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2008年03月17日 06時16分48秒

胎児の世界

テーマ:書評みたい?

この本を読むきっかけは確か例によって書評だったと思う。どういう訳で興味を持ったのかと言うと、「胎児の時に意識はどうなっているのか?」というような部分。つまり、胎教にいいとか悪いとか、お腹の中にいる時に夫婦仲が悪いと「赤ちゃんに伝わる」のだとか聞いたことがあるんだが、それって本当はどうなのよ?オカルトか?

だが、手にとって読み始めるとそういう内容ではなかった。はは。


著者の三木成夫氏は東大医学部卒の医学博士で解剖学あたりを専門にしておいでの方。読みながら感じていたが、何やら文章が古めかしい印象で、正直なところ読みにくい。それに専門用語がぽつりぽつり出てきて漢字が読めずに引っ掛かるわけだ。「鰓(えら)」という言葉が組み合わさった熟語がよく出てきて難儀する。鰓裂(さいれつ)とか鰓腸(さいちょう)、鰓弓(さいきゅう)、鰓孔(えらあな)、更には萌し(きざし)、瞼(まぶた)、展べる(のべる)などなど、専門用語にはふりがながふってはあるが、言い回し自体が古いし、普通ならひらがなで書きそうなものまで漢字表記でどうにもとっつきにくい。顔をしかめて巻末を開いたら初版が1983年(昭和58年)とある。随分前の出版だったのだ。で、著者の年齢を見たらば1925年(大正14年)生まれ!!1987年に既に亡くなっておられた。亡くなったのが62歳でこの本が出たのは58歳の時だ。終戦の年、1945年にはぴちぴちの20歳でおられた方で、語り口の古さと表現の硬さに納得。


僕は医学や生物学の知識なんて殆んど持ち合わせないから、用語に馴染めないのは仕方ないとあきらめ、それでも読んでるうちにおもしろい記述もありやと我慢した。脊椎動物の起源あたりの記述は本当にさっぱりわからず、ただ進化の過程で水の中にいた生き物が少しづつ陸上に上がってきた事はまぁ解った。魚類⇒両生類⇒爬虫類⇒哺乳類という具合に生き物は進化してきたわけだ。そうして、胎児の発生というあたりの記述で僕は様々な驚きに出会う。


専門用語も多いし、僕の拙い要約ではむしろわかりにくいだろうからよすが、そこには胎児が「胎児にならんとするその出来方の過程」がつぶさに紹介されていた。テレビあたりでも、お腹の中にいる赤ちゃんのシルエットをレントゲンの像で見る事がある。それはちょうどキューピーのキャラクターよろしく二頭身の頭でっかちの姿だが、それ以前はどうなのかということが書かれていた。そうして、「ほえぇ~」と唸ってしまったが、それはまさに生物の進化の過程であったのだ。つまり、最初に現れたのはまさに魚類の、魚の顔をしたもので、次第に両生類の特徴を現しはじめ、だんだん変化していくと爬虫類の顔になる。そうして哺乳類の姿へと向かって行く過程で手や足の本数が揃っていって、じわじわと人の顔になっていくのだ。ほほぉ~、人間ってそんななのかぁ~と思ったものだ。

考えてみると、人間は長いなが~い間の進化を経て今の姿になっていて、ひとつ前がサルだという事は知っている。それでも、人によってはヘビだったりフグだったりという、人間離れした顔つきの方も中にはいる。とりわけ、ひとつ前のサルっぽい人は比較的多いだろう。なるほどねぇ。お腹の中で進化を一度辿って来てるのだなぁ。


思い起こせば、人は生まれたばかりの頃には口でおっぱいを探したはず。もちろん、皮膚の感覚をめいっぱい使ってだ。そうして次第に音に反応し始め、どっちが先かは知らないが、光を認識するようになる。で、音(からやがて言葉)を発して、4本足で這い、手でモノをつかみ、ついには(2本足で)立ち上がるのだ。この事だけを見ても、まさに生物進化の過程が短いながら繰り返されているではないか。

なんか・・・そう考えてみると「命って」物凄い神秘なんだなと感じる。大人になった今でも、肌が触れ合う感覚は愛しいし、身体器官の中でも口はとっても敏感な部分だ。感覚というヤツは、例えば暗闇で人の気配を感じる事が出来るし逆に深い部分に眠っている野性的な何かが爆発して暴走するケースもある。

近頃はタレントが平気で「○○の匂いがたまらなく好き」だとのたまったり、「○○フェチ」なる性癖をお持ちの人も多い。こういうのは鼻の感覚が鋭いということ。人って生き物なんだと改めて思う。余談ながら、宇多田ヒカルは「男子の頭皮の匂い」が好きだそうで。


