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日本滞在中、偶然出会えた『West Express銀河』と。めっちゃカッコいい。

 

さて、今回の日本の度の終わりの〆に『ハイキュー‼ゴミ捨て場の決戦』を観て満足した私ではあるが、日本最後の日の日中に時間が空いていたので、桜を見に行く事にした。

日本に着いた時は2月後半だったが、3月に入り暦の上ではもう春。

 

(日本出る頃には、もうそろそろ暖かくなってるやろなぁ😄)

 

と思っていた私の期待は、見事に裏切られた。

この日の東京の朝の最低気温は1℃、予想最高気温は10℃だった。

私の住むゴールドコーストの、冬の平均最低気温がこの日の東京の最高気温😅(因みに冬の平均最高気温は20℃)

ヒートテックの重ね着と、マフラーをしっかり巻いて出かける事にした。

 

時折小雨がパラつく、お花見日和では無かったことは確かだが、そこはやはり日本人。春に桜を見たくなるのは、幼少期から刷り込まれた日本の春のイメージだからなのかも知れない。

 

日本の桜前線は、ソメイヨシノの開花日を予想したものである。

ソメイヨシノは日本固有のさくらとされていて、開花時期は3月~4月。

「まだ桜には速いのでは?」と思った方も多いと思うが、早咲きのさくらは今頃からが見ごろなのだ。

 

実はこの桜情報、オーストラリアに住む友人から聞いたのだ。その名も

 

『カワヅザクラ(河津桜)』

 

ということで、河津桜をリサーチしてみたら面白かった。

実はこの河津桜は、沖縄でよく見られる『カンヒザクラ(寒緋桜)』と伊豆七島や伊豆半島でよく見られる『オオシマザクラ(大島桜)の自然交雑種らしい。

後に静岡県の河津町に移植されたので『カワヅザクラ』と名付けられたのだそう。


 

東京近郊で河津桜を調べたら、宿泊していた浅草橋から一番近い所で、旧中川沿いに河津桜の並木があることが分かったので、ここに行ってみることにした。

総武線の平井駅で降りて10分ちょっと歩く。冷たい小雨がパラついていて、はっきり言って寒い🥶

歩きながら思った。

 

(こんな日に花見なんて、普通はせえへんやろなぁ)

 

だが、着いてびっくり。

なんと、アジア系の観光客が十人以上、桜並木の下で熱心に記念撮影をしていたのだ。

互いに写真を撮り合ったり、スマホ三脚を駆使して自撮りでポーズを取っている女性もいた。

私以外に日本人はいなかった。(私も半分外国人のようなもんやけど😅)

彼らが私を同じように、ネット検索してここを訪れたのは明らかだった。

もうスマホさえあれば、日本国内はもとより、世界中どこにいても観光の見所をリサーチして旅ができる時代なのだ。

 

背景に、海外旅行者が写真を撮っているのが分かる。

 

 

河津桜は、ソメイヨシノより若干ピンク色が強い桜だった。

雨のせいか、鼻が散り始めている木もあった。

ということは、ここのさくらは2月下旬には開花していたということになる。

 

 

日本に住んでいた時は当たり前のように毎年見ていた桜だが、日本を離れて33年も経ち、この33年間で桜を観れたのは4回。

2008年の春に17年ぶりに桜を見て感動したのだが、その後14年間は春に日本を訪れることは無かった。

次に桜を見たのは、2022年の4月に母が亡くなり日本に飛んで来たとき。翌年の一周忌、そして今年の三回忌と、ここ三年は続けて桜を見た。

恐らくこれからは、桜を見る度に母を思い出すだろう。

 

 

さて、ここの河津桜は木がそれ程大きくないので、写真撮影がし易かった。

自撮りをしていると、小さな鳥の声が聞こえてくる。

よく見ると、数種類の小さな鳥が沢山、桜の花に集まってきていた。(メッチャ可愛いラブ

 

 

 
 
 
桜と鳥の写真やビデオを撮っていると、
 
「Can I take a photo of you?」
 
と声をかけられた。
地元の方なのかどうかは分からないが、日本人ではなかった。
三脚が無い限り自撮りでは全身を入れることが出来ないので、お言葉に甘えることにした。
摂り慣れているのか、写真は構図がしっかりとしていて足長に見える。グッド!

