ピグ充日記〜発達障害のある大人がリア充を目指すページ〜

実はピグはずいぶんご無沙汰。ここは発達障害のある大人がリア充を目指すページに生まれ変わりました!


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ここのところずっと追いつめられた気分でいます。追いつめられた時にはそれに対処するということを前に書いていました。そして自分の場合、それは文章を書く、それもネット上に公開してということも書きました。

 

けれどその事実を書くこと自体がつらい、しんどいということもあります。

 

じゃあ、ちょっとそんな事実より「マシ」な、それでもつらいことを書いてみることにします。

この春から人から気になる言葉を受けることが何度かありました。それは平日の昼間に外に出ていると

 

「今日はお休みですか?」とか、もうそのままストレートに「あれ、平日の昼間なのにいらっしゃる?」とか言われたのです。

 

あかんのか!平日の昼間に成人男性が仕事場以外の場所にいたら!

 

確かにお金になるようなことはしていません。でもそれがなんだというのでしょうか。相手に迷惑をかけることになるのか。そんなことはまったくありません。どちらも体調不安定な父親のそばにいただけです。生産的ではないかも知れないけれど、健康不安のある親のそばでその様子や行動に注意もしている状態なわけです。それがさも不思議そうに言われる。

 

たとえば今、父親が身体的に大きな不具合を負っていて車いすで行動しているとします。そしてそれを介助しないとなかなかやりたいことができないということが周囲にもよくわかるような場合なら、

 

「ああ、この人は親の介助のために仕方なく仕事を休んでそれに付き添っているんだな」

 

と、理解される可能性はある。でも見かけ上親の行動に不具合はなさそうだ。話すこともできる。なのになんで昼間から息子がそばにいるんだ・・・とそんなところなのでしょう。

 

これは精神障害者や発達障害者のおかれている状況とも似ている気がします。

見かけ上は不具合はないように思える。じゃあ、働いていて当たり前だろう!と言いたいわけです。

 

これを僕らは小さな頃からやられてきたわけです。今のように療育が発達してきている時代では到底ありませんでした。周りと違う行動をとると怒られたり奇異な目で見られる、なじられる、軽蔑される、いじめられる、そんな時代でした。僕がPDD-NOSという診断名をもらったのはようやく40も半ばになってからのことでした。もうその時点で相当くたびれていたのです。からだもこころも。

 

ゴムのひもは伸びきっていた。

 

小さな頃から「どうしてこんなに悲しいのだろう」「どうしてこんなに後悔するんだろう」「どうして人から軽蔑されるんだろう」「どうして人と同じ力が発揮できないんだろう」

どうして、どうして・・・を繰り返して来て、

 

大人になっても普通に職につけない。やっと(!)精神障害者という名称を与えられて、それをフォローするための試し仕事みたいないものに就いたり、けれども継続的なフォローというものはなく、あとは医者任せだったりしたので、満足な職業生活というものを送れた時期はこれまで本当に短い期間しかありませんでした。なんで若い頃の一時期だけフォローして、あとはその人間を放ってしまうんでしょうね、行政は。

 

家に金があり、一般の事業所へなど行く必要もなく、それでもぶつくさいつも言って来る人間はずっと相手をするのに、フォローから外されても文句を言わずになんとか自分の道を探り探りやってきた人間は相手にされず忘れ去られる。

「あの人ならあの人にふさわしいところに行けるでしょう」

と放られる。

 

決してそんなことはないんです。たどり着くところすべて、福利厚生などもなく賃金も低く、将来の保証もないような場所でなんとかその場しのぎに生きて来た。そうして年齢を重ねてから、どうしてそうなのかという本当の原因がわかる。けれどもその時にはもう自分のこころのゴムは伸びきっているのです。生きることに疲れている。

 

そして親は高齢になってきます。からだのあちこちに不具合が出て来る。病院にも付き添わないといけない。診療所に連れて行かないといけない。時に入院する必要も出て来たりする。ただでさえ疲れやすいのに、からだも気持ちも疲れることが多くなり、しかもその内容は深刻になってくる。

 

自分の先行きも心配だけれど、ともかくも目の前の親の健康にも気を配らないといけなくなる。年齢的に障害に配慮のあるような事業所を見つけることもむつかしくなっている。じゃあ、家にいて自分を休ませておくことと、親のからだに気を遣うことぐらいしか、もう一人では考える限界になるのは、ふつうではないか。

 

それを子供の頃からのうのう、のほほん、まっすぐに生きてきて、経済で困ることもなくいい環境を与えられ、友達にも恵まれ、気持ちよく学校生活を過ごし、本人が思っているところのまともな職業生活を送っているらしい人間から、なんで「平日なのに・・・」などと説教調に指摘されないといけないのか。

 

