山本清風のリハビログ

神様のエロ本


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 私は私の頭が狂っている可能性を百も億も挙げることができるが、といって生きるに支障もないから放擲しており、たとえ私の頭が狂っていようともいまいともこの世は生きるに困難な場であり、従って、生きる労苦から解き放たれるためには死ぬしかあるまい。この点で私は正常な人間と寸分も差異を生じていない。

 正常に支障を生じる世界を私は矛盾だなあとは思えども、それを向こうが狂っているのだ、許さない、とも思わない。そもそも生物はいつか死ぬために生まれてくる矛盾を孕んでおり、星の明滅と同じことだと思えば少しはおまえの悩みがグローバル化の波の前で些細に映るのだろうか。更に言及すれば、私はこれまでにも多岐に渡って勝手に解釈された結果、生きる意味を問いかけられたり処女性の如何について尋ねられた経験があり、私をして偶像(アイドル)と称した男もあったが、そのいずれもが自らの命を賭して私に迷惑を一方的に吹っかけてきたのであり、おまえは、その類例として何ら独創的ではない。

「1ナノミクロンさえもな」
「あんた、死ぬのが怖くないのか」
「怖い怖くないの問題ではない。強いて言えばおまえのような取るに足らない存在によって私の生命活動が停止させられるということに忸怩たる思いがあるが、撃鉄が降りれば死ぬ、これだけが事実に相違あるまい」
「ちっ!」

 男は歯噛みして拳銃を握り直した。一般市民が拳銃の重量に慣れているはずもなく、絶え間なく私の眉間に狙いを定め続けるというのはなかなかに骨の折れることだろう、拳銃の鼻先は意図せずゆらりと無限の軌道を描いている。デンプシーロールする拳銃に縋りつきながら男は、舌打ちのつもりで膣を叫んだ。こいつも所詮、愛だ恋だレゾンデートルだと言いながら膣に埋没すれば忘れる手合だろう。詰まらないことだ。

「だが、このために巡査から拳銃を奪ってきた勢いだけは賞賛に値する。初期衝動にも似た思いきりのよさは恐らく、おまえの青春に燃やすべき情熱を忘れてきた後悔からだろう」
「うるせえ! やっとみつけた青春に裏切られた気持ちがおまえにわかるか!?」

 わかるはずもないし、質問に答える格好で訊いてもない自分の情報を満載してくるあたり、こいつは根っから拳銃を突きつけねば他者とも満足に対話できないやつなんだろう、なんだろう、私の頭が狂っていようがいまいがこういう手合ばかり集まってくるというのは、少々問題である。

 とまれこいつに撃たれて脳漿ぶちまけるのは私の本意ではないから、心尽くしの賛辞を並べてみたのだが、どうしてこいつは火に油を注いだようにぶち切れているのだ。

「そりゃ俺はただのファンだ、何千何万いるファンのひとりに過ぎないかも知れねえ、だけど、アイドルってのはそういう幾千幾万もの想いを背負って輝く星なんじゃねえのかよ? 俺は言ってやりてえよ、おまえは恒星じゃないっつうの、惑星なんだよ、自分ひとりで輝いてるつもりになってんじゃねえよ」
「それは、金星か何かに語りかけているのか?」
「おまえだよ! おまえも俺も、社会の衛星に過ぎないんだよ、ぐるぐる周りを回ってるだけだっつうの、天動説は何万年も前に否定されてるんだっつうの! ギロチンなんだっつうの!!!」
「おまえの魂の叫びは歴史考証が不十分なんだがな。話が一向わからんのだが、おまえの比喩というのはつまりアイドルがなんちゃらかんちゃらなのだろう、どうして一介のオフィスレディに過ぎない私を捕まえて拳銃を突きつけて問わなきゃならんのだ」
「似てるんだよ! あの子に!」
「みせてみろ」
「え?」
「似てるかどうか確認するから、みせてみろ」

 そう言われるとあいつは一瞬の逡巡の後、ポケットから危うい手つきでスマートフォンを取り出すと片手に私の眉間を捉えたまま、短い操作を行った。それはつまり極短い手順でそいつの言うアイドルを表示できるというわけで、あいつは画面を一瞥すると何やら眉を八の字にして、確認を終えたスマートフォンを
「ん!」
 私の眼前に突きつけた。

 その間、銃口はあいつの心理を象徴するように揺れに揺れて、なんなら銃身を蹴り飛ばして即座に眼球を潰してやりたいところだったが、あいつの眼球が潰れた場合、それは視力を失うということで私の顔面とスマートフォンを並列して似ていないことを認めさせるのが困難になってしまう。どうせ似ているわけがないのだ。経験上、こいつは怠惰な人間であり、それゆえ手の届きそうなたまたま近くを通りがかった私を八つ当たりの捌け口としたに過ぎない。怠惰な人間とは、自らそのことに気づくこともできず怠惰の範疇で最大限の努力をするものだから、こういう迷惑を私にかけることになる。本当に覚悟があれば当該アイドルに銃口を向ければよいものを、それは怠惰ゆえに、成し得ないのである。

「ん!!」
「おまえ私が妹を探していて沼からひきあげられたサンダルがもしかすると妹のなんじゃないかと心配している女とでも勘違いしてるんじゃないのか? 全然似てないじゃないか」
「はっ!?」
「どこが似てるんだ? おまえの両のまなこでしっかりとみるがいい。刮目」
「はあ!?」

 あいつは私の顔面とスマートフォンを交互にみながら、意図せず銃口をじりじりと私の眉間に近づけてくる、触れんばかり。

「そいつがどうしたんだ? おまえの家族でも皆殺しにしたのか?」
「い、いや…」
「では私に銃口を向けなければならない理由とはなんだ? 刑法第39条か?」
「あ、あいつ」
「は? なんだ、言ってみろ」
「あいつ……結婚するんだ」
「アイドルか? それとも藤原紀香か?」
「俺のアイドルが、結婚するって、そう言ったんだ……」
 ち、まだ銃口を降ろさないのか。こいつとことん友達のいないタイプだな。中折れした性器を打ちつける虚しさってのが男にはありそうなものだが。

