ここ数週間は、すっかり逆風の悲哀を経験しております。「応援してあげたい気持ちはやまやまなんだけどね・・・」と言っていただけるうちは、まだありがたいものでして、街頭活動をしていると「金権政治野郎」と罵倒されるに至ってはさすがに凹みます。私には中央の色々な出来事については情報を有しているわけではありませんので、これをしっかりと糧にして前進するだけです。まあ、元々私自身は裕福な家庭の生まれではありませんし、そもそも論として政治を目指す過程で裕福になりたいという思いがありません。その気持ちは初心として忘れないようにしたいところです。


 そういうことはともかくとして、昨今の色々な事情とは少し切り離して、私がかねてから思っていた政治資金規正法や公職選挙法との関係で思うことを書き連ねておきます。特に企業・団体からの寄付については思いがあります。なお、私が政治活動を始めてから現在に至る過程で企業・団体から寄付を貰ったことはまだありません。


 実は今、緒方林太郎の政治団体が企業・団体から寄付を頂くことは法令上できません。けど、実態的には頂くことはできます。というのも、一般の政治団体への企業・団体からの寄付は禁じられていますが、政党(支部を含む)への寄付が可能だからです。つまり、私は民主党福岡第9区総支部代表という肩書きを有しているため、まずは民主党福岡9区総支部に企業・団体から寄付をしてもらい、その後、民主党福岡9区から緒方林太郎の政治団体に寄付(政治団体間の資金の寄付で、これは禁じられていない)という形にすればいいのです。


 何故、こういう規定にしているかというのは、私にはよく分かりません。ただ、普通の人の感覚からすれば「それってザルなんじゃないの?」と思われるはずです。一般論として、政治資金規正法や公職選挙法という法律はザル法的な部分があるように思えます。政治資金に関する様々な不祥事というのは、違法というよりは脱法に属するものが多いですね。脱法がこれだけ頻繁に生じるというのは、そもそも、その法律の出来が良くないということの証左でしょう。


 つまり、「企業・団体寄付」というものをそもそもどう捉えるか、という議論が欠けているわけです。「当然、何の問題もない」ということであれば、そもそも個人の政治団体への寄付もOKでしょう。信念があれば疚しいことはないでしょう。「いや、実は世間の批判もあって何らかの制限はしなくちゃならんけど、けど全部潰されてしまっちゃ困る」というのが現在の立ち位置なのでしょう。その結果、どうも普通の目線で見た時に「ザルじゃん、それって」と思えるような状況になっているわけです。正面から「企業・団体寄付」というものが是なのか、否なのかという議論をしたほうが良いように思いますね。


 あえて言えば、政党(支部を含む)に限定しておけば、政治資金報告書を通じて企業・団体寄付の流れが把握しやすいというメリットはあるのでしょう。一般政治団体にすると多分捕捉不可能ですが、政党だけにしておけば少なくとも樹形図的に把握していくことは可能です。ただ、これもそんな楽な話ではなくて、上記にしつこく「(支部を含む)」と書いたように支部であっても企業・団体献金を受けることができるというルートもあります。理論的には、政党に所属する議員すべてに支部を割り当ててしまえば、結局は一つの政党に膨大な支部がぶら下がっていることになり、結局はチェックが行き届かず、ザルになってしまいます。少し古いデータですが、2006年12月時で福岡県内の自民党支部は154もあるそうです。国会議員、県議会議員、政令指定都市議会議員は恐らくすべて支部を持っている感じでしょう(よく知りませんけど)。それはそれで歪なものを感じられる方が多いのではないでしょうか。


 しかも、現行規定上は無所属の方と政党に属している方の間に大きな差ができます。無所属の政治家は企業・団体寄付が完全に禁じられます。無所属議員、知事、市長の方はそういう意味でハンディを背負っています(政党を主体とする政治を作っていくのだという理屈があるのかもしれませんが)。


 企業・団体寄付の是非については、実は過去に最高裁の判例があります。私の地元八幡で起こった事件でして「八幡製鐵事件」と言われます。八幡製鐵所の取締役が会社名で自民党に献金したことの是非を争ったものでして、論点は多岐にわたります。ご関心のある方は是非判決 を参照ください。ここで判示されたこととして「会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎり、会社の権利能力の範囲に属する行為である。」ということがありました。法人の人権がどの程度認められるか、という議論にもなるものでして、最終的には「企業の社会的役割」ということで政治団体への寄付が是認されたということです。


 ただ、時代も移り変わり、この判決の背景となっていた社会事情や法律も変わってしまいました。あまり、この判決を金科玉条としていくのもどうかなと思います。どういう制度にしていくのがいいのかということについては、私なりにそこそこ思いがあります。


 本件はちょっと長くなりそうなので、次回以降に回したいと思います。