 

足長に見えてカッコイイ写真😍
 
 
桜並木の奥に鉄橋がかかっていて、総武線がひっきりなしに往来していた。
河津桜の並木はほんの一部だけだったので、電車に乗って来たときは気付かなかったのかも知れない。
ソメイヨシノの木が川沿いにたくさん並んでいたので、3月の下旬には電車の窓からも、この桜並木ははっきりと見えるだろう。

 

 

さて、桜干渉を終えるとコーヒーが飲みたくなった。(オージーである)

日本ではなかなか飲めない『オーツミルクラテ』が飲める美味しいカフェ『Blue Bottle Coffee』の一号店が清澄白河にあるので、そこに行くことにした。

(オーストラリア在住の方、決してクラゲ珈琲ではない)

 

直訳すると、青いボトル珈琲。

毒でしびれる心配は全く無い。めっちゃ美味しい珈琲コーヒーが出て来る。

オーストラリアスタイルの珈琲好きの方にはガチでおススメのカフェ。

ここで昼食も一緒に摂ることにした。

 

 

 

しばらく滞在して、ブログの下書きを書いた。

 

 

 

ここは1号店で清州白河にある。

銀座や品川駅にも店を出していて、両方行ったが皆美味しかった。

多分、今はもっと増えているだろう。

 

それこそ、ネットを駆使して訪ねてみてほしいウインク

 

 

 

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雛人形🎎




2022年の4月に母が亡くなって、もうすぐ2年になろうとしている。

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昨年2023年11月に叔父(父の弟)が亡くなり、二年連続で葬儀を執り行った。
母は満87歳で、叔父は満90歳で旅立ったので双方共に長生きだったと言えるのではないだろうか。



叔母は今年満88歳で、いわゆる米寿。
母もあと半年長生きしてくれていたら、母とアリスと私の三人で温泉に泊って米寿のお祝いをしようと言っていたのでとても残念だった。
長寿祝いは昔は数え年で祝ったものらしいが、母が数えで88歳を迎えた時点でもコロナ禍で私は日本には飛べなかったから、どちらにしても米寿のお祝いは出来なかった。🥲
母が87歳を迎えたときは、オンラインコールでアリスと一緒に誕生日を祝った。
あれからまだ3年も経っていない。

叔母の誕生日が3月なので、今回は和歌山での勉強会、母の三回忌、そして叔母の米寿の誕生日祝いを主な目的として渡日する予定でいたのだが、昨年叔父が亡くなった後、今年になってから叔母は二人部屋から一人部屋に引っ越しをしたので再び荷物整理をする目的も加わった。
それはまた別の機会に書こうと思う。


2022年の母の葬儀は、翌月5月の母の四十九日の時に岩手県一ノ関市にある知勝院というところで一緒に取り行ったのだけれど、アリスと二人で行こうと思っていたら叔父がどうしても参列したいと言うので叔父夫婦を一緒に連れて行った。(結構大変だった😅)
葬儀、四十九日法要が終わってすぐ母の納骨をしたのだが、ここは日本初の樹木葬のお寺で、本当に里山に直接お骨を埋葬する。そしてその上に故人が生前選んだ樹木を植えるのである。
因みに樹木葬と謳っていても、故人の三十三回忌が過ぎたらそこを掘り返し、最終的に合同墓地に埋葬するという樹木葬もある。