「総選挙で……俺の、買ってやった票でステージに立っているのに、あいつは……」
「何がファックなんだ? 結婚か? それとも、事実上の引退か?」
「わからない、ファックかも知れない」
「ファックって、非処女のことか?」
「そうかも知れない」
「もし宇宙の法則に欠陥があって、そのアイドルがおまえのことを選んだとして、おまえはそいつと寝ないってのか?」
「でももう、処女じゃない……」
「宇宙の法則に穴があるから、処女膜は再生してるというか過去が変わってるんだ。完全な処女だと考えていい」
「でも俺は、彼女のことを応援したかっただけで一緒にいたいとかそういう……」
「アイドルが望んでるんだ。宇宙の法則が、歪んでいるんだ」
「じゃあ、結婚してみてもいいかも知れない……」
「アイドルが性交を求めてきたらどうする」
「彼女は! そんなこと、しない!」
「なるほど、宇宙の法則が乱れているからそうかも知れないな。で、おまえの煮えたぎった性欲はどこに向かってゆくんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……俺はいま、結婚してるんだよな……?」
「そうだ。おまえが全財産を投入して応援してきたアイドルは、いま、宇宙の法則が狂っておまえの配偶者となっている」
「いつでも一緒なのか?」
「宇宙の法則が乱れてるんだから、きっとアイドル活動を続けてるんじゃないのか」
「武道館とか……?」
「武道館とか、京セラドームとかだ」
「ピンサロ……」
「なんだと?」
「ピンサロに、行く」
「よし―――」

 ついてこい。
 私は拳銃を握りこむとすっく、立ちあがった。あいつは驚いたのか何度も引鉄を引くものの、私の第一関節と第二関節の間辺りが撃鉄のストッパーとなり、銃弾を発射することができない。私がそのままずんずん進むと後ろ手に拳銃を掴まれた格好となり、あいつはずるずると追随する、そして配電施設から出るとそのまま私たちは横断歩道を渡り、四ツ谷駅から中央線に乗って高円寺までゆくとケンタッキーの傍らを通って電飾瞬く階段の前へと至った。仰げば看板に『デス☆ピサロ』とポップ体が踊り、女子大生のフォトショ加工があたかも窓から路地をのぞきこむように印刷されて、あいつは暫しそれを見上げていたが不意に男前の顔になると私に浅く会釈して、階段を悠然と昇っていったのである。



