
音楽を通じ、
音楽を越えて
広がる
尾道の楽園
「れいこう堂」店主
信恵さん
音楽を越えて
広がる
尾道の楽園
「れいこう堂」店主
信恵さん
山口百恵、キャンディーズには
目もくれず、洋楽を追いかける。
本格的に音楽を聴きはじめは社会人になって音楽卸業に就職して自分で稼げるようになってからです。
最初は洋楽でした。
70年代当時は歌謡曲全盛期。山口百恵、キャンディーズなんかが流行していたけれどあまり聴かなかった。
それより、スティービーワンダーの『Key of Life』。
音楽はもちろん、歌詞のメッセージが素晴らしいと感じて、歌詞カードを何度も読み返しました。
洋楽でも王道のビートルズ、エアロスミス、KISSより、マイルス・デイビスといったジャズや、コアな洋楽を買ってましたね。
レンタルレコード店の店長に抜擢
いざ尾道へ。
25歳の時にレンタルレコード『黎紅堂』のフランチャイズ店舗、尾道店がスタートする時に、店長に抜擢されました。
以前働いていた卸業の時は、音楽の試聴はなかなかできなかったんですが、尾道店で働き始めて、レンタルで扱う音楽はすべて聴けるようになったんです。それからというもの、いろんなジャンルを片っ端から聴きました。
1年間は商売人として普通のポップスを聞きつつ、90年代に入るとお客さんからの薦めも受けてインディーズの音楽を聴きはじめました。
『イカ天』などの日本のインディーズ・ブームがはじまった頃です。
もちろん、それだけでは商売が成り立たないので、売れるものは営業として仕入れていましたが、インディーズのような嗜好性の強い商品もそろえていくと、おもしろがって買いに来てくれるお客さんが結構いることがわかってきました。
お客さんとの相乗効果でコレクター的要素も入ってきて、どんどんマニアックな店舗になってきたんです。これなんじゃ!というものを紹介したいという気持ちで、手に入らないものを広島市内に探しに行くようになりました。
90年代、洋楽ではニルヴァーナが現れ、世界的にもよりオルタナティブな流れが発生してきて、雇われ店長の身ながら好き放題させてもらいました。インディーズ・コーナーを作り大反響。
今や、チャートに入っているものはTVやラジオで聴けるし、ネットでも買えるし、レンタルもできます。
でも当時はネットもまだなかった。
ジャンルを問わずに手に入りにくいインディーズをもっとお客さんに聴いてほしいと考え、販売コーナーを作りました。インデーズ販売は当初、パンク、渋谷系等を扱っていました。
尾道ではそういうお店は1軒もなかったので、かなり遠いところからもお客さんが来てくれましたね。
『れいこう堂』誕生
人生を変えた出会い。
『黎紅堂』を辞め、独立して『れいこう堂』を立ち上げました。鉄筋ビルの中にCDやアナログが2万枚という店でした。ちょうどクラブ・ミュージックという言葉も一般に浸透しはじめた頃で、インディーズや輸入盤、アナログ、中古盤など、他店では扱っていない商品ばかりの品揃えのお店を作りたかったからです。

もちろん周りに大型店舗ができてきて、そういったチャート中心の品揃えとの差別化を図る意味もあったのですが、今から思えばこの頃からの動きが僕の尾道での音楽シーン作りにつながっていったのかもしれません。
99年に出たEGO-WRAPPIN'の『His choice of shoes is ill!』を聴いた時は衝撃でした。あまりの感動で、とにかく生でライヴが聴きたいと思い、演奏してもらう場所も何も決めず、右も左もわからずに彼らに連絡をしました。
椅子を用意していたら、いきなりスタンディングでお客さんが踊りまくってくれて。初めての企画なので、内心ドキドキでしたが、感動的なパフォーマンスに『これが本物だ」と、ものすごく興奮しました。これはその後、来てくれたアーティストのすべてのライヴに共通する感覚です。
こうしてはじめてのライヴイベントを実現してから全てが変わりましたね。本物を生で聴くかっこ良さを実感してから、音楽を聴く耳がまったく変わりました。
ライヴを感じられる音源しか僕の店では扱わないと決めたのです。
絶対にあきらめない
生な音楽を届けるために
物件探しから改装まで
ゼロからの挑戦。
02年頃からネットの普及もあってか、音楽市場が徐々に低迷してきました。僕の店もライヴイベントでお客さんが増えてきた反面、売り上げが厳しくなって、一時閉店せざるを得なくなってしまいました。
店を辞めてもこれまで関わったアーティストの動きが気になります。
でも音源が出ても尾道には買うところがない。ネットでも買えるようになったけど、肝心のリリース情報を入手できなければ、気づかずに終わってしまうんです。
あきらめられませんでした。
お店やライヴイベントには生の情報がたくさんあるから、自分も聴きたいし、お客さんにも聴かせたいという使命感があった。別に仕事を持ってでも、もう一度挑戦することにしたんです。

