メキシコシティの長い夜 4
テーマ:メキシコひとり旅ホテルの部屋から忽然と消えたCDウォークマン。抗議したフロントでその対応にさらに怒り心頭した私は、警察を呼ぶように要求しました。
ホテルのスタッフが少し困った顔をしながら電話をかけて20分後、現れた警察は30代くらいの私服の男性でした。
彼は名刺を差し出し
「ツーリスト・ポリスの○○です」
と名乗りました。
ああ、ツーリスト専用の警察だから私服なのか、と納得したのですが、もし今の冷静な頭で考えていれば、きっと普通の警察を呼んで来いと言ったと思います。
このにこやかでまったく凄みのないツーリスト・ポリスは、私の顔を見て愛想よく、何があったのかを説明するようにと求めて来ました。
事の次第とホテルフロントの腹立たしい対応を拙い英語で伝えると、彼はいかにも私を気の毒がって、同情の念を示しました。
しかし、ホテル側が一切自分たちには落ち度はないと言い張っていたので、ポリスは少し困ったように考えた末、とにかく盗難に関してのレポートを作ろうと言い出しました。
という訳で、未だ怒りの収まらない私はホテルのフロントスタッフと目も合わせずに、ポリスと共にホテルを出ました。
どのくらいホテルから離れていたかは忘れましたが、確か20分ほど車で移動して、私たちはツーリスト・ポリスのオフィスへと到着しました。
これも今考えると不思議ですが、なぜ彼のことを疑うこともなく一緒に車に乗って行ったのでしょう。普通ならば怪しむはずです。だって、彼はポリスと名乗って名刺をくれただけで、警察手帳も見せなかった上に私服なのです、私服!
彼曰くの「ツーリスト・ポリスのオフィス」に入ると、そこは小さなビルの2階で、マンションのワンルームのように狭いスペースでした。
ガランとしてほんの数台のデスクが無造作に並べられており、そこにはデスクトップのコンピュータが一台置かれていました。そしてそのコンピュータの前には一人の可愛らしい20代前後の女の子が座っています。
オフィスのスタッフは全員若く、ほとんどが20代か30代のようです。ほとんどが英語を流暢に話すようです。
このオフィスに着いた時点ですでに20時半。空港からホテルに着いたのが16時頃、外出して戻ったのが17時頃です。それから食事もせずに既に3時間半ほどが経過していました。つまりそれだけ長い間フロント前で押し問答をしたり、ツーリスト・ポリスとのやりとりをしたりしていました。
さて、このオフィスでの時間は、私にすべてのことは馬鹿らしいように感じさせる効果を持っていました。
先ほどから数えて、もう三度目の事件のあらましの説明。
一度目はホテルのフロントスタッフに説明し、二度目はホテルへやってきたポリスに、そしてここでは20才ほどの可愛らしい女の子に。
しかも、この女の子は私の話を聞きながらコンピュータにレポートを打ち込んで行くのですが、彼女だけが英語が拙いのです。私も込み入った内容をスペイン語で伝える自信はありませんので、私の英語での話を理解出来ないことは頻発し、その度に他のスタッフに通訳を頼み、そうこうしているとレポートの打ち込みがおぼつかず……。
しかもブラインドタッチでコンピュータのキーボードをたたく彼女の、打ち間違いの率の高いこと。
「それで、あなたが盗まれたものはCDウォークマンだけですか?」
「はい。そうだと思いますが、はっきりとまだわかりません」
「うーん、CDウォークマンだけだと書いても良いですか? 分からないと困りますし」
「え? あ、じゃ、もしも後でもっと他に盗まれたものがあったらまたレポートを訂正してくれますか」
「はい、いいですよ」
愛想が良くて可愛らしい彼女と他のスタッフの気さくさに、盗難に遭ったという悔しさからだんだんと気持ちの落ち着いてきた私は、それ以上に馬鹿らしくなって来ました。
いくら私の住んでいるメキシコの田舎町では買えないCDウォークマンとは言え、この調子ではレポートを作るだけで犯人の捜索をする気など一切ないのだろうと薄々気が付いてきたからです。
これはさっさと諦めて早くホテルの部屋でゆっくりした方が得策なのではないか。
などと考えていましたが、何故だかこの呑気な時間の流れのツーリスト・ポリスは、私にそんなことを切り出させるタイミングを与えてくれないのです。
そうしている間にコンピュータの不具合でシステムがダウン。
もういいです、諦めます、とようやく申し出ると、スタッフ全員で何を言うんだ、もうすぐだから、本当にすぐにシステムは回復するから、もう少し待ちなさい、と当然のごとく私を制します。
そんな訳でレポートが出来上がったのは22時過ぎ。
「ところで……、このレポートをどうすれば良いのですか? 犯人の捜索はしてくれないのですか?」
「あなたは旅行保険に入っていますよね? 保険会社にこのレポートを提出してご自分で手続きを行って下さい」
「え?! 私はメキシコ在住なので旅行保険には加入していませんが……」
「あら? そうなのですか? それじゃ仕方がありませんが……犯人は見付からないと思いますよ」
「ええ! じゃ、何のために私はここで2時間も?」
「保険の為のレポート作成では?」
いや、違いますが、などとはもう言う気が起きず、つくづく自分の世間知らずさに苦笑いをして、ホテルへと送ってもらいました。
私は旅行会社に勤めていたとは言え、ほとんど盗難などに出くわすこともなかったので旅行保険のことについて疎かったのです。せめて今程度の知識があればこれは保険対応の為のレポート作りだと気が付いたでしょうに。
つまり旅行保険に入っていない私は、単にここで時間を無駄にしただけ。
しかし、もう既にCDウォークマンのことは諦めて怒りも収まっていましたので、すっかり遅くなりましたが明日に備えてきちんと眠ろうか、と部屋に戻りました。
もう部屋には何の異変も感じられなかったので、ようやく落ち着いて部屋の中でぼんやりと考えこんでいると突然あることを思い出しました。
「……!!」
大焦りで着替えの入った大きなカバンをひっくり返してあるものを探しましたが見つかりません。
「嘘だーー! 700ドル入った封筒が抜かれてる!」
自宅を出発する前に、何かあった時の為にと思って箪笥貯金の700ドルをカバンの一番奥底に入れてきたことを今更ながらに思い出したのです。ところがどんなに探してもそれは忽然と消えていて見つかりません。
私自身が忘れていた現金を、よくぞ探し出して盗んで行ったものです。
さすがに真っ青になり、先ほどのツーリスト・ポリスに電話してその旨を告げましたが
「ええー? 本当なの?」
という対応で、いずれにしても現金盗難の保険対応は出来ないからでしょう、諦めなさい、と一言で済ませれてしまったのでした。
FIN
結局犯人は誰だか分かりませんでした(-_-+
いずれにしろこういう場合は大抵は泣き寝入りなのでしょうかね(ノ_-。)
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