 二丁拳銃携えて。







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 耳寒 (みみざむ)い季節となった。
 相も変わらず私は青を踏むぶむ成長もなく、域を幹して和に理して企を画して退の勤、文学フリマ東京打上会場片隅のテーブルで堆く吸殻を積み上げていたりした。煙が目に沁みる。
「まだいたんですか、清風さん……」
 乳白色の濃霧と見まがわんばかり、とろりとした空気を掻き分けてひとりの男が現れては差し向かい、我が眼前に座るも打上会場の声は遠く、遥か京都あたりからしているような、したような。
「まだ打上は締まらないのかね」
「終わっていると言えばもうとっくに終わっているのですが、続いていると言えば確かに、連綿と続いているとも言えます。まだ打ち上がらないんですか、清風さんは? 2016年も恙なく終わりましたが」
「嘘を申すな嘘を。私は打ち上がらぬ、未だ打ち上がらぬのだ」
「残留思念でしょう、憐れなものです」
 男は葉巻に火を点けて(確か泉由良に貰ったと言っていた)、しかし表情が判然としてこない。別段ハンセン病とかそういうことではない。カーソルが点滅しているのできっと自由に入力する式の顔面をしているのだろう。秋山真琴とも猿川西瓜とも知れず、栗山真太朗かも牟礼鯨かも知れぬ男はいまや猫木國学でも、小泉純一郎でも、或いは死んだ親友の顔すらしているのだった。
「して何が心残りです? 2017年になってもまだエロゲーの話ですか?」
 何が心残りか、だと? 自分が死霊のくせして。「して」は「死」を孕み、末尾には「です」と「DEATH」とがかかっている、とんだ死の舞踏だよ。踏み殺された韻の怨みを思い知るがいい。死をふむぶむ。
「生きろ。(宮崎駿)それに、私はまだ2017年だと信じたわけじゃない」
「星野源が大人気ですよ。アニメーション映画も好調で、底抜けエアラインが復権しました」
「それのどこが2016年と違っているっていうんだ? 文学など、百年も前に死んでいる」
「あ。あとは女の子と『君の名は。』を観てきました」
「それは、2017年にか?」
「いいえ、2016年にですね」
「話にならない」
「歴史とは連続体、連綿と続いているんです。従って2016年は終わりましたがその地平に2017年がありとてもよく似た相貌をしている……。何等、おかしなところはありません」
「感動したのか」
「感動しましたよ。しましたが、という点ですね」
「あれは誰に訊いても最終〝映像が綺麗〟という地点に着地するんだが、2017年でもそれは同じかね」
「興行成績は青天井、いまこの瞬間にも新しい国のひとびとが新鮮な体験している、優れた評価というのは時に、作品の時間を停める/永らえるのかも知れません」
「女上司がいるんだ」
「衒学的ですね」
「彼女がその映画を観た、と。まあこれは2016年の話だが、ネットの情報は限られていて当時公開可能な設定としては、人格交代があった。その時点でなんとも懐かしくも我々には卑近な設定じゃないか。だから、私は言ったんだ『まさか彗星の軌道がリインカーネーションでパラレルワールドのループものじゃないでしょうね』と。すると彼女、ずいぶんに怒ってね」
「ええ」
「『そういうことじゃない!』って、それはすごい剣幕だったよ」
「それは清風さん、〝そういうこと〟だからではないでしょうか」
「やはり」
「人間というのは正論を言われると何故か激昂する生物なんですよ」
「〝そういうこと〟を排除した時、そこに残るのはおそらく恋愛的要素という外骨格だ。少なくとも基準点程度の少女漫画的恋愛プロットがなければ、学生がカップルで観にいくとは思えんからな。逆に言えば〝そういうこと〟という内臓がある以上恋愛プロットは基準点程度あればいいということになるんだが。とまれ妙齢の女上司は恋愛要素をして映画を評価していることになる。だがその恋愛は我々に卑近な超展開を内包しているわけだから、とりもなおさずそれは夢みる時を半ば過ぎても恋に焦がれている女上司の内面を吐露されたようなものだと思うんだ」
 私が東京タラレバ娘に近寄らない理由はこんなところだ。詳細に説明する気はないが、自虐的女性性にも良いのと悪いのとがあって、「わたし、女酒場放浪記に出たいんです」というタイプは後者である。セルフハンディキャッピングの一環としてふるまわれるそれらおっさん化であるとか計算高さの開示は、おそらく自分を維持する理由と、他者から評価を調節したい(いっそ逆説的に高めたい)理由の二種類によって善悪は分かたれる。どちらが善でどちらが悪かは、客観的に考えてみれば明白である。男も然りだが。
「清風さんと話したひとの感想がみんな〝映像が綺麗〟になる理由がわかりました」
「いつわかったんだ」
「いまです」
「何が理由なんだ」
「それで清風さん、『君の名は。』は観ましたか?」
「観ていないし、観ないだろう。『逃げ恥』も観ていない。『シン・ゴジラ』を絶対に絶賛するんだ号泣する準備はできていた、と言って観にいって、その帰途、現代のヒット作は既に自分たちの世代を対象としていないことがありありと解って、帰ってきたからな」
「それはやっとというか、清風さんはもう享受する側ではなく、供給する世代ですからね。テレビがつまらないのは至極当然です。清風さんの世代はそれでなくても貧乏で、吝嗇なんですから」
「あとは、公開直後に彗星の軌道や渋谷駅かな、ディティールの設定揺れが指摘されていたんだけど、そこでまた世代を痛感するわけだ。そんなに観ている方ではないが、自分にとってアニメーションというのは二次元であるからこそ細部に魂を宿す、みたいな認識があって、時代考証であるとか機微、映像に映らないところまで細かに設定されている、現実よりもリアル、そんな頭があったから、ファジーな設定には耐えられないという思いがあった。少なくともジブリやエヴァはやっていたからな。だから渋谷の交差点を走っていたと思ったら場面が変わると、新宿を走っている。みたいな昔のトレンディードラマのようないい加減さは逆に、いまの若者には新鮮なのかも知れない。なにせカセットテープが復権しているくらいだからな。まあ2017年には廃れているかも知れないし、単に細かいことよりもプロットよりも恋愛なのかも知れないが。音楽だって、何回80年代リバイバルが起きているんだか」
「まさにそういうことなんですよ清風さん。我々にとって使い古された、手垢のついた手法であってもこれから体験するひとにとっては、まさしく新鮮なわけです」
「ネットが発達して原典をあたれる時代だというのに、いや、だからこそ取捨選択のまとめサイトが必要なわけか。で、琴線に触れれば原典を当たればいい。一方で情報が乱立しているからメインカルチャーに混入したサブカルチャーが被弾して、一般人の倒れるところが際立って見えるだけで、でも、このままじゃ幾ら縮小再生産とは言ってもソースがなくなっちまうだろう、道理でみんな映像美ばかり褒めるわけだ。そこだけは唯一、日進月歩しているからな」
「クロスチャンネルが全国劇場公開されるとは考えにくいことです」
「そんなことはない。いっそプレイ動画を劇場で二時間観てくれたほうが気持ちがいいし、古参だって大手を振って識者ぶったり、批判したりできるだろう」
 エロゲーで独自発達し、幾星霜くり返されてきたプロットがメインカルチャーに流入していると意識したのはやはり『まどか☆マギカ』で、当時私は片手で数えるほどしかエロゲーをプレイしていなかったが、それでも整理されたプロットと、ゲームとは初手からパラレルの概念なのだから、戦慄に近い既視感があった。懐かしい気すらしたし、ゲームとはここまで日常に浸透したものかという感慨があった。文学小説がああでもないこうでもない、結句文体がいいよね、雰囲気がね、のような右往左往をみせたエヴァ的テーマをワンクールでコンパクトにまとめた『まどか☆マギカ』は、やはり驚いた。AIが書いたセカイ系かと思った。
 しかし遡ってみればエロゲーにしてもオマージュの嵐であるし、ニッチなジャンルで醸造されたものをひょいっと借りてきて権威づけしたり、マッシュアップするなんていうのはよくある話だ。違っていた点は年齢制限があり外部から遮断されていた点、並びに凄惨な想像力を余すところなく発揮できた点、更に性描写が自由だったという点に立ち帰る。性を忌憚なく描くことができたのは医学書か文学しかなかったが、言わずもがな性とは私たちの人生にとり、密接である。
 エロゲーはプロットの強度を上げるためミステリやSFという他ジャンルから手法を借り受けてきた。謎解きは物語の引きを強め、SFは知的探求心や超展開にユーザーの許容し得る設定を与えたが、それは他ジャンルとて同じことである。ライトノベルもそうだし、近年文芸と呼ばれるジャンルではラスト三行のどんでん返しなど売りにしているが、これも本来ミステリの文脈だろう。どれも先人たちの出典も示さずに、思いもよらず、とりあわせの妙のような顔をして売れている。
 そうなると個人的に思うのは、大長編ドラえもんはもっと評価されてもいいのでは、ということ。早過ぎたのかも知れないし腐ってやがるのかも知れないが、ホラーとさえ映るめっぽう引きの強い展開はしかもSFで武装していて、通常のアニメの五本分くらいのねたが詰まっていると思うのだが、如何せん大長編はいつものドラえもんのセルフ二次創作のように映る側面があって、それが大長編にドラえもん以上の評価を与えないのかも知れない。クレヨンしんちゃんとは逆の効能である。
 マッシュアップの勝利で言えば、私はラーメンズを思い出さずにはいられない。お笑いという大前提があって、そこに演劇や文学、ミステリーがいいギャップとして機能している好例である。先人にはシティーボーイズがあるが、自分の皮膚感覚ではダウンタウンとウッチャンナンチャンを足して二で割ったような懐かしさもある。下手につっこむことをせず、むしろ一方がぼけ倒している時の方がおもしろく、その時の放置とは、最高のつっこみである。結句、掛けあわせる他ないのだろうか。
 そう、何も知らない顔をして。
「そうだな……いまがもし本当に2017年なのだとすれば、新垣結衣主演の朝ドラで双子おちの交代があるパラレルワールドのループものなんていうものがヒットしているはずで、しかしそこには少女漫画的メソッドを忘れてはならず、東京ラブストーリーのリメイクでありながらも最終話ラスト三分で展開がひっくり返るトリックがあり、実は兄妹で前世から幾度も巡り逢っていたオープニングに戻る式パターンが必要になる。ここで優勝した要素としては、プロット以外に組紐のような伝統工芸かつアマチュアが安く作れて高くネットで販売できるハンドメイド要素があるといいんだが、2016年に流行っているからこれは、ぽんぽん手芸あたりが妥当だろう。これぞまさしくニッチなジャンルで売れたものをメインカルチャーが掬い上げる構造そのもの。場面転換でのロケ地は非常に鷹揚で、聖地巡礼はすなわち大都市圏となる。お台場を走っていたのにいつしか幕張にいる、という塩梅だ。ディティールの適当なのが近年の流行りだからな。従って撮影中、監督に内緒で散髪してコンビニに入った次のカット、自動ドアが開いて出てきたら極端に髪の毛の短くなっていた明石家さんまが、優勝者だ」
 納得がいかない。この感情に、文学という名をつけてやろう。