今度こそゼロからのスタートで自分の売りたいものだけを売る店を作ろうと決めました。
築80年くらいの古民家を見つけて、ライブイベントで知り合った音楽好きのお客さんにも手伝ってもらい、自分たちで改装、新生『れいこう堂』がスタートしました。
築80年くらいの古民家を見つけて、ライブイベントで知り合った音楽好きのお客さんにも手伝ってもらい、自分たちで改装、新生『れいこう堂』がスタートしました。
CDやLPを300枚展示、ライヴで紹介したアーティストの作品を中心に、美空ひばりのジャズ・アルバムなど、古き良き色あせない作品をそろえるようにしました。
仲間たちのサポートで広がる
『れいこう堂』の輪。
お客さんの中から僕の活動をサポートしてくれる人たちも出てきて、ライヴイベントがある時期は、毎年ボランティアで集まってくれるようになりました。
その中には尾道から東京へ出て音楽の仕事に就いている人もいたりして、どんどん『れいこう堂』の輪が広がっています。
シーンと呼べるようなものかはわかりませんが、徐々に確実に広がっている気がします。
大ケガを乗り越え
今夏、東京でイベント開催。
『れいこう堂』の仕事とは別で、産業廃棄物工場で働いていたのですが、そこで足の指を切断する大ケガをしてしまって…。だいたいのことにはへこたれずにきた私も、さすがにこの時には「もうだめじゃろうか」と落ち込みました。
でも、僕のケガを知った、これまでお世話になったアーティストや関係者の方、そしてお客さんからたくさん励ましの声をもらったんです。
なにもかも手作りのイベントにも関わらず、気持ちを込めて演奏してくれたアーティスト、土砂降りの野外で、ずぶ濡れになって踊ってくれたお客さんの顔が浮かんできました。
そんな時、東京で活動しているアーティストたちから、僕を東京招待してくれて、僕が尾道でやってきた
『Nice Time, Nice Live, Nice Music』
というライヴイベントを東京で夏に開催しないかという話を聞きました。
本当にうれしかった。
どんなことがあっても、前に進んで行こうと決心しました。

音楽、アート、自然
すべては交わり深まってゆく
音楽を通じ、音楽を越えて
信恵さんの夢は広がってゆく。
『れいこう堂』は、ジャンル越えた音楽が鳴っていて、アートや自然に気軽に触れられる開かれたスペースとして、全国からお客さんが集まってくるような店にしたいんです。

イベントのライヴ写真展や、イラストレーターの展覧会も定番になりました。
こういうスペースを作ったことで、尾道のアーティストの活動をサポートできることができるのも、音楽だけにとどまらない楽しみのひとつになってきています。
また、僕は自然が好きなので植物やメダカなどの生き物を店内に置くようになりました。植物にあまり詳しくはないけれど、隣のおばちゃんからもらった樹に花が咲いて実がなったり。
生きているということを自ずと実感できるのがうれしいんです。
音楽と相まってとても空間が活き活きしている気がします。これはライヴ会場として長年お世話になっている『向島洋らんセンター』の影響かもしれませんね。
4年ほど前から取り組んで来ているマイ箸運動、キャンドルナイト、イベントでのリユース食器の活用や、最近では、古いけど味のある家電を再生して安く販売したりと、エコロジーを意識した活動も進めています。
僕のモットーは、
『Nice Time, Nice Live, Nice Music』
『れいこう堂』を通じて本当にいい音楽をみんなに知ってもらい、アーティストや、お客さん、そして僕自身もいい時間を一緒に過ごしていきたいと思っています。
取材 & 写真、編集;れいこう堂サポート・プロジェクト


