命の問題

近頃、中学生のいじめの問題が再びクローズアップされています。

我々は、加害者が悪く、管理責任から学校が悪いとも考えます。

しかし、我々は極めて根本的な問題を省みず、表面的に現れた事件のみを見て哀れみ、悲しんでいるのです。

被害者意識のないものが果たして加害者になりましょうか。

命を最も大切にする教育があるならば、管理責任を問われることなどありえましょうか。

事件だけを取り上げ、我々すべての人間が抱える社会的問題を軽視するのは愚かと言わざるを得ません。

今の社会を作り出した責任は我々すべての人間にあります。

我々は社会の問題を変えることもできず、社会の問題に適応していくしかないように感じています。

この社会が抱える問題は、命よりも経済が優先される資本主義社会そのものにあり、この問題に対して我々は極めて無力に感じられるからです。

社会の問題となると、問題が大きすぎて、他人事のように思わざるを得なくなってしまうのです。

経済の問題よりも命の問題を最優先する大人が、果たしてどれぐらいいるでしょうか。

命を成り立たせるには、経済を成り立たせなければならない。

経済活動が消えてしまったら、命を継続させることもできないと思う、深刻な境地に陥りはしないでしょうか。

好む好まざるに拘わらず、大人は経済活動を中心にするしかない。

命の問題に関われる恵まれた職業も存在します。

しかし、そのような職業であっても、資本主義社会で成り立っていくには、経済的要素を意識しないわけにはいきません。

必要なのは、変えることができないのであれば、この問題に直面することなのです。

そのようなことも省みず、生きていくために、ただ自分、自社の利益の獲得に専念することは真に愚かと言わざるを得ません。

問題が表面化するとき、我々は人間としてのプライドをもう一度取り戻すチャンスを与えられていると考えるべきなのでしょう。ねこへびメラメラカエルあせる波
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