ひさしぶりです。

あぁ、5年ぶりの覇権奪回は幻かとなかばあきらめかけてました。しかし、やってくれました。テレビをつけた時点で4対0。はぁ~?勝たねばとガチガチになって、早々に4点も献上したのはいったい誰だ?と見たらばヒサノリでした。しかもエラーが絡んでたようで。中日の投手は朝倉です。こいつのイイ時は手がつけられません。果たして勝ち越せるのか?今日は勝てるのか?ではなく、まず勝ち越さなければなりません。朝倉から4点を奪うというのは至難の業ではないかと、しかも、リードを広げられる心配の方が先に立ちますから、こりゃぁもうテレビに釘付けでした。

解説を務めます、江川と掛布のコンビが絶妙です。打者心理と投手心理をとてもわかりやすく教えてくれました。江川は次第に「投手は怖いから逃げたいんですよね」で押し通してましたが。心中察します。掛布にしてはよそのチームですから「お手並み拝見」みたいにして、半分はファンみたいにとても楽しんでいたようです。

今日は中日の主砲・ウッズの方がやや大きいのを狙いすぎというか、結果を欲しがっていたきらいがありましたね。結果は4タコでした。ふう。

今日の試合はまさにチームの気持ちが滲み出ていましたね。ヒサノリをリリーフした野間口。本当によかった。いや、4回を投げましたが、最初の2イニングなんか手探り状態で、かなり悪かったんではと感じました。スライダーが抜けて、まっすぐしか使えないって風でしたから。それを、気持ちでどうにかごまかし・・・いや立て直した結果ですね。思うようにいかないボールを、闘魂注入で踏み留めた恰好です。まっすぐがどうにか使えるという事で、それを柱に組み立てて、「交わしてくる」とおおむね見ていた中日打線を、ヒットは打たれながらも粘り強く抑え込んだ魂の投球でした。


そうして、やはりあのスンヨプの同点ホームランは素晴らしかった。数試合前までくるくる三振していたのが、横浜戦の三戦目に三浦から逆転3点タイムリーを放ったのがやはり大きかったと思います。それまでずっと不振をかこって、原監督も打順降格を何度も考えては打ち消していたはずです。そうして、同点になった次のイニングで、ウッズまで含めた三者を凡退にとった事で流れは来ましたね。もちろん、その前のイニングの、中日のノーアウト1、3塁を0で切り抜けたのがもちろん何よりです。あの場面はシーズン序盤なら追加点を与えていたですよ、きっと。あぁ、それで、同点になった時点で流れは巨人だと僕は思っていましたが、心配性の江川はそれでも「まだひとやまある」とか「まだまだわかりません」とか、もちろん、OBとして気を揉むのは当然でしょうけど。


で、出ましたよ。本日ノッテイル脇谷君が。今シーズンの第1号!しかもプロ入り2本目の(2ラン)勝ち越し弾が出ちゃうんだから。いやぁ、今シーズンの巨人は無駄にホームランをかっ飛ばしてますが、この試合ほどホームランのありがたかった日はない。スンヨプ、脇谷、そしてダメ押しのヨシノブの一発!長島さんが元気な頃、ずらりと4番経験者を並べた打線がありました。確かに全球団を見渡しても、あの年ほどホームランをばかばか打ったシーズンはなかった気がします。そしてそれでも優勝を逃しました。原監督が就任してから、「スピード&チャージ」かな?一発に頼らない戦い方を目指してきたはずですが、今季は無駄にホームランが出よります。あの、甲子園での阪神戦(9月7日)で、スンヨプが3本、ヨシノブが2本、二岡とホリンズにもホームランが飛び出し、それでも桧山のソロ1本のみの阪神に8対9で負けましたから。あの3連戦で3タテを喰らって、あれからおかしくなりましたから。しかも、次の17日からのカードでも1勝2敗でした。

あぁ、もう風前の灯火だなぁと、優勝の二文字がか、かすむぅ~と半分涙目でしたよ。

僕は、あれからスンヨプが調子を崩したのではないか、と考えてますが、彼も自分を取り戻したようなんで、もうなしにしましょう。


さぁ、泣いても笑っても巨人の試合は残り2試合。中日はあと7試合。

巨人が最終2試合に連勝すれば、81勝62敗1分けで勝率は5割6分6厘。

中日は最終7試合で全勝または6勝1分けでなければ勝率で上回れません。当然、巨人がひとつ負ければ中日もひとつ負けられる事になるでしょう。

スポーツうるぐすで江川が言ってましたが、この3連戦に勝ち越したほうが優勝だと。まぁ数字の上では誰が見てもそう言えるでしょう。野球は本当に、最後のゲームセットまでわかりませんからねぇ。


阪神が10連勝?した時は本当に「かっさらわれる!?」と怯えたもんですが、時既に遅しだったようですね。がんがん連勝すると、たいがいそのあとにゆり戻しというか、反動が来ます。連勝した分だけ連敗が待っています。従って、巨人がいい時にずっとカードの勝ち越しを続けてましたが、連勝するならカードの勝ち越しを『連勝』するのがいい。そうやって、今季はずっと首位をほぼ守って来たんですから、予定通りに優勝を決めてもらいたいところです。


そうそう、阪神にはちびっと負け越しましたが、これで中日との対戦は12勝12敗の五分になりました。負け越しは阪神だけで、中日には五分。あとはおおむね勝ち越しました。


この試合は、まさに優勝を決めると言っても言い過ぎでない、天下分け目の戦いでした。勝ってくれてありがとう。何年か前の、同率最終決戦におけるシーズン最終試合(その相手ももち、中日)に負けるとも劣らない、ばくばくの戦いでした。しびれた。

脇谷くん、たぶん給料あがると思う。強烈なアピールだし、印象が絶大!



