レッドソックスファンの好事家ブログ


ジェイク・ピービー


シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した後はあまりぱっとしない投手ですが、パドレス時代は素晴らしかった投手です。日米野球でも来日していますので、生で見ましたが、ストレートも変化球もコマンドがよくかなり質の高い投手でした。


幼少期の好きなスポーツチームは、同州の隣のジョージア州に本拠地を置くMLBのアトランタ・ブレーブス。祖父ブランチの影響で次第に野球の道へ。

そのブランチが、ピービーが高校に入学する前の1994年に事故で他界。ピービーは野球部で活躍。変則フォームから繰り出す速球とチェンジアップの組み合わせで次々と勝利を積み重ねていき、最上級生のときには、投手として13勝無敗、打者として打率 4割4分3厘・8本塁打という成績。

ドラフトでは、15巡目にサンディエゴ・パドレスが指名。

2002年6月22日にメジャーデビュー。最初の2シーズンはふるわず合計18勝18敗。オールスターゲーム以後の後半戦の成績は10勝3敗・防御率2.18、8月には月間最優秀投手賞を受賞 。シーズントータルでは166イニングを投げ15勝6敗・173奪三振と、投球回数を上回る数の奪三振。防御率は球団歴代3位となる2.27で、最優秀防御率のタイトルを獲得王冠1

2005年シーズン開幕前、4年総額1,450万ドルで契約を延長 お金この年は13勝7敗・216奪三振で、奪三振王のタイトルを獲得。奪三振率9.58は球団新記録 。MLBオールスターゲームにも初選出。チームは地区優勝でポストシーズンに進出。カージナルスとのディビジョンシリーズ初戦でピービーが先発、4回3分の1を投げ8失点と炎上メラメラ 。チームも3連敗で敗退。

第1回ワールド・ベースボール・クラシックではアメリカ合衆国代表の一員として2試合に登板。このとき、第2ラウンドの日本戦ではイチロー に先頭打者本塁打を打たれています。シーズン開幕後は肩に違和感を覚えながらの登板が続いたため、防御率は4点台とふるいませんでしたが、202回3分の1を投げて215奪三振を記録。奪三振率はリーグ1位。

2007年は240奪三振・防御率2.54、19勝も記録。投手三冠王となり、ナショナル・リーグでは2002年のランディ・ジョンソン 以来となる満票でのサイ・ヤング賞受賞クラッカー。4月25日のダイヤモンドバックス戦では9者連続奪三振を記録。微妙なハーフスイングをボールと判定されて四球となったため、トム・シーバー の持つメジャー記録には及びませんでした 。この試合から5月11日にかけて球団記録となる4試合連続で二桁奪三振を記録。7月10日のオールスターゲームではナショナル・リーグの先発投手。12月に、2010年から3年総額5,200万ドルで契約延長。お金これはフィル・ネビンの4年総額3,400万ドルを上回る球団史上最高の金額。

2008年は5月20日に右ヒジの痛みのため故障者リスト入り。靭帯に異常はなく6月12日に復帰 。防御率2.85・QS率70%を記録、しかし、打線との巡り合わせが悪く、シーズン10勝目を挙げたのは最終登板となった9月25日のドジャース戦。この年は10勝11敗で負け越し、5年ぶりに奪三振率が9を下回ります。

2008年は、チームはシーズン99敗で地区最下位。トレード拒否権を持つピービーも年俸総額削減のため、放出される可能性がありました。しかしオフの間のトレードは実現せず、結局2009年のシーズン開幕をパドレスで迎えます。2009年は第2回ワールド・ベースボール・クラシックに、前回大会に引き続いてアメリカ合衆国代表として出場。ロイ・オズワルトテッド・リリーらと共に先発ローテーションを形成。


2009年シーズン開幕後もトレード交渉は続いており、5月21日にはシカゴ・ホワイトソックスパドレスとの間でピービーのトレードが合意、ピービー「サンディエゴに留まることが自分や家族にとって最善の選択」として、契約に含まれていたトレード拒否権を行使。パー しかしトレード期限日となる7月31日、パドレスホワイトソックスとの間でもう一度トレード交渉を成立。この際にはピービーはトレード拒否権を行使せず、ホワイトソックスへの移籍が決定。

移籍後は3試合で3勝、20回を投げて、18奪三振と大勝ちの予感をさせました。

2010年は7月に肩の痛みでDL入りし、7勝、防御率4,63と全く物足りない数字に・・・。この故障の影響は長引き、2011年も7勝7敗、防御率4,92・・・。


独特のスリークォーター気味のフォームから、90マイル台半ばの速球とカットファストボール 、スライダー 、カーブ 、高速シンカー、チェンジアップなど多彩かつ質の高い変化球を武器手裏剣にしています。特にスライダーに自信があるようで「スライダーがいい時は、空振りを大量に奪えると思う」とのこと。制球が良いことから「グレッグ・マダックス2世」 。そのグレッグ・マダックス とは2007年から2008年までチームメイトとなり、新旧サイ・ヤング賞コンビとして先発投手陣を支えました。


ホワイトソックスでかつての輝きを取り戻せるか?目


<最終更新日 2012年3月25日>