俺とからだとこころを入れ替えてみよ、などと傲慢なことは言うつもりはありません。でも人はそれぞれだと思うのです。様々な背景が人にはあって、でも、お金や仕事というキーワードはそんなことを吹き飛ばす威力をもっているようです。「平日には仕事場にいなければいけない」という制度を、人は今大切に思っているわけですね。そうしないと生活ができない、家族を支えられない、将来が保証されない・・・

 

できればそんな風潮にのってみたい。そう思うくらいです。けれどそれができないゴムの伸びきった人間は、平日の昼間、家にこもってしまうか、いっとき犬の散歩をするか、親の様子をみているか、「ぐらい」しかできないのです。そしてそれは小さな頃から周りの風潮になじめなかっった自分をずっとこれまで引きずって来た結果なのです。小さな頃から疲れてきた果てに、やっていることなのです。

 

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なんと、まだ前の記事からひと月もたっていないのにブログを書いています。
 
いやな夢をしばしば見ます。だいたい夢を見ない日というのがない。夢を見ない人っているのかなと思うくらいです。一番良く見る夢は、学生時代、なかでも大学生の頃のことに関わっています。
 
僕は大学を中退(正確には学費を支払わなかったために除籍処分)しています。その後、なんとか大卒の資格だけでもとっておきたいと放送大学なんかに籍を置き直したりしましたが、自分一人では勉強が続きませんでした。今はそこも辞めてまた単位を残したまま大学は卒業できないままです。
 
僕の夢のパターンは、周りの人たちは皆順調に人生を歩んでいるのに、自分だけひとつ所にとどまってちっとも前に進めないというものです。今日見た夢もそうでした。なにか学園祭みたいなことをしている。自分はそこに参加できない。他の人はそれぞれ紆余曲折ありながらもがんばっている、そんな感じの夢でした。
 
実際の人生がそんな感じになってきました。まず大学で挫折をした(内面的なことで言えばもっと早くから挫折は経験していましたが。)。他の人はその後どうしているかわかりませんが、おそらく就職し、結婚し、家族をもち、と「前進」したことでしょう。
 
その間、僕はと言えば精神科の症状だからと保健所にお世話になり、精神科にかかり、試しの仕事でしばらくパートをしたりまたひっこんで作業所へ行ったり。そこで人間関係に大きくつまずいて萎縮することがますます多くなり、それまでの人間関係にはなるべく触れないようにしながら(それは相手の方々への自分なりの配慮でもあったのですが。)また新たな作業所へ行ったり。40代からようやく、障害者枠ではあったけれどもきちんと福利厚生もつく「勤め人」の経験もしましたが、そこもやがてしんどくなり・・・と、どうも、自分でも何を目的にして生きているのかわからない人生になっています。
 
それで調子の悪いときには、今は目に見えることのない他の人と自分の人生とを比べて落ち込んだり焦ったりする。実際、目に見える人もあります。この間、テレビを見ていたら大学時代にいっしょだった人が番組の講師役のようなかたちで出演していました。経歴を見たらそれはもう「そうそうたる」感じで。
 
自分が保健所や病院や作業所やパートなどの間をうろうろしている間に、かって知っていた人は自分のやりたいことで成功してテレビに出て社会的地位も固めている・・・
比べてしまうとなんとも情けない気分になってきます。
 
僕は精神的にも対人過緊張とか抑うつとか社会不安障害とかいろいろ病名をつけられたけれど、まだ発達障害の診断がつく以前は「精神的症状としては軽い」のに「自分は怠け者かも知れない」と思っていました。実際、あんまり仕事に根を詰めることは体力のなさなどから無理な場面も多いようですが。
 
対して、思春期に精神的症状を発症した方たちと長い間おつきあいをしてきて感じたのは、その方たちがその症状によって持っておられる能力を人生の途中で突然大きく削がれている、変な言い方ですが、そういう印象をもっていました。
 
それで自分なりに今感じていることは、生まれながらの障害である発達障害者と、思春期以降に発症をして障害者となる精神障害者とでは、同じ精神障害者の中にはいるけれども「人生のグラフ」が異なるんじゃないかと。
 
なんだその「人生のグラフ」というのは、と言われると、これは自分が考えだしたものなので本当にそうなのかまったく違うのかもわかりませんが、自分が得てきたせまい範囲の中での印象では、精神障害をもつ方たちは発症以前はグラフの線が割合順調に伸びる人生を過ごされてきた。対して発達障害をもつ場合にはグラフの線はその出発点からの伸び具合があまりよろしくない。
 
これはテストの点数だとか学校の成績だとかに限らず、生きることの質と言い換えてもいいのかもわかりませんが、とにかくそれの点数が、精神障害者なら発症の時点まではぐっと伸びて行く方が割合多いのに対して、発達障害者のそれは最初からそんなに伸びない。あるいは人生の質と関係のない一部の能力だけがぐんと伸びたりしている。
 
