マイストーリー①:幼少期〜色に興味を持つまで。 | あなたの想いを見える化する【資料デザイン制作】/元営業&カラーのプロ/在宅&オンライン「資料デザイナー養成講座」開催

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こんにちは

情報を視覚的に伝える✨
カラー&コミュニケーションコンサルタント
久保寺麗です。

 
 
3月は、1年の総決算であり棚卸しの時期。
 
ということで、
〈自分の棚卸し〉として
起業という今の仕事に至るまでのマイストーリー
を数回に分けて書いていきたいと思います。
 
 
 

東京生まれ、東京育ち。

両親と妹と、4人家族の長女として育ちました。

 

父はフリーランスのイラストレーター

母はで編集や出版関連の仕事をしていて

2人とも美術系の学校出身だったので

 

家の中には父の描いたイラストや

ビーナスの石膏

様々な画材や画集などが置いてあり

 

家にあったカラフルなパステルなどの画材を

眺める時間は楽しかったです。

 

突出して得意とか才能があるとかではなかったものの

「作る」ことが好きで、

「クリエイティブ」なことに興味があり、

将来の夢は「ファッションデザイナー」。

(ただ単純に、横文字でクリエイティブな響きがかっこ良くて憧れていただけ・笑)

 

 

***

 

3月生まれだったせいか

小さい頃は同級生の輪の中になかなか入れず

「気後れ感」をよく感じていました。

場の中心にいた体の大きい(4月5月生まれの子たち)

についていけないこともしばしば。

 

「(友だちにできることが)なんで私にはできないんだろう?」という思いが

いつのまにか「私は友だちと比べてあまり才能がない、できない」となり

自己肯定感が超低かった幼少期。

 

 

 

一方、幼稚園では毎日大きな声で「おはよーございます!!」

と先生に挨拶をしていたそうで、

人見知りだった妹とは対象に、

前面に出て、人と話すことはニガテではありませんでした。

(初めてのアルバイトはマクドナルド。スマイルください!に笑顔で答えていました・笑)

 

 

***

 

学生の頃って、

「目立つ、オシャレな子」

男女共にモテたし人気があったと思うのですが

 

私はどちらかというと

「目立たない、オシャレじゃない」タイプ。

 

自分に自信は全くなくて

 

センスがあって、可愛い子ははいいなあと思っていました。

 

今思うと、

センスも感覚も、自分の意識や行動で磨かれるんですよね。

 

そんな努力をする前から

自分には資質がない、と思い込んでいました。

 

 

***

 

それでも、超自由な校風の都立校に進学してからは

 

相変わらず自分には自信がなかったものの

私服だったため洋服にも気を使うようになり

 

渋谷・原宿の人気のショップなんかにも

定期的に見に行って目を養うようになり

徐々にオシャレに目覚めていきました。

 

そして18歳のころ

当時流行っていた「原色のシャツ」の中から

「真っ赤なシャツ」を買ったことが、

私のその後の人生の「色」との関わりのスタートになるのです。

 
 

マイストーリー②つづく。

 

 

 

最後までお読み頂き
ありがとうございました。