正願寺の近くに,父の生家があります。


お参りの後、父の生家の側に住む四男の叔父夫婦の家に、


久しぶりに顔を出しました。


もう、この四男の叔父が一番年長になってしまったとしみじみ呟いていましたが、


しばらく会わないうちに、叔父も年を取りました。


男8人、女1人という父の兄弟は、非常に仲が良く、


兄弟会などを、よく開いていたようです。


三男、五男の叔父達は、早世してしまい顔も知りませんが、


諏訪にいる四男と七男の二人の叔父、紅一点の末娘の叔母、


東京にいる、六男と八男の叔父などには、


父が生家に来る時は、必ず私を連れてきたこともあって、


小さい頃は、とても可愛がってもらいました。


牛乳屋を営んでいた祖父の家は、広い庭に大きな池があり、


色とりどりの鯉が、優雅に泳いでいました。


池の向こうには蔵が建ち、二階建ての家には広い縁側があって


従姉妹達と遊んだことなどが、蘇ってきます。


その父の生家は、今は、木村岳風記念館になっていて、


昔の面影を偲ぶよすがは、もうありません。



miyamaodamakiのブログ-岳風記念館


祖父も亡くなり、この家を売ることになった時


岳風さんは、祖父と遠い縁戚関係だったそうで、


父が、知らない人に売るよりは、少しでも縁がある岳風会にと、


仲に立って話を進めたのだと、この日、初めて叔父夫婦に聞きました。


道路の斜向いには岳風さんの生家があり、


今は綺麗に整備され、銅像も建っています。



miyamaodamakiのブログ-木村岳風像


詩吟の普及に生涯をかけたような父でしたから、


この選択は、きっと会にとっても父にとっても良いことだったのだろうと思います。


実家の二階で父がお弟子さんに詩吟を教えているのを聞きながら、


私も小さい頃は、門前の小僧よろしく、吟を覚えたこともありましたが、


詩吟を続けることは無く、父の吟で平敦盛を踊ったことがあったくらい。


子ども達は、誰も詩吟を趣味とすることはありませんでした。


でも、高校の漢文の成績が、いつも上位だったことは父のお陰でしょう。


7月1日の岳風忌の前夜には、父は叔父の家に泊まり、岳風忌に出席し、


帰りに、会の方を連れて叔父の所で一杯やっては帰ったのだと、


叔父が懐かしそうに話してくれました。


その時の父の笑顔や話し方が、目に浮かぶようでした。


また、叔母が10数年前から詩吟を始め、『皆伝』を取ったことを


この日、初めて聞いて、驚きました。


父が、生前、「詩吟を、始めるなら。」と、叔母に上げたという


自分の吟を吹き込んだテープを今でも大事に持っているとか。


「もう少し上手になったら義兄さんに聞いてもらう、と言っていたのに、


皆伝をもらう前に亡くなってしまって。」と、言いながら、


叔母が額に入ったお免状を見せてくれました。


本当は子ども達にやってほしかったのかもしれませんが


以前から父に習っていた七男の叔父、


途中から始めたと言う八男の叔父、


それにこの叔母が続けていてくれることは、何よりのこと。


父は、歌は音痴でしたが、詩吟となるとうって変わって、


誰の吟よりも上手だったと、我が父ながら思っています。


何人かで吹き込んだレコードを、今でも大事に持っていますが、


もう、あの生の声を聞くことは出来ないのだなあと、


いつになく、しんみりと父を偲んでいます。