最後のBLOG? 我が愛する岩手県
いよいよ私の岩手県人連合会会長の任期も終わり、将に無冠になろうとしているのですが、500人を超える岩手県人会の中での新たな人事なので、会員間の気持ちの繋がりが未だスムーズではなくて、新しい組織の体制が出来上がるまでには、もうしばらく時間がかかりそうです。
まず、来月、6月4日(日曜日)は、新しい会長 鈴木文彦 様の采配による岩手県人連合会総会が執り行われる日です。
第43回目の総会となります。
これまでに総会での大きなテーマになった議題は、やはり東日本大震災でした。
特に岩手県での地震津波の災害が大きかったために、国としても大問題となりました。
このため、我々、在京の岩手県人連合会は、多額の募金により、ふるさとの再建の為に貢献したのです。
東日本大震災発生後、はや6年が経ちましたが、その後の防災工事の在り方に関する考察の違いなどにより、防災工事に迷いが生じる場合も多く、工事の進行が思うようではない場合も多く有ります。
最近、議論になった問題に、波浪防波堤の問題があります。
「津波を防ぐには、湾外に高い防波堤が必要だ」という事です。
しかし、これは逆説的な効果を持っていて、防波堤が高いと、陸上の人間には海面が見えず、その津波が危険かどうかの判断が出来ない、という事になるのです。
従って、当然、避難のタイミングを失います。
もう一つの問題は、繰り返しの津波を、どのように判断するかという事です。
津波は最大頻度で5-6回は繰り返して襲うと言われています。
一旦襲来した津波は、その後3~5時間の間に4~5回以上繰り返し襲ってくるのですが、繰り返しの間隔は不確定です。
繰り返し間隔は、震源の距離によって概略が決まるのですが、それを自己流に解釈して、津波の来ない時刻を見積もって、我が家に戻り、一仕事してから戻ろうとする人が居るのです。
結局、その人は見積もりを誤り、津波に呑みこまれます。
ご存知のように、津波は、来る波、帰る波がぶつかり合うので、波の進行方向や、速度が変化します。
従って、最大波高が何時到達するかは、その都度異なるのです。
従って、津波の到達時刻を自己流で決めようとすることは甚だ危険なことなのです。
岩手県三陸沿岸の地震津波の歴史は、多くの悲惨な歴史を残し、それを言い伝えてきました。
岩手県は地下構造の関係から、沿岸部の地震は比較的弱く、北上山地より西側で地震が強くなる、という特徴があります。
これは江戸時代以来の東北地方の歴史からはっきりしていることです。
この特徴は今後1000年~2000年は継続する特徴だと考えられるので、私共の地震津波防災のためにも、それを生かした防災対策を立てる必要があると考えられます。
ここでまず、我が愛する岩手県に さようなら。 爾 朗 (じろう)
平成29年5月1日 瀬川爾朗
世代交代への仄かな想い
今日は、日本では、世の中の多くの所で、世代交代が語られる日であると思います。
4月1日をもって組織の担当者が大幅に変わるからです。
私も昨晩の会議をもって岩手県人連合会の会長を退きました。
私の場合は約11年間の勤めになったのです。
私は岩手県人会の第6代目の会長で、2007年以来の就任なのです。
岩手県人会の過去5人の会長は、病が原因でお亡くなりになられたのですが、県人会全員でお別れする機会がなかったのです。
この点は大変に寂しい想いでありました。
幸い、私は心身正常な状態で会長を退きましたので、今後も機会あるごとに皆様にお会いできるものと思っております。
これまでのことを思い起こしますと、私が会長になる直前に、岩手県人会創立30年記念の会がありました。
この時には釜石から「錦町の虎舞」を招待し、その元気な舞を楽しませてもらいました。
また、その後も、歴史的な南部岩手の舞をしばしば招待して、東京に住まいする県人会の会員が岩手県の良さをじっくりとかみしめることが出来るきっかけを造りました。
この間にも、三陸海の博覧会、三陸鉄道の開通、また、現在岩手県の大問題となっている、東日本大震災による多数の人的被害、等々、岩手県人会の大活躍によって乗り越えてまいりました。
