どんなにしんどくても、どんなに大変でも、絶対に「この仕事」だけはやめない。
というか、むしろ、大変だからこそ、頑張れる。
「負けるものか!」と、燃え上がる。
(いつも、いつも、そうとは限らないけれど (^^; )
だから、わたくしはやっぱりこの仕事が本当に、心の底から好きなんだと思う。
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ここ最近、今まで以上に、「もうこれ以上、このままでは居られない!!」と、強く強く思うようになった。
いや、そんなことはもう3、4年前から如実に感じていたことなのだけれど。
でも、以前にも増して、「もう、これ以上、ここで我儘をさせてもらっているのは、本当にダメだ。もう絶対に許されない……!」といった感が非常に強くなり、いよいよここを出て行かなければ、と思っている。
だから、非常に焦りも強く、その一方で、現実に目を向けると、「一体、どうやって……!?」といった思いしか湧いてこず、そこで結局詰まってしまって、元も子もなくなってしまいそうになるのだけれど。
でも、そこで煮詰まっていては、なんにもならない。
現状を超えてゆくだけの大胆な発想力を働かせなければ。
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ローマ法王にお米を食べてもらおう!! だなんて、普通のひとなら考えつかないようなこと、まさに「ウルトラC級のアイデア」を実現させた高野誠鮮(たかの じょうせん)さんじゃないけれど。
あるいは、所持金たったの9万円で、思春期のお子さん3人も連れて、東京の田園調布にお引越しされた奈未先生<=作家の佳川奈未(よしかわ なみ)先生>ではないけれど。
(奈未先生は、東京での新生活の準備に必要なお金をつかわれたら、本当に手元には9万円しか残らなかったとのこと)
それくらい大胆な、「ものすごい行動」に出なければ、道は拓けない。
それだけは、身にしみて、感じております。
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奇跡は与えられるものではなく、起こすもの、だとわたくしは思う。
ならば、その奇跡を起こすために、今、自分に出来ることは何か?
先日も、オフィスに出勤してすぐ、荷物を置いたその身で、メモ帳を取り出して、ばーっと思いつくまま、アイデアを書き出し。
(わたくしは始業より随分早く出勤しているので、朝の時間の余裕だけはあるのです (^^; )
そのメモを昨夜逢った旧友の〇〇ちゃんにも見せていたのだけれど、ほんと、片っ端から、出来ることからやっていかないと、もう後はない。
本当にそう、心の底から強く思っています。
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前述のとおり、わたくしはもう数年前から、「いい加減、ここを出なければ」と思うようになっていて、だから、そのために、「夢が叶うまでは」とテレビ断ちをしたり(現在も続行中☆)、特に去年は、えらく大胆な賭けに出て、でも、それが結局うまくいかなくて、また(去年の)夏から派遣生活を再開して……で、今に至るのですが。
でも、これ以上、「わたしは、夢があるから、それが叶うまでの間、こうして短期の派遣を繰り返しているんです」という大義名分がもう成り立たなくなってきているような気がして。
今の派遣先様もとてもよい職場だし、皆さん本当によい方々で、とても親切にしてくださるし、こうして派遣社員として働く生活になんら不満はない。
むしろ、感謝、感謝。
感謝しかない。
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けれど、あくまでもわたくしは自分の夢を叶えるためにこの10年間必死にここで頑張ってきたのであって、ここ滋賀に留まるつもりは相変わらず毛頭ない。
<だから、(地元密着型の銀行さんである)滋賀銀行さんの口座は絶対作ってこなかったし、滋賀県彦根(ひこね)市発祥の中堅スーパーである平和堂さんのポイントカード、「HOP(ホップ)カード」も絶対作ってこなかった(笑) つい先日も「HOPカード」を作るよう、いつも行くスーパーの店員さんにすすめられたばかり。「HOPカード」は、滋賀県民は殆ど、大抵の方が持っているはずのカードなので、「持っていない」というと非常に驚かれる(笑)>
こうして派遣社員として外でお勤めさせていただけることは本当にありがたいこと、この上ないのだけれど、そうした身に、これ以上安住していてはいけないな、と思って。
とにかく、「夢を追う身だから、短期派遣を繰り返している」という説明が、(そうした生活がもう5年目になった今では)もう通用しないとしか思えなくって。
いつまで言い訳しているんだろう? って。
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ここ5年間のわたくしのように、「夢がなかなかうまくいかないから、短期派遣を繰り返して……」というのは、なんて言うのかな?、おひとからご覧になったら、「ああ、そうなのー、頑張ってねー♪」って思ってくださる方もいらしてくださるのだろうし、「あんた、いい歳していつまで夢を見てんのよ? いい加減、現実に目を向けたら?(呆)」とおっしゃる方も当然いらっしゃると思う。
けれど、わたくしはこの10年、文字通り、この夢に本当に「全て」を賭けてきて、もう、この夢しか自分にはないから、だから、今更あきらめるなんて絶対出来ない。
ならば、高野さんじゃないけれど、奈未先生じゃないけれど、それくらい大きな策に打ってでなければならないなって思って。
じゃぁ、そのために何が出来るだろう? って。
ここ最近はそればっかり考えてる。
