしても仕方がないので、出身研究室ではすぐに就職する学生が後を絶たなかった。結局、博士課程に残る学生がいなくなり、私がこの研究室を去る頃には博士課程の学生は1人もいなかった。

 

うわさに聞いた話だと、最近出身研究室のある研究員が、有名雑誌に掲載させるためにデータを改ざんしており、それに気づいた教授、准教授が論文を自ら取り下げたという。詳細は不明だが、上記のような締め付けのきつい研究室で、自分のキャリアを積んでいくためには、誘惑に勝てなかったのだろうか。

 

一方、これらのようなブラック研究室がなくならない責任は文科省にもあると考えている。

文科省の方針にそのまま従えば、いい研究(グローバル大学院)をして、いい教育(教育改革推進)をして、国際的にも認められる大学になり(世界トップ大学)、最終的にはノーベル化学賞を取って・・・・というのがシナリオだろう。

 

・・・・・・そんなスーパーマン、日本中にいるのか????

 

私はこの地方私大で研究室を維持するだけでもやっとだし、文科省が推進するアクティブラーニングを推進しながら、いい論文(JACSやACIEレベル)に投稿できるのは年に1度あるかないか。

おいおい、日本の研究者を締め付けすぎると、海外流出と第二のSTAP細胞がうまれてしまうぜ。。。。。

 

自分のキャリアアップの道を守り抜くことの方が、人の道を守って正直にゆっくり仕事することよりも、生きていく上では優先されてしまうのかもしれない。

その最たる例は、森友問題に代表されるようなエセ教育者や政治家だろうが。

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毎年、卒業式が近づいてくると、卒業生を送り出すと同時に、留年生や退学生を送り出す時期でもある。そして、就職がきまったやら、きまらないやら、大学院に進学するやらの話も飛び交っている。

 

今年は、大学院に進学したい学生がいて、数名は夏の前期大学院試に合格したが、1名だけ不合格の学生がいた。当大学では、年度末に後期大学院試を実施しており、この不合格の学生がまた受験する予定だったが、自分の学力のなさで受けるのを辞退してしまった。

 

実はこの学生、研究のセンス(どちらかというと技術者のセンスというべきか)があり、テーマさえしっかりしていれば研究をどんどん進めてくれる学生である。

しかしながら、学力がない(学部の知識を覚えることができない)ために院試をこなしていけない学生である。

 

一方で、このFラン大学で化学研究を行うというのは本当に生半可なことではない。化学の研究においては往々にしてその知識量がモノをいうときが大いにあり、突拍子のないひらめきを化学の言葉に”翻訳”することができない限り、アイデアは学術に昇華されない。

そう考えると、いくら器用で実験ができても、大学院進学は何らこの学生のタメにはならなかったではと考えてしまう。よって、受験を辞退してもらった方が良かったのかもしれない。

 

そういう意味では、果たしてこのFラン大学に研究という概念が本当に必要かとさえ思ってしまう。正直に言うと、Fラン大学の学生は、先生の手足にしか結局なれないのではないだろうか。Fラン地方私大でもその「特性」を出すためには、研究が必要だと自分に言い聞かせてはいるが。。。。。

 

Fラン大学に研究は必要か。

その答えは、学生的には〇、教員的にも〇、しかし、文科省的には△、世間一般的には×(どうでもよい)。

教員の自己満足、学生のやった感、だけの成就のためにFラン大学での研究は行われているのかもしれない。

 

嗚呼、弱気な自分。

研究でFラン大学を立て直そうとしていた、Fラン大学就任当初の私のモチベーションはどこに行った?

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教育困難校という現実の高校現場と、受け皿のFラン大学
その昔、上記のようなタイトルでブログを記載したところだったが、つい先日Yahoo!でも教育困難校について記載されていた。
ブチ切れ女性教員の本音炸裂 教育困難校「勤務」ブログがすごい 
その女性教員が記した原本ブログはこちら→教育困難校に勤務してるけど、もう無理

私は中学までは普通の公立中学に通っていたので、このブチ切れさせるような生徒の存在を知っている。新聞沙汰になった生徒も同級生にいた(この生徒、風の噂では暴力団の幹部になっているとのこと)。
ほとんどの県では、必ず受験で”振り分けられた”生徒たちが高校に進学していくので、私はこんなクソ中学から早く離れたいがために勉強したといっても過言ではない。高校時代は何とも平穏な暮らしをさせていただいた。
一方で、偏差値で振り分けられた後、この腐れ切った生徒たちが進学した高校は想像するだけでおぞましいと思っていたが、上記のようなブログを拝見すると、”やはりそうか”と納得してしまうことが多い。

教育困難校に勤務している女性教員の先生はこう書いている。
別に学校に来なくたって社会で生きていける奴はたくさんいるんだよ。
学校だけが世界じゃない。全然学校にこだわる必要はない。
学校が苦しいなら、いくらでも道はある。
勉強も、コミュニケーションも、経験も、学校以外でもできるようにしてくれている大人がたくさんいる。 だから、別に無理して学校に来る必要はない。
邪魔だから退学しろ、ではなくて、きっと君にもっとぴったりの道があるよ、って思ってしまう。
高校は、社会に出てから少しでも苦労しないように色々経験するところで、好きにやりたいなら、社会に出たらいい。 そう思ってしまうのは、教員失格なんだろうか。