 

 

 

 ――腐り姫
   ひぐらし、車輪の国
   その次は?――

 

 

 

「で、結局どうするんです清風さん、その次は」
「車輪の国、悠久の少年少女(ファンディスク)」

 

 

 

 

 

 

 

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「ところで、文学フリマにご意見ご要望はありますか?」
 時に文学フリマ打上会場片隅、荷物置場となっているテーブルのひとつで私たち、顔つきあわせて煙交渉と決めこんでいるのであり、紫煙くゆらせながら文学ともエロゲーとも知れぬ話に徒花儚く咲かせているわけであるが、いつしかテーブルには彼と私、ふたりだけが残されて。
 眼前で文学フリマについて問うのは猿川西瓜か秋山真琴、だと思うのだが如何せん、煙が深く、判然としない。
 思いだせない。或いは栗山真太朗か牟礼鯨であったかも知れない。が、ここでは仮に田西源五郎とでもしておこうと思う。田西源五郎が私に文学フリマについて問うている。と、思う。
「そうだな、もう少し繁忙期を避けて開催してくれたほうがありがたかったかな」
 これは今回、一般参加に限りなく近く委託販売かつ打上にだけ参加している私の意見だというのは一応強調しておきたい。いつもならば文学ジャンルにブースを出展、文金高島田かウエディングドレスといういでたちで参加するところ、病院から抜けだしたままきてしまったため寝間着姿というところに今回の、自分の参加姿勢が表出していると思う。
「11月の祝日に、ということで以前は文化の日に開催されたこともあった。それがまあ暦の都合ではあるが、18日、23日、と後ろに倒れてきているのが地味に効いているんだ。11月も中旬を過ぎれば仕事は完全に年末進行になり、もう少し端境期の開催であれば、特に社会人は出展も来場もしやすくなると思う」
「なるほど。ワトソンに記録させます」
「繁忙期の開催というとコミケが想起されるが、あの年末開催というのは、〝踏み絵〟だと思う」
「試されているわけですか、僕達は」
「そう。年末をコミケに捧ぐというのは相当の覚悟が求められるし、そこで参加者がした決断というのはこれ、大きな意味を持つ。大いに売らねばならないし、買わねばならないだろうと思う、枝葉にまで強度がゆき渡るがしかし、暴力的なる日程だ。その覚悟を〝文学〟の一語に集結した人々へと問うのは少々、酷という気もする」
 文学フリマ大阪は文学に興味がなくとも、周辺住民がぶらり立ち寄れるようなイベントを目指したと以前、上住大阪代表から聴いた。そのため端境期にホームタウンで開催されるのだと。一方文学フリマ東京は前述したコミケ式の踏み絵を踏襲しており、それは望むと望まざると、東京周辺で一定のキャパを内包する施設が限られているからで、現在の会場である東京流通センターの立地とは浮動層を誘引できるほどに交通の便がよいわけではなく、これは致し方ないところでもある。このまま出展数が増加すれば次は幕張メッセか東京国際展示場、と以前望月代表が言っていたが、そのようなわけで立地の不便を叫ぶのならば出展者もまた、協力せねばならない。
 とまれ現状の地の利で本を売るなら、競馬クラスタ或いは旅行クラスタに訴求するということになるのだが、すわプラットフォームでぷらっと駅弁スタイルに競馬旅行文学小説でも頒布したろか知らん。
「間をとって寺山修司本を出すのはどうでしょう」
「それに日程については百都市構想も関係しているから一様にはいかない。文学フリマというナンバリングで同じ月に地方開催が重複するのはできるだけ避けたいところだと思うし、特に東京は中央の開催でもあるし、動員数を共喰いさせるわけにはいかないのじゃないだろうか。まあ重複も華々しく謳えば盛りあがるとは思うけれども如何せんスタッフ、出展者、来場者いずれの疲弊も強いることになる。私も地方出身者だし百都市構想は応援しているけれども、自ら首を絞めている側面が大いにあると思う」
「それは言われるまでもなく、身を以て体感しているところです」
「地方開催が増えれば文学フリマとしての総動員数は無論増えるが、東京開催しかなかった時代には地方から出張っていたサークルが、地方開催のみに留めるなんてところもあると思う。それは来場者も然りであって、今後文学フリマはそれぞれの地域性が色濃くなってゆくんだと思う。一般書店で言れば沖縄は地元ガイドがよく売れる、みたいな」
「清風さんの開催する〝文学フリマ歌舞伎町〟を心から楽しみにしています。それで今回の文学フリマの印象は如何でしたか? まあ午後にぶらり現れてメシだけ喰っていくあなたに訊くのもどうかとは思いますが」
「午後にぶらり現れてメシだけ喰っていく私が感じた印象をひとことで言うと、これは語弊をおそれずに言えば〝疲弊〟という一語に尽くすと思う。理由は前述した百都市構想によるところが多く、こう、ぐるり見回してみても打上に参加しているのが老舗がばかりということもあるとは思うが」
 かつては公式の打上というものはなく個々に打上しており、特筆、雲上回廊の秋山真琴が開催する打上は創作クラスタにとり最大手だったと思われる。やがて公式の打上が催されることになり、二度は外の居酒屋で寿司詰めになり飲んだものだが、以降は東京流通センター付属の会場で行われるようになり、現在に至る。それがなんだというわけではなく、これはただの昔話である。
 ついでに昔話をすれば、私もかつて責任編集を務めた『文学フリマガイドブック』はかつて非公式を謳っており、乱雑に言えば、当初創作小説に対しミシュラン的な格付を行うことについては相当の議論があったと聴いている。つまり非公式ガイドというのは大いなる炎上マーケティングであったわけで、これは大いに売れたし影響力があった、これは現在売れていないという意味ではなく、良くも悪くもかつてのような話題性はない、という意味だと読解してほしい。
 かつての火力がないというのは何も、創作クラスタの意識が低下したわけではなく、ひとつには公式化した、というのが大きいだろう。同じ地平にいる山本清風が良いだの悪いだの言っているわけではないのだ。入場時配られるパンフレットと一緒である。掲載されると聴けばラッキー、というくらいのものだろう。もうひとつには、割と長い時間をかけてガイドは本来のガイドとして役割を認知されたのだと、私は思いたい。長かったね。おめでとう。
 とまれ自分が産休に入ると同時にガイドは公式化したため、私はいまでも非公式の人間だという意識がある。そのため未だガイドに対する残存思念はあって、かつても議論したがガイドもまた百都市構想よろしく需要の数だけ種類が必要なのだろうと思う。歴史、批評、創作に於いても純文学、ミステリ、サイエンスフィクションなどなど、では誰がやるのか、と問われたところで挙手し、非公式を立ち上げた佐藤の中の佐藤こと佐藤は、だから偉かった。これは一見呼び捨てのようにみえるけれども佐藤はサークル名なのであり概念なのであって、敬称をつけることには異論がある。アイドル様やジャイアンさんがそうである。
「あとは若いサークルが増えたなあと思った、新陳代謝しているんだね。少し驚いたのは、夕方になるとイベントの終了を待たず撤収しているサークルが多かったこと。自分は駆け込みのお客さんもいるし、公式の打上にも参加するから最後の最後まで粘ったものだけど、遠方の子もあれば個々に打上する子もあり、ということでなんというか新入社員めいた印象があった。定時になったらさくっと帰る合理性というか」
「残業代がつかなかったり上司に内ゲバの呑み会に誘われたりしていいことないですもんね。清風さんは来年定年だからセクシャルかつパワフルにハラスメントする立場ですね」
「文壇の不良債権と呼ばれた文学、そのイベントが間口を広く構えるべく、文学を定義しなかった。これは思いやりとも弱腰とも映るもので、好いとも悪いとも言い難い。『あなたが文学だと思うものを販売して下さい』そのひと言によって自分は文学フリマに参加したし、結句文学という共同幻想は現在多くの人を養うことのできるジャンルではないとの確認と同時に、出版不況も相俟って、やはり同じ夢を観ることはできない、という現実が結実されてきた時、人は文学フリマを離れてゆくのかも知れない。定義しないままの文学というものと、一応は文学賞の最高峰と呼ばれることもある芥川賞がなんや男前の顔をして、文学という曖昧な概念をひとりのお笑い芸人に結実させた時、マーケットは爆発的に動いた。あの一撃はやはり出版業界を延命させたのだし、と同時に、文学という曖昧模糊としたものをやはり生ける屍であって、死体であるのだと証明した。自ら証明してみせたんだ。ああ、やっぱり死んでたんだ、こんなに腐乱して、って。ぎりぎり権威だけ維持して形骸化したその骨身を曝して、ほらほらこれがあいつの骨だ、なんて高々に掲げた。この手法はあと何回かは成功するかも知れない。良い意味での温度差、僅かに炎上を含むが言及した方が損をするようなとりあわせ、ミュージシャンがノーベル文学賞を受賞した時のような話題性を以て選出される、アイドルや政治家やニートの書いた(或いは書いたとされる)文学小説」
「長過ぎるんですよ清風さん、しかも不毛だし」
「頭皮にいいとされる海外の高級なシャンプーとトリートメントを使用しているんだ」
「やっと質問に答えてくれましたね。先程清風さんは〝疲弊〟とおっしゃいましたが、疲弊しているのは、あなたでは?」
「しおしおに疲弊しているよ。毛髪ももう、二・三本しかない。おばけでもないのに。しかし私は書くし、文学フリマに参加し続けると思う。それだけは変わらないし、それだけしか私に明言できることはない、それだけが唯一確実に私のできることだから」
「長時間ありがとうございました」
 向こうの席ではわいわいわい、アッピールタイムが始まっている。わい。希望者が短い持ち時間のなか宣伝をするというもので、午後にぶらり現れてメシだけ喰っていく私にはチャンスではあるものの、挙手することをしなかった。そのような恥ずべき振舞を臆面なくやってのけるというのは仕事だけで充分であり、或いは逆であるべきなのかも知れないが、私は文学フリマではそれをしたくはなかったのだ。
 望月代表の声がぴんと響き渡り、此度の文学フリマ東京も、文学フリマ東京の打上も終了してゆく。午後にぶらり現れてメシだけ喰っていった私が臆面もなく文学フリマについて書くべきではないのはわかっているけれども、それでも私は書きたかった。