脇谷だ


脇役返上の脇谷!プロ入り2本目!ここで出るとはっ!!


野間口いい

いよっ!孝行息子!救援粘投!

※写真はいずれも読売のオフィシャルサイトから拝借しました。

AD

喫煙者のつぶやき

テーマ:

またまたまた、10月からタバコが値上がりする。

僕の銘柄は現在290円で、これが300円になる。金額的な負担をさほど感じなかった220円の時代に比べると、二箱で600円というのは決して小さくない。

いつも感じるのは、「身体によくないばかりか周囲にも迷惑だからやめるにこした事はない。金銭的な負担もばかにならないよ?」と言いつつ、「値上げを機にやめたら?」と説教垂れつつ、値上げ幅が数十円というのははなはだ微妙な態度を強いられる。

どうして1000円にしないのかなぁ。

もちろん、「意思が弱いから」と指摘されたらそこまでだ。

はいはい、その通りです。えぇえぇ私が悪ぅござんした。

が、「やめる気がないわけではない(できればやめたい)」のに「やめなくてもよい状況」が作られていると、流されるのが人間というもの。数十円の値上げならばどうにか対処が出来てしまい、それは時間と共に慣れても来る。慣れてしまうと、もうそれは既成事実として定着してしまうのだ。困ったもんだ。


タバコには「百害あって一利なし」というけれども、思索に耽るときや、ストレスを抱えている時の1本は実に格別で、生活の中で助けられている面は少なくない。僕は酒を一切飲まない事もあり、気分を落ち着けたり気持ちの平安を欲しい時にはやはり手が伸びる。無論、ノンスモーカーがいつもいらいらしているわけではなかろう。何らかのストレス解消法があるんだと思う。もしピタッとやめたなら、どうやって気持ちのバランスを保ったらいいのかまだ検討がつかない。


僕は1日に25本前後を煙にするが、それが半分以下の10本で数日を過ごした事がある。すると、悲しいかなうまくないのだな、これが。間隔が空くと、本当にタバコというのはうまくない。つまりは中毒状態でこそうまいと感じるわけだ。

その時は、この調子なら「やめようと思えばやめられるんだな」と納得してしまった。それで、「減らすのや~めた」と言ってまたもとの通りにすい始めた。間隔が空いて、おいしくなかったあの味を味わいたくなければもう吸わなきゃいいんだが、むしろ、間隔を空けずにちゃんと続けて吸っておいしかった感覚を取り戻したいなどと考えるんだから、中毒状態から抜け出せていないんだろうと思う。


一気に1000円にしてくれたら、それはもうアブナイクスリと同じだとみなして、経済的に手が届かない高嶺の花だと捉え、やめる力にはなるだろうに。


「意思が弱いから」


えぇえぇそうです。僕は弱い人間です。

だから、もうやめるなんて言いません。

山田太郎はウルトラマンである

夏ドラマがそれぞれ最終回を迎えており、秋に始まるドラマの番宣もちらほら流れ出した。今回のクールで僕が観たのは計4本。まぁそれなりに楽しめたが、TBSの「山田太郎ものがたり」に関して、思うところがあるので書く。


もともとこの作品はマンガを原作とするコメディ。6人の兄弟達と、病弱でまともに働けない母親を長男がアルバイトしながら支えている超貧乏一家のお話。その長男が通う高校では、イケメンの上にスーパー優等生であるという理由だけで(何の根拠もないのに)「お金持ちのお坊ちゃま」だと勘違いされている。勘違いしている周囲と、勘違いされている事など意に介さない、いや勘違いされている事すら感づいていない主人公の間には認識の違いによって様々なドタバタが巻き起こるというわけだ。ばかばかしいが、本人を含めて周囲のキャラクターも能天気だから独特の筋が一本通っていて、その世界観はうまく統一されていたと僕は思う。


二宮和成(山田太郎)の演技は期待通りものだった。優等生だからといって肩肘張らず、貧乏だからといって卑屈にならず、まさに「わが道を行く」超マイペースキャラをふうわり演じていた。この二宮君と、もう一人は田部未華子に期待していた。負けず劣らずのばかっぷりが笑えた。百面相と言っていいくらいのバラエティに富んだ表情と、毎回数度衣装がえをして出てくるコスプレと。


こういうコメディは、ややもすると「くだらない」と感じて途中で観る気が失せるのでは?と心配していたんだが、微妙な均衡を保ちながらとうとう飽きることなく最後まで観る事ができた。この作品を観ていると、なんだか妙な懐かしさを覚え、そうして、どこか昭和の香りを感じていた。平成の世にいながら、現代を舞台にしていながら、何故か時代を遡ってタイムスリップした感覚を感じていた。そうして気づいたわけだ。