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先月、大阪であった奈未先生のセミナーに行ったとき、先生は、「とにかくピン! と来たら、即、行動」、「成功している方の真似をする」、とか、松下幸之助さんの言葉( 「『まずは汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ぬ者は去れ!』と云うべきやね。本当の知恵と言うものは汗から出るものや」 --- 昭和の実業家・土光(どこう)氏の WIkipedia より引用)のように、何もないなら知恵を出すしかない、知恵を絞れ、といったことを散々おっしゃって。
そして、ほか、奈未先生が何度も繰り返しおっしゃっておられたのが、「自分はこのままでは終わらへん!!」というか、「これでもか!!」というくらい、普通のひとならそこまで考えへんやろう……!? っていうくらい、自分を高く見るとか、
あと、何も出来ない……のではなく、今、ここですぐ何か出来ることはあるやろう? って話。
例えば、アメリカに行きたいのなら、まず、旅行代理店に行って、パンフレットを貰ってくるだけでも出来るやろう? そうして、まず、一歩動いたら、次、何をすべきかが見えてくる。
人生はその繰り返し。
お金がないのは動かん理由にならん。
本当の成功者は、お金がないうちから動き出さはる、みたいなことを、何度も何度も繰り返し力説しゃはったのでした。
(……と、つい、地元・滋賀の言葉が出てしまいましたが (^^; )
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そんなこんなでね、もう、とにかく動いていかなあかん、そう思うんです。
10年前を振り返っても――、そう、わたくし、10年前の、2007年の6月13日に、それまでお勤めしていた派遣先様をほぼ突然辞めたんですよね。
(正確には、その前月中には退職を申し出ていたと記憶しております (^^; )
なぜなら、丁度その頃、京都のある百貨店様のお仕事のお話をいただいていて、京都で働きながら、滋賀の大津の膳所(ぜぜ)で、初めての一人暮らしを始めようかな? って。
そう思っていたんです。
そしたら、その京都のお仕事のお話がなくなってしまって、どうしよう……? ってなって。
ひとり暮らしの話も、一旦保留になったんです。
で、とりあえず、別の派遣のお仕事を7月中旬までの超短期でさせていただいていたのですよね。
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そしたら、その期間中に、近くの駅で、中学時代の同級生のおひとりにたまたま偶然お出逢いして、で、そのとき、別の同級生さんの話題が出て。
「〇〇さんは東京に行かはったよー!」って聞いて、わたくしがもともと持っていた「関東に引っ越したい熱」が急にメラメラと再燃しまして。
(30歳になるかならないか、くらいの頃から、わたくしは、ずっと鎌倉に住むのがかつての夢だったのでした♪)
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で、以前からなんとなく考えていた、どこかのホテルさんや旅館さんで住み込みで働いてみる? ってことが俄かに現実のこととなって、で、7月の27日だったかな、勇気を振り絞って、そうしたお仕事を手配してくださる派遣会社様にお電話して。
そしたら、なんと、その日の午後には箱根行きが即決し、その約10日後、8月7日に、わたくしは滋賀を出て、一路、箱根へと向かったのでした。
(それまで箱根とは何の縁もゆかりもなく、家族はおろか、周囲のお友達も全く訪れたことがない土地でした。唯一、わたくしの人生を救ってくださった、かつての上司の方が、以前東京におられたとき、時々ロマンスカーで箱根に行かれては、わたくしがお世話になったホテルの同系列の小さなお宿によく泊まっておられたという)
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それともうひとつ、当時、わたくしはどうしてもボストンに行きたくって、でも、そこに行くことなんて、当時も本当に夢のまた夢、だったわけなんですよね。
2007年の5月、当時、滋賀の大津で働いていたわたくしは、仕事帰りにしょっちゅう湖畔の公園(=大津湖岸なぎさ公園)に行って琵琶湖の上の「狭い空」(当時は本当にそう思えて仕方なかった。当時のわたくしはどこに行っても狭く感じて、毎日、窮屈感と圧迫感でいっぱいだったんです)を見上げては、「ああ、この空はボストンへと続いているんだわ……!」なんて思っておりました。
7月の時点でも、まだ「行けたらいいなぁ」ってくらいの感じで。
パスポートさえ、持っていなかった。
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それが、その箱根行きが決まる少し前に、急きょ、何を思い立ったのか、海外旅行用の大きなスーツケースを初めて購入し、そして、大津までパスポートを作りに行ってですね。
で、箱根にお引越ししてから、すぐ、海外行きの手配をして。
それで、その年の10月には、7月時点では「夢のまた夢」だった場所、ボストンに実際到着していた、という……。
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それくらい、本当に……2007年の夏から秋にかけては、人生が驚くスピードで、全く思いがけない方向に展開していったんです。
(あ、でも、その前の6月、マリア様が夢枕に立たれて、わたくしを本当にゆっさゆっさと揺さぶられて、「璃い、とにかく一度ボストンにお行きなさい」ってはっきりとおっしゃったんですよね。それからしばらくして、朝、通勤の電車に飛び乗ったら、「わたしの代わりに絶対行って!!」といった感じのコピーの、バーゲンの中吊り広告が目に飛び込んできたという……(笑) それで、わたくしは真剣にボストン行きを考えるようになったんです☆)
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あの頃のことを思うと、あれから10年経った今、これからの日々も、10年前と同じように、びっくりするような展開が待っているような気がしてならないんですよね。