 それでも私は、書きたかった。
 

 

 

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 文学フリマ。正確に言えば、その打ち上げに赴いたのである。
「おや…清風さんではありませんか」
 秋山真琴である。考えるまえに、跳ぶ。着水するまえに、跳ぶ。書くまえに、語る。速きことにその真髄のある、陣形でいえばラピットストリームといった風情の人物である。ただかつてに比しても輪をかけて忙しいはずで、眼前にあるのは精神の五十年以前の肉体のようでもある。
「ない」
「じゃあ僕の葉巻をあげます。で、打ち上げに何しにきたんですか? 出展もせず」
「腐り姫、ひぐらし、車輪の国―――その次は?」
「………!」
 秋山真琴の表情に思考の色とも違う、張り詰めたものが、走る。
 が、それは一瞬で、すぐにまた鷹揚な声へ戻り、即答した。
「それは…『果て青』ですね」
「ほう」
 わからない。わからないが、わからないことを伝える必要は、いまない。人と人がわかりあえぬのは自明であり、確認せずに推し進めることで問題の起きるのが仕事や家庭などの人間関係だとすれば、この場に於いて既に私たちは人に非ず、というかそもそも、ゲームや小説などその場で瞬時に体験できぬものをまあ気持ちはわかるけれど、指先てきぱき走らせてウィキペディアなど速読したところで、なんの意味もない。わからない。そんな時にはただほう、うむ、なるほどなあ、かなんか相槌打ってあとはちんと座って静かにしておればいいだけであって、発言せんければええのであって語り得ぬこと、沈黙することそれ即ちが対象を知らぬ私の罪と罰なのだ。共有することのできぬ、惜しむべきとりかえしのつかない、過去なのだ。

