昭和の時代の働くことの目的は、より多く得て、より多く消費し、より高い地位につくことであっただろう。
はたして、人はそれによって本当の幸福を得られるであろうか。
資本主義経済を成り立たせる企業のために、人は、物を売られ、物を消費するための対象と化す。
身近なところにある幸福感は置き去りにされ、遠くにある幸福感を得ようとする。
この遠くにある幸福感こそ、物を多く得て、多く消費し、高い地位につくといった幸福感である。
身近にある幸福感は、生きることが実感できる幸福感である。
若者は気づいてきているのかもしれない。
遠くにある幸福感を得ることばかりを目的としても仕方ないことに。
人はいつしか自分を離れ、自分ではない対象に同一化しようとする。
そして、役割に没頭し、ついには役割自体が自分となってしまう。
置いていかれた自分は不要なものとなり、他人に投影する。
そして、他人に映る自分を見て、他人を責める。
これに対して、身近な幸福感を得ようとするとき、他人に投影することを止め、自分に戻ろうとする。
自分自身に同一化するのである。
しかし、これは簡単なようで難しいことだ。
役割を離れた自分とは何かが見えて来なければ、身近な幸福感を得ることは難しいことだ。