そういう印象を受けるのです。なので僕はこれまで精神の作業所なんかでは、発症前の学校や職場のこと、その時に自分がいかに活躍できていたかを懐かしそうに話す人を見てもきました。言って見れば山の途中までは順調にあがってきたのにそこから不意に突き落とされたような感想を持つ人がいました。これは人生の半ばの事故や病気で身体障害を負った方々とも似ています。
 
ところが発達障害者の場合はその山を登る途中ですでに苦しんでいる。少なくとも僕はそうでした。小さな頃から「大きくなったら何になりたい?」と尋ねられても、まず、「今のしんどさ」をどうにかしてほしいと無意識のうちに思っていました。この、人の中にいる時の息苦しさをなんとかしてほしい。大勢の人と一緒にご飯が食べれない、これをなんとかしてほしい。遠足も運動会も楽しくない。むしろ家で一人でいたい。なぜみんなはあれが楽しいと思えるのだろう。
 
子供の時から人の中にいることがしんどくてたまりませんでした。「人生の山」を登るのに、ふつうなら周りの景色も楽しみながら、時に一息つきながら、自分なりの「頂上」を見つめて登って行くのに、僕には周りの景色を見るゆとりなどなかったし、いわんや自分なりの「頂上」などどこにあるのやら検討もつきませんでした。だから子供の頃の夢は何だった?と尋ねられても、「なかった」と答えるしかありません。
 
今も、「ただこの今を生き延びて行く」ことが大きな目的で、あまり周りを見渡して息抜きをするというこころのゆとりがありません。
 
人生のグラフ。それは生きていることを楽しめる、実感できる度合いのグラフと言い換えてもいいのかも知れません。
発達障害者といってもいろんなタイプがあります。ただ、僕の場合は小さな頃から周りにおびえて、なんとか安心できる場所はないか、時間はないかとおろおろしながら生きてきました。最低限の生活の糧を得るために、不得意なことも仕事にしたりしてきました。でもまだどこへ向かえば自分の納得できる「頂上」へ登れるのかがわからない。あるいはそんなものがあるのかどうかさえわからない。いわば最初から山を登れてはいず、山麓あたりをうろうろしているだけなのかも知れない。
 
それならそれで、今からでも「自分なりの山登り」ができないかと思うわけです。それは苦しみながらのそれではなくて、楽しみながらか、ふつうのそれです。もう学生時代の皆が登って行った山を、僕は登ることはできない。たぶん僕が悪夢に悩まされるのはそのためです。もう登れない山に未練たらたらなのです。
 
もう山麓をうろうろしているだけで僕は疲れた。もうがんばれはしません。がんばれなくても生きることを楽しめたらいいのに。周りはがんばらない自分を責めるけれど、それは無視するしかないとして、ひとりの人間として、がんばらなくても自分の人生を生きたと言える道が見つかればいいのに。
 
 
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このブログ、半年毎の更新になっていると前に書きましたが、ほんとうにそうなってしまっています。

 

今回、特に書こうと意気込んでいることはないのです。ただ、ひとつだけ思ったのは、今は調子があんまりよくないなあということで、では、それを根本的に解決するにはどうしたらいいんだろうか?ということで、その答えは「ない」ということでした。

 

まず、障害があるという事実があります。これは生まれつきのものなのでどうしようもない。そして、それが元で小さな頃からしんどかった、大人になってからもそれは続いて生活上の支障になってきたということも、どうしようもないことでした。

 

タイムマシーンでも出来て、今の療育や、スクールカウンセラーが各校に配置されているような状態で自分が幼い頃に戻れたとしたら、同じ大人になって行くのでもまた違った過程、もっといい人生が待っているのかも知れないけれど、

 

ざんねんながらタイムマシーンはまだ発明されていませんし、たぶん発明されることはないでしょう。人生は不可逆的なものです。前の主治医は話していました。「人生でいちばん残酷な事は時間をさかのぼれないということです」って。

 

そして自分はもう親にはあまり頼れず、逆にその介護や医療についての心配をしないといけない世代になった。助けてもらえるとすれば各種の社会制度や相談機関ですが、そこと毎日つながっているわけではない。毎日だれかと小さな悩みも相談しつつ生きているわけではない。

 

そうするとふとした時にしんどく感じる。生きていることが

今はちゃんと食べれているし、暖かい部屋で過ごせているし、布団で眠れてもいる。表面だけ見れば何をぜいたくなという話です。けれどもそれは薄い板一枚の上に乗った世界で、その板がもしこわれたら、それが海の上なら一気に沈んでしまうような、そんな世界のようにも思われるのです。

 

話を戻して。

ともかく今も不安だしこれからがもっと不安だ。気分がわるくなってきた。寝ても覚めてもその現実は目の前から消えない。自分は一体どうすればいいんだ。となってきて気持ちが騒いで仕方がないとする。実際よくそうなるのです。

 

