イデオロギーのない革命 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

キューバ革命は、米国に依存しマフィアと癒着していた大統領、バティスタを倒す目的で、都市の反政府運動とシエラ・マエストラを拠点とする「7月26日運動」が共闘、勝利した革命です。
人民社会党(旧共産党・以下PSP)は当初「7月26日運動」に対し否定的でした。
革命を支援したのはかなり末期のことです。
また、バティスタ政権と手を組んだこともありました(1940年)。

両親が共産党員だった作家、ギジェルモ・カブレラ=インファンテは、そうした政治の裏を知るがゆえに共産党には距離を置いていました。

また、カルロス・フランキ(「ラジオ・レベルデ」や革命の機関紙「レボルシオン」の創始者)やアルフレド・ゲバラ(ICAIC初代総裁)は、元はPSPの活動家でしたが、意見の相違やフィデルの闘争を支持する立場から、PSPを離れ「7月26日運動」に加わりました。(ゆえに党からは裏切り者と見なされました。)

この記事を書いていたときに気づいたのですが、革命後の文化面で起きた争いの要因(1961年以降)には、イデオロギーの違いだけでなく、世代間の対立もあったようです。

革命の産物である「ルネス」や「ICAIC」の中核は、1930年前後に生まれた世代。
ちなみに、フィデルは1926年、チェ・ゲバラは1928年生まれで同世代。
キューバ革命はこの若い世代が牽引したのです。
まさに《古い体制に反旗を翻した》60年代ムーブメントの先駆けでした。
あるいは、ビートニクに端を発する若者のパワーが政治をも動かした、と映ったかもしれません。
だからアレン・ギンズバーグは〈革命をサポートするレターマニフェスト〉(1961年)を寄せたのでしょう。
キューバは世界の若者の中心に位置していたのです。
参考記事:ビートニック、大人に反抗する若者文化


さて、革命が勝利した1959年、フィデルは「共産主義政権ではない」と公言していました。
その証拠にこのビデオを見てください。(音楽がオドロオドロシくて耳障りですが)



全部で5つの演説場面のなかで4つは否定、最後(1961年12月)のだけ「私はマルキスタ(マルクス主義者)でありマルキスタであり続ける」と言っています。

が、最初から社会主義革命を目論んでいたわけではないのでは?
冷戦構造のなか、米国と敵対したせいでソ連に接近せざるを得なかったのです。
また、PSPに対しては(革命に冷ややかだったため)不信感を抱いていたとも言われています。
フィデルを共産主義に導いたのは、ラウル・カストロとチェ・ゲバラだという説も否定しがたい。

では文化面ではどうだったのでしょうか?
アンブロシオ・フォルネー(評論・文学批評・脚本家/1932年生まれ)によれば、1959~1960年において最も文化的影響力があった人物は、カルロス・フランキ(1921年生まれ)とギジェルモ・カブレラ=インファンテ(1929年生まれ)。前述したように、二人とも共産党を嫌い、特定の政治思想をもっていませんでした。

1960年、「ルネス」に招かれてキューバを訪れたフランスの哲学者サルトルも《イデオロギーのない革命》と呼びました。

それに対し、唯一イデオロギーをもっていたのがPSP系の人たちでした。
具体的には、ファン・マリネーリョ(1898~1977)、カルロス・ラファエル・ロドリゲス(1913~1997)、ミルタ・アギーレ(1912~1980)、ニコラス・ギジェン(1902~1989)など。(以上、A.フォルネーの記事参照) 
あと、サンティアゴ・アルバレス(1919~1998)も入るでしょう。

そしてPSP系シンパ(これもA.フォルネーの記事参照):
アレッホ・カルペンティエル、ハロルド・グラマッシュ、ビセンテ・レブエルタ、
トマス.グティエレス=アレア、フリオ・ガルシア・エスピノサら文化サークル「ヌエストロ・ティエンポ」メンバー

こうして見ると、PSP系は「ルネス」より上の世代。
「ICAIC(映画芸術産業庁)」の母体ともいうべき「ヌエストロ・ティエンポ」にはPSP系シンパが多かったわけですが、中核にいた年齢層は「ルネス」と同じ。両者は革命前、趣味を通じた仲間同士でした。

さて、翌1961年。
「プラヤ・ヒロン侵攻事件(米CIA傭兵部隊による侵攻事件)」と機を一にして「キューバ革命は社会主義革命である」という宣言があり、その1ヵ月半後、革命政権による初の文化方針ともいうべき「知識人への言葉」が発せられます。
そのきっかけになったのが「P.M.事件」として知られる映画検閲事件。
この事件によって「ルネス」は廃刊となります。
後に当時のICAIC総裁アルフレド・ゲバラは、事件について「カルロス・フランキを追い落とす意図があった」ことを告白しています。

P.M.事件については、2008年6月~7月にかけて連続9回+追加記事を書きました。
2008年6月
2008年7月
追加記事(10回目)

こうして革命精神を代表する文化グループ「ルネス」の消滅後、その精神を堅持しPSP系派と対立するのがICAIC、というのは、なんとも皮肉な話ですが、私にはそう見えます。

Marysolより
ところで先日フィデルがオバマ大統領の訪問について「帝国主義者の贈り物は要らない」と言いましたが、その発言はキューバ国民の気持ちを代弁しているでしょうか?
ロックを敵性音楽と見なし、禁止したり処罰の対象としたことは、国民の気持ちを反映していたでしょうか?
革命が目標とした「後進性(低開発)からの脱却」に寄与したでしょうか?
むしろ文化的鎖国(→後進性)に追いやったのでは?

キューバの人々が、フィデルを自分たちの代弁者と思えたのはいつまででしょう?
もちろん、人それぞれ違います。
早々に国を出た人もいるし、G.C.インファンテが亡命したのは1965年。公に革命を批判したのは1968年でした。

60年代のICAICの歩みを見ると、ずっとPSP系官僚と対立してきました。
革命精神を代表しているのはどちらでしょう?
そもそも革命精神とは何でしょう?
その問いと探求をキューバ映画を通して続けてみたいと思っています。

参考記事
『セルヒオの手記』ミゲル・コユーラ監督とのチャット
デスノエスへのメール
デスノエスからの返信
映画という批判装置