仏法の教えは他力本願にあるところが面白い。


自分の力ではなく、阿弥陀如来の力によって成仏していく。


仏、法、僧を信じることを常とするが、他力本願とは、誰か人を信じるのではない。


他力と言いながら、実は自分の中にある仏を信じるということだろうか。


世の中、行動することや楽しむことや成功することばかりが望まれているようにも見える。


これらはすべて自力によるものだ。


カウンセリング、セラピー、コーチング、コンサルティングのような西洋文化を帯びたものは、いずれも自力を基本とするようだ。一部は異なるだろうが。


宗教が面白いところは、他力によるところであり、生きること、いのちの問題と取り組むことであり、成功や営利を目的とするものではない。


自力ばかりが強調される世の中において、他力を信じることの重要性を感じる。


自力が重要視されて、行動しないものが不利な立場に追いやられる社会であるから、行き詰る。


社会ルールの中に、日々の生活の中に、自力だけに頼っても行き詰ることを見直し、他力による慈悲の力を生かせれば将来は明るく変化しそうである。


他力本願になっていくと、新しい幸せと成功の道が開けてくるのかもしれない。


他力本願になると言うことは、自力の限界を悟ると言うことである。


ここに、煩悩であることを自覚しながら、幸せ、成功を求める意味が見出されるのかもしれない。


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