まず考えられるのはお薬を飲むこと、からだと頭に休息を与えること。(あくまで一人でできること、を考えます。)それから、「これがあると自分は落ち着けるんだ」というものを持っている人ならそれをすること、が挙げられると思います。(それがかえって後で不安を増すようなことであればおすすめはできませんけど。たとえば衝動的な大きな買い物など。お金がたっぷりとあれば別かも知れませんが。)

 

からだを動かすことがいいという場合もあると思います。けれど自分のように人の目が気になって外に出づらいというような人間にはちょっと歩きに出るのさえつらいということがあります。

 

人と話す・・・これはいい方法かも知れません。特に相手が自分に理解がある人ならなおさら。けれど今はさっきも書きましたが自分ひとりでなんとかする方法を考えています。

 

Moyatter命の電話にかけるというのはありかも知れません。これは匿名の相手に電話をかけて話を聞いてもらうというやり方なので、特定の人の時間を奪うことにはならないし、それをボランティアで行っている団体でもあります。

 

ただ、それだけに話を最初からしないといけなかったり、相談する人の受け止め方や相性というものもあったりしそうで、かえって不安や不満が増すということにならないとも限らないことは覚悟しておく必要があります。

 

報われる仕事があるならそれをする、というのも大切なことだと思います。僕ら発達障害者は、どちらかといえばこの社会から阻害されて生きてきました。定型の人ならなんとかこなしている人との良好な関係というものを持ちにくいまま生きてきました。

 

ならばせめて、仕事をして人から感謝されるという環境をつくれるのならつくることは、自分を守るためにはいい方法かも知れません。たとえば、直接的にはボランティアという方法もあります。

 

各地に社会福祉協議会という存在があります。ここに問い合わせるとボランティア活動の紹介をしてくれることが想像されます。あるいはまた、自分に障害があってうまく人と関われないということも話しやすいのもこういった機関の特徴です。もう名前に「福祉」が入っているわけなので。

 

ボランティア活動のいいところは、多少失敗しても怒られたりしません。これは非常に大事なことです。僕ら発達障害者は、無理をして仕事についても必ずよく失敗をして怒られてきました。そしてその度、自尊心を奪われてきました。自分にこの社会で生きている価値はないと思わされてきました。

 

今感じている不安、不穏な感じは今だけのものなのでしょうか。僕はそれは違うと思います。これまで何十年も生きてきて、この社会の中で自尊感情をさんざん奪われてきた結果が、今感じている不安とつながっている。それはまったく小さな、とるに足らないものではないのです。ちょっとやそっとじゃ取り除けない、大きな岩のようなものです。

 

もう一度元に戻って、今感じている不安や不穏な感情を根本的に解消する方法はないと書きました。対処的なことしかないことも書きました。この対処的なことはとても大事なことです。自分で「これをすると一時的にでも不安がしのげる」という方法を見つけること。

 

自分の場合はこうして文章を書く事がそれにあたります。「今、不安だ」と書く。こうして具体的にブログで(公開して差し支えない範囲で、ですが。)書くということが自分の不安解消の時間になります。公開してまずい範囲のことであればノートに書き付けるということもできます。けれど僕はこうして公開されているブログやネット上で「今困っている」と書くことは有効な手段のように思われるのです。

 

発達障害の診断を受けた時に、「動作性」とか「言語性」とかいう文言を聞かされました。僕の場合は「言語性」が優れていて動作性が劣っています。なのでおそらく、頭の中が整理されづらい時になにか言葉を吐き出すことが、自分にとってはいいのかも知れません。あくまで対処的なことですが、なにもなくうんうん苦しむよりかはマシです。

 

言語性が優れている人は「不安」を形に、言葉にしてみることは重要な対処的手段ではないでしょうか。逆に動作性が優れている人は、それこそ運動をしてみるとか体を動かして注意を不安からそらすという手段が有効なのかも知れません。

 

同じ不安を一時的にでも解消させるのに、発達障害のタイプによってそのやり方は異なるということは想像できます。いずれにしても、ふと不安に襲われたときにさえ、それへの対処の仕方は障害のタイプによって分かれそうだなということを思うのです。

 

そして根本的な解決はないこと。でも、一時的な対処の仕方は考えられること。次に傷ついた自尊感情を少しでも取り戻す方法があるかも知れないこと。こうしたことは頭においておいてもいいかも知れないと思うのです。

 

 

 

 

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このブログ、ほぼ半年に一度の更新と成り果てています。

さて本題。
タイトルの通りなんですですが、発達障害者は一般的に他の人とのつながりを保ちづらいという面があるようです。いや、多分そうでもない人もたくさんいるのかも知れませんが、自分自身に限って言うと人とはつながりを保ちづらいし、小さな頃からそれはそうでした。人のたくさんいる中、例えば学校や親族の集まりやらに入ると緊張してしまって居づらくなる。苦しくなることがよくありました。これが少しでも近づいてきてくれる人があればかなりマシになるんですけど、自分の場合、そういうことはあまりありませんでした。

