七転八倒の初回オルゴンから・・・ | 幸せを「引き寄せる」健幸メソッド ストレスケアカウンセラー 渡邉善夫のブログ

幸せを「引き寄せる」健幸メソッド ストレスケアカウンセラー 渡邉善夫のブログ

生命の中枢は心臓?・・・いえ脳幹です。
健康も幸せも脳幹のコンディションで決まります。
脳幹部のケアが出来るストレスケアの技術ホメオストレッチを広めるべく、幸せを「引き寄せる」健康メソッドを綴っていきます。

昨日に引き続き

Aさんの体験談であります。


「お試し。まずは3ヶ月から。」

去年の4月初めてオルゴン療法を知った。施術当日は、痛さのあまり転げまわり、文字どおりの「七転八倒」をした。
その日、明らかな奇跡は起こらなかったが、変化があった。体がぷよぷよとした事、つばが出るという事だった。
私は、オルゴンに出会う前に何度か整体や、カイロプラクティックに通ったことがある。施術の後はいつも「悪くはなっていないと思うが、なんだかよくわからない。」という風で、長続きしなかった。

今から5年前、病院で体の不調を訴え、ある治療を受けた。だんだんと頭や体が重くなり、3年前には寝たきりになってしまった。なんとかならないかという気力も余ってない頃、母から連絡があり、オルゴン療法に出会った。それが去年の4月だ。

その日から、毎日2時間かけてオルゴンマッサージを夫がしてくれている。もう1年半も経つ。

第一回の渡辺先生の施術の次の日から、マッサージを始めることとなったが、前日のあまりの痛さに恐怖心を覚え、金属という金属が怖くなってしまった。キッチンの蛇口、ドアの取っ手。スプーン。どれを見ても「あー、まいった。」という気持ちだった。
しかし、やるしかない。最初の1週間は、かするだけでも「ギャー。」っという声を上げていた。足や手に少しずつオルゴンを慣れさせる為、触れているか触れていないかのところから始まった。

つばが出る。最初はティッシュペーパーに、ペッと出していた程度だったが、日ごと日ごとにつばが増え、ティッシュを1日に1箱使うようになった。1ヶ月後には湯のみに吐き、コーヒーカップに吐き、最後にはサラダボールに吐く程につばが止まらなくなってしまった。
これは、何をしても「よくわからない。」という感触だった私には、衝撃だった。

その事を母に告げると、早速渡辺先生に連絡して、次の施術の日をスッと決めてしまった。私は母に怒った。「何で?あんなに痛くって、こんなに怖いのに。もう頑張れないよ。」と涙ながらにこう言った。でも母は「先生にお顔を診てもらうだけでもいいじゃない。ね。こんなに変化があるんだもん、診察だけでもしてもらおうよ。」と、頑張った。「顔を見せるだけだったら。」と私は承諾し、5月の予約を待った。

5月の予約まで毎日、私は「夫に2時間かけてマッサージしてもらっている。」と、母に言った。すると、「すごいわねぇ。ほんとすごいわ。感謝しないとね。」と言う。父は「良くなったら尽くしなさいよ。こんないい旦那さんは他にいないんだから。」と言った。
嬉しそうにそう話す両親に、私は「うん、まあ。」とか「そうだね。」とかみっともなく答える。なんだかいつもみじめだ。好きでこうなってる訳じゃないのに。と心に思うが、口からは絶対に出さない。毎日、2時間だ。やっぱり夫はすごい。

オルゴンを始めてから3週間が過ぎた頃、マッサージの最中、夫に、「ごめんね。」と言った。夫は「は?」と返した。「ううん、こんな毎日仕事終ってさ、マッサージやってくれる人なんて他にいないんだよ、感謝しなさいよ。って親に言われてさ。だからごめん。」
夫は、「そーじゃないんだよなあ。わかってないなぁ。」と、つぶやく様に言う。
「オレはさぁ、ただあの日に帰りたくないんだよなあ。」



