こんにちは。

 

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

 

今日は自分の今の気持ちの整理として

続きを書きたいと思います。

 

 

 

キマリってなんだろう?(1)

 

キマリってなんだろう?(2)

 

キマリってなんだろう?(3)

 

キマリってなんだろう?(4)

 

 

 

 

 

 

 

校則とか 社則とか 

その他住んでいる地域の規則など 

自分ではない誰かが決めて提示されたものを

 

「はい  ソレ承知しました!

    受け容れまーす!」

 

と了解しているのが 

私的にはキマリを守っている状態

だと思っているのだけど。

 

 

上記のような公のキマリは 

書き記されて目に見える形のものが多いから

自他共に確認するのもとてもわかりやすい。

 

 

でも そうした

 

ハッキリとしたキマリ

 

じゃないものの方が多いんじゃない?

 

 

目には見えない形で

 

心に刻まれたキマリ

 

が実はすごくあるんじゃない?

 

 

色々振り返ってみて そう思う。

 

 

 

なんとなくの暗黙の了解で

 

(みんなそうだから)

(だってそういうキマリでしょ)

 

と勝手に思い込んだもの

 

 

意識に上がってないけれど

確かに心の中で課している

自分ではわかっていないキマリもある。

 

 

キマリを 受け容れるか 拒否するか

 

選択は自由だったはずなんだけど…。

 

 

 

子供の頃 

イヤイヤ ぐずり 泣きわめき 

かんしゃく 反抗 などという形で

拒否を態度で示した時

親や先生や周りの大人たちに

叱られたり怒られたり

 

なんらかの怖い 

または嫌な思いをして

 

「それはダメ!」

 

と阻止された(と思いこんだ)ことがありました。

 

 

自分の体験だけじゃなく 

誰か他の子がそういう目にあっているのを見て

 

(キマリは守らないといけないんだ)

(怖くて嫌な思いをするんだ)

 

と心に刻み込んだこと

私はたくさんあったと思う。

 

 

だけど 

キマリを受け容れつつ 

心のどこかで

なにか引っかかるような

 

「?」

 

があったことも確かで…

 

 

 

例えば 中学時代。

 

 

不良と呼ばれていた同級生は

校則を守らず 授業をさぼり 

警察に保護されたりと

確かに大人たちが言う悪いことをしていたけれど

席が近かった彼らたちとそれぞれ話してみたら 

みんなとても素直な子でした。

 

 

私はまったく正反対タイプの真面目ちゃんだったのに

 

「うちに遊びに来なよー」

 

と気さくに誘ってくれた子もいて

大人びた彼らは

大らかであけっぴろげなお兄ちゃんお姉ちゃん

 

という感じだった。

 

 

「自分はこう思う! 

   ただ そうしたいからしてるんだー!」

 

 

私にはそんな到底真似出来ないことを

まっすぐにやらかして

先生たちにこっぴどく叱られ怒られ  

おまわりさんのお世話にもなって

 

それでも周りが

「まったくしょうがない奴だ」

と面倒を見ていた

 

彼らのギャップある個性。

 

 

 

一方  私は

キマリを破らず

はみ出さない子供でいると

周りの大人たちに褒められ

親は安心して喜んでいて。

 

期待を裏切ったり

怒られたり叱られたりするのはとても怖く

私は「キマリを守る」ことを自分のキマリ

と決めていたような感じで。

 

 

キマリを破れなかった私は

キマリを破る彼らが

本当はうらやましかったのかもしれない。

 

 

心の中に刻んできたキマリの中には 

安心安全を求めるため  こういう 

怖さ 不安 心配を回避するためのもの

が多いと思います。

 

 

「そうしないと大変なことになる叫び

 

と思いこんでいた

私の中にあった回避のキマリ 

ざっと挙げてみますね。

 

 

・怒られないように 

・叱られないように

・怒らないように 

・人に嫌われないように

・人を嫌わないように

・雰囲気を悪くしないように

・迷惑をかけないように

・本音を言わないように

・甘えないように

・変わらないように

 

 

どれも周りをキョロキョロ警戒して

びくびくしながら見張っているイメージ。

 

 

カードで言ったら このイメージ

 

 

 

 

木の陰に隠れて 

敵が来るかどうか

ナイフを手に様子をうかがっている…

 

 

 

「怒られないように」

「しなければいけない」

 

などと禁止に禁止を重ね 

二重抑圧の「キマリ」になったものもあって

 

ギューッと縛られるように 

ものすごく心は窮屈だったはずだけど 

その状態さえ”当たり前”になっていた時期もあったなぁ。

 

 

むしろ

「私は正しいことしてる!」

と自信を持っているつもりで

内面と外面とは大きなギャップがあったわけで。

 

 

そのことにまったく気づかないまま疲れてた。

 

 

 

公のキマリの中でも

怖さ・不安・心配 が元になっているキマリは

頭で それはごもっとも と理解納得できても

心では ギューッとする感覚があります。

 