教育困難校の上に成り立っているこのFラン地方私大。
同じことを私は叫びたい。

別に大学に来なくたって、必要とされる企業はたくさんある。
大学だけが世界じゃない。全然大卒にこだわる必要はない。
大学が苦しいのなら、いくらでも道はある。
大学講義も、キャリア教育も、サークル生活も、大学以外で変わる経験をさせてくれる大人がたくさんいる。だから、別に無理してアルバイトしながら大学にくる必要は全くない。
研究の邪魔だから退学しろ、ということではなく、きっと君にもっとピッタリの道があるよ。
大学は、学問を究めたい学生が経験を積むところで、好き勝手にやりたいのなら、社会に出ればよい。
そう思ってしまうのは、大学教授失格なのだろうか。
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最新!「面倒見がよい大学」ランキング100
という記事が飛び交っており、知り合いの先生などは「自分の大学が面倒見がいいらしい」ということで嬉しがっている方もいる。

さて、この記事をよく読むと、最後に、
身につけた知識と技能をもとに、思考力、判断力、表現力を磨き、主体的に多様な人たちと協働して学んでいく。文科省がいう「学びの3要素」をサポートしながら実践している大学が、面倒見のよい大学として評価されているといえそうだ。
と結んでいる。結局このランキングは、文科省が取り組んでいる教育支援がすべて正しい、というプロパガンダのためか・・・・・。

私のブログでは何度でも訴えているが、大学というところ(特に偏差値が低くなるにつれて)が高校の補完機構になり下がっており、ただ単に職業訓練校として担っているところに大きな疑問を抱いている。
そもそも、大学とは研究教育機関なのでは????

これら面倒見のよい大学が、研究のできる大学(研究を推進する大学)として比例しているかどうかは、大いに疑問である。無論、旧帝大の東北大とかはもともと上位の研究機関であるが。
一方、化学の世界で、この面倒見のよい大学の上位に位置する先生方が、NatureやScience、JACSやACIE、AdvMater,AdvFuncMaterなどを執筆されて活躍されているだろうか・・・・・・。
逆に言えば、研究を完全に取り去らわれてしまった先生方が、どうしようもない学生たちを職業訓練するしかないために教育に全面的にエフォートを費やして面倒見ている、という解釈しかできないのは私の偏見だろうか。

これが文科省が望むことならば、基礎研究ができない大学が増えて、日本の基礎研究力が低下していくのは当たり前である。最終的には、旧帝大などにも波及して日本全体で研究できなくなるのでは・・・・・・・。

地方私大に勤務して7年目になるが、研究ができるようになるための教育(つまり専門科目と卒研)について手を抜いたことはない。それが研究をするための糧になるし、いい学生が研究室に来てくれる(希望する)ためには必要である。はっきり言わせてもらうとキャリア教育は、理系大学の就職ではほとんど役に立っていない。

世の中で”最近になってさかんに言われるようになった”アクティブラーニングの真の姿は、『研究』で培われる段取り力と実行力なのに。。。。
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この年度末には毎年、当地方私大に対して感じることをブログに記載している。昨年は、
Fラン大学と子育て
と題して、ダメな学生が育つ理由について考察したところだった。

今年度は、大学における教育の改革委員会にもメンバーとして連ね、当地方私大が教育大学にシフトしていくことに、不本意にも手を貸す羽目となった。

その委員会で当たり前のことを結論付けた。それは、「人間力」や「社会人基礎力」の不足に学生自身が気付き、そしてそれを克服させ、不足している能力や技術を身につけさせることが大学の使命だということだ。
しかし、Fラン大学で達成するためには、教職員の更なる教育意識改革(結局、研究をやめて教育に専念せよということ)が必要ということに至っている。(そもそもの学生の能力がないので)

文科省も、平成23年4月1日の大学設置基準の改正において、
 (社会的及び職業的自立を図るために必要な能力を培うための体制)
第四十二条の二  大学は、当該大学及び学部等の教育上の目的に応じ、学生が卒業後自らの資質を向上させ、社会的及び職業的自立を図るために必要な能力を、教育課程の実施及び厚生補導を通じて培うことができるよう、大学内の組織間の有機的な連携を図り、適切な体制を整えるものとする。

と謳っている。

これらは、Fラン地方私大が生き残るうえでは大変ごもっともである。
しかし、考えても見ていただきたい。このFラン地方私大に来る学生の多くは、「偏差値」や「学歴」というものだけで振り分けられた堕落者である。大学の”特色”で選ぶのはごく一部だろう。

というわけで、大学の”特色”というものを打ち出すことに躍起になっているのは、実は偏差値が低い大学だけだったりする。つまり、偏差値というブランドがない大学においては、立ち位置をきちんと決めておかねば、学生が来ないということだ。それがFラン大学なりの社会的な責任の確認である。
教職員の立場を教育・研究、その主たる活動範囲を地元・国内・国際のいずれに、より重点を置くのか、Fラン大学の達成目標、Fラン大学の立ち位置を発信することが重要なようだ。
それが高校生に伝わなければ、「偏差値」や「学歴」という付加価値がない以上、数千万円(生活費を含む)を支払う意味がないというわけである。

ここまで書いてくると、社会(企業)は本当にFラン大学の教育能力を求めているのか?
今のところ答えは、”否”。
景気の良い中小企業は、高卒や高専卒の生徒を雇っているのが現実である。
何とも皮肉だが、景気がよければ学歴が低くても労働力がたくさん必要になり、その分高学歴者は相対的に少なくなる。そうなれば、真の意味で「偏差値の高い」「研究できる」大学にしか学生は集まらない。
そういう意味では、Fラン大学でも研究という特色を捨ててはいけないと思うのだが・・・・・。

では、今Fラン大学が向かっている教育大学とは何ぞや?職業訓練大学とは何ぞや?
結局、Fラン大学という存在そのものが、”文科省の利権獲得”や”不景気における若者のモラトリアム”でしかないと結論付ける以外に、何かありますかね?
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