カシーケと征服者の出会い
テーマ:ニカラグア生活・雑感琵琶湖の十数倍の大きさのニカラグア湖(コシボルカ)を見る度に、これを初めて見たスペイン人征服者は驚いただろうなと思います。実際、スペイン人征服者は、当初、この湖を「淡水海」(el Mar Dulce)と呼んでいたそうです。
エルナン・コルテスがアステカ帝国を征服し、フランシスコ・ピサロがインカ帝国を征服したことは広く知られていますが、ニカラグアではどうだったのでしょうか。
4月5日の「El Nuevo Diario」という新聞が、「カシーケと征服者の出会い」(Encuentro del cacique y el conquitador)というタイトルで、初めて先住民の酋長(カシーケ)とスペイン人征服者ヒル・ゴンサレス・ダビラ(Gil González Dávila)の出会いの模様を、残された歴史記録から紹介しています。スペイン人征服者の一団には必ずクロニスタと呼ばれる記録係が同行していましたから、征服、探検の模様が記録されて残り、そのような記録の多くは、スペインのセビリアの古文書館に残っているのです。4月5日の新聞に紹介されたのは、実は意味があって、ニカラグアでカシーケと征服者が初めて会見したのが、年代記によると1523年4月5日のことだったからです。486年前のことです。日本でいえば室町時代末期で幕府の威光も衰え、まさに戦国時代ですね。
ニカラグアの通貨単位であるコルドバは、スペイン人征服者でグラナダやレオンの街を創建したフランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ(Francisco Hernández de Córdoba)に由来するので、何となくニカラグアに最初に侵入してきた征服者はコルドバだと思われがちですが、そうではなく実はヒル・ゴンサレスなのです。
ヒル・ゴンサレス・ダビラは、正確にはヒル・ゴンサレス・デ・アビラ(Gil González de Ávila)、即ち、「アビラのヒル・ゴンサレス」という意味ですが、現在もマドリッドの北方にアビラという城壁で有名な街がありますが、そこに居た人物なのです。
ヒル・ゴンサレスはスペイン国王から太平洋岸を探検する勅許を貰い、1520年にパナマに赴きます。当時、パナマは既に植民が始まり、太平洋の存在も知られていましたから、パナマ以北の太平洋岸、そして、太平洋と大西洋を結ぶルートの探検の権利を得たわけです。つまり、スペイン人征服者がニカラグアに侵入して来たのは南方のパナマ方面からなのです。
そしてこの当時のニカラグアに居た先住民の指導者、酋長が、ニカラグアに住む日本人ならきっと名前を聞いたことがあると思いますが、ニカラオ(Nicarao)とディリアンヘン(Diriangén)です。
当時、ニカラオは現在のリバス、即ちニカラグア湖のすぐ近く一帯を支配し、ディリアンヘンはそれより北側の現在のカラソ県ヒノテペからサンタ・テレサ辺りを根拠地にしていたようです。つまり、南から侵入したヒル・ゴンサレスの部隊は最初にニカラオの率いる先住民たちと遭遇することになるのです。
そして、1523年4月5日、カシーケ・ニカラオとヒル・ゴンサレスの会見が行われ、ここに初めてニカラグアにおける「二つの世界の出会い」が実現しました。
このような話を聞くといつも思うのは、「言葉が通じたのだろうか?」ということですが、通訳はちゃんと居たのです。記録によれば、ナワトル語を話す先住民を捕えてパナマに送り、そこでスペイン語の訓練を受けさせられた人たちが通訳を務めたそうです。
新聞に紹介されているその時の年代記の記録によると、ニカラオはヒル・ゴンサレスにたくさんの質問をしたようです。征服者は先住民をキリスト教に改宗させることを大きな目的のひとつにしていましたから、ヒル・ゴンサレスはキリスト教の神について、あるいはスペイン国王の偉大さについて語ったのでしょう。ニカラオは、それに対して、「人間が存在を終わる時、魂の行く先はどこか」、「太陽、月、星が輝くのを終えるのはいつか」などとも質問したようです。また、別の記録によれば、「たったこれだけの人数(スペイン人)なのに、どうしてそんなにたくさんの金を要求するのか」とも尋ねたとあるそうです。
いずれにしても、ニカラオはスペイン征服者の目から見れば非常に友好的にふるまったようで、自分とその家族、そして部下たちも含めて洗礼を受けたのだそうです。
ところでカシーケ・ニカラオの支配地域に入ったということは、当然、スペイン人征服者たちはニカラグア湖の存在を知ることになります。ニカラオとの会見から僅か1週間後の4月12日、スペイン人征服者はこの「淡水海」の領有を宣言する儀式を行ったと記録に残っています。
ヒル・ゴンサレスは、湖水に浸かり、国王旗を3度振りかざし、「発見され、またこれから発見されるであろう陸地と淡水海の王にして、その領有者、カトリック皇帝にして我らの国王陛下、万歳!」と叫び、岸辺に上がって刀で近くの木の枝を切り払い、岸辺の草を抜いて、領有の証としたのだそうです。
その後、北上したヒル・ゴンサレスの一隊は、ディリアンヘンの支配地域に入ることになるのですが、ディリアンヘンは洗礼を受けるとはすぐには約束せず、3日後にまた戻って来ると言って、実際に3日後に戻ってきたものの、戦いを仕掛けてきたそうです。しかし、武器の優劣でディリアンヘン側は敗れるのですが、スペイン人征服者の側も一旦撤退せざるを得ず、再びニカラオの支配地域に戻った時、今度はニカラオの軍が襲って来ました。そして、ヒル・ゴンサレスは一旦、パナマへ退却することになったのです。
ニカラグアにおいては征服者に抵抗したカシーケとして、ニカラオよりディリアンヘンの方が英雄扱いされています。しかし、ニカラオが友好的に接したのは、戦いの決意を固めながらも相手を知るために征服者と会見し、いろいろ質問したのであろうと考えられているそうです。
ニカラグア人の国民性の特徴として、「面従腹背」ということがよく言われますが、もしそうであれば、この時代のニカラオの対応からも、既にその側面が窺えるように思います。
因みに、ニカラオは本来、ニカルナウァ(Nicatlnauac)という名前であったようですが、スペイン人にはニカラオという発音で記録され、これがニカラグアの国名の起源になっています。
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