山田太郎はウルトラマンなのだ、と。だから懐かしかったのだ。だから昭和なのだ。


M78星雲からやってきたウルトラマンは、初めから地球防衛を目的として飛来したわけではない。違う理由で来たのに、どういうわけか地球に留まってその地(もちろん主に日本)を守る為に怪獣と対峙する。僕の記憶を辿ってみる。

まずウルトラマンはベムラーを追いかけて地球にきた。そうしてパトロール中だったハヤタ隊員に誤って激突して彼を死なせてしまう。ハヤタを死なせたウルトラマンはそれを「申し訳なく思い」、ハヤタに乗り移り、地球に留まる事を決意する。

ウルトラセブンにしろ、帰ってきたウルトラマンにしろ、やはりその死を(単なる事故だったにも関わらず)申し訳なく思って地球防衛を決断するのだ。宇宙を舞台に活躍する、或いは全く別個の星に住むウルトラマンが、よその星に住む(彼らにとっての宇宙人となる)赤の他人である地球のたった一人の人間の為に、自らを犠牲にして地球防衛を行なう。そこには正直言って何の理由もない。「ハヤタを死なせたから」というだけではあまりにも釣り合いがとれないのだ。

しいて言うなら、そこにあるのは博愛の精神であり、博愛主義に則って、ウルトラマンは地球を守るのだ。初代ウルトラマンからセブン、新マンと続くウルトラシリーズが人気を博したのは、その博愛主義に基づいて地球を守る姿が時代にマッチしていたからだと思う。あの時代は高度経済成長のただなかにあった。強いものが弱いものの味方をして、頭のいい子はそうでない子に勉強を教える。自分の得意な事は、そうでない人の為に進んで使う労を惜しまない。現実にはそうでないケースもあったろうが、そういう博愛の精神は万人の胸に共通していたと思う。何故なら、日本は丸ごと日ごとに成長していた時代だったから、皆が手を取り合って「豊かになる」という目標を目指していたからだ。


では、現代を振り返るとどうだろう?万人の共通の目標なんて今やどこにもない。皆が手を取り合って豊かになるなんて幻想もいいとこ。家庭には自分用のテレビがあり、携帯電話があり、個別の付き合いだってあるからお互いに干渉しない。学校に行けば、クラス内では固有のグループが出来ていて、それぞれが閉じたコミュニティを形成している。学園祭や体育祭では「仕方なく」「流れに沿って」仲良しを演じる。博愛の精神なんてちょっと見当たらないんじゃなかろうか?


太郎は山田家の長男。小さな弟や妹を可愛がる気持ちはわかるが、家計を支える為に自分の時間を削ってアルバイトに勤しみ、病弱な母親に代わって家事をこなす太郎の姿は平成の世から考えると違和感を拭えない。兄弟たちと歳が離れているとはいえ、あそこまで頑張る必要はないはずだ。父親はどうした?が、その父親は「世界を旅する放浪の画家」であり、家庭を全く顧みない存在。そうして、それを誰も(太郎自身も)咎めようとはしないのだ。経済的に家庭を支えようという考えを全く持たない父親を誰一人非難する者はない。生活保護を申請すべきだろう。

そんな太郎の存在は、彼がウルトラマンだと思えばすんなり合点がいく。博愛の精神に強く裏打ちされた兄弟愛と家族愛を持って、太郎は今日もバイトに明け暮れる。睡眠時間なんて殆んどなくても、学校では常にオール100点のパーフェクトな成績。あんな状況に置かれた高校生が本当にいたら、そりゃ一ヶ月で家出するだろう。頭脳明晰で超のつくイケメンなんだから、ヒモ生活だって可能だ。しかし、太郎はそういう状況に愚痴ひとつこぼさない。だって彼はウルトラマンだから。


・・・とまぁ、多少の強引さはあるが、ウルトラマンを連想してしまったからこんなこと書いた。ひとつのおかずを家族全員で分け合うなんて、本当に昭和を彷彿とさせるドラマだった。このドラマで作り手が訴えたかった事を考えると、やはり「家族愛」であり、もうひとつは「周囲に惑わされずに自分の信じる道を逞しく進め」ということかなぁなどと考えた。


余談だが、ウルトラシリーズはセブン以降で「正義(ウルトラマン)VS悪(怪獣)」という図式が明確にされていく。初代ウルトラマンは必ずしもそうではない。作品の初期から携わった脚本家・金城哲夫氏の想いが反映されており、人間の怨念が怪獣を生むケース(ジャミラ、ウー、ガバァドンなど)や、墓場に行く予定が事故で地球に辿り着いてしまった哀れなシーボーズなどがいる。根底には実は大人も唸る深いテーマが眠っていたのだ。セブン以降は、スポンサーである玩具メーカーの意向により、武器を強化し、メカを派手にし、正義と悪の構図を際立たせる事を余儀なくされた。そうすればおもちゃを作りやすく、子供達に受けるからだ。プロダクションが採算面で火の車だったにも拘らず、経済援助的なウルトラマンはいなかった。

