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2014-05-05 11:55:01

このままだと

このままいくと、ブログの更新は年に1回か2回のペースになりそう。

なんと時間の経過の早いこと。

疲れたなあ・・・・

大阪の人は、メンチカツのことを「ミンチカツ」という。


2013年の春、15人いた社員のうち、8人が辞めた。

8人分の残務整理と、8人分の業務と、同業者へバラまかれてしまった8倍の社内情報。

お取引先各方面へ流されてしまった根も葉もない誹謗中傷、嘘。
反旗を翻して社内を荒らしただけでなく、同業者でご活躍の上、古巣を
潰しにかかっている元社員。

それからの1年半。私はすり減ってすり減ってすり減って、
スリコギですりつぶされるゴマ粒のようにすりへって、
何度も泣いて上司にぶつかった。

毎日毎日辞めた社員の机を片づけた。縮小した支店の後始末、亡くなった社員の
後始末、重たい鉛の入った戦前のデスクを何個も捨てた。山のような書類の山に
埋まって整理した。スパゲッティ状態の大量の配線や扱ったこともない機械を
徹夜で調べながら配線した。贅肉だらけで筋肉がなく運動神経も悪い私は、
重いものを運んだりゴミの山に埋もれたり、ただでさえ営業で走り回らねば
ならないなかで業務終了後に延々と続く肉体労働で、しょっちゅうケガをした。
1日も休まる日などなかった。

大切につきあってきたお客様のところへ行ったとき、辞めた社員から
根も葉もない噂を流され、「お宅とは取引できない」と言われる毎日。
遠路はるばるへたくそな運転で出かけて行って、帰り道はサービスエリアで
泣いた。本当につらかった。

それでも、辞めようとは一度も思わなかった。「辞めてやる!!」って
何度となく飛び出したけれど、心の底では本気で辞める決心など到底
できていなかった。なぜならこの仕事が私の天職であって、この会社が
私の居場所であって、私にはこの会社でなければいけない理由があったから。


会社を守るのではなく、会社に守られていた。昔も今も、同じ。


私の上司は魅力のある人だ。私がいままで人生で出会った人の中で、一番
興味深い人かもしれない。

でも経営者向きじゃない。お人よしで頭が弱くて気も弱い、すごく心が広いが
それは無頓着からくるものであって、許容ではない。
会社も、社員も、守ることができなかった人だ。

私も一緒だ。できることなら何にもしないで生きていきたいタイプ。

疲れたなあ・・
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2014-01-02 19:54:19

また、正月のつぶやき

私の仕事人生においては2013年の大騒ぎは今までにない一大事だった。

そもそもの発端は大学時代、就活を放棄したことに始まり、ワークキャンプ生活、
good!の寮住まい、病気、転職、転勤、これまで常に波の激しい人生ではあったものの、

でも「どんぞこまで落とされる」「追い込まれる」という経験には程遠く、

どっちかっつうと克服するべき山に立ち向かっていたと思える。

でも2013年には、私は初めてプラスの試練ではなく、ひきずりおとされるような
試練を体験した。


というわけで、(「なんかあったのね・・・。」って思ってもらえたら十分)

私にはこの1年、まったくのプライベートがなく、ゆとりがなく、余裕がなく、

またラクをすることが自分に許せない、立ち止まることが許されない、

少しでも迷えばあっという間に自己嫌悪に陥る、崖っぷちを走り抜けた。

で、結局抜け出すことすらできず、さらなる危険な崖っぷちが2014年には

待っている。


つまりこの正月が最初で最後の休憩ポイントだくらいの勢いなのである。


大みそかまで仕事をして、年越しは終電の小田急線の中でなんとなく迎え、

新年最初の挨拶はタクシー運ちゃんと交わした「あけましておめでとうございます」

のみ。東京のタクシー運ちゃんは基本的にしゃべらない。お客様の時間の邪魔はしない。

実家に着いたら元旦はふつうに昼前までグウタラ転がって、ボサ頭で

のそのそ起き出し、家族の中でも最・だらしない元旦、を迎えた。


そんなこと、私にはこの1年なかった。そもそも副作用で不眠症になり夜は
ほとんど眠れていない。こんな激務は、私の病気の治療過程では想定されていない。
家で安静にしながら服用すべき薬を、会社でコーヒーで放り込み、長距離車出張や
海外出張、メシ抜き残業に突入するなんて、まったく想定されてない。