学校という集団も気持ち悪かったし、毎日が緊張の連続で、他の人が遠足や運動会が楽しみだと思っているのは「きっと学校におべんちゃらを言っているんだろう」と本気で思っていました。でもあれ、結構楽しみに思っている人っていたんでしょうね。今でもそれが信じられないんですが、僕には。
小さな頃はまだマシです。周りは「まだ小さいんだから」と気遣ってくれる場面も多いし、友達といったって幼いそれですからあんまり複雑な関係も生まれない。遊びの一員になっていればそれでいい。

ただそれも、小学校の高学年以降になってくるとまた事情が違ってきました。関係性がちょっと複雑になり、また、「男女」という難しい関係をクリアしていく必要も出てくる。そういうのが全然ダメでしたね。何か自分だけ、小学校中学年あたりまでで心の成長が止まっている感じ。でも周囲が変わっていっているなという雰囲気は良く感じるんですね。周りはだんだんと「大人」になっていく。しかし自分は変わらないでいる。そういうことを感じる。しかし当時はそんなに冷静に自分のことを見れるわけではありませんでしたから緊張したり焦ったりするばかりでした。あと、後悔の気持ちも良く持ちました。それはちょっとしたことで人との行き違いがあったり、あるいは自分が周りの動きについていけていないと感じた時、「なんで自分はこんななんだろう?もうだめだ。もう全部遅い」というような。そういう後悔の気持ち。そしてとてつもなく悲しい感情が襲ってくる。

小学校高学年ですでにそんな感じでいるわけなので、これが人との関係性がより大人に近くなる中学生以降ともなれば、もはや人と適度に付き合うということがどういうことなのか、場の雰囲気を掴んで適度に振舞うというようなことがどういうことなのかなんて分かりようもなく、人と次第に離れて行かざるを得なくなります。すると学校という集団の中で自分を支えてくれる存在が本当に乏しくなる。僕の場合はそれは勉強だったのかも知れない。別に「人並み外れた能力」があったわけではないんですよ。ただ、学校という場にいなければいけない以上、少なくともそこに自分がいていい理由が欲しくなる。それでその頃は得意だった文章を読むことや暗記の能力を自分では最大限に発揮した。すると周りからは孤立しているので「ガリ勉」だとかなんだとか言われたりして辛いこともあるけれど、少なくとも学校での大切な要素の一つ、成績の面では責められないで済むようになる。いえ、これも限界はあるわけです。例えば音楽や美術や体育といった、「動作性」に関連しているだろう科目は全く苦手。音符もなんのことやらチンプンカンプンでしたし。音楽史で満点を取れても音符を書く、読むといった問題は、問題の意味自体がわからなかったりする。ただ、そうした動作性を必要とする科目は進学と絡んだ当時の試験ではあんまり重視されていませんでした。なので助かる面はあった。

でも困ったことに、中学校を出る頃にはほぼ友達がいなくなっていました。別にそれが欲しくなかったわけではない。逆に欲しかったんですが、関係の築き方がその頃もう全くわからなくなっていた。こんなことを書くと「お前、贅沢を言うな」ということにもなるわけですが、いっその事、小さな頃から知的障害を伴う発達障害であればよかったと思うことが今でもあります。しかしそうではなかったので、「友達作りのできないガリ勉タイプの子」ということで、思春期に一番欲しい「親友」やら「女の子の友達」やらは全くできない。そうしてそのまま、今度はもはや大人の世界といってもいい高校時代に突入していくことになります。

高校の時のことは、もうこれは「慨嘆」するしかありません。入って1日目で、「ああ、もうここではやっていけないな」と直感として思っていましたからね。そして案の定、話し相手が誰もいない、教科書を忘れても誰にも「貸して」が言えない、授業時間だけ起きてあとは机に突っ伏しているという「青春」を過ごしました。高校ともなると人との関係性は大人とあんまり変わらないようですね。相手の気持ちをうまく察して適度な対応を取るとか、周りの雰囲気を掴んでうまく振舞うとか、声だけでなしに目や振る舞いで意思疎通するとかなんとかかんとか、もう自分としては無理なことばかりを要求される環境になってしまっていました。これは今でもあんまり変わらない。もうこうなると、それでも自分に近づいてきてくれる人にすがるしか手がないわけですが、そういう人も現れませんでした。現れても周囲の大多数が自分との関係を拒んでいる雰囲気を察知されると、もうそこで関係は切れてしまうという感じ。まあ、そこまで行くこともほとんどなかったんですけどね。唯一、同じ中学出身で行き帰りを共にしてくれる人がいたので、その人とはよく話ができた。けれど一旦教室に分かれて入ってしまうと、もう周りの誰とも交流ができない。机に突っ伏すだけの高校生活。あれはある意味、場面緘黙的現象とも言えたかも知れない。今でもありますしね、例えば親族の集まる席なんかではそうなる。

