前にならえ、横にならえ。
テーマ:添乗員の四方山話それは良い意味でも悪い意味でも言えることですが、ひとつはっきりと言えることは、外を知るということは自分の日本人としての国民性をも知るきっかけになるということです。
例えば中国に行くと、日本などの交通ルールの規範化された中で育ってきた人の誰もが、その交通マナーの悪さに恐怖感と不快感をあらわにします。
私が添乗中にツアーバスに乗っていても、どうして我先に行こうとするのだ、車は順番に走らせた方が結局は合理的だろうに、と思うだけでなく、頻繁な急ブレーキとクラクションに気持ちが殺伐としてくるのを感じます。同乗のお客さんたちは皆バスの中で固唾を呑んだように静まり返り、その内具合の悪くなる人まで出てくる始末。
日本人にとって、自分さえ良ければ他の人を出し抜こうが構わないという考え方自体、受け入れ難いものではないでしょうか。しかし、中国ではそれは決して常識ではないのかもしれません。
中国に限らず、指をくわえて待っているだけでは食いっぱぐれて飢え死にしてしまうというような、生きることに精一杯にならずを得ないような生活環境にある人々にとっては、日本人のような「心の余裕」「常識的なルール」などクソくらえでしょうし。
つまり、裕福の上に成り立っている日本人の常識は、地球上のあらゆる人々にとっての常識とは言えないわけです。そして、それが正しいことだとも言い切れません。それは人間の歴史が作り上げてきた常識を踏まえたうえでの日本人の国民性や価値観なのですから。
さて、このような日本人の特色を毎度感じるのが、ツアーでの入国審査の時です。
日本から外国へ到着しての入国審査へは、大抵私がお客さんを誘導して、さあ、ここに並んで一人ずつ入国しましょうと促すのですが、入国審査官の居るブースはいくつかあっても大抵は皆さん私と同じ列に綺麗に並ぼうとします。
私の居る列のみが長蛇の列となるので、他の列にも分かれるようにと話して初めて、そうか、他にも並んで良いのだな、と知るようです。
その様子を見ていると、やはり日本人は行儀が良いと思う反面、自分の慣れないところに身を置く場合は、出来るだけ仲間と同じ行動をして自分の姿を埋没させよう、何か失敗をして人に笑われることがないように周りと同じ行動をしようとする側面も持ち合わせているのだとも感じます。
……と、このようなことを書こうと考えたきっかけは、実は昨日の神奈川県参議院補欠選挙でした。
前回の衆議院選挙は思ったよりは意外と投票率が伸びなかったようですが、それにも増して今回の参議院補欠選挙の投票率の低いこと。
昨日、私は選挙のことを忘れていて夕方に帰宅したのですが、自宅に居たさんきゅーが18時頃になってふとそのことを思い出しました。
もう日も暮れていることだし、面倒だからと嫌がるさんきゅーでしたが、ぶつぶつ言いつつも一緒に投票に出掛けることになりました。
「投票するのは当然でしょ。まだ時間的に間に合うんだから」
「どうせ補欠選挙だろ。今回はいいんじゃないの?」
そういう考えの人が多いので日本の投票率は低いのかもしれません。さんきゅーもよく言いますが、自分の一票の影響力を信じられないのではないでしょうか。しかし、そういう人が何百人も何千人も重なって政治は変わらない、不正は見逃されるという世の中が続いてきたとも言えます。
自分が政治に参加している、個人が影響するという意識の多い国ほど投票率は高いようですが、私たち日本人は周りに埋没して、出来上がっている環境にうまく順応するのが賢い生き方だと考えるがために投票率が低く、投票に行っても変わらないと思っている人が多いのかもしれません。そしてそれが日本人の国民性というような評価もあるようです。
私も以前は自分が投票しても何も変わらないから、自分の生活レベルを既存の社会に合わせなければならないと思っていましたが、今は確かにそれはミクロ単位かもしれないけれども、誰もが影響を与えられる存在なのだというふうに考えが変わって来ました。
そういう一人一人の意識がきちんと響いていく社会であってほしいものです。社会が良い方向に変われば国民性にも影響し、日本人はもっと進化できるのかもしれません。
選挙に行くかどうかで珍しく喧嘩した私とさんきゅーσ(^_^;)
別に普段から政治に熱いわけではないのに
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1 ■こわ~ビデオですね
運転できても、ここで運転はしたくないです(゚Ω゚;)
ん~、あ・うんの技量が入りそう。
私、信号黄色で止まります(;^_^A