だから私はこの貴重な正月は、この1年できなかったことをする。

ピアノをひくこと
友達にあうこと
本を読むこと
カフェでゆっくり過ごすこと

要は「追われない」時間をつくること。


1年ぶりに料理をし、親とコーヒーを飲み、地元で友達にあい、本を読んだ。


ああ、こういう安まる時間を、少しでも良いからもう少し頻繁にとりたい。


この切迫感、常に追われ、常に危機を感じ、常に先回りせねば。
ビジネスの世界では体も頭も人より早く動けなければ、負ける。

こんなん、、もたないよねー。


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2013-09-14 21:00:37

私がとらわれていること。

今更、なのだけど、私が心をとらわれて、
頭を離れないことがある。

それは、子どもの頃かすかに聞きかじったある「冤罪事件」のこと。


今から48年も前、悲しい事件が起こった。
静岡県で4人もの人が無残に殺され、家ごと火をつけられた。
1966年のこと。

「袴田事件」といわれて有名になったのは、この悲劇に続いて
さらに、明らかに有罪とは断定しがたかった30歳の若者に、
死刑判決が下ったことによる。

警察の捜査活動と裁判における検察側のあまりにも無理のある「でっち上げ」は、
この判決を冤罪である可能性が高いと世間に知らしめた。

彼は当時国民的スポーツとは認識されていなかったボクシングに夢中の、
元プロボクサーであった。ボクシングへの偏見は、あまりも短絡的に
袴田さんへの濡れ衣に結びついた。

彼はそれから48年間、拘置所に閉じ込められている。死刑囚として。
死刑囚とは、殺されるための順番待ちをする小さな部屋で、何日、
何年とも知れない毎日をただ「待つ」人々だ。


彼は何度も何度も無実を訴え、再審を求め、弁護団は刑の執行停止、
証拠開示、成年後見、彼を救うためにありとあらゆる訴えを
続けている。事件から、48年が経過しようとしている。

一旦誤審・冤罪が起こってしまえば、それを覆すことはあまりにも不可能に近く、
無実を訴えながらも死刑が執行されるだけでなく、長すぎる拘留の間に
無念にも病没したり、自殺したり、精神を病んだりして、
悲惨な人生の終わりを迎えた人がいること、今も独房の中で精神の均衡を
必死で保っている人がいること、突き破ることのできない厚い厚い壁に
囲まれた小さな独房で死を待つばかりの人々のことが、頭から離れない。


元々個人的に狭いところが嫌いで恐怖感を持っているからかもしれない。
こみ上げる憎悪や悔しさ、悲しみ、寂しさといった抗いようのない感情の
波に襲われる恐怖、正気を失っていく恐怖、人として生きる場所を失っていく
恐怖、ある日突然死を言い渡される恐怖。
罪人としてすべての苦しみは受け入れねばならない。早く死んでしまいたい
と願うほどの恐怖と苦しみを味わうことが、死刑囚の務めとなる。


それは本来、死刑というものが取り返しのつかない罪をおかした人に
与えられる「苦しみ」であるから。


冤罪とは、ただ刑務所から出られない、という話ではない。「刑」とは、
苦しみをもたらすものであり、それに相当する罪を犯していない人にとっては、
さらに何倍もの苦痛と精神的な変形を強要するものだ。

袴田さんは、再審請求の棄却とともに、精神に変調をきたしたと、
数少ない面会者が報告していた。

48年もの間いつ死刑が執行されるのかという巨大な恐怖と闘いながら
なお生き続けてきた彼の精神力は並々ならぬものがあり、またプロボクサー
でありながら、悔しさや憎しみを暴力に訴えることなく、自白の強要のため
捜査員に暴力を振るわれても何日も何日も耐え続けたこと、彼の気高さや
誇りを感じる。