里山を登っていくのは当時の叔父には無理だったので、埋葬場所には叔母も来れなかった。



今年、叔母が母の三回忌に一緒に行きたいと言うので一緒に行くことにした。
今回は雪を覚悟して渡日したのだけれど、聞くと今年は記録的な暖冬だということで、一ノ関の道路には全く雪が無かったのでめっちゃ楽な運転だった。
午前10時から法要を行ってもらった。
昨年の一周忌はアリスも一緒だったが、今年は私のみの渡日。
一人での法要だと思っていたけれど、叔母が参列してくれたので良かった。
御住職のお経が始まると、一昨年の葬儀、そして昨年の一周忌を思い返し、母がいなくなってしまったときの寂しさを思い出して涙してしまった。

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一周忌でも泣いたけれど、この2年で確実に涙する回数は減っている。
ただ、亡くなる前の母の2年半の心情を思い返すたびに、私はとめどなく涙する。
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2022年の葬儀+四十九日法要にも、昨年の一周忌法要にも、そして今年の三回忌法要にも、私が執り行う母の行事には弟妹は一度も参列していない。
葬儀の日時も、昨年と今年の法要の日時も妹には連絡してあるのだけれど、今年は参列しませんという返信も来なかった。
墓参りするにはちょっと遠い場所なので、年忌法要を一ノ関で執り行なえば墓参りも出来ると思ってやっているのだが……。

アメリカに住む弟も昨年の10月に来日していたけれど、彼らは個人個人で母のお墓参りには来ているのだろうか?


法要が終わって、母の埋葬場所にお参りに行った。
通年であれば、雪に埋もれて里山の母の埋葬場所も分からなかったであろうが、今年は日陰に雪は残っているものの、母の名前を記した木札もちゃんと雪の上に出ていた。
杖をつきながらも、叔母も母の埋葬場所を初めて訪れることが出来て、二人で一緒に手を合わせた。
弟である叔父をいつも見下すような発言ばかりしている父だから、子供のいない叔父夫婦を母はいつも気にしていた。
だからこそ叔父は、一昨年前の母の葬儀にどうしても参列したかったのだと思う。
その叔父ももうこの世にいない。

昨年7月に卒寿の誕生日を迎え、11月に逝った。

(叔父を迎えに来たんは誰やったんやろか?おじいちゃんかな?)

法要の最中、ふとそんなことを考えた。

優しかった祖父は、私が12歳の時にがんでこの世を去った。まだ72歳だった。


(お母さん、私が死ぬときは迎えに来てくれるよね?)

母が亡くなった年齢まであと27年。(まだ結構あるやん……😅)



「よう頑張ったね」

その時が来たらそう母に言ってもらえるように、これからの人生も精進し続けたいと私は思った。



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ブロードビーチの夜景

 

 

1月1日に崩れたドライブウェイの擁壁の修理に取り掛かったものの、擁壁の支柱を固定している地中のコンクリートとの戦いを制するにはマシーンが必要と悟った。

早速ネットで調べ、工具の専門店に行ってみた。


流石にプロのトレードマンが使うようなマシーンは高額で手が出ない。

なので、とりあえず一番小さいサイズのDemolition Hammer DrillをBunning warehouseで購入し、使ってみることにした。

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ところが1番小さいとはいえ、さすがDemolition(破壊)という作業を行うマシーンだけある。持ち上げてみての第一声。

 

私:「重っ!😨あせる

 

箱を見たら7㎏と書いてあった。(ウチの猫と同じ重さ)

 

いっちゃん小さいのでこの重さだと、道路を砕くようなマシーンはどれくらい重いのだろうか?

コンクリートを破砕するマシーンをコントロールするだけでも、かなりの力が必要だと思う。

 

 

しかし、小さいながらもマシーンパワーはやはり凄かった。グッド!

地中のコンクリートにいとも簡単にドリルが入り込んでいき、何か所かドリルを入れると、コンクリートに割れ目が入って簡単に砕けていく。

 

コンクリートDemolition(破壊)中ダウンダウンダウン

 

 

(快感!😍)

 

 

昔、『セーラー服と機関銃』という映画の中で薬師丸ひろ子が機関銃をぶっ放して、「カイカン!」と呟くシーンが有名になったけれど、このDemolition Hammer Drillの音と手に響く振動は、あの機関銃の快感に匹敵するんじゃなかろうか?