ちょっと間が開きました。

「阿久悠」追悼記事 の続きです。


近頃流れているCMで、スバル・インプレッサのがある。ポルノ・グラフィティの曲が使われている。

「愛とぉ~いう~っ、名の心にきざっまぁ~れぇ~た・・・をぉ~」という歌詞だ。CMで流れている部分しか知らないし、その先はよく聞き取れないが。僕はポルノ・グラフィティに関して特に好悪はない。一定のファンを獲得しているから売れているんだろうと思う。ただ僕にとって問題なのは、このフレーズ内の「きざまれた」の部分。特段気にしていなかったせいかもしれないが、この「きざまれた」が相当聴かないとわからなかった。何て言ってるかわからず(判断できず)、そのままにしていたが、テレビで流れるたびに、次第に注意して聴くようになっていた。それでもわからない。もう何度となく聴いて、或る日やっと「きざまれた」と歌ってる事に気づいた。ファンではないから彼らの曲を聞くことは滅多にないし、その声質にも馴染んでいなかったせいかもしれない。そうは言いながら、やはり「きざまれた」を「きざ」と「まれた」に区切られるとなかなか解りにくいのでは?と思うのだ。

今は他の例が思いつかないが、そのように言葉を妙なタイミングで区切られたせいで、困惑するケースはしばしばある。


そこで阿久悠の歌詞だ。膨大な詩作をチェックしたわけではないものの、氏のものした歌詞には、そういうケースはあまりないんじゃないかなぁと考える。それは、阿久悠が日本語を大切に使っているからにほかならないと思うのだ。中学生あたりで習った文節というやつだ。文節は文節ごとにきちんと区切って使う。「きざまれた」の真ん中で、音の高低をつけた上にリズムまでも変化されると、聴いてる方はなんだかわからない。わかりにくい。

その、文節を区切るというのは俳句や短歌にも通じるもの。変則的な例もあるだろうけど、5・7・5または5・7・5・7・7のリズムを守って文章が書かれていれば、歌唱が全体としてまとまりのあるものになるのではないだろうか。

別の言い方も出来る。標語を考えたり、オリジナルの詞を作ったりするような場合、割合と5・7・5を中心としたリズムは基本となるもので、作りやすいしそらんじやすいものだ。

前回取り上げた尾崎紀世彦の「また会う日まで」を見ても、字数は必ずしも5・7・5ではないが、リズムはほぼその拍に揃えられていないだろうか?

・・・数えてみたが・・・合わないなぁ。(笑)

いや、僕は音符を読めないから、何分の何拍子とかで違って来るんだろうけど、何しろ文節ではきちんと区切ってある。言葉プラス「てにをは」の助詞でひとまとまりだ。とてもわかりやすいのだ。

あまりにもジャンルが広く、これが全て阿久悠の詞だと聞いて驚くばかりなのだが、演歌からフォーク、ボサノバ風、更にピンクレディまで網羅する詞のどれを聞いても、「何て歌ってんのかわからない」というのがないのだ。とにかくない。見当たらない。

あるいは僕のひとりよがりかもしれない。が、インプレッサのCMを聴くたびに、「阿久悠の詞にはこういう例はなかったよなぁ」と思うわけだ。


詞が先か、曲が先かはその時によって違うと(たぶん)思う。思うが、詞と曲が揃った段階でチェックはしているはず。「歌いやすく」、「聴きやすく」、「意味がわかりやすい」という、万人に親しまれるよう入念に言葉を選び、更に独特の世界観まで与えるという、その仕事量からしても、本当に誰もできない事を成し遂げていた偉大な人だったんだなぁと改めて思う。


天国から、自分の歌が歌い継がれているのを微笑みながら眺めている事だと思います。

ご冥福を祈ります。

平成19年9月14日現在、安倍首相の果たすべき職責とは何だと思いますか?

5択です。複数解答可。

1、 参議院選挙での惨敗の責任をとって辞職する。

2、 大臣が5人も辞めたから、任命責任をとって辞職する。

3、 支持率が著しく低下しているから辞めろという声と受け止めて辞職する。

4、 とてもやっていく自信がないから辞職する。

5、何はともあれ、逃げるように辞職する。

10人に聞いたら12人が「辞職する」を選択するでしょう。いずれにしろ、早晩辞めざるを得ないでしょうねぇ。まぁ本人も「辞めたいのはやまやま」ながら、あとを引き継ぐ人が誰なのか、それなりに根回しも必要なんでしょうから、そういうのが整ったらきっと肩を落として身を引くんでしょう・・・なんて事を考えている今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか?


・・・というようなくだりを枕にしようと考えていたら、それを書く前にいきなり辞めちゃいました。

まさに「何じゃそりゃ!?」です。

「無責任と言われるかもしれないが・・・」って君が言い終わる前に「無責任だよ!」って突っ込みたい。

「むっせきっにん!」「むっせきっにん!」って国会前に駆けつけて手拍子と共に叫ばなけりゃならん。

一国の総理大臣という仕事をいったいどう考えておられるんだかなぁ。参院選で惨敗した時点で、辞めるべき条件は全て揃っていました。辞めるべきだというのは単純な責任問題に留まらず、安倍晋三が総理大臣では政局の運営が進まないからです。

「君じゃだめだ!」と全国の有権者が言ってる。身内の閣僚だって言ってる。四面楚歌どころか、ありゃ「全面楚歌」だったことでしょう。かばっていたのは昭恵夫人だけ?いや、この人も国会議員の妻ならセレブでいられるんでしょうから、「私はどっちでもいいわ」と言ったかも。それを「辞めない」と言ったんなら、歯ぁ食いしばってやらにゃいかん。「辞めない」と言ったからには、その言葉の重さは120%覚悟をした上で言ったはず。こんな中途半端な状態で辞めると言ったら、昔はよく言われたもんです。