ボクサーとは元来格闘技であり、自分と闘い、苦痛や恐怖を克服し、
勝利を勝ち取る人たちであると思うから、無実であるのに殺人者と
言われ、国家により「自らの死をもって償わなければならない」と
命令されたこと、いったいどれだけ悔しかっただろうと思う。


今、彼は誰にも面会しようとはせず、親しかった支援者や不屈の支援者である
お姉様の顔も見分けがつかなくなり、意味の分からないことを口走るなかで、
「袴田 巌は いなくなった」「死刑は廃止した」「自分は勝利した」
「国家から5億円の賠償金を取り 冤罪を晴らした」と言うのだそう。
また狭い独房の中を何時間も何時間もひたすら歩いていた、らしい。
拘置所で過ごした48年間が、彼の気高い精神を奪ってしまった。誰にも
会おうとしない彼の情報はごくごくわずかしかないのだけれど、私は
支援者の方の報告する彼の数少ない情報に、思わず涙が出てしまった。
彼は自分で自分を殺してしまったのだと思った。妄想の世界で、恐怖と苦しみ
を克服し、袴田巌という自分の人格を殺してしまったのだと思った。
何もできないのにこんなことを言う資格はないけれど、本当に
本当にかわいそうでならない。彼が逮捕されたのは、私より年下の
30歳のとき。その瞬間に彼の人生は止まってしまったのであり、
国家が彼を閉じ込め、死の恐怖にさらし、人生を奪い、精神を蝕んでしまった。
友達もいただろうし、家族もいた。彼が死刑囚であると国が決めつけたこと、
どれだけ悲しかったことだろう。


本当の犯人はどこかにいたはずなのに、袴田さんひとりに罪をかぶせることに
警察も検察も必死になって、真犯人を探さなかった。被害者である
4人のひとたちに対して申し訳ないと思わないのだろうか?4人も殺して、
そのまま犯人が逃げ切るなど、警察の怠慢じゃないのか?


今更になって、DNA鑑定が実施され、再審への期待は高まりつつある。
それでも、あまりにも遅いと思わざるを得ない。袴田さんの精神力と
体力が少しでも救われ、健やかな日々が戻ることを、本当に願っています。

私はこんな国のために税金を払うなど到底納得できないし、オリンピックに
かける意気込みのわずか一部分でも、彼の再審が叶うよう、投入してほしいと
思います。

「冤罪を発生させる」というのは、大きな罪。本人だけでなくその周りの
たくさんの人たちを苦しめておいて、何の責任にも問われないっておかしくない?
袴田さんの無罪を信じながら、彼を抱きしめることもできないまま亡くなった
彼のご両親は、「被害者」では?


もし自分が、自分の大切な人が、同じ目に遭ったら、と思うと、本当に苦しい。
きっと私の精神力では耐えられない。
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2013-09-07 21:07:47

わお!

最後に記事書いてから1年以上経過していることに気が付いた・・
ていうか、まだブログが残存していた。
へぇーーまだ残ってる!という驚き。

(↑この言い方、映画「igby goes down」に出てくる、主役の陰に隠れた
役どころの子が唯一迫真の演技を見せるシーン。。を、思い出す。誰か
知ってるかな?)


近況は、大騒ぎ過ぎて書くに書けず。毎日が大騒ぎのお祭りのトラブルのトラベルの、
海の向こうから日本の隅々まで、走行距離はウン万キロ、車ごとフェリーのおなかに
乗せられて海も渡れば飛行機でチャイナの僻地、ドイツの僻地、イタリアの僻地へも
飛ばされ。期待に見合う仕事には遠く及ばず、有難いやら申し訳ないやら。
ひとりで飛ばされた中国の大地では、寒村から各々バイクやバスや三輪車で
はるばる工場へ勤めてくる工員さんに交じって、極寒・酷暑のなか工場業務。
女工さんたちに交じって、「見分けがつかん」と言われつつ、より良い楽器の
輸入のため走り回っております。

