麻生総理が、メドヴェージェフ大統領の招待でサハリンに行くようです。まあ、私が今の麻生総理の立場なら政権浮揚の最後の手段として外交を使うだろうなと思うので、今回の訪露で北方四島について何かアクションを起こそうとしているのかなという気もします。外交で点数稼ぎをしようとするなら、今は北方領土か拉致関係でしょう。しかし、相手は狡猾な人たちですから、そんなに上手く行くはずもありません。変な譲歩だけを取られてくることがないようにと心配しています。


(注:なお、以下ではすべて表記を「サハリン」に統一しますが、あくまでも読みやすさのためです。「樺太」の表記を使わないことについて特段の意図はありませんので、その点はご了承ください。)


 サハリンと言うと、少し高齢の方ならば「岡田嘉子 と杉本良吉との逃避行」で有名ですね。岡田嘉子の生涯はあまりにドラマティックです。私の筆力には余りありますので、ご関心のある方は調べてみられると良いと思います。


 日露戦争後のポーツマス条約から先の大戦までは、南サハリンは日本領でした。上記の逃避行も、南サハリンから北緯50度線を抜けて、ソ連領であった北サハリンに入ったわけです。


 サンフランシス平和条約では、日本は以下のような約束をしています。


第二条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 これをよく読むと分かるのですが、日本は主権等を放棄しましたとは書いてありますが、別にその後、誰が領有するかということは書いてないのです。そういう意味で、第二条(a)のように朝鮮が国として独立することを承認するのとは相当な差があります(これは台湾についても同じです)。


 ということで、厳格に言えば、今でも南サハリンと千島列島については、日本は「放棄はしたけど何処の国に属するかについては留保がある」という立場です。ただ、日本は付け加えて「ただし、将来、南サハリンや千島列島について帰属を決める機会があれば、それはロシアに帰属するのが筋」ということも言っています。なお、日本は北方四島は固有の領土であり、千島列島には含まれていないという立場ですので、ここで言う千島列島というのはウルップ島以北の島を指します。


 ここまで厳格にやっている国が他にあるかと言えば、たしか私の知る限りではアメリカは厳格な立場を貫いているらしく、駐露アメリカ大使や大使館員が南サハリンを訪問する際は必ず「この訪問は南サハリンがロシア領であることを承認するものではない」という申し添え(ディスクレーマー)を付けると聞いたことがあります(これはよく外交上使われる方法です)。


 今回の麻生総理のサハリン訪問はユジノサハリンスクに行くのではないかと思うのですが、ユジノサハリンスクは南サハリンにあります。したがって、上記のような問題点があることから、産経新聞が「帰属の決まっていない地域に総理が行くことは、南サハリンがロシアに帰属することを承認する意味合いがあるので慎重たるべし」といった論調で少し警句を発しています。法的に言えば、ロシアへの帰属はまだ決まっていないので、たしかに産経の主張は誤ってはいないということでしょう。


 あと、この件は法的には意外にも台湾と関わりがあるのです。何故かというと、上記のサンフランシスコ平和条約にあるとおり、日本は台湾についても同様のスタイルで主権等を放棄しているのです。このサハリン訪問を見た中国が「おや、日本は帰属が決まっていないと言っていた南サハリンに最高指導者が足を運んで、事実上ロシアに帰属するかのようなサインを出しましたね。じゃあ、台湾についても同じように『中華人民共和国に帰属する』と言ってくださいよ。これまで聞かされてきた『放棄した後の帰属先は未定』なんていう理屈はもう通用しませんよ。」と言われるとキツいんですね。意外な論点かもしれませんけど、そういうふうに考えることができるという例です。


 これをクリアーする方法はないわけではありません。上記のアメリカと同じことをやればいいのです。記者会見の場か何かで、麻生総理が「今回の自分のサハリン訪問はいかなる意味においても南サハリンの帰属について影響を及ぼすものではない」といったディスクレーマーを言っておけばいいのですね。国際法上、何処までそれが意味を持つものかは微妙なところがあるのですが、内部的な整理としてそういうことをやって説明を付けるということはできる話です。


 まあ、産経新聞は相当に煽っていますが、なかなか関心を大きく呼ぶところまでは行ってません。多分、読まれた大半の方の関心を惹かなかったでしょう。ただ、こんな渋い話があるんです、ということで書いてみました。