 

アップアップアップこうして持つと機関銃みたい😅

 

 

だが、コンクリートを砕くまでは快感なのだが、砕けたコンクリート片を地中から掘り出すのが何気に大変なのであった。

地中に埋まっているので、土の圧力で割れたコンクリート片が動きにくいし、とにかくコンクリート自体がそれなりに重いあせる

なので、先がタガネになっている長さ180cm程の鉄の棒コンクリートの割れ目に差し込んで、テコの原理でコンクリート片を少しづつ動かしていくのだが、この鉄の棒もめちゃめちゃ重いのである。

 

(マジ、ウエイトトレーニングやわ🥵)

 

 

裏庭の塀を建てたときも、支柱は地面30cmの深さにセメントを流し込んで固定したから、この擁壁の支柱もおそらく深さ30cmのコンクリートの塊で固定されているはずである。

 

コンクリートを砕いては掘って、また砕いては掘ってを繰り返し、ようやく支柱が動き始めた。

動きを妨げるコンクリート片を掘り出し、支柱を前後左右に動かして隙間を作って引き抜こうとするのだが、この支柱がまた重たいのである。

 

重い破砕機、重い鉄棒、そして重いコンクリート片と闘って約1時間、重たい支柱がやっと地面から抜けた。

 

私:「抜けた~!🤩」

 

思わずガッツポーズをしてしまった。

 

 

 

 

地中から掘り出したコンクリート片がこちら。

ダウンダウン

 

これがあと2つ半残っている。😓

1つは半分掘り起こしたのだが、その半分でこの大きさである。(メチャ重ガーンあせる

ダウンダウン

 

 

今日は、一つのコンクリート塊との戦いに勝利した。

上手くいけば、この週末で何とかコンクリート塊を全部掘り出して、来週日本に行く前に導線を引くことが出来るではないか!

Demolition Hammer Drill様様である。ラブラブ

 

 

それにしても、毎回流れ落ちる汗の量はハンパない。

作業前と作業後で、体重は余裕で1㎏減る。

もちろん水分補給は作業中でもしているから、汗で身体から流れ出る水分は1ℓ以上だということだ。

これを続けていったら、体重は減らなくとも筋肉が付いてくるので体重管理が楽になりそうであるウインク(筋肉が無いとカロリー消費が難しい)

 

 

今日は午後1時にヘアドレッサーの予約が入っていたので、12時前に作業は終了。

明日と土曜日は仕事が一日中入っているので、コンクリート掘り出し作業は無し。

マッサージも肉体労働ではあるけれど、筋肉の使い方は全く違う。

マッサージはウエイトを使わない肉体労働なので、今日の肉体労働による筋肉の張りを緩めてくれる役割も果たしている。

 

次の作業は日曜日の予定だけれど、天気と体力次第。

 

でも、Demolition Hammer Drillでコンクリートを破壊するのは、人間関係に疲れた私のストレス解消になるので楽しいのは確かだ音譜音譜

 

先は長し……😅

 

 

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前回まで私の『おかしな家族』の話を書いて、その途中でも妹に連絡を入れても「うん」とも「すん」とも返信が来ないことをオーストラリア人に話したら、

 

「桔梗は出来ること全てやって、それでも無視されるんだったらもういいんじゃない?今後お父さんに何かあっても、責任は妹さんや弟さんが取るでしょう?」

 

と言われたので、そうすることにした。

自分を無視する人間との、人間関係のストレス抱えてる場合じゃない。

私がやらなければいけないことは他にもある。

 

 

 

ということで……。

 

 『ハプニング・ニューイヤー』で、我が家のドライブウェイの擁壁が崩れたことを書いたのだけれど、この夏はとにかく(擁壁が崩れるくらいの)雨がひたすら続き、擁壁修理に取り掛かることがなかなか出来なかった。
 