 

けれど 

外側のそれらのキマリに

自分を合わせることが当然で

自分の元々の感覚は無視するようになり…

 

そのうち 麻痺。

 

 

そのことにハッと気づいたのがテレビでね。

 

 

テレビを観なくなって4年。

 

久しぶりにテレビを観ると

以前は平気でBGM代わりにしていた

ニュースやワイドショー。

 

別に聞く必要のない

死亡事故や悲惨な事件を伝える 

たくさんの恐れ・不安・心配の言葉にいたたまれず

すぐさまチャンネルを変えてしまいます。

 

 

何も感じることなく

平然と観ていたことに逆に驚いて。

 

 

これも感覚の無視と麻痺。

 

 

 

知らず知らず 

子供の頃から様々な形で

こうして自然と 

恐れ・不安・心配 が植えつけられ

無視と麻痺の中 

自分で受け容れてきてたんだよね。 

 

 

幼い子供の

 

「それはイヤ」

「嫌い」

「そうじゃない」

「違う」

 

などのお騒がせな態度は

とても面倒くさく厄介なものだと 

私も自分で親をやってみて思います。

 

 

それらの面倒や厄介を早急に回避するため

怖さ・不安・心配 を元にしたキマリを 

私が自分で受け容れた通り

息子と娘にたくさん植えつけてきました。 

 

 

でも その時々 

心が素直に発した純粋な感覚や感情を守り 

お互いを尊重することがとても大切 

 

今はそう確信し 

息子と娘とはかなり深く話をしています。

 

 

今まで当たり前で当然と受け容れていたキマリについて

少しでも「?」の感覚があった時は 

話題にするようにしています。

 

 

 

先月 父 私 息子 3人で話した

延命治療についても

つい数日前 息子と2人で改めて話して

あの時とはちょっと考えが変わりました。

 

 

老いを生きる(6)死への向かい方

 

 

 

私たちの希望

 

「じぃじには出来る限り長く生きて欲しい」

 

という思いは変わりません。

 

 

だけどそれって 

私たちの希望だけを強く押し出してない? 

 

って感じたの。

 

 

 

その裏側には 

「頼りにしているじぃじがいなくなったら困る」

という私と息子の「不安」が確かにありました。

 

 

「残す家族に迷惑をかけたくない」

 

が父の1番の希望なら

最期の時 

私たちの希望よりも父の希望を叶えること

が最善なんじゃないかなと思った。

 

 

そのもしもの選択の時 

父に意識があり 

父がやはり延命治療の拒否を願うならば

生存の可能性があったことを後悔する

という苦しみも覚悟の上で

父の意思を尊重したいと思うようになりました。

 

 

どんな死に方をするか 

こればっかりはいくら考えても 

その時になってみないとわからないけれどね。

 

延命治療の拒否には家族全員の同意が必要だから

兄や妹とも話し合っておかないとだけどね。

 

 

何より1番の『ぽっくり逝く』

という理想を父と一緒に願いながら

 

「そう覚悟してもいいよね」

 

と息子と合意しました。

 

 

 

みんな1人1人「キマリ」は違うからね。

 

こんな風に思いも変わるからね。

 

 

これからも大切なことをその時々

家族で話し合っていきたいと思います。

 

 

 

つづく

 

 

キマリってなんだろう?(6)

 

 

 

 

(赤)ジプシーカード 9 Enemy ライバル

 

人目  見張る 敵

 

人の視線を過剰に感じていませんか? 

または

あなたが誰かや何かを気にして見張っているのかも 

 

相手がどうするかは相手の自由で

こちらはどうすることも出来ません

 

相手を敵とみなすと  

悪意がわき起こったり   

足がすくんで行動に移せないこともあるでしょう

 

相手や対象を違う視点で見てみましょう

 

敵と感じているのは心の中だけで

あなた自身の心の怖れと

戦っているのかもしれませんよ

 

 

 

(黄)アールヌーボーカード 4 家

 

家庭 家族 希望 拠り所

 

家庭や家族について見つめる時ですね

今まで気にしなかったことがわかる時でもあります

 

物事や人を表面的にだけ見るのではなく

見えていない想いにも意識を向けてみましょう

 

子供や親の幸せ 兄弟との関わり合いなど

優しいあなたの夢や希望ももちろん含まれます

 

気恥ずかしさがあるかもしれませんが

気になる家族と時間をとって話をしたり

伝えたいことがあれば 

思い切って伝えませんか?

 

 

 

(赤)ジプシーカード 34 Priest 司祭

 

教え 信念   アドバイス

 

常識 一般論   まっとうな意見

 

何を信じるかは人それぞれですが

結局の所   あなたの信念の現れだということを

冷静にみつめ 見極めましょう

 

なぜ 自分はそう信じているんだろう?と

根本的な想いを見直してみる時でもあるようです

 

最終的に「自分で選んでいる」ことをどうぞ忘れずに

 

 

~ たまゆら占いより ~