大阪市内の超無謀運転の中も、「おらおらー」
とつぶやきつつ、飛ばしております。割り込み万歳。
高速は常に右車線。もちろん警察のお世話にもなった。「パトカー乗ってもらえるかな」
と言われりゃ、行きますが。時間は深夜、道は海を渡る鳴門大橋だったり
四国の単線高速だったり、僻地もいいとこ。でかい車からスカートにヒール靴の女の子が
飛び降りてくるので、大体警察官はギョっとする。「し、仕事なに?」

しごとは猛烈に忙しく、膨大な残業時間に会社がビビッて「名ばかり店長」ならぬ
「名ばかり部長」へ昇進。ちなみに部の名前は、無い。

転勤も3年目に入り、彼氏はいたりいなかったり、激務に追われて日々業界の
ドンからチンピラまで、とにかく多々出会いもありかわいがって頂きつつ、
泣き虫は相変わらずで悔しけりゃ泣き、ひねくれては泣き、うれしくて泣き、
ひがんでは泣き、涙をバネに日々この根性でどうにか生き延びております。

高校時代、「おまえの根性、すげーな・・・」と言った友達がいた。(女子)
「おまえもな!!」と言い返すのが私の常であったけど、あいつもきっとがんばってるだろ(笑)



地方を海岸線に沿って、また山の尾根に沿って走り回っていると、日本は
本当に自然が豊かな国だと実感する。町とよべるような集落そのものが、圧倒的な
山や川や海の存在のあいまに、申し訳程度に存在し、車で飛ばせばそんな小さな町は
あっという間に通過してしまう。夜になれば漆黒の闇、静かな海、崖、深い山、
満天の星、だれもいないサービスエリア。(ていうかサービスエリアなのに自販機しか
ない ただの駐車場)四国や九州にわたるのに船を使えば、「密航禁止」「不審な船は
通報を」「連れ去り注意」等の看板。海に囲まれた島国である日本には、船が
重要な移動手段であり、また小さな港が無数にあり、同時に海を渡れば日本に
上陸することなどなんとも簡単。ほとんどが人っ子一人近づけない、大自然と闇だから。


仕事しながら、海や山に時々立ち寄って、明石の港でぼんやりしたり、淡路島で
橋や渦潮を見ながらコーヒー飲んだり、四国の港で海を見たり、神戸の山で
星を見たりした。

京都には頻繁に行く。比叡山や川床も行った。奈良も行った。名古屋は車で
飛ばせば3時間くらいで行けるようになった。三重の海沿いも走った。ナビに
道がなくて、海の上を走ったまんま、なぜか帰社することができ、今でも
どこを通ってきたのか謎。

トラブルは絶えず、喧嘩っ早い私はかなりの問題児ではあるが。。続くんだろうか、
この仕事・・・


今年31歳。

体の中に癌が見つかったのは、29歳のとき。まだ20代なのになんで、って、
毎日泣いた。天職と思える仕事に出会って、妖怪の館を耐え、女子のいないこの業界を
耐えて、念願の本社勤務になった。その矢先だった。

でもちゃんと生きてる。体はがんばってくれてるし、仕事もしてる。髪も残ってる。
あと4年で無罪放免。副作用は苦しい、本当に苦しい。長い長い4年、でも、なんとか
笑ってやり過ごせそうな気がする。4年経ったら、こどもが欲しい。癌の治療中は
こどもが産めない。放射線をいっぱい浴びるし、卵巣も働いてくれない。
こどもが大好きで、結婚したかった、私は悲しくて
本当に泣いた。でも今は泣かない。もうさっぱり、忘れることにした(笑)


たぶん、がんばったら、ご褒美に、特大のこどもを授かるのだ(笑)ホントか・・・
意味不明・・


なんの因果かわからないけど、最近いろいろ調べ物をしている。
ちょっと思うことがあって、「冤罪」というものを、調べている。

まった頭でっかちなことを・・と言われそうだけど。根暗なんで・・

また、そんないきさつはおいおい、書きます。


今日は、東京から車で会いに来てくれた人がいました。
会社のコンサートグランドのピアノを使って、セッションをしました。
楽しかったです。
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2012-08-21 19:40:50

