ミゲル・コユーラ監督自身が語る『Memorias del desarrollo』
の紹介が、ベネズエラのテレビ(テレスール)で放送されました。
インタビューはハバナ滞在中に行われ、キューバでも放送されたそうです。
なかなか良くまとまっているのでご紹介します。
映像はこちら で見てください。
内容は以下に訳出しました。
青字はナレーション。
ミゲル・コユーラ監督が『Memorias del desarrollo』を紹介してくれる。
これはエドムンド・デスノエスの同名の小説を映画化したもので、デスノエスは、トマス・グティエレス・アレア監督によって映画化されたキューバ映画の古典となった『低開発の記憶』の原作者でもある。
コユーラは『Memorias del desarrollo』のプロジェクトを2004年に始動。
前作『Cucarachas rojas』
をハバナ・フィルム・フェスティバル・デ・ニューヨークで上映した際、原作者のエドムンド・デスノエスに出合ったのがきっかけだった。
コユーラは本作で、脚本、監督、撮影、編集を一人で手がけているが、低予算のインディペンデント映画が彼のスタイルだ。
コユーラのコメント
『低開発の記憶』の主人公は、革命後の社会で“機能不全”になってしまうが、彼はどんな政治システムや社会にも適合できないという印象を見るたびに抱いてきた。その点をエドムンド・デスノエスの同名の新小説をベースに描こうとした。
『低開発の記憶(Memorias del subdesarrollo)』と違うのは、今度のセルヒオは1950年代末生まれの設定であること。よって、彼の知的形成は革命後になされている。その点が『低開発の記憶』との大きな違いで、最初のセルヒオは、革命後のプロセスに適合できないプチブルだった。
本作はコユーラにとって監督10本目の作品に当たる。(コユーラは)2003年にセロ・ラティトゥッド(緯度ゼロ)映画祭でイノベーション賞を獲得。2010年のハバナ・フィルム・フェスティバル・デ・ニューヨークでベスト作品賞を受賞した。
小説の主人公は、ある意味デスノエスの分身的存在なので、年齢は80歳近い。ところが脚本を書き始めてみると、主人公を僕とデスノエスの世代のハイブリッド的存在にした方が良いと思うようになった。僕は33歳でデスノエスは80歳。それで主人公を50歳代にすることで両世代の架け橋となり、双方の体験を語ることができると考えた。
ポストプロダクションもコユーラ自身が行った。デジタル技術がいかにクリエィティビティに応えられるか示している。
主人公は作家で、映画は一種の<再生>になっている。つまり、雑誌の切り抜きでコラージュ作品を作っているのだが、実際のデスノエスもコラージュを作っていると知り、この映画の話法にピッタリだと思った。フィクション、ドキュメンタリー、アニメーションなどを取り込みたいと思ったから。
また、コラージュだけでなく、主人公は写真も撮るし、録音もする。
よって主人公は、今観客が目にしている映画を製作中、とも解釈できる。
『低開発の記憶』の話法等を断片的に取り入れることにより、作り直している(再創造)とも言える。つまり、主人公は過去を再構築し、ストーリーを再解釈しようとしているわけだ。
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注:本作はコユーラの10作目とナレーションでは言っていますが、長編としては2作目。
あとは短編です。
コユーラ監督フィルモグラフィ
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