ピグ充日記〜発達障害のある大人がリア充を目指すページ〜

実はピグはずいぶんご無沙汰。ここは発達障害のある大人がリア充を目指すページに生まれ変わりました!


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前のブログを書いてからもう一ヶ月も立ったのか!という感じです。この分で行くとやろうと思っていることをやり終えない間にすぐ年末がやって来そうです。

 

とりあえずやっておかないといけないことはなんとかこなしているつもりです。昨日は喪中はがきを出しました。役所の手続き書類も記入して直接提出してきました。車の保険の更新手続きもしました。あと、一番大切な仕事探しが待っているのですが、これは人の助けを借りながら現在進行中です。主治医から「また状況を知らせて下さいね」と言葉を頂いたのですが、入るのには難しそうな感じがするのでどうもあまりいい結果をお知らせできそうにない気がします。けれどともかく進めていくつもりです。

 

僕は抗うつ薬とあまり相性がよくありません。もう20年以上精神科にかかっていますが抗うつ薬を飲んでとても効果があった!という経験をしたことがあまりない。これまでで一番お世話になっていたのははるか昔の初診の時に頂いたデパスという抗不安薬です。これは最初は効き目を感じなかったけれどどうしてか30代の後半ぐらいからだったか、突如ものすごく効き目を感じるようになったお薬です。

 

以来、多少心に冷たいことが起こってもデパスがあればなんとか乗り切れるとも思うようになりました。ただ効き目を感じるのが速くて強い分、それが薄れて行くのも速くて、次第に一度に飲む錠数が増えていきます。「耐性」というのでしょうか、そのお薬の効果を感じられる期間がだんだん短くなってくるのでまたそれを求めて飲む期間が短くなり量も増えてくる。それでもしまいには効かなくなって来てしまっていました。

 

それでもうデパスには頼れなくなりました。さて、どうするか。

今年は春からずっと自分にとってこれまでで最もつらく、思い詰めることの多い年になりました。自分の先行き、親の健康のこと・・・いろいろと相談もするのですが決定的な解決策がすぐに出てくるはずもなく気持ちはすごく焦っていました。父親のなくなったときにはともかくやるべきことをしないといけないので気を張っていましたが、一連のことが終わった後、再び焦りの気持ちがこころを覆い始めました。そしてやたら眠る時間が増えた。

 

それで先生に試しに、これまで相性の悪かった抗うつ薬を処方してもらうことにしました。すると飲み始めてしばらくして自分のそれまでの思い詰めた感じがやや緩和されてきているような気がしました。そしてこれまで抗うつ薬を飲んだ時に感じたような嫌な副作用も感じない。

 

睡眠時間はいっそう増えています。もう自分でも驚くくらい寝ている時間が長いのです。けれど先生によれば「もっと寝て下さい」ということなので最低限の用事をする以外は眠っていてもいいということにしました。幸い季節は秋から寒い冬に向かっています。冬眠するにはぴったりな時季です。もし仕事の話が進んだらそうはいかないのかも知れませんが、そうでないのであればこの冬は冬眠の期間と考えてもいいのではないかと思っています。

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ここもせめてひと月に一度くらいは更新したいものです。

 

けれども今はあんまり元気が出てきません。

この春から夏にかけて、父親が調子を崩して入院してなくなるまで。母親が足の骨を折ってやはり入院して出てくるまで。その後、父親に関する一連の儀式やら一応整えるべき物を整えたりやら、決まった手続きごとなどをしている間にエネルギーをだいぶ消耗したみたいです。時期を限られて、まだやるべきことも残っています。なので本来は今こそいっそうがんばらないといけない時期なんですが・・・。

 

人がなくなってからいろいろとしなくちゃいけないことがあるというのは、それによってのこった者が喪失感でつぶされないためだという「説」を何度も聞かされてきた気がします。でも一概にそうとも言えないのではないかなあ。

 

たとえば僕は親族づきあいが苦手です。それは子供の頃からそうでした。大人になってからは本当に不幸が出来たときぐらいしか出会うことはなくなった。その不幸が今回うちでおこりました。なので苦手なコミュニケーションの力を無理矢理出してがんばらなくてはいけなかった。「ふつうの人」のがんばりとはまた違うがんばり方をしていたように思います。今は生活のリズムが大きく狂っていて体調もわるいです。