近況

ブログの更新を再開します。

本当にいろんなことがありすぎて、毎日毎日たくさんの人に会って話をして、
(そうでもないか・・・)人生どうなるやらよくわかりませんが(笑)

今日はお忍び(?)保津川でゆっっっくりしました。

休みらしい休みはいったいいつぶりか・・・。


近況を、書いたら、現実を見ることになるので、嫌で、ずっとウロウロしています。

文章を書くということは私にとっては「さらけ出し」と同じ。
音楽家が人前で弾くのと同じ、といったら、音楽家の人はピンとくるのかもしれない。
私は音楽家の足元にも及ばないが(笑)

再開します、、って、やっぱり書く決心はついてなかったみたい。


アハ。もうちょっとウニャウニャしてから、戻ってきます。
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2012-05-29 07:53:06

患者。

MRI、エコー、血液、麻酔、CT、レントゲン、エコー、レントゲン、CT、血液・・

同じようなことを何度もやって、なんだか忙しい。


それでも仕事したい。

ていうかこないだ広報ネタとしてインタビューした対談、私の超ニセ英語のまま
だから、早く日本語にしないとあのぐっちゃぐちゃのメモは意味がなくなる。

ていうか今でも読めないだろ。

やばー・・・


本当に本当に、病気って嫌なものだ。この時間の拘束が。


昨日は、ひたすらエコー。エコー。エコー。CT。

どっから切って、どう戻す。というのを、からだにマジックでお絵かき。色とりどり、
いっぱい書かれた。

たまに注射で薬を入れて、色のついた皮膚をマジックでなぞる。

理学療法士という人が来て、体のサイズや動きを調べていった。


おとといからかゆくてかゆくて気になっていた足の裏の虫さされは、
看護婦さんに薬をもらった。

食事はみんなで同じテーブルで取る。いきなり人生論も出る。
病気が病気だけに、食卓はかなり面白い(笑)
まさか自分が大阪で「患者」として、関西弁で人生論を聞くことになるとは


思いもしませんでした。



「しゃあないねん、たえられへん、ほんまは泣き叫んでしまいたくなるけど、
もうあかんねんて。前向くしかないねん。あんたもがんばりや」



って、重い患者さんもいれば、

「今はヒマやからリハビリしよるけど、家帰ったらめんどくさなるもん。
からだ動かんようになったらこまるわ。けどもう元気やし。もう退院や。ええんかいな」

ってケロリとしている人も。





クラブのママの患者さんには、おかまのお見舞い客が。どういうこと(笑)


手術前の絶食が続いております。明日までごはんは無し。おなかが減って
寝るに寝れない。





昨日は安定剤を飲まされてフラフラと寝た。



手術は5時間後。

おなかすいたなあー・・・・・・・・・・・
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2012-05-25 18:12:24

出張締め。

出張、強制退去。


ま、当たり前か。

今、日本とドイツをまたいで進めてきた水面下プロジェクト、過去1年を
さかのぼって社長と二人三脚でゴソゴソと動いてきたわけなのだけど、
最終局面、というところ。


いま、ドイツ現地からは我々を協力にリードしてきてくれた、現地楽器メーカーのCEO
が来日していて、ボン社長と一緒にアテンドして回る計画を立てた。
私はそんなタイミングで手術を控えているといのが悔しくて悔しくて、
どうしても、事の成り行きを見ておかなければ!

