BT7 判定日
判定日から1週間。もっと早く書きたかったのにCYM(間違えた!しずくちゃんありがとう。なんの略だ!?笑)CNY業を含む年末年始のバタバタに、ケータイを変えてバックアップに時間かかったりやらですっかり遅れました。というのは言い訳で書く気力がなかったのかな?12月30日は私にとって最後の判定日でした。クリスマス後に姉と姉の子供達と実家に帰省し、ワイワイ楽しい日々でした。移植後なのに、今日がBT◯日ってのが数えないとわからない位にリラックスした日々でした。判定日は朝早い新幹線で東京に戻り、車で迎えに来てくれた夫に新宿まで送ってもらい、娘を託して私は一人でKLCへ。判定結果からいうとダメでした(とはいえやっぱり着床はしたけどね)E2 202P4 6.9hcg 8.2一桁でした。実は前日にフライングして結果は真っ白。前回も一桁で真っ白だったので、そんな感じかな〜?と思ってたのですが予想通りでした。(←着床していないとは思っていない図々しい私)予想通りだけど、診察室でこの結果を見せられた時はちょっと泣きそうでしたせっかくの福田先生だったので、もっとちゃんと話したかったけど話したら泣きそうだったのでやめました。先生からは「数値は出てるから薬を続けてもいいけど難しいと思います。出産までいく確率は1.5%です」と。やっぱり40代の卵は厳しいですね。15じゃなく1.5だからね。私は「もう無理ですよね。薬は結構です」と答えて診察室を後にしました。あ、でも着床しちゃったから10日後くらいに一度来てねと元々Eタマちゃんでダメ元と思っていたし夫が前向きではなかった事もあり、どうするべきかわからなくなっていた二人目治療だけど、こうなってみるとやっぱり私としては二人目欲しかったと改めて思う。4階に降りてお会計を待っていると、隣に座った夫婦がエコー写真を見ながら「これが胎嚢だよ」って幸せそうな会話。少し離れたところにはマタニティマークをつけた方が…、この時ばかりはキツかったな。二人目治療では何度も子連れ通院してしまった私が言える事ではありませんが…。それにしても私の着床率優秀だな〜二人目治療だけなら100%(4回移植して4回とも着床)一人目から通算すると、移植11回でそのうち胚盤胞移植が8回。胚盤胞移植のうち全くの陰性は1回だけ。着床はするのに育たない。一人目治療の時は、化学流産を繰り返すのは不育症のせいだと思っていた。もっと早く不育症の薬を飲めば、もっと早くうまくいったのではないかと思ってた。でも二人目治療を終えて思うのは、不育症のせいではなくやっぱり卵の質の問題だったのかな?と思います。KLCの先生が言うように、良い卵が取れるまでコツコツがんばるしかなかったのかも。で、私の場合7回目の採卵でようやく良い卵に出会えたのかな?38歳で7回目の採卵で出会った良い卵。42歳になってしまった今、何回採卵すれば出会えるのかわからないし、やっぱり難しいですね。着床は自信あるんだけどそして今回の移植は42歳のうちに出産できる最後のチャンスだったのです。なんとなくここ1年くらい体力の衰えも感じたりするし、これでよかったのかな?やっぱり20代で結婚してから何年も遊んでないで早く子作りすれば良かったな。一番の後悔はここです。それでも諦め悪く、自然妊娠の可能性を考えてみたり。笑でもタイミングやAIHでは一度も着床した事ないので、私はきっと原因不明の大半を占めるピックアップ障害で自然妊娠は難しいんだろうな〜とも思う。(夫は毎回合格なんでね。原因は私なのです。)あダメだ!それ以前に我が家はもう長いことレス夫婦だったお正月を迎えて友人から届く年賀状。一人目治療の時は出産報告が辛かった。でも今年私が気にするのは、ここは3人家族、ここは4人、5人、6人(我が家に届いた年賀状では子供4人の6人家族が最高でした。そして意外に5人家族が多い)ってそんなトコばかり見ていました。やっぱり4人家族を見るといいな〜と思ったり、4人家族の友人(私の2歳上かな)のコメントに「この年齢で2人育児は辛い」とかあると、やっぱりこれでよかったのか?とかね。ネチネチしててスミマセン。本当は新年とともに前を向きたかったけど、私には二日では足りなかった。なぜかどこか4人家族になれると思っていた私は、3人家族を受け止めるのにもう少しだけ時間がかかりそう。でもいつまでも4人家族を羨んでいても仕方ないので、3人家族での楽しい家族計画を立てたいと思います。徐々にね。そして奇跡的に我が家に生まれてきてくれた娘を幸せにしたいと思います。姉妹がいなくて寂しい思いをさせないように、仲のよい母娘になりたいな元日にリセットして本日すでにD6。次の10日の通院(意味ないけど)で二人目通院は最後です。