“あの日”。あの夜の事、今思い出しても涙が出てくる程つらい日だった。オルゴンに出会う20日程前の3月末だ。もうすぐ桜の花が咲く。
寝たきり生活は1年半を越えて、今年も桜を見ることが出来ないね。なんて話をしていた。「もうどこにも出口がない。」「もう助からない。」「もう人生終ったんだよ。」と次々に私の口から出てきた。
言ってるうちに涙がぼろぼろとこぼれ、「こんなの生き地獄じゃんっ。」と吐くように言った。そして私はこんな話をした。
「ねー。来世ってあると思う?うーん。私はない方がいいけど、もしあるなら。。。あるならさ、ノラ猫になりたい。自由でさ、日なたぼっこができるノラ猫。あれ、いいよね。いつから外に出てなかったっけ私?。私が野良猫だったらさ、ごはん取ってきてくれる?」と鼻をすすりながら言った。
夫は声を出して泣いていた。「わかってるよ。来世もちゃんとご飯とってきてあげるから。」とその言葉を聞いて私は涙が止まらなくなった。

「オレはもう来世なんてなくっていいな。もうつらいよ。」とくやしそうに夫は言った。
「ねえ、私がどれだけつらいかわかる?死にたい程つらいんだよ。」と言うと、
「わっかってるよっ、そんなの見てる俺が一番解ってるよ。1畳のマットレスの上で1年半だよ、トイレとの往復で10メートルの中でしか生きられないなんてありえないよ。まだ30代なのに。体が動けば希望も持てるかもしれないけど、重い体で椅子にたどり着くまでもやっとじゃん、そんなこと信じられないよ。見てるこっちだってつらいよ。もうこんなの嫌だよ。」とおえつした。
「何なんだよっ。何なんだよっ!。神様なんかいねーじゃねーかよっ!。」と夫は自分の枕をボコボコ殴りだした。
「うん、そうだね、嫌われちゃったかな。」と力なく私も答えた。

2人とももう限界だった。そんな気持ちになる人はどれだけいるのだろうか。私達は何パーセントのマイノリティー(少数派)なのか。
2人でひとしきり泣いた後、夫が、「なあ、車椅子買おうよ。もうすぐあったかくなるからさ、車椅子買って外、出よう。」「えー。そんな事できるかなあ。」と言うと、「出来るさ、今はネットで何だって買えるんだから。そんでさ、病院。行こう。」
「えっ。だって。」と言う私を夫はさえぎって「どこへだって連れてく。治るとこ探して、探して。外に出よう。」と誓うように言った。
車椅子。という発想は私には無かった。3秒をも立てないが、足がなくなった訳でもない。しかし同じように歩けないのも事実なのだ。
「そっか、外かあ。」お日様にあたるという想像がこんなにも楽しみに思えるなんて。とてもワクワクした。

“あの日”は、そんなどうしようもなく悲惨で、最後は少しだけ気持ちがなんとかなりそうな日だった。

オルゴンマッサージをしながら振り返る。「オレは“あの日”に帰りたくない。」と夫は言った。その言葉は私にもあてはまる。「そーだね。うちら、すごいところに居たよねー。相当つらかったよね。」1ヶ月前、3月末の“あの日”を人事の様に言う自分がいた。
「だからさ、ごめんとかなしで。」「うーん。じゃあ、ありがとうかな。」
「そんなもんなくていいよ。続けよ。お試し。まずは3ヶ月から。マッサージするよ俺。」
「オルゴン信じる?」と私が言うと、「わかんないけど、3ヶ月経ったらまた考えればいいじゃん。」と答えた。

どうしてオルゴンを始めた数ヶ月、あれだけのつばが出たのか?医学的にどれだけ説明されてもやっぱり理解出来ない。ただ、ただ、不思議だった。
しかし変化があるというのは有り難く、私を少しだけ前向きにさせた。
5月の施術では、やはりオルゴンに挑戦できなかったが、リラクセーション法というのをやってもらい、先生とお話した。やっぱり、「旦那さんすごいですねー。ほう。毎日ですか。」と言われたが、マッサージをしてもらっている私も偉い。とほめて下さった。
2人とも褒められ、私達は顔を見合わせ「エヘへ」とほほえんだ。

それから約1年半、現在。今ではオルゴンマッサージの毎日が1日おきになった。1日はマッサージ。もう1日は約1時間、夜、夫婦2人で散歩に出かけている。外を歩いているのだ。

散歩中、ノラ猫を見つけては、「太ってんなぁ。」とか、「まだまだちびっこだ。」などと話をしながら歩いている。外から見れば、なんてことない夫婦の散歩だ。まさかこの夫婦が「あの日に帰りたくない。」という日があった、とは思いもしないだろう。そしてそれを想像するのは難しいだろう。でも本当だ。誰からも信じられなくとも本当の話だ。

まだまだ先は長いか。それもよくわからないが、とりあえず続けてみよう。今日も夫はよくやってくれている。

2014年10月7日