りかちゃんのひとりごと

りかちゃんのひとりごと

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うずらくんが手術後数日してから、
目の前で失神しました。
ほんとうにその光景はショッキングで、
子供の頃からずっと動物と生活してきたのに、
目の前で失神なんてお母さんが一度したくらいではじめてです。
みずねこ。にも相談に乗ってもらいたらしばらくして、
我が家の問題児である父親が、
救急車で運ばれました。


出かけた先から家に戻って少ししたら、
苦しいといいだし、
救急車を呼んでくれといいだした。
 

前に脳梗塞で倒れたときは、
救急車を呼んだにも関わらず、
乗りたくないと乗車拒否し、
救急隊員の方に脳梗塞だろうから連れてってくれといっても、
本人が拒否している場合は乗せられないと
帰ってしまったんです。

でも今回は、自分から呼んでくれといいだし、
呼んだら間もなくサイレンの音が聴こえてきたというのに、
まだなのかまだなのかと玄関でうなだれていました。

救急車には母が同乗して行き、
わたしは母の防寒着その他の準備をして、
すぐに病院へつづきました。

救急に入って間もなく、
これは時間との戦いなんで、
もろもろの検査の承諾書と手術の承諾書に
サインをしてくださいといわれ、
わたしがぜんぶサインしました。

続柄に何とかいていいかわからず、
とりあえず「娘」と書いたのですが、

何枚名前と住所と娘を書いたかわかりません。

手術室前へ移動して日付が変わり、
それから4時間くらい硬いソファに母と座って待っていました。
からだ中が痛くなりました。

5時前くらいにCCUに移動して容態の説明や、
入院に際しての説明などを聞いて帰宅。

おとうとにうずらくんたちは預けていたので、
まぁまぁ安心でしたが、元気な姿と再会できてよかった。

それから約1週間入院生活のあれこれをして、
忙しくストレスを抱えながら過ごしていました(笑)

さっき母とはなしていたときに、
もうお母さんも、
いつ死んでもおかしくない年齢になってるんだよねって
いっていました。
お母さんには長生きしてもらいたいです。
いまはまだまだ大変だけど、
どうにか家を復活させて、
少しでも楽しんで生活してもらいたいです。

だいじなうずらくんが病気になった。
本人はいまのところぴんぴんしているけれど、
数値的というかサイズ的には深刻で、
この先どうなっていくのかなぁ…という不安でいっぱいです。

そんななか、
また父親がわがままをいいだした。
お母さんが父親からの電話で、
「まだいってない」といっていたので、
何かわたしに伝えてくれというものがあるのだとわかった。

何をいえっていわれてるの?って聞いてみると、
リビングにエアコンが欲しいと。。。

必要なし!

あんなに役所関係で大変だった時に、
それでも父親の寝室は死んでしまうといけないので、
意を決して寝室にエアコンを購入した。
また倒れて介護になってしまったら、
もっともっといろんなことが大変になるし、
死なれてもいろいろと大変な処理に追われる。

寝室のサイズにあわせたエアコンを購入し、
ぜったいにリビングにつけると父親は言い出すが、
それを認めてはいけないと母にあらかじめ伝えておいたら、
案の定、設置はリビングだと主張しまくっていた。

でもわたしはそれを認めず寝室につけた。
業者も自分で手配して、
病人がいるのでといったら時間外につけてもらえた。

その夜、
父親からのメールで、
エアコンのおかげで快適に眠れるようになりました。
でもほんとは、リビングにつけろと母にいったのに

勝手に寝室につけられてしまったのだと書かれていた。

そのメールに、
家族の想いがまったくわかっていないですねというタイトルで、
父親に長文のメールを返信した。
その後は返信もなくおとなしくしていたので、
納得したと思っていたのに。。。

父親はいちにちのほとんどをリビングで過ごす、
ほぼ家族は近寄らないし、
わたしも1ヶ月に1度入ってるかどうかすらわからない。

来客時だって寝室に通せばいいのだ。

父親はわたしが反対していたのに、
いまの掃除機じゃパワーが足りないと、
掃除機をまた買ったし、
弟はほとんど家にいないからいらないといったのに、
おとうとにテレビを買った。