という一心で、無理やり出張同行。

貧相な英語を使ってボン社長の補佐をしながらの行脚が始まった。


大阪から順に東へ、場所を移動しながらのハードスケジュール。


もちろん現地CEOもうちのボン社長も海外を飛び回る生活で、この出張の前後も
ミッチリ、アジア⇔ヨーロッパの移動がつまっており、一日の休憩も
はさんでいない。二人の社長は、隙あらば睡眠。睡眠。Zzzzzzzz・・・・


そもそも、このプロジェクトは、私の夢なのよね。階段の1段目、という感じ。


やりたいことがいっぱいある。


でも、仕事の種類が変わってきたここ最近は、それも一筋縄ではいかないのだと
痛感。


どうあろうと、みーんなのお陰で成り立っているのが、今の姿。
みんなの成長と幸せのためには、会社が健康でないといけない。

夢は、その次です。


だから、私は今回の出張を、自分のなかで「最後のチャンス」と思っていた。

どうせしばらく出張なんか行けなくなるし、そもそも私が抜ければ夢も抜ける。
この話がコケたら、方向性考え直そう・・・と、ある意味覚悟をしてた。


ところがよ。


過去、私が妖怪の館で七転八倒していたころ、支えてくれていた「棒人間」
というのがいた。過去のブログにも登場したことがあるのだけれど、
まあ、外部からうちの会社を監視する立場の人間であって、私はずいぶん
お世話になった。

彼がボン社長に対して釘を刺していたことを、私は後で知った。

手術を控えた人間を出張に連れ回すのは常識的に考えて優先順位を間違っている。
早く切り上げて帰らせるように。


と。


私の我儘と根性、思いを知っており、かつ棒人間が至極もっともなことを
言っているのがわかるボン社長は、間に挟まって、時差ボケの
激しい中さらに眠れなくなり、疲労をためこんでいた(笑)




まあ、そんなわけで、強制退去になり、東京へ向かう二人の社長を見送り、
自分は大阪へ引き返してくることになりました。


愛知の新幹線乗り場での別れ際、私は商談の成功を願って「good luck!」

親指立てて、大声でお見送りをした。


そのまま入院する私に手を差し出して、ボン社長が「good luck!」
と返してきたのは、メソメソする顔を唯一見せた相手がボン社長であって、

「生きるために体を切るんやから、ほかのことを考えたらあかんねんて」
「あんたは「嬢」やない、「丈」やで」

と繰り返し励まして(?)くれたここ1か月が、ぎゅっと詰まっていたような。






そして、私は、棒人間の性格に関して、たぶんボン社長よりはよく知っている、
と思う。
彼がとても気分屋で、非常に厳しいこと。

出張切り上げて引き返す道中、私のメールボックスには棒人間からの
仕事の山が入ってきて、


「入院間際で悪いけど」という一言でまとめられていた。


なんてこと。


結局仕事やん!!!


今から会社行ってきます。





殺す気か・・・(笑)
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2012-05-20 13:52:58

明日。

相変わらず、昼夜問わず、時間問わず早朝から深夜まで
会社や出張中の上司からの電話が。時差は仕方ないとしても・・・。
入院するから、といって、ちょっといなくなるだけなのに、仕事が山積みになる。

今日も本当なら会社に行かないと・・・昨日途中ですっぽかして
調律師とお好み焼きを食べにいってしまった(笑)曽根崎警察の近くは、
適度に人の多い繁華街。だけど東京みたいに人が多すぎないので、
私にはとても歩きやすい。

明日、検査結果が出そろって、方針が決まって、手術の説明を受ける。
両親同席。

仕事したい、大阪にいたい、という私の我儘で、東京での手術せず
大阪で全部片付けることにした。超重い腰ながら調べまくって、自分で病院も決めて、
検査結果のプレパラートとでっかい画像写真を持って京阪電車に乗り、
てくてく病院まで歩いて行って、「手術してください。」って言った。


なんなんだろ、この経験(笑)


私にとっては東京ー大阪間はもう何度となく行き来している通勤路のような
もんだけど、母にはたぶんだいぶ遠い。術後しばらく動けないから、母は
しばらくいてくれると言うけれど、慣れない大阪で母が滞在するのに、
負担をかけることを考えたら、東京で手術した方が良かったかなー。。
とか考える。


たぶん緊張してるんだな。ひよってる、といった方がいいかも。どんどん
何もかもが進行していくけど、気持ちは全然ついていかない。全部間違いで、
夢か勘違いかなんかで、ぱって目が覚めたら「なかったこと」にならないかな?


