2014年のラ・ディアダ(カタルーニャ・ナショナルデー) [備忘録] | 蹴球中毒な男の独り言日記-バルサ偏愛的バルサ備忘録

蹴球中毒な男の独り言日記-バルサ偏愛的バルサ備忘録

 フットボールに魅了され、フットボール中毒に侵され、フットボールなしでは生きていけない男のフットボール的な日常についての独り言と備忘録です。愛するFCバルセロナの応援を中心に書いています。バルサのソシオなので、かなりのバルサ偏愛者です。

 9月11日といえば、世界的には2001年のニューヨークの同時多発テロとなるが、FCバルセロナを愛している者としてはカタルーニャのナショナルデー、“ラ・ディアダ(La Diada)”となる。


 日本に生まれ、日本で暮らしている日本人が━━自国のことでも知らないことが多いのに━━カタルーニャのことに首を突っ込むことの是非は別にせよ、愛するクラブが存在する"Nation"について知ろうとする欲望は当然であり、その欲望を━━当たり前で稚拙な形ではあるけれど━━書物で知り得ることは最低限出来る。とても小さな知識だが、知った以上は反応するのが自然であり、その上で、完全に個人的な、完全な[備忘録]として、エントリーしておくのが目的とする━━と1年前のエントリー と同じ書き出し。。。





 2014年9月11日のラ・ディアダは、1714年から300年記念ということ、スコットランドのイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)からの独立への動きにも刺激を受けて昨年以上に熱い記念日となった。






 18世紀始めにスペイン・ハプスブルグ家のカルロス2世の継承者を巡り、その王位を政治的な関係性によりヨーロッパ諸国間での争いとなった。このスペイン継承戦争はパプスブルグ家対ブルボン家の王位争いの構図で、カタルーニャは自治(自立)を尊重してくれそうという思惑でハプスブルグ側についた。スペイン継承戦争最後の戦いとなったバルセロナ包囲戦の結果は、ブルボン家(スペイン・フランス連合軍)側がブルボン家側の最後の砦となったカタルーニャの首都バルセロナを陥落して勝利するとフェリペ5世がスペイン王になり、ハプスブルグ家についたカタルーニャは敗者となって戦後は様々な報復を受けることになった。


 フェリペ5世はスペインを中央集権国家に作り変えることを目指し、カタルーニャの自治権を取り上げ、その一環としてカタルーニャ語の使用禁止、大学の廃止などカタルーニャは閉塞を強いられていった。この際に現在のフランス側の北カタルーニャ地方(ピレネー=アリアンタル県)はカタルーニャからフランスへ割譲されている。カタルーニャにとっては戦争に敗北を喫し、国家を失った日として9月11日をカタルーニャのナショナルデー、“ラ・ディアダ”としている。


 2013年は、2012年の150万人を上回る160万人が参加し、カタルーニャ国家総会(Asamblea Nacional Catalana; ANC)が運営してカタルーニャ州の北から南まで86の自治体が協力して、「カタルーニャ、独立への道」というスローガンの下、住民40万人による"La Via Catalana"(カタルーニャの道、人間の鎖)が行なわれたことは記憶に新しい。

11092013_El Periódico

11092013_La Vanguardia

12092013_El Periódico

12092013_La Vanguardia


 2014年は、バルセロナ市内のディアゴナルとグランビア・デ・ラスコルツに大きな「V」の文字をカタルーニャ旗のセニェーラで描き出す50万人規模のデモが行なわれた。「V」は投票、勝利、意志の頭文字であり、11月9日にスペインからの独立を問う住民投票の実施に向け、スペイン裁判所が違憲としている投票に向けて圧力を掛けた。中央政府の発表では少なく見積っても52万人が参加し、バルセロナ当局の発表では180万人となったイベントとなった。


















 バルサからは黄色のTシャツを着たジェラール・ピケがセニェーラのユニフォームを着たミランくんを連れて参加。その様子をツイッター に投稿、「こんなのみたことない。ただただ忘れられない」 。他には会長のジョゼップ・マリア・バルトメウ、チャビ・エルナンデスがデモに参加したようだ。


 クラブとしては、毎年恒例となっているエスクード仕立ての花を英雄ラファエル・カサノバ像への献花だ。












 ラファエル・カザノバ(Rafael Casanova i Comes | ??/??/1660?-02/05/1743)はバルセロナの百人議会の議長であり、スペイン王位継承戦争の最終局面である1714年の第3次バルセロナ包囲網でカタルーニャ軍の総司令官としてパプスブルグ側についたカタルーニャの軍隊を率いて奮闘した英雄で、カタルーニャ最高の愛国者のひとりとして敬意を払われている。カタルーニャのアイデンティティを確認するために、カタルーニャの政治家や各種団体・機関などが献花する。


 公式行事故に会長のジョゼップ・マリア・バルトメウ始めとする理事たちに加え、フットボール部門からはチャビ・エルナンデス、ジョルディ・マシップが選手代表として参加、その他のプロ・セクションからも監督や選手たちが参加している。










 ラ・ディアダから2日後の9月13日(土)のリーガ第3節、カンプ・ノウでのアスレティック・クラブとのゲームでは1714年9月11日から300年を記念してバルサはカサであるにもかかわらず、LFPに対して今シーズンの第3ユニフォーム━━にして昨シーズンの第2ユニフォーム━━のセニェーラを着用することを申請、LFPからの了承を受ける共に、バスク純血主義を貫く━━今はかなり広義だが━━アスレティックも賛同、バスクのライオンもバスク旗(イクリーニャ)を模した第2ユニフォームを着ることになっている。