ricorico1214、夫婦で考える「老後」とは?の巻 | ペーパー社会福祉士のうたかた日記

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社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

わしのダンナサンは一般企業の一般人。
介護保険や生活保護、更生保護制度、
障害者に3種類あるということも、
ほとんどまったく未知の世界で暮らす。

それがいいとか悪いとかじゃなくて、
「普通はそうなんだ」ってことを
家庭で思い知ることができるのは、
わしの資格の生かしどころとしては、
とてもいい環境にあると思っている。

オトコって大体~などという一般化は、
時としてよろしくないことではあるが、

福祉の世界と一般社会との境い目を
つなぐ資格、つなごうとするときには、
サンプルの一般化は有効なんでして、
どっちの常識も知る機会となり得る。

それと、

これはダンナサンの特性だと思うけど、
わしの資格を重宝がってくれて、
ニュース番組見ながら質問してきたり、

わしがだんだんヒートアップするのを、
煙たがらずに傾聴してくれるので、
よかたよかた、すんませんと思う反面、

これがそうじゃない夫もいるわけで、
っていうか、
そうじゃない夫が世の中大半なわけで、

っていうか、
夫婦そろって福祉から縁遠いことも、
あり得るというよりは、大半なわけで、
世の中の男性陣の危機感の乏しさは、
女性の責任でもあるんだなーと思う。

で、こないだの一戦。

これからの人生を過ごしていく間に、
大きな病気をすることもあるだろう、
予期せぬ出来事も起きることがある。

だから、延命、臓器移植、自律と尊厳、
認知症について、死について、
自分の意志が尊重され続けるために、
話しておくのは必要なことだという
働きかけに対するダンナサンの回答が、

「もし自分が大病したら、ricoに
迷惑かけたくないから、離婚する」…

かっちーーーんむかっ!!

>いつ誰が迷惑だと言いましたかむかっ

いや、ricoはたぶん、
迷惑だなんて言わないだろうけど、
負担なだけじゃない、病人なんて。

ricoには幸せに暮してほしいからさ、
看病なんて絶対にさせられないよ!

>それは余計なお世話だっつうんむかっ

どういう口のきき方をするヨメなのか、
両親が生きていたら叩かれるとこだが、
即座に出てしまったものは仕方がない。

私の行動の主体は私。
やりたい・やりたくないは私が決める。
やりたくない相手なら結婚しねーから。

利用者だろうが、そうじゃなかろうが、
すべての個人の選択と自己決定は、
何よりも最大限に優先されるべきもの。

「あなたにとって迷惑でしょうから、
看護も介護も、しなくていいよ」は
一瞬で論破できる理屈であって、
「迷惑じゃないんでやりますよ」だ。

これが、介護・看護の対象者から、
全力で拒否されたってんならともかく、
(それでも介護者・看護者としては、
どうにか関わろうと考えるだろうし)

そして、

ホントはあなたにいてもらいたいけど、
迷惑だろうからいなくていいよなんて
明日、死ぬかもしれないってときに
行儀よく遠慮してられんのかっていう、

どうも話し合いの土台が違い過ぎる。
どうも想像に幅とリアリティがない。

看護や介護が身近なことではない、
これはとても恵まれたことだけれど、
そうなるかもしれないって程度は、
危機感をもっといた方がいいかと…

で、なんとなく思い出したのは、
以前ちょこっと書いたことがあるコレ、
健康関連企業が地元密着で開催してた
《夫婦で学ぶ!かんたん介護講座》。

わしはアシスタントをしていたが、
参加夫の不真面目さにキレかかるのが
毎回のお約束、日常茶飯事だった。

奥様に連れてこられた土曜の真昼間、
ジャージか短パンの軽装に身を包み、
足を投げ出して座る夫らはやる気0。

あくびしたり、ケータイいじったり、
アタマや足をやたらぼりぼりかいたり、
配布物をウチワがわりにあおいだり、
タバコや飲み物、出たり入ったり…
生徒だったら怒鳴っているレベル。

そこで目玉の企画としてあった、
「パジャマに着替え」実技コーナー!

例外なく、のべでいったらなん10組、
ご夫婦に向けてパジャマを差し出すと、
受け取るのは100%、奥様。
講師は一通り行き渡ってからニヤリ。

>ではご主人さん方、席を立って!
>今から奥様を着替えさせてください!
>奥様は右半身不随!さあどうぞ!

ざわざわざわざわ…

>はい、やらないと座れませんよー
>帰る時間もどんどん遅くなります!
>説明したとおりにやってください!

さっきまでの不遜な態度はどこへやら、
奥様の腕や脚を曲げたり伸ばしたり、
アイタタタ~の四苦八苦に悪戦苦闘。

>じゃあ今度は脱がせてください!
>奥様、協力したらだめです笑!
>右半身不随!動かないんですよ!

夫はハナっから、自分は介護される、
着替えさせてもらう役だと思っている。
奥様はハナっから、自分は介護する、
着替えさせる役だと思い込んでいる。

こういうペアで、明日の奥様が、
脳梗塞を起こさないという保証はない。

そして、これが1回や2回ではない。
判で押したかの毎回のリアクション。

妻を介護することも充分あり得るんだ、
とは夢にも思わない夫たちの無邪気さ、
それを助長させている妻の無邪気さに、
由々しきものを感じたりしてたのよね。

医療や福祉に関わる事態というのは、
「いつか来るかもしれないけど、
来たときに考えればいい」では、
間に合わない、遅すぎることがある。

気持ちだけでも先に準備しておいて、
早くて早過ぎるということはない。

けど…そうかー
夫がどうだこうだっていうよりも、
妻にもやるべき責任があるんだよなー

私はどうしてほしいかってことを
先に話しとくことが大事だったかー



もし私に看護や介護が必要になったら、
私はその状況を受け入れる努力だけで、
自分のことだけで精一杯だろうから、
どうするかはあなたが決めてください。

私の希望をいえば、私がどうなっても、
私が私を、私だと認知できなくなっても、
あなたにそばにいてほしいと思います。

そして、
私は延命治療は望まない。
臓器提供も望んでいない。

私の死を目の当たりにしているのに、
どうしますか?こうしますか?と、
その場で決着や判断を迫られるのは、
遺された者にとってはつらすぎる。

だからできるだけ私の死の間際には、
その場で判断することがないように、
伝えられるときに伝えておきます。

延命治療と臓器の提供は拒否します。
これを意志として尊重してください。

元気で健康、明るく暮らしているのが、
幸福の条件というのでは狭すぎる。
恵まれているということは疑わないが、
それは単なる幸福の一形態に過ぎない。

看護と介護、看取りを思い出しても、
「つらかったか」と聞かれれば、
「言葉にできないほどつらかった」。

が、「不幸だったか」と聞かれれば、
「そんなことはない」と即答できる。

夫婦の老後を考えるって、つまるとこ、
「何をもって幸福とするか」っていう、
そっからなんですねって思いました。

極端だよ!とか、そんなこといまから、
考えなくてもいいじゃない!とか言う
軽薄なダンナサンじゃなくてよかった。

私が社会福祉士であるということが、
ダンナサンの人生にとって、
今まで見たことも想像したこともない、
深さ重さ強さの指標となれれば、
こんなに幸福なことはない。

こういう奇特なヨメであるってことを、
今後も楽しんでくれるとイイナと思う。




そういえば、先週の宿題の件、
明日からまた書いていきますね。
今週もよろしくです。



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ricorico1214、老後とは福祉なりの巻。
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