脚本家 旺季志ずかです。


でも外出てるねって声かけたらみんな早くしなきゃって焦らせちゃうかも。
 
 
ここを読んだ時
 
 
ふーーっと 身体が緩んだ。
 
 
で思い出した。
 
 
ハッピーちゃんから聞いた のぶみさんと初めて会った時のこと
 

 
ハッピーちゃん のぶみさんとの初めての打ち合わせの時 1時間も遅れたのだそうです。
 
 
で ついた瞬間 謝ろうとしたら
 
 
口から出てきた言葉が「練馬って遠いっすね」
 
 
って言葉。
 
 
自分でも  どうしよう!って 内心焦ったけど
 
 
どうしても 口から謝罪の言葉が出なかったのですって。
 
 
その遅刻が 意味のあることのために 起こっていると わかっているから 
 
 
ハッピーちゃんにとって謝罪は 社会的に円滑にするための
 
 
ある意味 「嘘」だったのかもしれません。
 

 
そんなハッピーちゃんを
 
 
のぶみさんは「面白い」と思ったようです。
 
 
これは 話を聞いたわたしが勝手に解釈したことですが
 
 
のぶみさんは「内と外が一致している」かどうか
 
 
わかる人なのじゃないでしょうか。
 
 
実は わたしもそうなので
 
 
「心と言うこと」
 
「心と行動」が一致していないのは
 
 
見ていて気持ち悪くて仕方がありません。
 
 
どれほど有名で
 
 
ファンがたくさんいるひとでも
 
 
あまり惹かれないひとは
 
 
内側と外側が一致していないです。
 
 
どんなに嫌な奴でも 内側と一致してるひとのほうが違和感がない
 
 
わたしがハッピーちゃんを大好きなのは
 
 
それが本当に一致している人だから。
 
 
後で わかったのは
 
 
この遅刻は ハッピーちゃんとのぶみさんが近しくなるための必然だったよう。
 
 
ハッピーちゃんの「練馬って遠いっすね」的な発言だけ見ていると
 
 
そんな言葉が言えるなんて、自分とは程遠いひとのように感じるけど
 
「自分が早く抜けたら
 
みんなが気を使ってゆっくり見えないかも」と思うなんて、 本当に繊細なひとだって思うし、
 
 
遅刻する時も 
 
 
 
最初はドキドキだったハッピーちゃんの姿が立ち現れてきます。
 
 
それでも 自分を生きることにひとつ ひとつ
 
 
細かいことからチャレンジしたことがわかるから
 
 
わたしは彼女に魅せられるのです。
 
 
そして 改めて思うのです。
 
 
 
誰でもハッピーちゃんになれる。
 
 
つまり
 
 
 
誰でも 自分になれる。
 
 
 
今 ささやかな 心地よい を選ぶことで!
 
 
 
 
わたしも昨日までの4泊5日の旅
 
 
団体行動が多かったので
 
 
ついつい我慢していました。
 
 
それをひとつひとつチェックする旅でした。
 
 
最初は凄〜くひとに気を使っていました。


なのに
 
 
一緒に行った演出家の吉村先生に
 
 
「旺季さんは全体を見て行動する協調性がない」的なことを言われて
 
 
なーんだ 気を使っててもバレてるなら 最初から気を使わなきゃ良かったと思いましたw
 
 
そしてね
 
 
これを言われた時
 
 
神様が吉村さんに言わせたと思いました。
 
 
久しぶりの あまり知らない人たちとの団体行動だったので
 
 
わたしにとっては 練習期間みたいなもの。
 
 
ひとりだと 自分の心地よいを選択できるのに
 
 
ひとといると 気を使ってしまい
 
自分がどうしたいのか わからなくなってしまう自分がいました。
 
 
まぁ だいたいのことが「どっちでもいい」大雑把なわたしなのではあるのですが、
 
 
本当に「どっちでもいい」のか
 
 
「どっちでもいい」と感覚が鈍っているのか
 
 
自分では「どっちでもいい」と思っていることも
 
 
実は「今ここで 自分を最大限心地よくするとしたら」違ったかもしれません。
 
 
「いいひとと思われたい病」だったかも


久しぶりに持病の腰痛が出たから
 
 
体が教えてくれていたのかもしれないね
 
 
『その瞬間で最大限に自分が心地の良いエネルギーが出せる行動』
 
 
これ本当に大事だし、自分に戻っていくのに、とっても簡単でパワフル!
    
今日も人生にブラボーと叫ぼう!

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壱岐の不思議な森のワンシーン