はー。動き出す気にならない。


今日も会社で作業中の職人が待ってる。お客さんも来る。


はー。もう行かなきゃ。


昨日から、なぜか「シェエラザード」の中の一曲が、ずっと頭の中で回ってる。
"young prince and princess”
ピアノで弾いて遊んでいたら、後ろで調律師が口笛でご機嫌に乗っていた。


前任のピアノ部門責任者のおじさんは、本当に音楽が好きだった。らしい。
私が大阪に来たのは彼が癌で亡くなった1年ほど後で、とうとう会うことができなかった。
ひとりでピアノ部屋にいるとき、いつも「なんで死んじゃったんだろ」
「会っておきたかった」って心の中で思う。
そのおっさんが残していったピアノを弾いていたら、なんかすぐ近くに
いるような気もすんだけど…。
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2012-05-17 22:06:36

ご報告。

っっって、、


寿に妊娠、出産、二人目、もしくは1周年やら2周年!!


人生の変わり目のこんな年。嬉しい報告が毎日のように舞い込んできます。

一方私、陥没した人生から復活したのがかれこれ5年ほど前。

びびりんこのブログには、そんな頃のこともいっぱい詰まっていて、
たくさんの人が読んでくださって、私は写真とかあまりうまくないから、
字ばっかりで蕁麻疹の出るようなブログを続けてきたのだけど、
ほんとに文章を書くことと読んでもらうことが、私の支えでした。

だからこそ、絶対だまっとこ、、って、思っていたけど、、
自分の支えが今どうしても必要なので、一応文章にしてみます。
直接電話や会いにいって報告ができなかったあの人、あの人、あの人・・・
いっぱい顔がうかぶ。いま自分の生まれ育った東京から離れたところに
いることが、こんなに心細くて、こんなに歯がゆいなんて。


私、からだに病気がみつかっちゃったのね。病名は偏見が怖いのでさすがに
ブログに書く勇気がないけど、まだまだ命に関わる前の段階で早々に手術
できることになり、今準備として検査に追われているところ。


妖怪の館に就職したのは4年前。30年前を引きずったパンタロン、
口を開けば虚言を繰り返す子泣き爺、極度に頭の悪い噛みつき男、
そして一歩も歩かないぬりかべちゃん、80過ぎて居眠りとお菓子三昧の
上司、会話の成立しない掘立小屋が職場という過酷な環境で
踏ん張って踏ん張って、人を変え、移転し、お金を回し商品を回し人を回して
会社とともに走った4年。今になって、やっと、やっとやりたい仕事が始まって、
企画開発やピアノの新ブランド開拓に燃えていたところ。


病気の発覚は私には今になっても信じたくない事実。悔しくて悔しくて、
ときどき身体が痛くて、悲しくなるけど、今、絶対自分の歩く道を変えるわけにはいかない。
私にはやりたいことがたくさんあるし、必ずふだんの毎日をとりもどそう。
と、決めて、前にも増して仕事。周りの人、ゴメンナサイ(笑)
病院に行く日は早朝出勤して仕事を片付けてから行く、病院と会社を一日に何度も往復、
入院直前まで出張も行くし、手術直後の会議にも出る。
これから何年も続く長い病院通いは、自分の人間力の肥やし・・・かも?


正直、体にこれから起こる変化は本当に怖い。見た目も変わるし、きっと
体調も悪くなる。たぶん機嫌もわるくなるし、ピアノが思うように弾けないかも
しれない。少なくともグランドピアノの天板を自分であけることはできないと思う。


大阪で私の面倒を見てくれているボン社長は、私の病気発覚で本当にショックを受けて、
しばらく立ち直ってくれなかった。

隠したままやり過ごそうとする私を徹夜で説得し、
「社内全員が私の病気を理解しなければ自分が耐えられない、頼むから皆の前で
発表してくれ」と言うので、私はやむを得ず皆に宣言した。あの日の朝、
大好きなピアノの部屋に呼び出され、上司と二人で「よし、行こう」と言ったときのことを、
私はたぶん一生忘れないと思う。