「おまえはそれでも男か?!キ○タ○ついとっとかっ!!恥を知れ!!」ってね。


いやいやそれにしても。


み~んな目ン球ひんむいてびっくらこいたことでしょう。

自民党の後援会事務局の古株じじいあたりなら、腰を抜かして病院送りにされた方が全国で6人は出たなと思います。

テレビの街頭インタビューで、どこの局が忘れたけど、女の子が答えてました。

「あっ、そうなんだぁ・・・お疲れさまだネェ」だって。

かわいそ過ぎる。そん~な政治の「せの字」も頭ん中にない若いのに聞く方がどうかしてるよ。

終わった事は仕方がない。もう、身も心もお腹の調子もぼろぼろだそうだから、しばらくは病院のベッドでゆっくり眠らせてあげましょう。安倍さんは坊ちゃん育ちだそうですから、さしずめ「あぼっちゃま」とでも名付けましょうか?あべおぼっちゃま・・・何回か言ったら「あぼっちゃま」です。


で、あとがまが誰になるのかをやいやい言ってますが、個人的な意見として僕にも考えがあります。こんな、あり得ない最凶最悪のタイミングで仕事をほっぽり投げて行かれたわけで、あとを引き継ぐ人はたまったもんじゃぁありません。いくら総理大臣の椅子だと言っても、「ここで」なりたい人なんてそうそういないでしょう。そこで、もともと安倍さんを総理大臣にしたのは誰だったか?

そう、あの小泉純一郎ですよ。

小泉さんこそ、「な~んかムードがイマイチだなぁ。こりゃそろそろ俺は退散した方がよかんべ?」なんて考えて、腐りかけて妙なにおいがし始めた案件を机の中に放り込んだまま「じゃ、あとはよろしく!」って表面的にはあくまでも爽やかに、シュタッと右手を挙げて去って行ったんではなかったか?

この人が尻拭いをすべきです

僕はそう思います。

小泉さんの政策は、格差を助長したと思います。「痛みに耐えて」などと言ってましたが、その痛みが最高潮に達し始めて「もう耐えらんない!」って不満が噴出したあたりでスタコラサッサとケツをまくったいいとこどりでした。(あんたがやった政策で)「本当にきついのはこれから」という時に、火のついた爆弾を安倍さんにほうり投げたのです。え~と、細かい事はわかりませんが、小泉さんの政策そのものには一定の理があった気がします。が、当然様々な修正は必要だったんではないかと。それをやるのは彼じゃなきゃいけなかったのに、うまく逃げた。

小泉さんこそ、安倍さんの任命責任をとってリリーフするべきです。高校野球の試合終盤で、エースがピンチを招いていったん外野に回るケースがあります。それを凌げるのはやはり君しかいない、とばかりに結局マウンドに戻されるというパターンです。


おどおどした「おぼっちゃま」は引っ込めて、吠えるばかりの「ライオン」でも据えた方が、少しは見映えもするかもしれません。





阿久悠を悼む~その普遍性ゆえ

テーマ:

小さい頃の僕にとって、「阿久悠」は作詞家ではなかった。

それが名前だという認識すらハナからなくて、従って作詞家どころか一人の人間でもなかった。ごくごく小さい頃だから、作詞や作曲の意味などわからなかったという事だ。テレビで歌う歌手の、その歌のタイトル横に必ず書かれている「阿久悠」という文字は、店先に並ぶお菓子(お菓子しか目に入っていない)の箱に書いてあるベルマークとかジスだかジャスだかのマークと同じ『記号』に過ぎなかったのだ。芸能界にいる人は、みんな久悠」という記号をつけていないと歌えないみたいな認識だった。それがあれば歌手として歌えるというか、歌ってよいとされるみたいなことで、誰が作ったなんてことは眼中になかった。少し大きくなってからは、作詞作曲の意味を理解し、そうして本当にどの歌手も「阿久悠」の詞である事に驚き、しかしまだ、芸能界における『認印』的な印象が長いこと続いていた。

一人の人間があらゆるジャンルの詞を手掛け、それがどれもこれも人気を博していたというのはまさに超人と言っていい存在だと改めて思う。

平成の時代に入るまでに、音楽界も様々なうねりがあって、ベストテン番組が飽きられ、テクノやらラップやら、ヒップやらホップまでが浮き沈みした。昭和という時代を代表する顔の一人として、氏の業績はひと言では表わせない。庶民の娯楽の中心にあったテレビが他の色んなメディアに侵食されていく中、それでも氏がものした歌は今でも時代を超えて愛されている。


訃報が伝えられて以来、テレビ各局はもちろんの事、様々なメディアで追悼特集が組まれているようだ。その、耳に馴染んだ色んな曲を聴きながら、なんでこれほどまでに、この人の作品は売れるのか?誰かが言ったかもしれないが、いちおう自分なりに考えてみた。