そして大学・・・。ああ、もうここまで来ると何ももう書きたくない。ま、途中で投げちゃったんです。仕事社会・・・言わずもがな、です。

それでタイトルにようやくつながるんですが、発達障害を持つと人との関係、社会との接点を保つことに苦労することになりがちです。それが社会的障害となって「ひきこもり」やら「パニック」やら「社会不安・過緊張」として現れて、ようやく精神科あたりにつながるという経過をたどることになります。自分がそうでしたからそれはよくわかります。けれどそこからがまた大変です。なぜなら前の記事にも書いたと思うんですが、知的障害がなく、大人になってから発達障害だったとわかるまでの期間がとても長い場合が多いんです。最近でこそ、この分野の研究が進んでそうでもなくなってきた感じはありますが、僕のように中年域に達してからそうであるとわかると、この社会でそれまでに相当のダメージを受けています。ほぼ手を尽くして行き詰まった段階なので、生きる力を大きく削がれた段階でようやく問題の根っこが見える。けれどその時、周りを見渡してみれば友達も、ましてや親友も、異性のそれも全く姿を消しているわけです。仕事も苦しくなって辞めたりしてしまうので家庭以外にこの社会に居場所がなくなってしまう。

ただ、これは自分の場合を言っているのであって、そうでない発達障害者もたくさんいます。けれど一般に、社会と自分との距離の取り方、関係の保ち方に苦しんでいる人は少なくないでしょう。ではどうするか。そこは「ビジネス イズ ビジネス」でいきます。
そこらの人に手当たり次第に「自分には発達障害があってどうたら、こうたら」と話してもまず相手にしてくれません。なのでまずはそれを「丁寧に見れくれる医療」を探します。前後して公の「発達障害者支援センター」といったところへ相談をかけます。こうした人たち・機関は仕事として発達障害を持つ人間の支援をしているので、相手をしてくれないということはまずありません。若い人であればそこから再度学校や仕事へと繋がれる可能性もより大きくなります。あるいは僕のように、もう親の健康をいつも心配し介護にも関わっていかねばならないという段階の人間なら、それにふさわしい機関、例えば「地域包括支援センター」などにも紹介をしてもらえたりします。地域での生活が破綻している場合には、場合によってはそこへの介入も期待できるかも知れません。

あるいは最近は、大人になってからそれとわかった発達障害者どうしでセルフヘルプ(自助)グループを作っているところもあります。それぞれの団体でいろんな決まりがあるので一括りにはできませんが、「自分がそうではないかと思う人」まで参加対象に含んでいる団体もあるようなので、そういう所につながってみるというのも手かも知れません。

もともと社会との接点作りに障害があるわけなので、「発達障害とわかったら社会と繋がる」なんてとても逆説的な話だとは思うのですが、特に仕事として繋がってくれる場合なら、そこは利用した方がいいだろうと思うのです。




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今年もここは続けようかなと思いました。まあ、かなり間があくことも多いとは思うのですが、「本家」サイトよりも、こちらの方が発達障害について書きやすいような気もします。写真なんかも選ぶ必要がないし。

ところで話がまったく違うのですが、「リア充」というのは、ぼくは単に「現実の生活が充実している」という意味でこちらでは使っているのですが、実は「現実の生活が充実している中にパートナー的な確固たる!存在がいる」という意味だという説もあるようです。すると自分の場合は・・・。
とりあえずそこはあんまり考えないで、自分なりの解釈、前者の解釈でいこうかなと思います。

若い頃、もうかなり前、何十年も前のことになりますが、なぜその頃に発達障害がわからなかったのかというと、当時は知的障害のない発達障害というものの存在が、専門家でも認知されていなかったということは前の記事でも書いたと思います。身体障害者の方はともかく、知的障害があれば小さな頃からそれとわかりやすいので療育手帳を取得しておいて20歳から障害年金も受けることができます。でもこれが不要なほど働ける人も多いようです。知的障害のある方というのは、それはそれで世の中にそれぞれに向いた仕事というのが割合あるようです。身体障害のある方もバリアフリーや内部障害の場合にその対策さえとられれば、活躍できる場も見つけやすいのは、一般的な事業所の障害者枠の中心を身体障害者が担っているという事実からもわかります。それは現代の障害者福祉、特に戦後のそれが身体障害から始まって、さまざまな社会生活を補完する制度をそれぞれの方々が実現する努力を重ねられたからだと思います。