「残忍だよ」

「それって残念の間違いじゃないですか?」

「てっきり秋山君は『CROSS†CHANNEL』と言うと思っていたが」
「それはですね……」
 と、これは彼が言い淀んだのではない。打ち上げの会場から不自然に乖離しているこの喫煙空間に闖入者が紛れこんだためだった。闖入者がゆらり口を開く。
「また、逢うたな……」
 猿川西瓜である。言下、てぃてぃてぃんてぃんと何やら口ずさんでいるのだが、つい先刻まで熱っぽく交渉していた一般参加の女性はどうしたのだろう。どうやら向こうで別の男性といやに盛り上がっているようだが………。
「まだ、果たされぬのだな」
「全部や、全部そらでうたえるわ、それくらい好きや腐り姫」
 なるほど『腐り姫』のオープニングを模しているわけだった。その割には口ずさんでいるメロディーがやけにキラキラしていてつまり違うようだが………。(おそらく同時期にプレイした純愛系のエロゲーと混同していると思われる)とまれ、彼とまだカラオケにいったことはないし決定的に音程の定まらないタイプなのかも知れない。てぃてぃてぃん。
 ちなみに説明すると、彼は私と秋山真琴のやりとりを聴いていたわけではなく、ということは、抜き身でエロゲーの話題を鼻先に突きつけてきたのである。このケダモノめ。
「猿川君」
「なんなんすか清風さん、今日大人しありません? いつもと違うわ。(女性器の名称)とか(関西地方で使われている女性器の名称)とかぜんぜん言えへんし」
「腐り姫、ひぐらし、車輪の国―――その次は?」
「………!」
 猿川西瓜の表情に思考の色とも違う、張り詰めたものが、走る。
 が、それは一瞬で、すぐにまた鷹揚な声へ戻り、即答した。
「『CROSS†CHANNEL』ですね」
「ほらな」
「なんやねん!」
 私の推理はあながち外れていなかった。だが、知らず矜持を傷つけられてというか矜持を傷つけられたことも知らず、薄々気づき始めている猿川西瓜を擁護するわけではないのだが、秋山真琴がすっと助け舟を差し込んできた。笹の葉。
「いやね、『CROSS†CHANNEL』は最強のエロゲーなんですよ。あのゲームで僕の中のエロゲーは終わったんです」
 まだだった。まだこれは、猿川西瓜の台詞だった。叙述トリックは地の文で行ってはならない、これは『車輪の国、向日葵の少女』の灯花の台詞だが、私はどう考えたって完全にさち派なのであり、三ツ廣と呼ばれているのさえ愛おしく第二章で号泣してしまったのだし、腐り姫の糜爛エンドもマスカラが流れ出てパニエがふやけるほどに、泣いた。

 まあウイスキーを舐め舐めプレイしていたというのもあろうがそれでも、松本清張原作『鬼畜』以上『ニューシネマパラダイス』以下というくらいには、泣いた。さち派である。
 そんなことはどうでもいいのである。地の文で叙述トリックを行うのは法律で禁止されているから先刻の演出はただのミスだとしておきたい。ゲームで言えばバグといったところ。つうか私は軽く発狂しているので、『さよならを教えて』式のあえて表示と背景が異なっている演出だと思ってくれればよろしい。

 私だって小学生のひとりやふたり殺しているのだ。
「確かに僕も『CROSS†CHANNEL』以降エロゲーをプレイしていません」
 今度こそ秋山真琴である。言の葉。
「いや、こう換言してもいいかも知れない──。エロゲーは『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に始まり、『CROSS†CHANNEL』で終わった」
 何やら金言めいてはいるが、どうやら軽く発狂しているのは秋山君のほうらしかった。
「確かに………ほんまや!」
「こっちも狂っているのか」
 それでは『河原崎家の一族』からキャリアを始め、途中『野々村病院の人々』と『六ツ星きらり』を挟んだ私とはいったい、どこでエロゲーを終えればいいのだろう? 遺作?

 

 

 

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 ――腐り姫、
   ひぐらし、車輪の国、
   その次は?――

 

 人と人はわかりあえない。
 これは誰でも知っているが、ではそれをわかり切った上で〝わかりあうべく努力を恒久的に継続する〟のが夫婦であり、〝表皮だけでもあわせておこうか〟と、これがいわゆる通常の人間関係であるのを知らず、内臓ばかり闇雲に擦りあわせている恋愛などマッサージ店舗とネイルサロンを足した数よりも、多い。

 つまらないやつは比喩が安直。とこれは小学校で習うけれども、表皮はと問われ、会社社会であるとか学校或いは常識になぞらえるのはまだよくて、まさしくおなじような恰好をしておなじような言語を喋るひとつのカルチャーとなってくると、そういえば、かつてのギャルはみな少しほじくってみればいまで言うメンヘラのようなもので、ギャルの作法も忘れて、むきだしの言語で粘着してくるものであった。
 まあ隠したくもある心の所在を戯れに踏み抜いた私が悪いのだが。


 山本清風の清風教。これはとってもいいと私は思うけれどもあなたにとってもいいとは限らない。殺害対象であるかも知れないし、それがため常識があり規律があり法律がある、清風教とあなた教が刃を差し向けあわぬための知恵がそこにはある。しかしさよ教とかオモイデ教とかほんの少し漠然とするだけでそこにはあなたや私や多くの人が感情移入できる余地が生じ、敷衍される。それがため宗教とは概念としてあらねばならず、や、論点がずれている気がして。比喩にたち返ればひと目でわからぬような結束、その上常識でも規律でも法律でもないところで結託しているっつうのが、私はいいと思う。
 年齢も性別も時には生物学的にもばらばらな集団が、異能力の許に集結すると強度を得るのはそのためで、私たちだってなんの集団かわからないけれども確かにひとつの目的のために参集することによって、がぜんええ感じの比喩となれるのである。例えばギャルが百名集まれば壮観にも似た恐怖があるだろうけれど、目を狙え、かなんか言って弱点はみなおなじなのだから一網打尽に駆逐できるだろう、というのが軟らかいところだ。そもそも世界がひとつのギャルになるはずはないとの常識が働くから、どんなに多くとも全世界で殺しにかかれば、ギャルはマイノリティなのだ。どんどん目を狙っていこう。
 そんな世界にあって私たちは平素、一を語れば馬鹿ではないのだから三は解って欲しいところ、一を語っても三分の一も伝わらないというのが実際で、ぐるりみまわしてみれば仕事の齟齬、恋愛の齟齬、そごそごの齟齬だらけでみなみな文句を言うし、一を伝えるには三語らねばならぬのをわかっているはずなのに、まあ時間の関係もあるかとは思うが当人のいない場で、よくあるものだとインターネットなんかで饒舌になっている事例がもうこれサイゼリヤの出店数よりも、多い。だから私は折に触れてみなさんが親から最初に習うであろう冒頭の言葉をいかにもアフォリズムめいてくり返さねばならず、遺憾。あと、いかん。また論点がずれている。あっ、生命線が切れている。