 

今回は弟のようなほんとうの身内が支援をしてくれたからなんとか乗り切れた。これがもしすべてひとりで乗り越えなくてはいけないことだったら、「儀式はのこされた者のためにある」というようなのんきなことは言っていられなかったのではないかと思います。

 

だいたい発達障害も、僕の場合はそのスペクトラムの濃さがやや中途半端な位置にあるようだと思っています。なので浅い付き合いであれば「ふつうの人」に見えるのに対して、日常的に関わりだしてみると「なんだかおかしな人」となり、自分でも孤立感に苛まれるようになります。それは幼い頃からの自己肯定感の低さともつながってきました。

 

この障害の「中途半端さ」は、障害されている部分が広くて誰にもそうとわかるのと、実は同じ程度にしんどい話ではないかと思うようになりました。そして、むしろ社会的な制度を使ってでも自分に障害があることを証明できる手段をもっておくことがより必要なのかもと思うことがあります。それは障害者手帳をもつとか、可能であれば年金を受けられるようにするなどです。

 

もちろん選択の自由というものはあります。けれど社会的証明がないとどうにも生きづらい、やりにくいという場合もあると思います。障害者枠で働くにしてもその賃金は現状たいてい低い。できれば上乗せがあれば助かります。支援についても、スペクトラムの度合いが低いと何につけ後回しになりそうな感じがしてきました。けれどいったん診断を受けて社会生活に支障をきたしているのなら、あまり支援について「遠慮」してはいけない。

 

むしろ積極的に仕事も紹介してほしい。日常できることをいっしょに考えてほしい。相談のための相談にならないようにしてほしい。障害の度合いというのには狭い意味と広い意味とがあると思います。狭い意味でいえば「スペクトラムの濃さ」ということがあります。けれど広い意味では生活上の障害ということがあります。スペクトラムの度合いが濃くても積極的に外に出て行けて自己肯定感が強い人もあれば、度合いが薄くてもひきこもりがちになる人間もいます。僕は後者です。こうなると仕事ひとつ探すのでも自分一人ではなかなか難しいことになります。

 

要するに広い意味での障害の度合いというものは、スペクトラムの濃度とは関係がないということです。

・・・と、ここまで書くのにすごく時間を使ってしまいました。

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父を亡くしました。

 

まあ、もう年齢的にはそういうことになっても決しておかしくはなかったのです。けれど家から独立して過ごした経験がほとんどなかった自分にとっては、父と過ごしていた時間が長かった分、まだ自分が十分若いのに不意にその存在を亡くしたというのに近い感覚があります。

 

父の病状が悪くなっていってからは文章を書くこともなくなっていました。しかし「言語性優位」の自分としては?書き記すことが自分の存在を確かめる手段ともなってきたので、今はあんまり書く気力も起こってはこないけれども、ここで「ウォーミングアップ」的に、何の考えもなく書いてみてもいいかもしれないと思いながらこれを記しています。

 

振り返ればこの20年近く、いろいろなものを失ってきました。精神の関連で繋がっていた人たちの存在、社会に対していこうという気概、そして自分の若さ。

 

どうして繋がっていた人たちとのそれを切ってしまったのか。別に自分が仕事上での利益がなくなったからとか、発達障害だとわかったからだとかではありません。それまでの友達としての繋がりが、仕事としてそれに関わり出したことで変質し出して、むしろ変えていかざるを得なくなって、そのようにしていたらいつの間にか僕が自分から離れていったと捉える人が出てきた。

 

嫉妬も受けた。暴力もあった。人をかばうのにエネルギーを使うこともあった。ともかく精神で繋がってた人たちとのそれを切らなければ、大げさかもしれないけれど自分に身の危険を感じることもあったのです。そしてそれまでの気概を失った。自分を守ることだけを考えるようになり、仕事を辞め、全く違う場所へと移って違うことをして生きていく。自分がそこから離れて会わないようにすることでその人たちの心にも安定してもらう。それが大切かなと考えたのです。

 

それからはただ怯えて暮らすだけの時間を過ごすことが多くなりました。そして必然的に、その背景を知らない人からは批判されるようにもなった。まあ、表面上はちょっと仕事をして利益を得たのにすぐに辞めてしまった無責任な人、ですからね。色々と不満をためられたのも無理はなかったろうと思うけれども、自分としては逆にいろんな利益を捨てて周囲の人の気持ちの安定を考えたのに、なんだか不当な気持ちが今もあるのは確かです。けれどもそれを上回って人というものが怖くなりました。

