山本清風のリハビログ

神様のエロ本


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 ―――ステージ一に戻る。
 
「だがゲームとは所詮、比喩に過ぎまい。問題は、おまえがそれをゲームに喩えたというその、理由だ」
 ありうべからざる世界を説明しようと試みる時、この三・五次元的な不条理をゲームになぞらえることは確かに、一定の理解を得ることが可能かも知れない。つまりはイメージの共有だ。事実日常と非日常の乖離、ならびにその原因という命題が提起されたことについて、我々は一定の評価をしていいだろう。疎らな拍手。
 しかし辞書の循環参照よろしく、ありうべからざる事象を説明するにあたっては、命名、比喩、逆説的な浮き彫りに終始して、結句私たちは理解したようなつもりになっているに過ぎず、仮にこの世界をハワイと名付け、夢のようであるとイメージし、少なくとも千葉や茨城、或いは埼玉ではないとしたところで、果たしてこの世界に、皮膚感覚以上の理解が深化されたであろうか。会場からはそうだの声。
 これらの成果するところはとりもなおさず「ありうべからざる事象は語り得ない」という結論であり、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」とのストックハウゼン&ウォークマンの金言を引用するまでもなく我々は、保留の態度をとらざるを得なくなる。着席していたヴィトゲンシュタインが起立して一際高い拍手を打った。
 だが、その表情とは思考停止した人間の横顔と何処が違っているだろう? 停まっているかのように、考えている、かのように。生と死が対立項であるがゆえ両端より円環を成すかのように、考えることと考えないこととは一元化してしまい、私たちの目には差異を余地させない。はてさて差異を論じてみようとしたところで私たちの誰もが件の循環を演じてしまうのである。そう、ちょうどさっきのあいつの説明のように。ひとびとが席を立ち始める。
 それでも尚、私たちは思考すべきである。夢のような幻覚のような精神世界のようなゲームのような、幾重にも折り重ねられた比喩がやがてエンボスした真理の肉感的な形状を、あたかもソナーよろしくに、特定する日まで。それがこの世界からの卒業という目的であると設計図に明記せねばならず、転覆のような手段の目的化を幾度経ても諦めず、航海し、或いは後悔しないこと、これが目的地である。
 そのためには幾つもの経由地を踏まねばならぬのは想像に難くない。ここで踵を返してみれば、論理の循環を待たずして明白な解答を持つ命題のあることを思い出すに違いない。すなわち、おまえがこの世界をゲームに喩えたその、理由だ。暗転。
「ゲームという着想そのものがおまえの乖離を物語っている。ゲームとは三人称一人称化の最も有効なトリックだと思い出すことができれば、そこには同時に、プレイヤーと開発者が存在していることに気づくまでそう時間は要さない。ソフトとハードの問題ではなく、平面ではない、縦軸と横軸との三次元、受動と能動の関係にあるそれらを結ぶ特異点なのだと、まずは問題が明瞭となる。さあ、いまこそおまえに問おう。これは誰のプレイしているゲームなんだ? プレイしているのはおまえなのか? それともプレイされているのがおまえなのか? プレイヤーと開発者とゲーム、おまえはそのいずれに該当すると思う? 昨日食べたものを思い出せるか? マカダミアナッツは酸化物質の影響を受けないというフレーズ知ってる? おまえのマイナンバーは?」
「えっ?」
「おまえを、特定する」
「そっ、それは困る」
「何故だ? おまえを証明し得ずにおまえの世界は語り得ない。おまえの座標点を特定することができない。おまえは存在しない。おまえの霊圧が、いま消えた」
「おまえの目の前にいるじゃないか。俺は既にこの世界で全裸になったり妙齢の女性の仰臥する頭上で腕組み/仁王立ちしてるんだ、世間体に響く」
「おまえの世間が何処に在る? そもそも、おまえがいない」
「おまえの論理でいけばだな、俺は俺の存在を、ネーミングしてもメタファーしてもパラドクスしても証明できないことになる、思考の迷宮に幽閉されているんだ。いまさら個人情報を開示したところでどうなる」
「おまえの解釈は腐っているんだ。新鮮な食材を目の前に腕組みして、腐らせてどうする」
「腐ってないもん」
「例えばスーパーマリオだが、あれは幻覚に紐づく現実があったはずだ。帰る場所が現実であるなら対応している現実を探すべきなんだよ。亀を隣人と解釈したなら踏まなければいい。ワンナップキノコがマジックマッシュルームだと思えば喰わなければいい。現実では罪になるんだからな。解釈と置換が正しく機能していれば、幻覚はその価値を半分失うことになる。おまえは地図を間違えているからいつまでも現実に辿り着けず、思考の迷宮に幽閉されているんだ、この腐れ外道」
「ほんとだもん、本当に新鮮なんだもん、嘘じゃないもん」
「もしもマリオが幻覚であるとすれば、そこには置換されている現実があって、その分析こそがゲームという比喩から算出される解となる。その時ゲームという暇つぶしはれっきとした思考実験となるわけだ。真に聡明な人間というものはな、どんな些末からも教訓を得て自らの血肉とすることができる、それがおまえの逃げ続けた残酷な現実というやつなんだよ。まだわからんか? ベッドと病室。河川と橋梁。大量に遺棄されたタイ料理と、遠く開閉している改札口」
「―――雪が、雪が降っているのです。果てもなく。窓外に青く仄光るそれが何故だか雪だと僕には解って、かなしくなる。知らないはずの琴線に、触れるのです。鉄路には車両がなく、或いは深夜、或いは早朝を指すのかも知れない、ただ指すべき針を持つ時計が、ここにはない。時刻がわからない。こわいような気持ちで部屋を出て、廊下を突き当たって、階段を降りてそこには、窓口の順番を待つひとが沢山います。同級生もいます。テレビで観たことのあるだけのひともいます。知らないひともいますし大変な混雑です。僕はすっかり諦めてしまって学校と、病院と、ホテルと役所によく似た建物を徘徊して、そうです。あの子が僕の畏敬する大天使様なのです。違います。僕がありきたりな関係になった少女たちが実は、野犬であったり文鳥であったり眼医者の看板であったり僕のおじいちゃんであることが電撃的に判明してそんで」
「そういえば授業って〝カルマを授かる〟と書くよな」
 私はあいつのまじなやつを遮って煙草に火を点けた。

