神風特別攻撃隊を編成できた日本精神(その1) | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 人間は普通であればどんなときにも自分の命を守ろうとします。

 それが本能であるし、軍隊の作戦も攻撃進入路、攻撃地点、そして退避路をきちんと確保して作戦を立案します。ところが、帰ることを一切考えないで行われたのが大東亜戦争時の航空機や潜水艦や小型船舶による特別攻撃です。

 では、自分の命を投げ出して相手を攻撃するということはこの大東亜戦争の際に突如として出てきたのでしょうか?

 そこまで日本は追い詰められて出した苦肉の策が特攻なのでしょうか?

 日本人は自殺が好きな民族なのでしょうか?

 私はこれにとても疑問を持っています。

 この特攻を支える精神は、日本民族が他の民族よりもはるかに強く持っている「自己犠牲の精神」だとおもっています。

 日本紀(日本書紀)には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后の弟橘媛(おとたちばなのひめ)は、夫日本武尊の東征に同行したとき、夫の軽はずみな言動が海神の怒りをかい、海が荒れ狂い、先へ進むことができなくなったとき、海神の怒りを鎮めるために、夫の身代わりで入水をして海を静めたという故事があります。

 そして犠牲になってくれた后の偲んで「吾妻(あずま)はや(我が妻よ)」と嘆いたことから、関東地方を「東(あづま)」と呼ぶようになった言われているそうです。

 ただ、このようなお話は、世界の歴史にはたくさんあります。特定の愛する者のために自分の命を投げ出すということは、人間の持つ崇高な精神となりますが、これを組織的に行ったのが日本です。

 沖縄県で米軍との地上戦が行われるまで、史上唯一の対外戦争で戦場になったのは北部九州でした。そうです、あの元寇の時でした。
 
 当時も国防の最前線、対馬、壱岐がまずは戦場となりました。対馬を占領され、壱岐に大軍が押し寄せてきたのです。地図を見ると明らかですが、釜山、対馬、壱岐、博多は一直線です。

 19歳の少弐資時(しょうにすけとき)は、僅かな兵力で敵のど真ん中へ切り込みます。そして壮烈な戦士を遂げますが、この勇敢な戦いは元・高麗連合軍を震撼させました。

 文永の役(1274年)の時は、網首(ごうしゅ)と呼ばれる宋人たちの経済的基盤である博多の攻撃を主目的にしていました。それは南宋の経済基盤を破壊するためのものであったと言われています。

 二度目の弘安の役(1281年)の時は、南宋は滅びたくさんの投降した軍人たちを消費するために遠征したとも言われています。少弐資時が敵中に切り込んでいったのはこの時です。

 もともとあまり戦意のなかった元軍、でもその実態は南宋の敗残兵や高麗の兵は死に物狂いで死地に飛び込んでくる日本の侍たちに恐怖感を感じるのです。

 前述したように、攻撃路、攻撃目標、そして退避路を確保して普通は攻撃してくるので、普通は誰が見てもここから攻撃されるというのがわかるのです。そしてここには絶対来ないという場所もあり、それを「死地」と呼びます。

 そこに入ると絶対に生きては帰れない場所のことであり、普通はそういう場所には絶対に入ってきません。ましてや自分たちは嫌々ながら遠征しており、元帝国に対してなんの忠誠心ももたない元軍兵士たちです。

 少数でしたが、青年武将少弐資時の突撃は、またいつどこから襲ってくるかわからないという恐怖心を植え付け、元軍兵士を浮き足立たせる効果があったと思っています。

 この少弐資時の行動は、自分の生還を全く考えない行動であり、それが敵軍の兵士にとってはとてつもない恐怖となったのです。

 地元の壱岐では細々ながら、この少弐資時を祀り大切に守ってきました。最近になって立派な銅像も建てられています。自分の命を投げ出し、敵を震撼させるという行為はその後の日本の勝利に多大な貢献します。

 でも、これもたった一人で突っ込んでいけば、ただの蛮勇にしか過ぎません。その青年武将についていった将兵がいたのです。つまり組織的な戦闘で死ぬことが分かっている死地に飛び込んできたのです。

 それが「一所懸命」という言葉で表現できます。

 一つの所に命を縣けるという鎌倉武士の心意気を表す言葉はまさにこれです。現在は「一生懸命」という表現も市民権を得ていますが、私たちは先人の思いを継ぐためにも「一所懸命」を使わねばならないと思っています。

 どんなに辺境な地でも祖国の土地であるならば、武人は命をかけて守らねばならないのです。それが武人の誇りであり、それを尊ぶ気風が失われたのは戦後の自虐史観のせいだと思っています。

 大東亜戦争の特攻は日本民族が営々と受け継いできた「一所懸命」の発露であり、この言葉を死後にすることは日本の誇りを消滅させることにつながるのです。

 歴史を学べばまだたくさんこのような例があります。次回はこの続きを書きたいと思います。