 そんな世界にあって俺たちは、そんな世界にあって、私たちは一を話して三も五も時には十も伝わって、議論になるような仲間がいるというのはこれ、僥倖なことである。幸いなことであると思う。そのようなひとびとがわずかばかりながら私にもあって、これは怖ろしいことだと思う。相手が心を読んでいるのか、私のモノローグが漏洩しているのか、或いは…。
 亡骸を…。「カルチャーを噛ませると、意思疎通が円滑」これは私の持論で、普通に状況を説明するよりも相手に伝わる、と思っている。それには相手と共有している、相手の裡に強度を誇るカルチャーを見極めねばならないが…。地球(テラ)へ…。比喩よりも聴視覚、五感へと訴えかける効率がよくて、というのも私たちはおなじ青春を過ごしていなくとも、カルチャーを噛ませることで、一種おなじ過去を共有できるから。私がツイッターで出会った女子大生を戯れに絞殺してしまった一件を、調書風に説明するよりも比喩を交えるよりもまあ動画でも撮っておけばべつだが、『沼』とか『Air/まごころを、君に』を通過して、相手もそれらを知っていたその時、おまえもまた女子大生の首をきりり締め上げているのだ。このひとわるいひと。
 ただ、AirだのKanonだのと言っていてもあなたと私がおなじ映像を瞼に映じているとは限らない、そこにもまた無論もちろん齟齬は存在しており、それは作品がオマージュを含有すればするほど起こり得る障害であって、日進月歩新しい作品が創られてゆく以上今後、そのような問題は増え続けてゆくものと推察される。ですので、私たちは時にたちどまって整理してみることも必要である。少なくとも月に一度は必要で時に血をみることも?
 そのようなわけで私は文学フリマの会場へと赴いたのである。一を語って、万を伝えんがため。

 

 

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迎撃されたおかまの部屋には通信機器がなくて。
着衣と麦茶と凍結されたひや飯。彼がおかまであろうがなかろうが、はたまた年齢性別国籍の別なく、彼女は喰い詰めていたのではなかるまいか。この部屋にはカーテンがない。
テーブルの上にメモがある。万年筆の精緻な筆致で

〝韓国人が我がもの顔で五月蠅ひ〟

と綴られていて、まず疑われるのは政治思想なのであるがどうだろう、通信機器のない部屋で声高いかにヘイトスピーチをぶってみたところで、他者へと伝達されぬ政治とはいっそ、宗教の顔をしていやしないだろうか。宗教は本来他者へと伝える必要を持たぬ。伝えねばならぬとすればそこに政治、商売が成立しているのである。とまあ、政治思想とは断ぜられない。
もしかするとただの自由律なのではないだろうか。〝うるさい〟を漢字表記したり、旧仮名遣いを用いるのは教養ある証左とはならないが、少なくとも描かれたような場面はよく散見されるものであり、戯れに日常を切り抜いてみただけのことではないだろうか。おかまだって戯れる。誰にも制止する権利などはないのである。

ではどうしておかまは野球部員たちを遊撃したのか。中学生といえど鍛練された肉体に金属バット、あまつさえの集団にどうしておかまはなりふりも構わず、闇を討ったのか。ひと言も漏らすことなく、何故撃ち落とされたのだろう。妹が野球部員に輪姦されたことがあっただろうか、自分が女性であったなら成り代わりたかったのだろうか、中学生だからいけるとでも思ったのだろうか、通信機器でも奪おうと思ったのだろうか。

野球でもやりたかったのだろうか、戯れに。




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 小説家の猫はナイーヴで好もしかった。

 小柄な、茶虎のなめらかな毛なみキャリーバッグの隅に寄せ、額に飼い主の手のひらあてがっている。室内飼いの男の子だそうであるが、こちらからはややぶちの混じるちいさな鼻しかみえない。小説家と猫の話だけを二、三して、それがよかった。

 私は静謐なこころになって動物病院を出ると、坂を下り、保育園を左折して、木陰のカーブを抜けて神社を通ると、川に出た。整備された河川には桜が植わり、ベンチが据えられ、走るひとがあり、空模様の機嫌はすこぶるよかった。

 私は少しだけ家事を放擲することにして、ひらはらあえか落下する花弁のなかを、ベンチに座った。野菜の名前の愛猫を撫でながら風が、川面の上空を花をちりばめて渡ってゆく様子を、可視的に眺めた。アイコス噛みながら、みた。

 上京して幾年、いまやゆく春を惜しんでいたずらにこころ痛めることもなくなった。春はまた来るのだ。強度を得たのと同時に鈍麻したのだともいえる。平和を信じるというよりも、希望が習慣づけられたというべきだろうか。ともあれ齢の数程度には前進しているようで、何より。

 雪国から上京した私は生まれてはじめて桜をみた。胸を打ったのはどちらかというと、その美しさよりも、落ちた花弁が足蹴にされ茶色く朽ちてゆくことだった。足を停めて、落ちたばかりのひとひらひらうと読みさしの文庫本に、そっと閉じた。

 帰宅すれば細君と子供の自転車がなくて、自転車置場には『櫻の園』のピアノ曲修練している音色が微かに届く。いま暫し私は静謐なこころのまま猫を解放すると、猫背にひとひらぽつり、花びらが名残ってなかなかに風情がした。




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 二十代前半、水木しげるは私にとって精神的支柱だった。

 しりあがり寿を「死を笑い飛ばしたい」と『瀕死のエッセイスト』を描いたが、知っての通りしりあがり寿の作風はコメディが実は笑えない深刻さを物語る、というパロディのパロディというシリアスで勤勉なサラリーマンが精一杯おどけてみせる、そんな緊張感を読者に強いるのが作風だったのだからつまり、失敗していたのだが。

 だがスローガンとして掲げられたそれさえも実はポーズであり前フリなのだという「死を笑い飛ばしたい」とはすでに、水木しげるが実践しているではないかと想到した。死の深刻さを相殺するのはユーモアというよりも希望という代替案であり、宗教のように説教くさくなく金のにおいがせずまこと身近でありそのようなものが、妖怪という二字には結実されているような気がする。キュートだとかユーモアはそれを包んでいる表皮に過ぎない。牧歌的である。思えば谷岡ヤスジがただひとり肉薄していたか。



 二十代前半の私にとり水木しげるの言葉はことごとく、沁みた。なにしろ好きなことばかりして暮らしたかったしなまけものであったし水木しげるは成功していたからだ。あなたのようになりたい、と私には赤紙を受けとる勇気も片腕を失ってそこに赤ちゃんの香り、生命の香りを嗅ぎ原住民から果実を譲り受ける能力も覚悟もないのに、都合よく解釈していたわけだった。いま思えば致命的なまでにハングリーさが足りないのである。ここ一番で水木しげるを突き動かすものは食欲であり、それ以外にも旺盛な睡眠欲、吉原来訪エピソードにみる性欲など、欲望に忠実であるからこそ「好きのちからを信じればいい」でちょうどよかったのだろう、といまではわかる。決して菩薩ではないのもミリキであった。