代表作として、尾崎紀世彦の「また会う日まで」を取り上げる。歌詞を(1番だけだが)そらで言えるしとってもシンプルだからだ。


またあう日まで 会える時まで 

別れのその訳は話したくない

なぜか空しいだけ なぜか悲しいだけ

互いに傷つき すべてをなくすから

二人でドアをしめて 二人で名前消して

その時こころは何かを 話すだろう


僕の記憶が正しければ、この曲がヒットしたのは1970年。僕は5歳だった。

男女の別れを描いたものだが、たぶん、まだまだ恋愛における男性の地位が高かった時代。現代のように、だらしない男に愛想をつかして、女性が男性の頬を平手打ち(場合によってはグーで)一発入れて肩をいからせながら去っていくケースは少なかった時代だ。酒乱であれ、バクチ男であれ、DV男であれ、「ひたすら女が耐えなければならない風潮」に覆われていた頃ではないだろうか?が、この詞はどちらに非があるという事を一切語っていない。「また会う日まで」と男女が別れる事をはっきり言ってから、しかし「別れのその訳は話したくない」と拒否している。そんな事を語れば「なぜか空しいだけ・・・すべてをなくすから」だ。「なぜか」から「なくすから」までの9文字9文字8文字9文字で、たった35文字の2フレーズで実に多くの事を語ってくれている。男と女は百人百様で、あらゆる出会いがあり、あらゆる愛の形がある。それが壊れる理由もまさに様々。が、惹かれ合っていたのは事実だし、それがもう修復できないのも悲しい現実なのだろう。その時に、相手を非難する言葉を投げつけたところでもうどうにもなりはしない。悲しみがいや増すだけで、大事に取っておきたかった「あの頃はよかった記憶」までがややもするとウソになってしまう。そんなものはなかった、と。一切ペンキで塗りこめてしまいたくなってしまう。

そんな事は今更よそう、と。

そうして、「二人で~」に続くのだ。ここも男女のどちらかが、例えば「あなたが」でも「君が」でもなく「二人で」というところがまさに時代の先を行っている。高度経済成長の只中にあって、それが行くところまで行ったら「今度は女性が時代をリードするのだ」という事を予見するかのような描写だ。

最後に、「こころは何かを話すだろう」と締めている。「もう戻れないけど、それでも君を(あなたを)愛した気持ちは本当だった」と自分の胸に語らせているわけだ。


今から40年近く前の単なる流行歌なのに、これほど普遍性を持つ歌詞をなんと言ったらいいのか。僕はこの詞におおいなるシンプルさを感じて、かつ情景の美しさを見た。ごくごくやさしい、誰にでも解る言葉で書かれ、それが聞く人によってそれぞれの過去を映し出す。とっても見事なものだ。


それを考えていたら、僕は短歌や俳句を思い出した。


もう1回書く事にする。

ゆかいななかまたち

テーマ:

てじなーにゃ・・・じゃなくてラニーニャ現象とかで日本列島はまだまだ残暑が続くそうです。ですが、清峰高校が今日も元気で練習しているはずの僕とこ(佐々町)はもうかなり涼しいんですけど。前に地球温暖化の影響で冬がなくなるなんて事を書きました が、将来的には本当に冬がちっとも寒くなくて、長い秋があるという、つまりは「四季」ではなくて「三季」という状況になったら、なんて事を考えます。そういえばうちの近くにある喫茶店は「フォーシーズン」という名前だったけど、店名そのままでいいんだろうかなんて思ってたら、「数ヶ月前につぶれちまったんだった」今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?昨日から短パンの部屋着を長いのに換えて、そろそろ毛布を出しといた方がよかんべ?なんて押入れを睨みつけている僕です。

本当にマジで最近はかなり涼しくて、まだシャワーで済ましてるけどぼちぼち暖かいお湯が恋しくなっております。


さて今日の話題。

はっきり言って田舎なんで、僕の生活の中にはちょこちょこ虫たちと対面する場面が少なくありません。で、そろそろ寒くなり始めると彼らの姿もしばらく見れなくなるし、いちおう撮っておいた写真がいくつかあるんで、今日はそういう奴らを紹介します。


昼下がりにネットを眺めていたらばブブンと音がして、ふと見るとそいつはいました。

ハチです。!!!!

こ、これは・・・ただのハチではない。たぶんスズメバチですよ。

しかも、僕の部屋の窓に向かって・・・いや逆だ、窓から外に出ようとしている。ということは・・・なんで部屋の中にいるのだ?こいつ、どこから入って来た?窓には網戸がしてありますが、その網戸の内側から青空に向かって「出してくれぇ」とばかりにブンブンやっているではないか!?僕は即座に椅子から飛びのき、そいつの動きを注視します。

で、でかい。

ヘタをやらかして攻撃されようものならひとたまりもなさそう。

じっとそいつを見て、そろりそろりと殺虫剤を手に取り、動きを観察します。

あ。こいつばかだ。

僕はゆっくり近付いてサッシのガラスの方をぴしゃりと閉めてやったのですよ。

やつは網戸とガラスの間に挟まれてしまいました。

全く、どこから入ってきたのか知らんが、俺に会ったが百年目よ。可愛そうだが死んでもらうよ。僕は挟まれて動けないそいつに、殺虫スプレーをしこたま噴射させて頂きました。

横にあるのは100円玉で、従って結構でかいです。スズメバチだろうと思います。


ハチ


夜でした。エアコンの上から何かがぼとっと落ちました。エアコンの下にはキーボードが置いてあり、そのキーボードを滑り台のようにして床に落ちたものをふと見ると・・・ななな!ムカデです。

こいつはちょっと放っておけない。おけはしない。

すかさず殺虫スプレーを手に取り、しかしむやみやたらに追いかけてタンスの隙間だとか見えない場所に逃げられたらアウトです。しばらく泳がせていたら、僕のベッドの上にやって来ました。ふふふ。