「嘘です」
「フロイトもあれで割といいことを言っている。すべての事象が性によって説明されるというのは暴力以外の何ものでもないんだが、一方でひとはみな性から生じていることを思えば、これは当然とも言える。そこには、逃れ難い比喩が横たわっているんだ」
「この世界はセックスで満ちている」
「ほら、あながち真実の一面を捉えているだろう。いやに正確にな。この世界は現実とは異なっているという点で、時間軸に於いては以前、或いは以後に位置している、と。これは当然だよな?」
「セックス以前、或いは以後なのだ、と」
「ほら、唐突にそれっぽくなるだろう。文学や精神分析でセックスが登場する時は、さして意味もない事象にあたかも価値を付与したい時なんだよ。エッチの後にはアイがある。では、」
「エッチの前にはジイがある」
「ではアイとは何かというと、愛というよりは私、自己ということなんだ。そこで初めておまえが存在する。さあ、もうわかるだろ?」
「自慰の後で性行する。サクセスする」
「ベッドとは温床であり、彼方には可逆か不可逆かの知れぬ境界がある。入ってくる大勢があれば出てゆく大勢もある。ふり返れば橋梁が架かり、これも境界を結ぶとの意味が想起できるだろう。耳をすませば河のせせらぎ、遠く微かに車の往来、都市の雑踏が聴こえない、でもない。この世界はホワイトノイズに包まれているのだ。そして川は、栄養価の多い食物を絶え間なく、輸送し続けている」
「わかんね」
「私たちはこのベッドに束縛されていると思っている。だが果たしてそうなのだろうか? この川の上流は二股にと分かれ、その先には、やわらかな草原が拡がっているかも知れない。窪地には湖があり、ふたつの丘陵がたわんでいて、辿り着いた場所で、懐かしい顔に再会することがあるかも知れない。それは初めてなのに、とても、とても懐かしい表情をしているかも知れない」
「認めんぞ」
「認知しろ」

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