精神障害者の場合はどうでしょう。こちらは20世紀の終わり頃までは、法的には「障害者」とも認められていませんでした。それには、「病なのだから永続的な障害者とは認めづらい」という面もあったでしょうし、おそらく偏見もありました。けれど「障害者」の定義が再度見直されてから精神保健福祉手帳制度ができ(これに反対だという方も依然としておられるでしょう。)、「ノーマライゼーション」という言葉が流行り、誰もがこの社会で同等に活動できるようにするという風潮が高まるにつれて、身体障害や知的障害には遅れをとった(とらされた)ものの、自助グループ(患者家族会など)もあちこちで生まれ、無認可ではあるけれども作業所が出来たり、家からでて「たまれる」居場所ができたりしました。今では、基本的にはこれら三障害の区別なく福祉施設利用もできることになっています。

これらのことから、「障害」という概念が「生活のしづらさ」と同義であると解釈し直されてきたのだなということがわかります、自分には。
一口に身体障害といっても、あるいは知的障害、精神障害といっても、個々人によってそのありようは様々だし、三つだけに括ることができない。結局、個々人の特性に合わせて活用する社会制度や施設も異なってくる、あくまで個々人の特性に合わせてサービスを受ける、社会参加するという流れになってきました。障害を重ねてもつ方もたくさんおられるわけですしね。

そこで、知的障害のない大人の発達障害の場合、現在は精神障害の範疇に制度的には入っています。確かにかかるお医者さんは精神科の場合が多いわけですし、多くの知的障害のある方もおそらくそうだと思います。ただ、最初の方に書いたようにかなり年齢を重ねてから精神的症状に隠れていた発達障害がわかると、これはいろいろと社会的に不利な、あるいはこれまでも不利な状況に置かれてきたんだなということを実感します。

つまり小さな頃は、「この子は周りの子と比べると動作も遅いし理解や関心も偏っているなあ、協調性がないなあ」という評価を受けやすかったりする。ただ、このことも家族や周囲の理解が深ければそれだけ本人の「自分はなんかおかしい存在と見られているみたいだぞ、いやだな」という気持ちは軽減されるか、人によっては元から他からの見られ方など気にしないという方もおられます。そういう方は学校生活でいじめなどにあってもなんとか社会に脱出!して自分の特性に向いた分野、子供の頃から関心の高かった分野で仕事が継続できる可能性が増します。

一方で、他からの見られ方に敏感な層というのも存在するように思います。要するに自分はそうでした。タイプでいえば「受動型」とでもいうのか。こちらのページから引用させて頂くとするなら、

「他の人に自分から関わっていくことはしませんが、他の人からの接触は嫌がることはありません。言われたことには何でも従います。
最も問題行動の少ないタイプです。
しかし、嫌なことも受け入れてしまうので、負担がかかり、パニックを起こしてしまうこともあります。」

これは自分には覚えのある表現です。子供の頃から近寄ってくる人を避けることはしなかった。なるべく「良い顔」をしようとしていた。嫌なことでもつきあった。この傾向は大人になってもかなり続いたし、一部今でもそういうところはあります。これは他の方からしてみると「いい人」です。ただ、「利用しやすい人」とも言えるし、「利用価値がなくなれば離れても問題ない人」でもあります。ちょっときつい表現ですけど、世の中きびしい人も多いですしね。

実際、そういうことも多く経験してきました。言い換えると「自分がない」という状態になるわけです。一人で好きなことに熱中している時にはそれなりに楽しい。けれど社会というのは結局人とのつながりのことなので、小さな頃には学校というものがあり、大人になれば仕事やその他、いろいろとつながらないとやっていけないことばかりが出来てきます。周りがこちらも非常に尊重してくれる人ばかりであれば問題も少ないのでしょうが、先ほど「世の中厳しい」と書いたとおりで、そういうことはあり得ない。むしろつきあうメリットがないなら放られてしまう可能性が高い確率ででてきます。すると学校も行きづらいし仕事にも行きづらい。で、ひきこもり生活に入ったりすることになるわけです。自分がそうでした。

最もつらいのは社会的にはそういうことであるし、個人的には先の受動型の定義に合った「嫌なことも受け入れてしまうので、負担がかかり、パニックを起こしてしまうこともあります」という部分です。このパニックは確かにありました。小さな頃から家ではよくかんしゃくを起こしたり暴れたりしました。また不意にこの世界から切り離されたような哀しみを覚えることがよくありました。実際にひきこもってしまって家族にもその原因への理解がなかったので社会から切り離される時期を長くもちましたしね。でも学校生活は、少なくとも高校の終わりまではなんとかがんばったのです。そういうパニックの経験をしながら。いじめや嫌がらせも受けながら。

その後、つい5年程前まで自分の発達障害はわからなかった。精神科で「対人恐怖」やら「過緊張」やらの診断を受けて対処療法的な措置を受けながら「がんばれ、がんばれ」という人もいれば「休んでも良いんだよ」とか「あなたらしく生きるのが一番」とか、まあ、いろいろ人からは言われるのですが、自分ではこの社会、世界というのはなんだかいい経験もないし、モチベーションの下がる環境であり続けてきました。