 

もともとが人の気持ちを読むということが苦手なものだから、表面とは全く違うことを思っている場合が人にはあるのだということが形としてはっきりとわかったこの20年近くでもありました。

 

人生の中で中核的なこの時期を、人との繋がりを失くしながら、なすべきことを見失いながら過ごしてしまったことを、今は残念に感じています。

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ここのところずっと追いつめられた気分でいます。追いつめられた時にはそれに対処するということを前に書いていました。そして自分の場合、それは文章を書く、それもネット上に公開してということも書きました。

 

けれどその事実を書くこと自体がつらい、しんどいということもあります。

 

じゃあ、ちょっとそんな事実より「マシ」な、それでもつらいことを書いてみることにします。

この春から人から気になる言葉を受けることが何度かありました。それは平日の昼間に外に出ていると

 

「今日はお休みですか?」とか、もうそのままストレートに「あれ、平日の昼間なのにいらっしゃる?」とか言われたのです。

 

あかんのか!平日の昼間に成人男性が仕事場以外の場所にいたら!

 

確かにお金になるようなことはしていません。でもそれがなんだというのでしょうか。相手に迷惑をかけることになるのか。そんなことはまったくありません。どちらも体調不安定な父親のそばにいただけです。生産的ではないかも知れないけれど、健康不安のある親のそばでその様子や行動に注意もしている状態なわけです。それがさも不思議そうに言われる。

 

たとえば今、父親が身体的に大きな不具合を負っていて車いすで行動しているとします。そしてそれを介助しないとなかなかやりたいことができないということが周囲にもよくわかるような場合なら、

 

「ああ、この人は親の介助のために仕方なく仕事を休んでそれに付き添っているんだな」

 

と、理解される可能性はある。でも見かけ上親の行動に不具合はなさそうだ。話すこともできる。なのになんで昼間から息子がそばにいるんだ・・・とそんなところなのでしょう。

 

これは精神障害者や発達障害者のおかれている状況とも似ている気がします。

見かけ上は不具合はないように思える。じゃあ、働いていて当たり前だろう!と言いたいわけです。

 

これを僕らは小さな頃からやられてきたわけです。今のように療育が発達してきている時代では到底ありませんでした。周りと違う行動をとると怒られたり奇異な目で見られる、なじられる、軽蔑される、いじめられる、そんな時代でした。僕がPDD-NOSという診断名をもらったのはようやく40も半ばになってからのことでした。もうその時点で相当くたびれていたのです。からだもこころも。

 

ゴムのひもは伸びきっていた。

 

小さな頃から「どうしてこんなに悲しいのだろう」「どうしてこんなに後悔するんだろう」「どうして人から軽蔑されるんだろう」「どうして人と同じ力が発揮できないんだろう」

どうして、どうして・・・を繰り返して来て、

 

大人になっても普通に職につけない。やっと(!)精神障害者という名称を与えられて、それをフォローするための試し仕事みたいないものに就いたり、けれども継続的なフォローというものはなく、あとは医者任せだったりしたので、満足な職業生活というものを送れた時期はこれまで本当に短い期間しかありませんでした。なんで若い頃の一時期だけフォローして、あとはその人間を放ってしまうんでしょうね、行政は。

 

家に金があり、一般の事業所へなど行く必要もなく、それでもぶつくさいつも言って来る人間はずっと相手をするのに、フォローから外されても文句を言わずになんとか自分の道を探り探りやってきた人間は相手にされず忘れ去られる。

「あの人ならあの人にふさわしいところに行けるでしょう」

と放られる。

 

決してそんなことはないんです。たどり着くところすべて、福利厚生などもなく賃金も低く、将来の保証もないような場所でなんとかその場しのぎに生きて来た。そうして年齢を重ねてから、どうしてそうなのかという本当の原因がわかる。けれどもその時にはもう自分のこころのゴムは伸びきっているのです。生きることに疲れている。

 

そして親は高齢になってきます。からだのあちこちに不具合が出て来る。病院にも付き添わないといけない。診療所に連れて行かないといけない。時に入院する必要も出て来たりする。ただでさえ疲れやすいのに、からだも気持ちも疲れることが多くなり、しかもその内容は深刻になってくる。