おとうとはそのことに腹をたて、
買ったテレビはいらないからと拒否したので、
父親の部屋にそのテレビは設置された。
それから数ヶ月、
やはり寝室にいるのは寝る時だけだからと、
父親は勝手におとうとの部屋にそのテレビを移動させた。

そして、
エアコンのある寝室にテレビがなくなったので、
扇風機のみのリビングで暑いなかテレビをみて、
エアコンがないから死ぬからエアコンが欲しいといいだした。

冗談じゃない。

冗談じゃないと思うのに、
母はあれはほんとに死んじゃうから、
自分で少しずつ支払うっていってるし…といいだす。

わたしは断固反対。
わたしがものすごくお金を稼いでいて余裕があるならまだしも、
そんな余裕どこにもない。
いまはだいじなうずらくんが最優先。

暑いなら寝室にテレビを移動させて見ればいいのだ。
 

母はわたしの意見を聞いて、
ごもっともだけどといっていたけれど、
なんでなんだろうどうしてそんな感情になるのか意味がわからない。

父親は年金から支払いで大変な時に、
お金を貸すという。
どうして返さなくちゃいけないの?って思う。

医療費や携帯代、
食費や保険料、税金その他雑費は、
いったい誰が支払っているの?

いい加減おとなになって欲しい。

居場所がないわけではないのだから。

寝る前に、
なんとなくもやもやしていることを書いてみる。

おとといの朝は、
知人の訃報の知らせの電話で目が覚めた。
電話をかけてきたのは父親。

亡くなったのは、
おとうとが子供の頃に通っていた空手道場の先生でもあり、
わたしが中学生以降に、
我が家に来た猟犬たちとひきあわせてくれたり、
猟の訓練をしてくれた人で、
我が家では先生と呼んでいた。
 

わたし個人としては、
選挙の遊説でうぐいすをしていた時、
たまに運転手をしてくれていて、
気をつかわず話せる仲だった。

先生はとても気難しい人で、
先生のことを恐れている人も多かったし、

先生のことを恐れている犬も多かった。

我が家と先生との付き合いがなくなったのは、
12年前。けっこうあっという間だった。

じゃいが生まれた時。

さいごに会ったのは、
おととしのクリスマスだった。
先生の家の近所のファミリーマートで会った。
母とわたしはふつうに先生に挨拶したんだけど、
先生は挨拶を返してくれないかなって思ってたら、
軽く挨拶が返ってきた。

あんなに強い先生が死んでしまったなんて、
今でも本当に信じられない。

先生の携帯に電話をしてみたら、
現在つかわれておりませんになっていた。

先生が死んでしまったのは去年のことらしい。
事故だったそうだ。

いくらつよくても、
突然にそんなことって起こるんだなって思った。

まだお線香もあげていないし、
本当だとはにわかに信じられずにいるけれど、
ちょっと寂しいという気持ちがあっても、
悲しいという気持ちではない。

うちの愛犬たち、
みんな先生にすごくしごかれたな。
いろいろと考え方が合わない部分もあったけれど、
犬が好きっていうのは同じだと思っている。

先生はよくむかし、
将来は広い土地を買って、
そこで犬の施設をつくるから、
りかちゃんもそこで働きなよっていってた。
わたしが大学でペットロスについて卒論を書いたからだ。
ペットが死んで悲しいという気持ちをわからない人がいるけれど、
先生はそれをわかっていた。

わたしはその後、
グリーフセラピーの本や、
そのままペットロスについての記事や本や、
いろんなところでとりあげられているものを
出来る限りチェックはしてきたけれど、
それを仕事にできるように資格をとったりはしていない。

でも先生は、
むかし口にしていたように、
じゅうぶんな土地を準備して、
自分で訓練場などを作っていた。
ほんとうにすごい人だなって思った。

先生の訃報にふれ、
ネットで話題になっていたりしないかと探してみたけれど、
どこにもそれはみつからなかった。

猟友会の会報誌などで必ず名前がのっていた人
猟犬の訓練で審査員にもなっていたし、
自分の犬や預かった犬を大会に出して、
優勝を何度もしていた人なのに。

なんかそれが、
さびしかった。

先生は気難しい人で、
多くの人や犬から怖がられていたけれど、
わたしは怖くなかったし、
いつもふつうに話していた。