それでも、腫れものに触るように、ていうかまるで腫れ物のように、これから
扱われること、傷物と思われること、これから人生踏ん張っていくのは、
難しいかもしれない。あたしちゃんと幸せになるのかな?いつになったら
親孝行するんだろ。いつまでも親に甘えて迷惑かけて面倒かけて、何のために
生きてきたんだか。

って、ふとした瞬間に思ってしまう。不安で泣いてしまうときもある。
そんな自分はマイナスだ!と、そのたびに鼓舞して、いかんいかん。と思い直す、
毎日その繰り返し。

でも今できることはただ一つ。元気になること。
とにかく、今の自分がいちばん自分らしい。と、思えるように、日々がんばってます。
あとで思い出したら、「あんとき大げさに騒いだっけなー(笑)」くらい、思えたら、ね。


そんなわけで、しばらく余裕がなく周りをすっぽかしたりそっちのけだったり
するかもしれません。かとおもえば凹んで甘えてきたりするかもしれません。
少なくともブログを読んでくださっている皆様にはいつか恩返しをしまする。
どうか見守りお願いします。

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2012-05-05 01:29:22

人生、猛烈です。

ひゃー・・。

大変。

私にとっては、いままで人生が平坦だったことなんてあまり
ないような。。

平坦だらけの人生だったような。。

なんかよくわからんが、とにかく今いちばん大事にしている「仕事」。
4年目にして、やっと、自分がいちばんやりたいと思える仕事に取りかかりはじめ、
必死で仕事をしている。

そういう時期があっても良いと思うのよ。なりふりかまわず夢中で仕事っていう。

休憩なんてあとでゆっくりできる。私にとっては仕事が遊び、遊びが仕事。

って、コイツかわいそうだなあ、と思う人もいるかもねぇ・・(笑)

こないだやっと、ひとつの大仕事が終わり、見事成功!徹夜の疲れも吹っ飛んだ。

こんどは、東京でピアノのイベントひとつやった後、二日後には大阪でイベントをやります。

あ、コンサートをタダで聞きたい方はご一報ください。ドイツワインで飲み食いあり、
生演奏、お土産つき、無料。ノリに乗ってる若手ピアニストの充実プログラム。ほんとにお得です。
場所は東京です。5/12。

大阪の方は、ちょっとしたジャズライブを、特設ステージでお楽しみください。
小細工したピアノが登場します。これも無料。5/14。



一週間後には、かれこれ1年越しで取り組んでいるプロジェクトの
大詰め、ドイツからの来賓と日本のお偉いさんを引き合わせる大仕事が
待ってる。ていうか私はただのオマケだけど(笑)オマケなのに緊張するな・・


きのう、私のピアノをお任せしている調律師が、六甲山と有馬温泉に
連れてってくれました。登頂したぞ。六甲山。下山してからの有馬温泉は
まじで、最高でした。

今日は、上司が自分の地元である神戸を一日中遊びで引き回してくれました。

途中、スタンウェイのピアノも上司の顔パスで弾き放題タイムを取ってくれて、
私にとっては本当にうれしい日だった。私をここまで理解してくれた上司は今までに
いないくらい。感謝。

だんじりも見た。

大阪の人をはじめ関西の人は、だんじりを何より大切にする。京都に行けば
祇園祭だったり、奈良ではまた別のお祭りだったり、なんか地域によっていろいろ
あんだけど、その文化の深さには、本当にびっくりする。お祭りが共通語であり
子どもたちの夢であったり地域のきずなであったり、社会活動、仕事の面でも
お祭りがつないでいる部分が非常に多い。ほんとに、日本に生まれるというのは
幸せなことだし、自分は何も知らないって、思い知らされる。


これからしばらく、また大騒ぎの時期が続きそうです。なんか、まだはっきり
しないし怖いから言えないけど、本当に人生何が起こるかわからない。
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