聖霊狩り―冥界の罠

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 『聖霊狩り―冥界の罠』(瀬川貴次/集英社コバルト文庫)読了。
 なんだかんだで、コバルトで読んでいるのは、このシリーズだけになってしまいました。このシリーズが終わったら、いよいよ本格的にコバルトともサヨナラなんでしょうか。グッバイ、オレの少女時代。(←すごくずうしい)


 でも、舞台が移ってからは、割と進みがゆっくりな気がするので、まだもう少し楽しめそうです。

 今回は、いよいよ黒幕スメルを振りまいていた山科さんの正体が、ほんの少しわかって来ました。コバルトの中では、割とおっさんが多いというか(失礼!)、登場人物の年齢が高いのも、私なんかには嬉しいです。
 一方で、柊一の小さな恋の物語もゆっくりと進んでいるので、それは、高校生気分でほのぼのと読ませてもらおうかしらっ。


 この物語の登場人物は年齢も幅広くて、しかも、みんなキャラが立ってますね。

 しかし、実際に鎌倉に行かれたことのない熱心な読者さんは、鎌倉は怨霊だらけの怖い土地だと思っちゃわないか心配です。

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聖母マリア再臨の日・下

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 あう。続きは間を空けないでUPしようと思ったのにー。


 読了はちょっと前の、『聖母マリア再臨の日・下』(アーヴィング ウォーレス、青木久惠訳/扶桑社文庫)。
 同じ作者の『イエスの古文書』と、比べると非常によく出来た仕掛けになってたなあ、と、思います。たぶん、この本、『ダヴィンチ・コード』の2匹目のドジョウで再刊されてると思うのですが、そう思って読むと、もんのすげえガッカリすることでしょう。この本は「ルルドの奇跡」をめぐるグランドホテル形式の人間ドラマを楽しむものなのですよ。

 おかげさまで、というか、なんというか、今までぼんやりとしか知らなかったルルドの泉のウンチクが増えました。(だからといって、人生に役立つとも思えません)
 面白いなあ、と、思うのは、やっぱり奇跡は目に見えないとダメってことがわかったことですね。聖母降臨の聖地は他にもあるのに、飛びぬけてルルドが知られているのは、泉というアイコンのせいです。奇跡の治癒をもたらした人が置いていった杖でさえも、「奇跡」としてのアイコン。非常に面白いです。
 物語中で、アンチ奇跡の新聞記者が、観光化されたルルドに「けっ!」と思ってる描写が出てくるのですが、キリスト教自体がアイコンだらけの宗教なんだから仕方ないないじゃん、と、日本人の私は思いましたよ。
 日本だったら、門前市で絶対「ルルドの泉まんじゅう」売ってる。
 それでもって、それで食ってけるのも神さんの御加護とか言ってるよ、きっと(笑)。

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聖マリア再降臨の日・上

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 きっと、誰も更新を期待してなさそうなので、ボソっと更新してみます。
『聖母マリア再臨の日・上』(アーヴィング ウォーレス、青木久惠訳/扶桑社文庫)。
 キリスト教徒でなくても、興味がなくても、たぶん一度は聞いたことがあるはずの地名"ルルド"。これは、ルルドを舞台とするお話です。
 まずは、ルルドについての説明を少し。


 今から150年ほど前の1858年、フランスの鄙びた片田舎だったルルドに住む14歳の少女ベルナデットが白い服の貴婦人を目撃する。ベルナディットが、貴婦人に名前を尋ねると「私は無原罪の宿りです」と答えたところから、彼女の発言はがぜん注目を浴び、信頼されるようになる。なぜなら、イエスの神聖さをその母にまで及ばそうとするマリア信仰は、1854年に教皇に宣言されたばかりの教会用語だったからだ。
 ベルナディットは聖母マリアのお告げを元に泉を掘り、その水で、奇跡の治癒が何回も起こる。ルルドは奇跡の泉のある地として有名になり、今も世界中からの訪問が後を絶たない。


 さて、物語は現代。ベルナディットの日記が発見され、教会はその内容を発表した。ベルナディットは聖母マリアから再降臨する日を告げられ、それがはっきりした日付で書かれているという。マリアの再降臨の日の奇跡を見、救われるために世界中から人がルルドに押し寄せる。


 奇跡の治癒を求める重病人の男性、その恋人で奇跡に懐疑的な精神科の学者。ルルドの奇跡を破壊しようとするテロリスト。新聞記者……様々な人の希望と欲望がルルドで交錯する――。 物語はルルドに集まった人々を登場人物として、グランドホテル形式として進んで行きます。
 私はカトリックではないし、マリア信仰もないのだけれど、それでも他にすがるもののない病人が奇跡にすがる気持ちはわかります。
 切ない気持ち。希望と絶望の狭間で揺れる気持ち……そんな気持ちが渦巻く土地に、奇跡の予言がなされたら……と、そういうドラマのお話です。

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