これ、社会的に不利な状況に置かれて来たってことですよね。そしてようやく障害がわかっても、こちらも医療面では対処療法的手段しかなく、主体は自身の障害をふまえた経験の積み重ねと努力、そして周囲に配慮を求めるということを、求められるわけです。つまり障害があるとわかるのが遅いほどに、それ以前には「なんで自分はこんなにうまくいかないんだろうなあ」と悩み悲しむ期間を長くもつことになり、ようやくその根っこの原因がわかっても、今度はいよいよ社会的には追いつめられた状態(仕事を離れていたり、親の介護や医療の問題が出て来たり)になってから、それと同時に自身の障害と向かい合うということになります。やはり非常に社会的不利な立場に立たされることになります。

長くなりましたが、それでも社会のこの障害に対する理解や専門家の研究は進んでいきます。子供さんやまだ若い方にお伝えしたいのは、突飛ですが「少なくとも国民年金の支払いはしておいた方がいいですよ」ということです。世の中、「金」です。これを自分がもっとも感じたのは、父親の病院付き添いの待ち合いで、どこかの嫁さんがそのお母さんとやはり診察を待っておられた時に、お母さんから「あんたの連れ合いさんはどうしているの?」と問いかけがありました。するとそのお嫁さんいわく、「仕事。男は仕事ができてなんぼや!」と断言しておいででした。これはひとつのサンプルに過ぎませんが、どうも女性からすると男は火星で、もとい、稼ぐことによって格付けされるようです。

そこで僕のように若い頃から仕事については数年で離れ、時に引きこもり、ついた仕事の中で福利厚生があった場所は少なかったという場合はどうでしょう。これはもう「リア充」のもうひとつの説、「現実の生活が充実している中にパートナー的な確固たる!存在がいる」という条件はまったくクリアし得ないということになります。このブログのタイトルも変えないといけないかも知れません。

それで元に戻って、ともかくそうしたばか女の発言はおくとしても、障害をもつ方の生活を維持して行く最低限の保証として、生活保護の前に障害年金というそのものずばりの制度があります。これは日本に生まれてよかったと言える数少ない制度のひとつだと僕は思います。20歳以上になってから月々の年金を支払っておけば、その後僕のように障害がわかったとしても申請をして、少なくとも基礎年金と同額の分を受け取ることができる(勤め人で普通に厚生年金をかけていればより多くのお金の積み増しも見込めます。)可能性が確保されます。逆に、「今は民間の個人年金があるから、老いて小額の基礎年金しかくれないような制度ならそれはほっといて前者でいこう」という人もいるのかも知れませんが、民間は障害を負ってからそれを障害年金に切り替えてすぐに支給してくれるというところはありません。

なので基礎年金は支払っておくべきです。本人が無理ならそのご家族が代理となってでも。その時支払いが無理であれば支払いを「免除」してもらうこともできます。これは月々の支払いなどとてもできないという場合でも申請して免除さえ受けておけば支払ったと同様の扱いをしてもらえる制度です。もちろん、途中で障害年金を受けることなくそのまま老齢年金を受ける年齢に達した場合には免除された分、受け取る分も減額されてしまうわけですが、障害年金を受けることになった時にはとにかく「支払った」という事実をつくっておくことが大事になっています。

なぜかというと、障害年金受給の申請をする際に、その障害への確定につながった診察に始めて行った日から遡って少なくとも、

1・「初診日の属する月の前々月迄の年金加入期間において、年金保険料の納付月数と免除月数の合算月数が3分の2以上あること」
または

2・「初診日の属する月の前々月迄の過去1年間に年金保険料滞納月が無いこと」

という条件が設定されているからです。これは過去に市民の年金記録を膨大に無くしていた年金機構(旧社会保険庁)が言うにはどうなんだい、おい!というような条件ですが、決まりとされている以上、仕方がない。

だからどなたについても、年金を20歳から支払っておいたという事実は作っておいた方がいいように思います。「男は仕事をしてなんぼ」と病院でぶっこくばか女は別として、ふつうの大方の女性にとってもこのことは大切です。基礎年金分だけでは障害年金を受け取れたとしても月に6万円台半ばにしかなりませんが、持ち家があり、パートナーがいて同額程度の収入をお持ちの状態であれば、あとは病気で医療費がかかった時の保険などさえかけておけば(これも若い間、既往歴がない間に加入しておけば月々の支払いは少なくて済みます。)、年金受給中も働いてはいけないということもないのですから、なんとか生活はできる。一人でなくて済む。孤独死しなくて済む!社会とつながれるという、いろんな面で可能性の範囲が広くなります。まあ、僕のように一人ではしんどいでしょう。

あ、そういう僕は、上の条件にあてはまらなかったので年金受給の申請をはねられたという黒歴史があるので、もはやリア充はおろかどうするんやお前状態ではあるのですが。
ともかく、今回はリア充の定義から始まって、年金制度で終わるという非常な大作記事となりました。








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