 

 

 

やっと擁壁用のブロックを仕入れて家に配達してもらったので、雨の合間をぬって修理に取り掛かることにした。

 

image

 

先ず、擁壁に使っていた板を寄せる。擁壁に使うくらいだから、厚くて何気に重い💦

そして崩れた土砂を掘って、下に埋まっている板を取り除く。この土砂、上層は小石や土屋砂がい理混じっていて、掘りやすいのだが、下層部はこの辺りの土壌そのままの粘土質。

この夏の雨をたっぷり吸い込んで、その重さは少なくとも1.5倍はあるんじゃなかろうか?

これをシャベルで寄せていくのだが、まるでウエイトトレーニングである。

下半身をしっかり使わないと腰をいわしてしまう。スクワットのように太ももの前後とお尻の筋肉を使ってシャベルを持ち上げるのがコツだ。

 

 

 

実はアリスと私は、家の裏側の塀も2人で直した。

この時は2人とも怠惰でめっちゃ時間がかかってしまったのだが、その出来栄えは、「初めてにしては素晴らしい!」と、結構色んな人に褒められた。

 

 

 

 

 

 

この時も、かかったのは調達した資材費だけ。

外注した人に聞くと、当時で私たちが払ったお金の約2.5倍払ったそうだから、おそらく今だと2.5〜3倍くらいになるんじゃ無かろうか?

 

今オーストラリアも世界に漏れずモノの値段が上がっているし、人件費が高いので出来ることは自分でやらないと、とてもじゃないけれどお金がいくらあっても足りない。

7~8年前に膝を壊してからは何もスポーツはしていなかったが、毎日15Kg以上するマッサージベッドを担いで訪問マッサージをしているし、2年前に膝置き換え手術をした後はそれなりに脚の筋肉は付いてきている。

こんな風に庭仕事をするのは、身体全体の筋肉を使うプラクティカルトレーニングでもある。

 

 

 

 

(これを空き時間にやってたら、わざわざお金を払ってジムに行かんでも全身の筋トレ、体幹トレになるわ~あせる

 

オーストラリアはまだ夏だし、この夏の湿気は熱帯性気候並。

暑さと運動量で半端ない量の汗がダラダラ汗汗汗と流れ出すので、水分補給も欠かせない。あっという間にシャツがびしょ濡れになる。

そして感じたのが、モノを持ち上げる力はあるのだがあっという間に息が上がってしまうこと。

 

(アカンガーン!持久力がなくなってもうてる汗汗汗汗汗汗テニス🎾してたときは、こんなことなかったのに!)

 

右膝が悪くなってからテニスをしなくなって、もう7〜8年経つ。

あの頃は炎天下で3時間走り回って平気だった。

持久力はあっという間に衰えることを実感。😓

 

 

とにかく地面を掘るだけならまだ単純なのであるが、裏庭の塀を作り直したときにも苦戦したのが古い支柱を支えていた地中のコンクリートとの戦いである。

このコンクリートを掘り出さなければ、新しく支柱を立てることが出来なかったのだ。

新しい塀を作る作業の中で、一番時間がかかったのがこのコンクリートの掘り出しだった。

コンクリートの周囲を掘り、たがねを打ち込んで砕かなければ掘り出すことは出来ない。

今回の擁壁はブロックなので新しく支柱を立てる必要は無いのだが、この地中のコンクリートを掘り出さなければ、正確にブロックを並べたり水を逃すパイプを入れたり出来ないのである。

 

とりあえず日本に行く前に導線に沿って掘るところを全部掘ってしまいたい……と思っていたのだが、体力的にこのコンクリートを自力で砕くのは無理であることを実感した。(もう60やしあせる

なので今回は、コンクリートドリルを買うか借りるかすることにした。

今後もDIYで倒れかけている我が家の横の塀を直していかなければならないことを考えると、買ってしまった方がいいような気もする。(塀の支柱の数は10本以上あるのだ)