そしてそれでも、人には考える力というものがある。脳を発達させ、様々な言語を操り、道具を使い、「殺人(共食い)はいけません」というルールを守って、協調しあって(共生)社会を形づくっている。それは生き物の中で人間だけが成し得る事には違いないが、それでも人間が「生物界の種のひとつ」であることもまた事実。おごってはならないと思う。色んな動物や植物の命を頂いて生きている人間は、彼らのおかげで自分たちの社会があることを踏まえる事が大切だろう。


地球温暖化の対策は、ちょっと忘れたが、地球をひとつの船と捉えて、自分たちの国の利害ばかりに固執することはやめようと言って、世界規模で考えようというのを提唱する団体があったと思う。みんなの地球とみんなの命。

「胎教にいいは本当か?」に疑問を抱いて読んだ本で、やや違う教訓を得た僕でした。

そういえば、ダーウィンの進化論が世に出て150年だそうです。




胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))/三木 成夫
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2007年07月07日 04時53分29秒

素敵な私的な本とのつきあい(後編)

テーマ:書評みたい?

東京に住んでいる頃は、大きな書店がいくらでもあったから本を探すのに苦労はなかった。ピンポイントで「これを欲しい」という時になかなか見つからない際は、書店のおねーさんに聞いたらたいがい手に入りもした。また、書店内をうろついたら自分が読みたくなる本は腐るほどあったから、これもまた苦労しなかったのだ。だが田舎に帰ってくると、自分が欲しい本は滅多にない状況に陥った。もちろん佐世保まで出て行けばそこそこの規模の書店だってあるわけだし、探せない事もないが、出て行く機会自体があまりない。こちらの日常は車社会だし、料金を払って駐車場に停めて何時間も書店をうろついている暇もないしその料金がばかばかしい。

で、地元の書店をもっぱら利用するのだが、地元では人口の少なさもあって、極端に言えば売れ筋のモノしか置いていない。コンビニ形式。ベストセラーものばかり。別に、そういう類の本は読むに値しないなどと言うつもりは決してない。自分の興味の対象からはやや外れるという事。結果的に、東京にいた頃のように書店内をウインドウショップするのは極端に減り、あらかじめ興味のある本を見繕っておいてからまとめて注文する買い方が増えた。

見繕い方は、主に新聞の書評欄から集める。僕が読んでいるのは読売新聞だが、日曜に掲載されるここの書評を毎週チェックするのだ。それをつらつら眺めて、「ふむ、おもしろそうだ」と思ったら携帯のメモ機能に入力しておく。新聞を見ていると、必ずしも書評に掲載されずとも書籍の情報は入る。最下段に載る広告だ。その広告で興味を引かれた場合はネットで漁る。ネットにはその本を読んだ人のレビューもあるし、内容がおおむね知れる。そうやって集めた情報がある程度のボリュームになったら、これは自分の財布とも相談するが、まとめて地元の書店に注文するという寸法。情報を集める場合、例えば単行本はよほど「今読みたいのだ!」というもの以外は文庫本の登場まで待つ。価格がおおむね半分以下なのだから、安いにこした事はない。


活字を切らさないように、僕の部屋には常に読んでいない本がある。まとめて買ったものを、自分のペースでちびりちびり読むからそんなに「未読在庫」は減らない。未読が溜まる溜まらないはお構いなしに、読みたい本はあとからあとから出てくるから「いつか買うつもりの」書籍情報もまた溜まっており、財布に余裕があるときには「金があるうちに」買っとくからまた本が溜まるのだ。

でも、東京にいた頃のが読んでたと思う。何故って電車の中という「そこにほぼ無条件で集中できる」環境があったから。


こないだ買って、まだ読んでいない本。

「古道具 中野商店」川上弘美

「内臓のはたらきと子供のこころ」三木成夫

「胎児の世界」三木成夫

「バイオポリティクス」米本昌平

「パンダの親指(下)」スティーヴン・ジェイ・グールド

「若者殺しの時代」堀井憲一郎

「いま私たちが考えるべきこと」橋本治

一番目と2番目の2冊が1400円の単行本だが、他は全て新書本と文庫本で1000円以下。一時期は脳死に関する本をしこたま読んでたし、僕の興味の対象ってのはホント節操がないなと我ながら思う。


それほどハイペースではない僕の本との付き合いでも、やはりじわじわと溜まる一方で、経済面や蔵書スペースを考えると新書の類が増える。昔は小説の単行本をぽんぽん買ってたから本の置き場に悩み、ダンボールに5箱とか古書店に処分した事が数回ある。けれど、何年か経ってから、「あれは読んだよなぁ」などと本棚を探し、見つからず、「あぁ、古書店行きかなぁ」と後悔する。だから近頃はなるだけサイズの小さな本にしている。


※店で今読んでいるのは、ジェラルド・カーシュの「壜の中の手記」でした。
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2007年07月06日 04時44分56秒

素敵な私的な本とのつきあい(前編)

テーマ:書評みたい?