東日本大震災に対する岩手県人会からの支援は莫大なもので、在京岩手県人からのふるさとに対する支援として、高く評価されました。
平成28年は、国体が岩手県を中心として46年ぶりに開催される年でした。
我が県人会は、このために30名に及ぶ日本国体視察旅行団を編成して、10月初めに北上、盛岡 等での研修旅行を行いました。
体育大会には両陛下も参加されましたので、旅行者の警備が厳しく、大変な経験もいたしました。
いよいよ年度の終わりも差し迫って、新しい県人会長も決まりました。盛岡出身の方で、私とは異なり、文芸分野のベテランの方にお願いしました。
これまでと違って面白いお話も聞くことが出来るのではないか思います。
お名前は 鈴木文彦 様 です。
元文芸春秋社常務取締役で、文芸雑誌編集者、「オール読物」の編集長も長く勤められたそうです。
現在は野村胡堂・あらえびす記念館(紫波町)の運営審議会委員、岩手日報社発行の「北の文学」編集委員などを務めております。
平成29年(2017)4月1日
瀬川 爾朗
じろちゃんBLOGの満8年を省みて(2017年)
私が岩手県人連合会の運営を引き受けて10年になりました。
この間に、ふとした発想から、県人会長のBLOGを毎月出そう、と言う気になり、平成21年の秋から始めたのがこの「じろちゃんBLOG」なのです。
このBLOGは、各月初めに1回掲載するという事を原則として、平成21年9月から第1報が始まりました。
しかし、岩手県人連合会の会員の中では、未だコンピューターを敬遠する方も多く、会員からの反応は、今一つと言う状況であったと思います。
しかし、ともかく、会の方針として、じろちゃんBLOGを継続しようという事で、今日までトータル93編(概数)のBLOGを公表いたしました。
BLOGの公表状況を見ますと、2009年9月から2017年3月の間で、2009年9月、2011年6月の2回のみが月2回のBLOGの発表がありましたが、他の月では、1編/月のペースを守って記録されています。
従って、2009年9月に始まったBLOGの公表は、2017年3月までに93編をカバーしたと言えるのです。
私が著者であるので、BLOGの内容には限界があります。さて、これらの文章の長さはほぼ2000字前後ですので、仮に93篇を一つの文章としてみると、93x2000=186,000字の長さの文となるのです。
この長さは単行本1冊分と思って良いのでしょうか。
県人連合会会長に選ばれてからほぼ10年になりますので、私のBLOGも、時代と共に変化しているのではないか?未だ製本化されてはいませんが。
恐らく自分の年齢を考えるとBLOGの内容は、大きく変化しているでしょう、しかも、本人はそれを忘れているという、悲惨な状態になっているのかもしれない。
これは将に、自分の日記を読みなおすことなので、読み直すことは、本人にとって、空恐ろしいことになるかも知れない。
実は、オリジナルがパソコンに入っているので、本になったものを読むよりは、一層、面倒なことになるのかも知れませんね。
さて、全部で20,000字近い文章を読み飛ばすことは、結構 難題であります。
これが自分の文章であったとは信じられない想いになることもあります。
特に感じることは、己が書いた昔の一節が、恐らく己の忘却が原因となって、きわめて新鮮な文章に見えてくることがあります。
忘却によって生じる新鮮さ、これは果たして無意味として捨てて良いものかどうか。
いや、私はそれは違うと思い始めたのです。
人の頭脳から湧き出した「新しい思い付き」は、その人にとっての、将にTime Mark 付きのアイディアであって、きわめて貴重な、固有な財産であると見るべきでしょう。
これまでの8年間は、私にとっても、大勢の友人たちにとっても、多くの経験を積み上げ、あるいは切り捨てて、生き抜いてきたのです。
私共はそれらを取捨選択して、それぞれが固有な人生を築き上げてきたわけです。
これからも、また、命の続く限り、次の人生に立ち向かってまいりましょう。
平成29年3月1日 瀬川 爾朗