シュー。シュシュー。シュシュシュシュー。シューったらシュー。

うんごらあんごらひいこらじたばた。

死にました。

比較のものがありませんが、長さはだいたい10センチくらいでした。


ムカデ


なんか、むやみな殺生ばかりやってるようですが、そんな事もありませんから。

こいつは店にいました。裏口を開けると冷蔵庫があって、食材を取りにしじゅう行き来していますが、その冷蔵庫の前にじっとしていたのです。

「あ、クワガタだ」

角の短いのを見ると、どうやらメスのようです。でも、メスはだいたい身体も小さいけど、それにしても全体的にちっこい印象。彼女はそのまま僕のシャツの胸ポケットにおさまり、帰りにコンビニの兄ちゃんにあげました。僕が捕まえた時からはっきり言って動きが鈍く、よく見ると後ろ足が1本取れていたのです。コンビニの兄ちゃんにそう言って見せると、彼は即座にカップアイスの空き箱を持ってきてそこに入れてました。なんか、カルピスでもやっときましょうか?だって。僕の記憶では、カブトムシやクワガタにはキュウリがスイカと相場が決まってたような・・・。でも、まぁカルピスは悪くないかもしれない。

「うん、まかせるよ」

「元気になったら山に帰しときますよ」と兄ちゃんは言ってた。

百円ライターは大きさの比較です。



くわがた



『黒澤明』監督作品をドラマでリメイクしたのを観ました。

2作ありましたが、2作目の「生きる」は実は観なかった。観たんだけど観なかった。

10分で不快感を覚え、20分で苦痛を感じ、30分で耐えられなくなった。

オリジナルの映画版は志村喬が演じており、僕は観てないけど、松本幸四郎はまだ若いと感じました。それをメイクで老けさせてるんだが、そこにはどうしても無理がある。最初の不快感はそこでした。本来はもっと別の役者にオファーがあったんでは?などと考えてしまいました。役者はそこそこのを使ってるんだが、そこに登場した深田恭子さん、あなたは浮いている。それが次の苦痛。合う合わない以前に「学芸会じゃないんだから」。まぁ、ああいうキャラとはいえ、それで通用する役というものがほかにあるだろうと思います。筒井康隆の原作だったか、「富豪刑事」とかいうやつ。ああいうキャラクターならそれでよかろう。つまりコメディ色のつよい作品です。人間ドラマに深キョンは耐えられない。いや、もう思い出すのもきつい。義理の娘役の畑野浩子?トゲのある役なんだろうけど、現場はよくあれでオーケーしたもんだ。その辺にいたコンパニオンにセリフ棒読みさせて間に合わせた印象。若過ぎて違和感ありを我慢しながら松本幸四郎の懸命な演技に付き合ってたけど、周囲を固める役者のトーンが噛みあってない。ちぐはぐだった。途中で観るのやめました。


その点「天国と地獄」はとても楽しめましたね。佐藤浩市といい、鈴木京香といい、やっぱりよかった。刑事として登場した面々がまた揃ってる。阿部寛に杉本哲太、伊武雅刀に・・・あと誰だ?犯人役の妻扶木聡も影をよく出してたし、誘拐される男の子の父親で運転手役平田満の必死さがまたまたよい。

ストーリーやらはもう言いません。僕はオリジナルを観てないけど、劇中に携帯が登場して、それを駆使しているところを見ると、かなり現代風にアレンジされたもののようです。純粋にはらはらドキドキがあって楽しめました。終盤で犯人を泳がせて、刑事を総動員して追跡するくだりはやや間延びした感がありましたが、売人を演じた女の子が思いのほかよかったから許す。キャリアはそれほど感じない、見慣れない顔でしたが、あのキスシーンはかなり印象的で、きちんと影も演じる力があるようです。これからちょくちょく出てきそうな女優さんです。刑事役にかんでた(たぶんモデル出身の)女性よりよっぽどよい。もしかしてキスミントのCMに出ていた子ではないかなぁ。


難を言えば、阿部寛は相変わらずカツゼツが悪く、「今なんて言った?」とたびたび巻き戻しを余儀なくされました。それに、これは自分が悪いんだが録画時間をミスって5分ショートしちまった。妻扶木が死の恐怖に怯えて叫び狂う場面で切れちまった。まぁ話の結末そのものは終わってたからいいか。


吹石一恵は女の子からぐっと脱皮しましたね。2年くらい前、NHKの「氷壁」で山本太郎の妹役を観ましたが、あの時はまだまだ力入りすぎてて、「まぁ可愛いから許す」ってレベルでした。TBSの「山田太郎ものがたり」を観てますが、ここでやってるマゾ役はなかなかおもしろくていいです。現実にはいないけど、一瞬を切り取ったらばあぁいう仕草はうなずけるという表現をちゃんとデフォルメして、独特のキャラを作ってます。役者はやはり、濃淡や明暗、光と影を自然に演じきれるようになって一人前なんでしょうね。抑制を効かせた中での複数の顔ですね。


それにしても今回の「黒澤明スペシャル」。第一夜と第二夜の出来の差が激しいと感じたのは僕だけでしょうか?第一夜に予算を割き過ぎて、第二夜はやっつけになっちゃったんじゃぁないでしょうね?