 水木しげるに憧れながらも一日三食を八〇円のインスタントカレーを喰らい、睡眠時間を削りDTMしていたむしろストイックな私は足しげく古本屋へと通い、水木作品を蒐集しつづけた。はじめは鬼太郎だけなんて思っていたものが、青林堂版・講談社版・扶桑社版・以下続々と復刊される鬼太郎シリーズを買いつづけ、思えば太田出版の復刻シリーズや墓場鬼太郎の再アニメ化などなど毎月のように新刊がでていたし、すぐに鬼太郎だけでは物足りなくなってすべて買い集めるようになってゆき、神保町でずいぶん紙幣を落としたりした。自室には水木しげるが屹立の余地なく積みあげられ、大水木展あたりを頂点とし長き栄華を誇った。いま徒然なるままに、水木。



 取り壊される男性寮から大量の精子の霊魂が飛び立ってゆく
 墓場からゆりかごまで(わかり過ぎるほどわかる男よ)
 くしゃみの拍子に他の人間の口に入るボヤ鬼
 フハッ、とは脱力したときにでる音
 閉店間際の八百屋、安くなった腐りかけのバナナを奥さんと食べるのがたのしみ
 生まれてはじめて発した言葉が「死」
 うんこの島
 ゾロゾロゾローッ
 バオーン
 体育館に響き渡るナプーン
 妖怪語ピリカポリカテ
 鬼太郎と悪魔くんの対決
 三島由紀夫
 喫茶店
 ものすごいスピードで点と点を繋ぎあわせてゆく
 コケカキイキイ
 デスノートの元ネタ
 こなきじじいとともに沈んでゆく原子力潜水艦
 ビビビビビビビ、ビン(最後の一発、ねずみ男が涙を浮かべている)
 美人の幽霊に魅入られる山本

 もう半分以上妖怪なんです、そう言っていた水木しげるはとうとう肉体を置いてゆき、ペトロペらがまつあの世へと旅立った。涅槃でも天国でも極楽でもなく、あの世の辞典を描いていたのだからあの世としか言いようのない場所へと行った、行ってしまったのだろう。再三水木しげるが書いていたように、水木しげるの死はかなしむべきものではなく、といって爆笑できるものでもなく、水木しげるの訃報を受けて自分が文章を書かずにおられないのはやはり悔恨めいたもの、しかし名状すべき追悼文があるわけでもなく、なんとなくさみしく、諸行無常を感じずにはおられずまた、できることなら肉声のひとつでも聴いておきたかったというような些末に過ぎない。

 多くの死がそうであるように、私自身そう思っているように、これからはいつでも話かけられるし話せるようになる、それが死でありさみしさをも埋める唯一だと思う以外にないのだろう。それでもなおさみしくて、訃報を知った昼からずっと私は、府中の方角に向かってひとりブリガドーン合掌をしているのである。






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 エクセルシオール


 との文字列が掲げられている傍らの自動ドアを抜け、私と友人は下げ台から使用ずみマグカップをひとつづつひっ掴むと喫煙席へと赴いた。で、煙草に火を点けぎしり。対峙した。


「サノケンがオープニングでハガクレよ」
「なんだと?」
「サノケンにオープニングのハガクレよ」
「おいさっきと接続を変えるなよ。わかりにくいものが余計にわかりにくくなる」
「聴こえてるんじゃないか」
「つまり、佐野研二郎がオリンピックの開会式でハラキリしたら外人にめっちゃ受ける、そう云いたいんだろう?」
「流石だな清風。円周率が割り切れちまうよ」
「なに?」
「一晩で法隆寺建てられちゃうよ」
「おい嬉しいのはわかるが自信がないからといって途中でねたを変えるなよ」


 思えばこいつとは中学時分からのつきあいである。本質が変わらないというのは存外疲弊するもので、というのも互いの間には或る特定の時間軸が走っており、それは私たちの経年であるだとか明日馘首になることとは無関係であるがため、落差が私に残酷なのである。この空を抱いて羽ばたいても中年は神話にはならないし。


「ところで清風はけっぶふん」
「おい汚いな」
「すまんすまん」
 はは、と笑った友人の鼻腔からひとすじの。
「おっと、鼻水タリーズ」


 やがて時間は動きだす。
「おい、天才かよ」
「誉めてないぞ。さも私が云ったかのような叙述トリックはやめろ、あまり読者を馬鹿にするな」
「清風こそ俺たちがまるで一篇の物語かのような物言いするじゃないか、正気か」
「そもそもここはタリーズじゃない、ヴェローチェだろう。なににかかってるんだ」
「おいおい清風、ここはサイゼリヤだろ?」
「なんだと?」
 ふいに無言となった私たちの後方で、


 ピロリ ピロリ ピロリ


 ポテトの揚げあがった音がしたかと思うやピエロ的メイキャップの店員がやってきて、私たちは喫煙の咎によって拘留されたが私なんぞはまだよいほうで、友人は××に月見バーガーを見舞われていた。






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「これでは使えないしそもそも、可愛くない」

 私が一刀両断にすると出尾菓(デビカ)は艶めかしく微笑んで、

「使えないとなんで困るの?」
 と問うた。その待ってました感がいけ好かなくそこはかとなく鈍光(にびひか)るアクセサリーがそれがため拵えられたのだと知ると、女性がカワイイに封入する意味は最早一冊の辞書である、と我ながら名言めいていたなんとなく。

「クリスタル」
「ん?」
「就職活動の惰性でオープンマインドなお前が射程距離に踏みいるやのべつまくなし男とあらば駆けひきするその脊髄反射が腹の底から不快だし、リクルートスーツを脱がさないで」
「ぜんぜん意味わかんないんだけど、なんで不快なの? なんで使えないと困るの?」

 男の子が好きな子にいじわるするように、いけずは駆けひきのうちだと出尾菓は考えているようであった。
「もってけ!セーラー服っていうのは、セーラー服を脱がさないでのオマージュにしてアンサーソングだと思うんだよな。傀儡的な前時代的アイドルソングのアンサーを、自立的な現代アイドル像としてのラブライブ!楽曲手がける畑亜貴が書いたというのは一顧する価値がある」
「ん?」
「そりゃクリリンのことか? それともプニってことかい?」
「こっちがきいてるんだよー。なんで使えないと困るの?」

 少しく思考停止していたようだ。
「ちょっと離れてくれるかな」
「えーなんで~?」
「いいから後ろに下がってごらん」
「んー、ここ?」
「まだ後ろ」
「え~清風のいじわる」
「もっとだ」
「まだ~?」
「よし、そこでいい」

 私がアンダースローしたつぎの瞬間───、レジン閉じこめされていたコンドームが出尾菓の額に貼付されていて、破片がきらきら綺麗やってん。




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