 

自分の先行きも心配だけれど、ともかくも目の前の親の健康にも気を配らないといけなくなる。年齢的に障害に配慮のあるような事業所を見つけることもむつかしくなっている。じゃあ、家にいて自分を休ませておくことと、親のからだに気を遣うことぐらいしか、もう一人では考える限界になるのは、ふつうではないか。

 

それを子供の頃からのうのう、のほほん、まっすぐに生きてきて、経済で困ることもなくいい環境を与えられ、友達にも恵まれ、気持ちよく学校生活を過ごし、本人が思っているところのまともな職業生活を送っているらしい人間から、なんで「平日なのに・・・」などと説教調に指摘されないといけないのか。

 

俺とからだとこころを入れ替えてみよ、などと傲慢なことは言うつもりはありません。でも人はそれぞれだと思うのです。様々な背景が人にはあって、でも、お金や仕事というキーワードはそんなことを吹き飛ばす威力をもっているようです。「平日には仕事場にいなければいけない」という制度を、人は今大切に思っているわけですね。そうしないと生活ができない、家族を支えられない、将来が保証されない・・・

 

できればそんな風潮にのってみたい。そう思うくらいです。けれどそれができないゴムの伸びきった人間は、平日の昼間、家にこもってしまうか、いっとき犬の散歩をするか、親の様子をみているか、「ぐらい」しかできないのです。そしてそれは小さな頃から周りの風潮になじめなかっった自分をずっとこれまで引きずって来た結果なのです。小さな頃から疲れてきた果てに、やっていることなのです。

 

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なんと、まだ前の記事からひと月もたっていないのにブログを書いています。
 
いやな夢をしばしば見ます。だいたい夢を見ない日というのがない。夢を見ない人っているのかなと思うくらいです。一番良く見る夢は、学生時代、なかでも大学生の頃のことに関わっています。
 
僕は大学を中退(正確には学費を支払わなかったために除籍処分)しています。その後、なんとか大卒の資格だけでもとっておきたいと放送大学なんかに籍を置き直したりしましたが、自分一人では勉強が続きませんでした。今はそこも辞めてまた単位を残したまま大学は卒業できないままです。
 
僕の夢のパターンは、周りの人たちは皆順調に人生を歩んでいるのに、自分だけひとつ所にとどまってちっとも前に進めないというものです。今日見た夢もそうでした。なにか学園祭みたいなことをしている。自分はそこに参加できない。他の人はそれぞれ紆余曲折ありながらもがんばっている、そんな感じの夢でした。
 
実際の人生がそんな感じになってきました。まず大学で挫折をした(内面的なことで言えばもっと早くから挫折は経験していましたが。)。他の人はその後どうしているかわかりませんが、おそらく就職し、結婚し、家族をもち、と「前進」したことでしょう。
 
その間、僕はと言えば精神科の症状だからと保健所にお世話になり、精神科にかかり、試しの仕事でしばらくパートをしたりまたひっこんで作業所へ行ったり。そこで人間関係に大きくつまずいて萎縮することがますます多くなり、それまでの人間関係にはなるべく触れないようにしながら(それは相手の方々への自分なりの配慮でもあったのですが。)また新たな作業所へ行ったり。40代からようやく、障害者枠ではあったけれどもきちんと福利厚生もつく「勤め人」の経験もしましたが、そこもやがてしんどくなり・・・と、どうも、自分でも何を目的にして生きているのかわからない人生になっています。
 
それで調子の悪いときには、今は目に見えることのない他の人と自分の人生とを比べて落ち込んだり焦ったりする。実際、目に見える人もあります。この間、テレビを見ていたら大学時代にいっしょだった人が番組の講師役のようなかたちで出演していました。経歴を見たらそれはもう「そうそうたる」感じで。
 
自分が保健所や病院や作業所やパートなどの間をうろうろしている間に、かって知っていた人は自分のやりたいことで成功してテレビに出て社会的地位も固めている・・・
比べてしまうとなんとも情けない気分になってきます。
 
僕は精神的にも対人過緊張とか抑うつとか社会不安障害とかいろいろ病名をつけられたけれど、まだ発達障害の診断がつく以前は「精神的症状としては軽い」のに「自分は怠け者かも知れない」と思っていました。実際、あんまり仕事に根を詰めることは体力のなさなどから無理な場面も多いようですが。
 
