ののしられても
仏様の時代に次のようなお話があります。
それは、仏様が教えを説いていくと、人々は次から次へと仏門に入っていきました。
当時、インドではバラモン教が主流でしたが、そのバラモン教の信者までもが仏様の教えに慕って入門する人が増えたのです。
この状態を見かねたバラモンの僧侶は、仏様を妬むようになり、とうとう我慢出来ず、仏様のところへ行き散々罵(ののし)ったのです。
その時仏様は、その僧侶に対して
「あなたは、自分の家に友人が遊びにきたら、食事を出してもてなす用意がありますか?」
「もちろんある、当たり前ではないか!」
「ではその時、友人がせっかくのご馳走を食べなかったら、誰が食べるのですか?」
「それは、当然私が食べるに決まっているではないか!」
「そうですか・・であれば、あなたは先程私を罵(ののし)り罵倒(ばとう)しましたが、私はそれを受け取ったりしません。そうすれば、それらは全てあなたの元へ返っていくのです。」
更に続けて
「罵りに対して相手を怒ったとしても、何も生み出されるものはないのです。怒りに対し怒り返すのではなく、自分自身を静めることこそが最大の結果をもたらすことになるのです。」
この言葉を聞いた僧侶は心打たれ、仏様のもとへ入門し修行していかれた
というお話です。
仏様の
「罵りに対して怒ったとしても、何も生み出されない。」
心に沁みる言葉です。
そんな心の器になりたいですね。