テレビで巨人戦があるとかぶりつき、ドラマが始まると女優をチェックし、ロードショーで観てない映画がかかるとそれを観る。そんな日々を送っているような僕だが、これでもいちおう本も読んでいる。活字に親しむのは毎日の新聞が大半ではあるが、自分の意志で買った書籍もいちおう読んでいる。


僕の本の読み方は、『読書』と言うにはちと教科書風優等生的な匂いが立ち込めて不似合いで、「本とつきあっている」程度のもの。よく言えば自由自在。悪く言えば節操がない読み方。そんな読み方をついしてしまう人と、そんな読み方は自分にはちょっと出来ないという人がいると思うが、僕の場合は前者であって、あれこれ読む。

部屋の中に一冊読みかけのが(現在のは「博士の愛した数式小川洋子著)置いてあり、これは寝る前に開く、或いはトイレに入った時(当然、大の方)に読む。

車の中にも一冊ある。これは病院に行った時の待ち時間に読むもの。今あるのは「パンダの親指(上)スティーブン・ジェイ・グールド著で、これは“進化論再考”と副題がついているが、まぁ科学エッセイ。近頃は病院に行く用事がひとまず絶えており、次に開くのはいつになるか体と相談しないとわからない。

店にも一冊ある。仕込みがなくて、お客もなくて、携帯のゲームにも飽きて、巨人戦もないような時に読む。え~と、何だったかな?外国人が書いた短編集で、ややおどろおどろしいブラックミステリー的な人間の業を描いたものだったが。タイトルを忘れた。別にスプラッタものではない。僕は血を見ると青ざめるし、映画なんかでもホラーは一切ダメな方なんで。

ちなみに、部屋で読んでいた前のヤツは遠藤周作の遺作で「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい」というおそろしく長タイトルのもの。これは、氏の没後46年を経て発見された幻の原稿を出版したもので、本人が存命中ならタイトルは変更されていたはず。「幻の~」という言葉に引き込まれて読んで見たものの、考えてみれば46年前に書かれた物であって、いささか古かった。内容的には小説でなくて、実用書。

もうひとつおまけに店で読んでいた前のヤツは坂口安吾の「白痴」。これは、もちっと落ち着いた状況できちんと読むべきだったかなと少し後悔した。何しろ店で読んでいると、お客さんが来たらばただちにそこで中断するのが当たり前。途切れ途切れだとその世界に入り込みにくく、あまりよろしくなかった。短編集だったせいもあり、記述の似通った文章も散見され、本当に坂口安吾を読むならばもっと長いのをきちんと読むべきだったかもしれない。

あと、車の中に置いてた前のは竹内久美子著「男と女の進化論」で、これも科学エッセイになると思うが、僕は竹内女氏の著作はかなり好きで、他にも「そんなバカな!」とか「BCな話」とか「小さな悪魔の背中の窪み」とか、たぶん5冊くらい読んでいる。氏の恩師である日高敏隆著「動物と人間の世界認識」も読んだ。とってもおもしろいのだ。


このように、僕の読み方はあれこれ読み。どうしてこうなのかというと、これはタバコと共通点がある。タバコを切らすことを恐れて、僕などは常に1~2個の予備を持っている。いわゆる中毒。本に関してもそうで、「読める状況なのに読むものがない状況」を恐れるのだ。だから、自分の居場所の全てに読みかけの本がある。場合によっては開かないままでひと月が経過するケースもあるが、それでもそこに本は必要。


今日はここまでにするかな。



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2005年05月24日 05時02分42秒

上司は思いつきでものを言う

テーマ:書評みたい?