対して、思春期に精神的症状を発症した方たちと長い間おつきあいをしてきて感じたのは、その方たちがその症状によって持っておられる能力を人生の途中で突然大きく削がれている、変な言い方ですが、そういう印象をもっていました。
 
それで自分なりに今感じていることは、生まれながらの障害である発達障害者と、思春期以降に発症をして障害者となる精神障害者とでは、同じ精神障害者の中にはいるけれども「人生のグラフ」が異なるんじゃないかと。
 
なんだその「人生のグラフ」というのは、と言われると、これは自分が考えだしたものなので本当にそうなのかまったく違うのかもわかりませんが、自分が得てきたせまい範囲の中での印象では、精神障害をもつ方たちは発症以前はグラフの線が割合順調に伸びる人生を過ごされてきた。対して発達障害をもつ場合にはグラフの線はその出発点からの伸び具合があまりよろしくない。
 
これはテストの点数だとか学校の成績だとかに限らず、生きることの質と言い換えてもいいのかもわかりませんが、とにかくそれの点数が、精神障害者なら発症の時点まではぐっと伸びて行く方が割合多いのに対して、発達障害者のそれは最初からそんなに伸びない。あるいは人生の質と関係のない一部の能力だけがぐんと伸びたりしている。
 
そういう印象を受けるのです。なので僕はこれまで精神の作業所なんかでは、発症前の学校や職場のこと、その時に自分がいかに活躍できていたかを懐かしそうに話す人を見てもきました。言って見れば山の途中までは順調にあがってきたのにそこから不意に突き落とされたような感想を持つ人がいました。これは人生の半ばの事故や病気で身体障害を負った方々とも似ています。
 
ところが発達障害者の場合はその山を登る途中ですでに苦しんでいる。少なくとも僕はそうでした。小さな頃から「大きくなったら何になりたい?」と尋ねられても、まず、「今のしんどさ」をどうにかしてほしいと無意識のうちに思っていました。この、人の中にいる時の息苦しさをなんとかしてほしい。大勢の人と一緒にご飯が食べれない、これをなんとかしてほしい。遠足も運動会も楽しくない。むしろ家で一人でいたい。なぜみんなはあれが楽しいと思えるのだろう。
 
子供の時から人の中にいることがしんどくてたまりませんでした。「人生の山」を登るのに、ふつうなら周りの景色も楽しみながら、時に一息つきながら、自分なりの「頂上」を見つめて登って行くのに、僕には周りの景色を見るゆとりなどなかったし、いわんや自分なりの「頂上」などどこにあるのやら検討もつきませんでした。だから子供の頃の夢は何だった?と尋ねられても、「なかった」と答えるしかありません。
 
今も、「ただこの今を生き延びて行く」ことが大きな目的で、あまり周りを見渡して息抜きをするというこころのゆとりがありません。
 
人生のグラフ。それは生きていることを楽しめる、実感できる度合いのグラフと言い換えてもいいのかも知れません。
発達障害者といってもいろんなタイプがあります。ただ、僕の場合は小さな頃から周りにおびえて、なんとか安心できる場所はないか、時間はないかとおろおろしながら生きてきました。最低限の生活の糧を得るために、不得意なことも仕事にしたりしてきました。でもまだどこへ向かえば自分の納得できる「頂上」へ登れるのかがわからない。あるいはそんなものがあるのかどうかさえわからない。いわば最初から山を登れてはいず、山麓あたりをうろうろしているだけなのかも知れない。
 
それならそれで、今からでも「自分なりの山登り」ができないかと思うわけです。それは苦しみながらのそれではなくて、楽しみながらか、ふつうのそれです。もう学生時代の皆が登って行った山を、僕は登ることはできない。たぶん僕が悪夢に悩まされるのはそのためです。もう登れない山に未練たらたらなのです。
 
もう山麓をうろうろしているだけで僕は疲れた。もうがんばれはしません。がんばれなくても生きることを楽しめたらいいのに。周りはがんばらない自分を責めるけれど、それは無視するしかないとして、ひとりの人間として、がんばらなくても自分の人生を生きたと言える道が見つかればいいのに。
 
 
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