今後もなんやかんや購入しなければならないが、それでも下手な業者を頼むよりは安く上がることは事実。

(実はオーストラリアでは、なまじっか下手な業者に頼むと、半端な仕事でお金だけ取られてしまうこともよくある)

 

 

ということで、これから少しずつ擁壁作りの進み具合をブログに上げていこうと思っている。

 

そうすれば、怠けることは出来ないからである(😅笑)

 

 

 

 

 

 

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おかしな家族

 

第一話 四年振りに一緒に出掛けた父がヤバかった 

第二話 落ち着け私……

第三話 緊急事態を緊急事態と思わない緊急事態

第四話 無視で全て解決……はせんと違う?

第五話 都合の良い時だけ家族

 

ゴールドコーストの夜明け。ビルの狭間に見えるのは太平洋。(因みに撮影は私の家では決して😅ない)

 

 

 

先日日本の友人たちとLINEしたときに、家族へのお香典の話になった。

なんと一人の友人の義家族も親兄弟にお香典を包まない家族だった!

 

(やっぱりウチの家族と同じように、常識が違う世界に住んではる日本人おるんやわ😮)

 

 

2022年4月に母が亡くなったときに、私の家族は一銭もお香典を包まなかった。

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親戚から頂いた母の一周忌のお花代が、家族の『お香典』より多かった……の巻

 

日本では、喪主以外の家族はお香典を包むのが常識となっている。その金額は、故人に近しければ近しいほど高くなるし、また年齢によってもお香典の額は変わって来る。

それにしても、家族が亡くなったときにお香典を出さない人って何パーセントくらいいるのだろう?

このブログを読んでいるあなたは、家族が亡くなったときにお香典を用意する派なのだろうか?それとも「家族だから別に香典なんかいいじゃん?」派なのだろうか?

 

 

 

日本に住んでいるイラクサは、母の葬儀+四十九日法要にも、一周忌法要にも参列しなかった。

 

私は、2022年の4月に母が亡くなったあと、娘アリスが来られる四十九日法要のときに葬儀も一緒に執り行うことにして、妹のイラクサに連絡した。

その日取りまでまだ5週間以上間があったので、ワクチン接種をしていなかったUSAに住む弟のホオズキでも、隔離さえすれば入国は出来ると踏んで連絡をしたのだけれど、結局母の葬儀+四十九日法要にはホオズキもイラクサも参列しなかった。

父は、生前母に呼ばないでくれと言われていたので声掛けはしなかった。

翌年の一周忌もメッセージ連絡は入れたのだけれど、イラクサは「こっちはこっちでやりますから」と、参列する意思は全く無かった。

 

 

 

さて、叔父が亡くなったときに私はイラクサに電話を入れて、父が葬儀に参列する意思があるのであれば必ずイラクサに同伴して頂くことをお願いした。

なぜなら、父は以前、親戚の法要でとんでもないことをしでかしている前科があるからだガーン

父一人での葬儀参列では何かが起きることは目に見えていたから、イラクサに父を伴って来ていただくようにお願いしたのである。

すると叔父の葬儀には二人で参列してくれた。

(このときに葬儀場でイラクサと話をしたことは、第二話に記してある)

 

 

さて、葬儀が終わった数日後に叔母と一緒にお香典を下さった方々の住所氏名をノートに書き記していたとき、突然叔母がすっとんきょうな声を上げた。

何かと思ったら、開けたお香典の包みの中に二桁のお札が入っていたのであった。

父、妹、弟それぞれの名前で、三人が皆同じ金額のお香典を包んでいた。

 

叔母:「こんなに貰えないわ」

 

とめっちゃ驚いていたが、私は至って冷静にそのお香典の中身を見つめて言った。

 