「上司は思いつきでものを言う」という本を読みました。著者は橋本治氏です。

「とめてくれるなおっかさん背中のいちょうが泣いている男東大どこへ行く」で有名な東大文学部卒のあの人です。タイトルに引かれて読み始めました。いったい何が書いてある本なのか最初困惑しつつも、自分がかつてサラリーンマン時代に経験した失敗の何たるかがそこにあるように思えたのです。

そうして読み進むに従って、氏は日本の会社というものを非常にわかりやすく解き明かします。

「利潤を追求して、利潤を得ることを目的とする」会社の規模が大きくなるに従い、「上司のピラミッド」が大きくなる。それは「現場から遠い上司」の数を増やして行きます。それは「大きい」を達成した会社の誇りにもなり、よって会社の「化石化」が始まる。つまり、日本の会社の最大の問題は、「現場と会社の間にある乖離」である。そこには「立場絶対主義または立場固定主義」があり、官僚組織がそこに透けて見えます。

日本に会社が生まれていく中で、儒教が大きな役目を果たしている、と言い、ここで氏は、その成り立ちを平安時代にまで遡り、戦国時代や江戸時代を経て近代までを語ります。そうして、儒教は古いとして忘れられる一方で、大衆化を経たのち「当たり前の考え方」として見えないところにまで深く浸透していく、と説きます。その為に、会社においてはおかしなことが起こります。民主主義=能力主義を前提にしながら、「上司」はそれだけで「徳」があるとして上司たらしめ、それが為に有能な部下が現場で起した風を上まで届かせない仕組みを作ってしまった。ここにおいてポイントになるのが「儒教」と「徳」です。ほら、織田裕司が映画で言ったセリフ、「事件は会議室で起こってるんじゃない!現場で起こってんだっ!」あれ、非常によくわかるんです。

 JR西日本の運転士達が日勤教育に怯えながらギリギリの回復運転に務めていた背景はこういうことだった!?三菱の欠陥隠しが組織的であったのは自然な流れ!?日本の終身雇用が(存続のやむなき場合を除き)撤廃されず、能力主義が根付かない遠因は儒教!?

 確かに、僕のサラリーンマン時代に、明らかに上司が間違っている場合でも、上司というのは立てなければならない存在でした。それは、年長者を、親を敬うという教育が「儒教」という形ではなく、「道徳」という言葉によって教えられてきたからです。しかしながら、こと会社という場においては、能力主義でなければならないケースに儒教が邪魔をしている場合が少なくないようです。僕は保険の代理店業を営んでいた(一番長く続いた)時代がありましたが、きつい分、やりがいがありましたし、上司も部下もいないという身の上は非常に楽でした。

まあ、この本を読んだからといって、僕みたいな自営業の人種に何がプラスになるのかはわかりませんが、少なくとも、世の中の事件・事故の背景を探る上では大いに示唆に富む一冊でした。貼り付けたバナーは無視して、どうぞお近くの書店に寄ってみて下さいな。

著者: 橋本 治
タイトル: 上司は思いつきでものを言う

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2005年05月05日 00時36分43秒

ひとつしかないですから

テーマ:書評みたい?
尼崎の脱線事故。テレビで連日報道されています。あんな人達に命をあずけていたなんて、ご遺族の方々はさぞたまらない気持ちだろうと思います。うちは店内でテレビを流していますので、ニュースが流れている時はつい見入ってしまいます。ほろほろなってしまいます。そんな時、あるお客さんがこう言いました。
「死んだ人はまだいいよ。重いケガを負った人は、これからの人生闘って行かなきゃいけないからさ」
それは違うとも、そうですねとも、僕は言えませんでした。一理あるから。例えば自分があの電車に乗り合わせていて、もしもう歩けない体になってしまったとしたら、あるいはいっそ死んだ方がよかったと思うだろうか?思うかもしれないなとも考えてしまいました。そんな時、半年ほど前に読んだ一冊の本を思い出したのです。
壮絶なクラッシュに巻き込まれて生死の境をさまよいながら、それでも第一線への復帰を目指してケガと闘い、そして本当に奇跡の復活を果たした不屈の男。太田哲也さんのノンフィクションです。これを読んだ時、すごい男だ、強い男だと本当に思ったし、なかなか真似できないことだよなと、涙もしましたが、同時に、支える人がいたからこそだとも感じました。そして、太田さんに拍手を惜しまないと同時に、涙すべきは彼をサポートした家族や友人、支援者の愛情だなと感じ入りました。
JR西日本は今後さまざまな面で糾弾されるでしょうが、九死に一生を得た負傷者の方々には、ひとつしかない命を奪われなくてすんだ幸運を思って欲しいと願います。もちろんケガの程度は人それぞれだし個々人の環境も違うでしょうが、太田哲也さんの話は、きっと勇気と希望を与えてくれると思います。
平穏無事に生きている僕なんかは恥ずかしさでいっぱいになりましたから。
著者: 太田 哲也
タイトル: クラッシュ―絶望を希望に変える瞬間
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