こんにちは
情報を視覚的に伝える✨
カラー&コミュニケーションコンサルタント
久保寺麗です。
東京生まれ、東京育ち。
両親と妹と、4人家族の長女として育ちました。
父はフリーランスのイラストレーター
母はで編集や出版関連の仕事をしていて
2人とも美術系の学校出身だったので
家の中には父の描いたイラストや
ビーナスの石膏
様々な画材や画集などが置いてあり
家にあったカラフルなパステルなどの画材を
眺める時間は楽しかったです。
突出して得意とか才能があるとかではなかったものの
「作る」ことが好きで、
「クリエイティブ」なことに興味があり、
将来の夢は「ファッションデザイナー」。
(ただ単純に、横文字でクリエイティブな響きがかっこ良くて憧れていただけ・笑)
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3月生まれだったせいか
小さい頃は同級生の輪の中になかなか入れず
「気後れ感」をよく感じていました。
場の中心にいた体の大きい(4月5月生まれの子たち)
についていけないこともしばしば。
「(友だちにできることが)なんで私にはできないんだろう?」という思いが
いつのまにか「私は友だちと比べてあまり才能がない、できない」となり
自己肯定感が超低かった幼少期。
一方、幼稚園では毎日大きな声で「おはよーございます!!」
と先生に挨拶をしていたそうで、
人見知りだった妹とは対象に、
前面に出て、人と話すことはニガテではありませんでした。
(初めてのアルバイトはマクドナルド。スマイルください!に笑顔で答えていました・笑)
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学生の頃って、
「目立つ、オシャレな子」が
男女共にモテたし人気があったと思うのですが
私はどちらかというと
「目立たない、オシャレじゃない」タイプ。
自分に自信は全くなくて
センスがあって、可愛い子ははいいなあと思っていました。
今思うと、
センスも感覚も、自分の意識や行動で磨かれるんですよね。
そんな努力をする前から
自分には資質がない、と思い込んでいました。
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それでも、超自由な校風の都立校に進学してからは
相変わらず自分には自信がなかったものの
私服だったため洋服にも気を使うようになり
渋谷・原宿の人気のショップなんかにも
定期的に見に行って目を養うようになり
徐々にオシャレに目覚めていきました。
そして18歳のころ
当時流行っていた「原色のシャツ」の中から
「真っ赤なシャツ」を買ったことが、
私のその後の人生の「色」との関わりのスタートになるのです。