私:「ええんやないの?貰っとけば。叔父さんと叔母さんこの20年間、同居してお祖母ちゃんの介護して最後まで看取って、そのあと実家をずっと守ってきたんやさかい。それにお母さんが亡くなったとき、叔父さんと叔母さんは20万包んでくれはったけど、あの三人、お母さんにお香典一銭も包まなかったんよ。」

 

叔母:「えっ?そうなの?」

 

私:「そう。そのことブログに書いたから、多分それ読んで今回は恥かかんように三人の名前で多めに包んできたんやと思うわ。」

 

 

 

そう、「家族の恥を世界に晒すなんて非常識だ!」と私を貶す家族だけれど、その恥ずかしいことや非常識なことを平気でしているのが家族。

母との結婚生活における態度や、その非常識を常識として押し通そうとする父の自己中を指摘して苦言を呈すると、他の家族に「桔梗に脅された!」なんて口走る父。

そしてそんな父を窘めるどころか、私を責める家族汗汗汗😅。

 

 

二年に一度渡日するホオズキは、その度に家族で食事会を開いているようだけれど、実家の掃除に行くことは無い。

「家族の平和を保って来た自分に対して少しはリスペクトしてもいいんじゃないですか?」って、以前メールに書いてきたこともあったホオズキだけど、ホオズキの言う家族の平和ってどういうことなのだろう?母と父を関わらせないようにして波風立たないようにするってことかな?

少なくとも母は、ホオズキが家族の平和を保って来たとは思っていなかったけど……。

 

 

母:「家族の平和?ホオズキはお父さんと出来るだけ関わるなとしか言わないし。でも何もしなかったらあんな風に大腸炎になって入院するような生活環境でしょ?放って置く訳に行かないじゃない?でもホオズキもイラクサも一方的に話しをして、私の話は聞いてくれないのよね……。」

 

 

 

少なくとも、私がこうしてブログに書くようになって、弟妹が行動を起こすようになったのは事実なのだ。

父に電話さえ入れていなかったイラクサやホオズキだが、父に定期的に連絡を入れるようになった。

「仕事が忙しい」と、ビジネスを始めてから5年以上も実家に帰る事の無かったイラクサが、実家に行くようにもなった。

お香典のことをブログに書いたら、ちゃんと叔父の葬儀には相場以上のお香典を包んで来た。

 

家族が私を「嘘つき」「欺瞞」「非常識」「きちがい」と言いたければいくらでも言えばいい。

やらなければならないことをやって頂けたら、私は別に何を言われても構わない。(私が「嘘つき」等ではないことは周囲の誰もが知っているし、私もそう思っていないから)

『おかしな家族』で書いたように、何はともあれ実家を最低限度掃除をして、掃除を全くしない父に掃除ヘルパーの手続きをしてくれたらそれでいいのだ。

 

 

私が毎年2回、実家の大掃除を2~3日かけてやっていたのは紛れもない事実。

あなた達が同じように年に二回実家の掃除をしてくれていたのなら、何の問題も無かった。実際にそれをやっていなかったから、ホオズキに掃除をやってもらう提案をイラクサにした。

私自身が実家の掃除をするオファーもイラクサにした。

 

けれど、「お願いします」「要りません」も無いし、「放っておいてください」とか「関わらないでください」とかいう返事もナシ。

 

あるのはただのムシ(無視😅)

 

 

これ以上、私に何ができるだろう?

別に実家が汚かろうが何だろうが、それは私の責任ではない。

万が一あの汚実家で父が倒れたとしたら、駆け付けた人々に家の様子を見られて恥ずかしい思いをするのは私では無くて他の家族。

 

 

発達障害があろうが無かろうが、パーソナリティ障害があろうが無かろうが、もしかしたら認知症があって判断が出来ないのかも知れないが、イラクサとホオズキを選んだのも、私を実家に入れないように命ずるホオズキの言うことを実行する決断をしたのも父で、トドの詰まりは、実家は母や私が定期的に掃除を始める以前の汚実家に戻ったということなのだ。

 

 

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