人生は長いように思えて、実際にできることはほんの僅かである。
自分ができることが少なければ、人にやって上げられることはもっと少ない。
我々は自分が楽しむことで精一杯であり、人を楽しませることはほとんどできない。
自分が生きていくことで満足し、他人が生きていくことにはほとんど関与しない。
人生のほとんどは自己満足の場である。
他人が満足するかを考えることはほとんどない。
自己満足の延長上にしか、他人の満足を考えることができない。
そういったことに気づき、求道心とは何かを思い直す。
人は自己満足を自己満足と感じなくなり、自己満足をあたかも他人のためであるかのように装う。
求道の道は我々に向けられた小さな思い付きであろう。
自己満足は人生において必要なことである。
これがなければ人生はただ辛いものとなる。
人はやりたいことに眼を向けて自分を興奮させる。
人生とは、興味あることへの興奮といっても間違いではない。
この興奮がなくなってしまうと、また人生は辛いものとなる。
興奮によって支えられるのが人としての生き方である。
興奮を忘れると、生きる意味に悩むことになる。
興奮は、自己満足のためだけにあらず、良い副作用をもたらすようだ。
興奮は悩むことを忘れさせる。
興奮は小さな成功体験と合わさって人を成長させる。
こうして、興味を興奮に変えて、自己満足と自己成長を促していく。
それが人としての生き方である。
どこに求道心があるのか。
それは興奮の中にもある。