話を戻せば……、結局、2007年の7月に京都での仕事 & 大津・膳所(ぜぜ)でのひとり暮らしが共にダメになった → どうしたものかと途方に暮れていたら、上京されたお友達のことを知って、「わたしも関東に行くー!!」と急きょ箱根行きを決め → その後、生まれ始めての海外旅行(=ボストン行き)を実現し → ボストンに行って、現地で感じ取ってきたもののあまりのすごさに圧倒されてしまい、その後、ひと月ほど激しく落ち込んだけれど → その年の暮れ、12月には、ボストンにいらっしゃる憧れの先生のように、プロのサイキックとして生きてゆくことを決意 という流れになったんですよね。
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10年前を振り返ると、いつも、全く先のことが見えない状況で、それはまるで急カーブばかりが続くコースをものすごいスピードで駆け抜けてゆくレーシングドライバーみたいな日々だったのだけれど、でも、ちゃんとその年の12月には、今に続く夢が、自分の生涯の目標となって。
で、結果、よかったのですよね。
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じゃあ、どうして10年前はそんな大胆な変化を短期間で遂げることが出来たのか?、というと、それは、全ては自分を駆り立てるものに素直に行動し続けたから、なんです。
自分を駆り立てて仕方がないものが当時あって、その衝動に突き動かされるように動き続けて行った結果、2006年の暮れにはまるで想像だにしなかったところまで、たったの一年で辿り着いちゃったわけなんです。
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だって、2006年の12月のわたくしは、30歳の頃から5年かけて積み上げてきたもの・ことを全部一気に失った……というか、手放さざるを得なかったのですから。
30歳の頃から、まる5年間、坂道をごろごろごろごろ落ち続けて、それで、ついに底に行き着いたのが2006年の12月、35歳の誕生月。
そしたら、翌年が明けてすぐ、突然サイキックになって、で、「今に至る10年」が始まったのですよね。
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そのスタートとなった、2007年は、「本当に、ものすごく大きな変化の年」であり、「これまでの人生で最高に幸せな一年」でもあったんです。
で、今年もその再来になるのではないか? と、わたくしは今年の初めからずっとそう思っていて。
相変わらず、先は見えないけれど、なんだか、この先、ものすごく大きな幸運が待っているような気がしてならないんですよ(笑)
(なんとおめでたいこっちゃ (^^; )
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でも、この先、どのような流れになるのかは全く読めなくって。
だから、怖くもあるんですよね。
だって、今のわたくしはもうこれ以上「落ちる」ことは絶対許されないわけで。
一秒でも早く、そして、ほんの一ミリでも上にのぼり続けてゆくしかない。
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だからね、もう、今のわたくしは、奈未先生がおっしゃるところの、「成功した方の真似をする」、「ピン! と来たら、即、行動」、「この先どうなるかわからなくても、とりあえず、今、ここで出来ることを次々とやってゆく」、これらのことを繰り返してゆくしかないのです。
ほんと、怖いけれど、もうこれ以上ここに埋もれているのは、絶対に許されないから。
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「夢を追っている身だから」という免罪符はもう通用しないと思うのです。
一応、家族の居る身として、これ以上、我儘(=夢を追いかけて、好きなように生きること)を許されるとは思わないし。
いろいろと複雑な思いはありますが、それでも、一応、わたくしも人間。
年老いた両親にこれ以上苦労をかけてはいけない、そうした思いはあります。
だから、今こそ、その思い(=これ以上、親に迷惑をかけられない)を体現してゆかなければ、と思うのです。
たとえ、この先どうなるのか、全く見えないとしても。
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きっと、今のわたくしには、強烈な、(奈未先生が考えてらっしゃったくらい、強い思いの)「絶対成功する!!」「絶対、わたしはこのままでは終わらへん!!!」っていう気概が必要なんですよね。
それだけの思いは、ちゃんと持っているはずだし、だからこそ、ここまで10年、必死で頑張ってこられたのでしょうが。
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とにかく、奇をてらうわけではないけれど、とにもかくにも、大逆転に繋がるような発想力、あとは、ひとつひとつ動いてゆくこと、これに尽きると思います。
この先、今年の暮れまで、どんなふうに人生が展開してゆくのか、全く見えないけれど、今年を逃したら、一生このままだと思うから。
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とにかく自分と神様を信じて、全力で頑張るのみです。
女、45歳。
人生を賭けて、この夏、挑んでまいります。
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*ミッションを生きる女性リーダーのための直観コンサルタント 、夢咲璃い(ゆめさき りい)オフィシャルウェブサイト