レギュラードラマがひととおり最終回を迎えるようで、ぼちぼちまた単発のスペシャルドラマがいくつかあるようです。楽しみですね。

日本対サウジ~いつか見た風景

北京五輪アジア地区最終予選です。サウジアラビア戦を見てます。

あのアジアカップでの3位決定戦(対韓国戦)を思い起こします。後半に入って間もなく、韓国の選手が1人退場となりました。この試合は90分戦ったあと、前後半15分ずつ、計30分の延長戦があった。それでも日本は得点で上回れず、最終的にPKで負けるという、ありえなくはないけどひどく悲しい結果でした。


あ、90分終わりました。決定力不足のお家芸を発揮した日本はやはり点取れず、この試合は延長とかなしにそれでドロー(スコアレス)で終了。勝ち点1をゲットしました。この予選ラウンドでは、1位にならないとオリンピックには行けません。2位以下になった場合に何か別のチャンスがあるのかどうか知りませんが。従って、アウエーだからといって勝たなくてもいいなんて事はなく、そりゃ勝って欲しかった。数的有利な状況があれほど長かったのだから、きっちり勝てる願ってもないパターンだったのに。

なんか、「勝ち点1を獲得したからよかった」みたいな雰囲気ですが、そんなことじゃぁ「レベル低い」と言わざるを得ませんね。フル代表ではないんであまり選手を知りませんが、平山とかフル代表の経験もある家永とか、でかい方の森嶋(いわゆるデカモリシ)くらいですが。デカモリシはなかなかいい動きだったと思います。でも、やっぱりもっと「勝てなかったこと」を悔しがらないといけないと思うのです。

あの、トップの位置にあるんなら、それでなお引き離せたのならいいでしょう。が、日本は現在2位です。慎み深いんだな。


さっきアジアカップの話をちらとしましたが、僕はあの3位決定戦でがっくりしました。本当にがっくりした。あんまりがっくりしすぎて、最初はブログ更新を怒りにまかせて試みましたが、もうあんまり怒りすぎて、おまけにがっくりしてた為に何にも書けなかった。

いったい何にそれほど憤ったのかと言えば、それは中村俊輔に対してです。

試合後の会見で、彼は「形はできてたんだが」とそればっかり言ってました。「・・・だが、決められなくて残念」の繰り返し。それもとっても淡々とした口調でした。チームの代表選手として、「感情を表に出してはいけないと思ったのか」、「もっと言いたい事はあるが、敢えて言わないのか」知りませんが、もう少し悔しさを出してもいいと思ったのです。そうして、そのコメントが本当ならば「もう期待できないね」とさえ思ったのです。

何故にそういう風に言うのか?

かつての中田はもっと怒りを出してたから。

例えば「課題は見つかりましたか?」の質問に対し、「課題のない試合なんてありません」と答え、ドローや敗戦の際には「感想をお聞かせください」に対して「・・・見ての通りです」と答えた。決めるべき時に決めれば得点できるし、しかるべき守りが出来れば失点は防げる。攻めにしろ、守りにしろ、頭でわかっている事が実際に出来たら結果はおのずとついてくる。それは判りきっているのです。だからコメントなんて、「正直意味ない」と思っているはず。僕の記憶が正しければ、中田は「頑張ります」という言葉はあまり使わなかった。自分たちはプロなんだから、「結果を出す責任がある」と考えていたと思います。その責任が果たせなかった時には、誰あろう自分たちが最も悔しいはず。申し訳ないという気持ちです。そのような思いでいるからこそ、結果が振るわなかった時には自分に対して「腹立たしい気持ち」でいっぱいなのです。

そのような、かつてのチームリーダーが見せた姿勢は俊輔に見えませんでした。実際、あのようなある意味恥ずかしい試合をしておきながら何の感情も出さない俊輔に失望したのです。拡大解釈かもしれないが、そういうところが、昔トルシエに嫌われた要因だったかもしれない。


人は誰しも失敗から多くを学び、それを次に生かそうと努力するもの。「次こそは!」とコブシに力を込めて悔しがり時には涙さえ見せる姿こそ、応援する方にも何かが漲るのですよ。

「頑張れよ!」と声をかけたくもなる。

「見届けるぞ!」と強く思う。

「きっとやってくれる!」と信じるエネルギーになる。


五輪に行けるかどうかは、まだ道半ばです。

次こそしっかり勝って、トップに踊り出てもらって、出場権を獲得してもらいたいものです。まだ見守ります。


バリウム怖い(後編)~終わり

テーマ:

※今回の文章は、一部に不衛生な表現があります。お食事中の方はもちろんの事、上品でないものは大嫌いという方は閲覧をお控えください。


きのうの続きです。

さぁ、いよいよバリウム飲んで胃のエコー検査です。

バリウムが怖いというのは、去年の健診でひどく苦しんだからです。

カタイのがコーモンにどっと押し寄せて来て穴が2ミリくらい破けましたから。これほんと。


一度やってるから要領そのものは知ってる。絶飲食(ちょっとは飲んでるけど)してるからノドはからからなのに、そこにあの粉末の炭酸を飲めと言う。むむっとノドに詰まらせつつ、それを少量のバリウムで流し込み、ちょっとノドの途中に引っ掛かってるっぽいなぁと「んぐんぐ」やってるところにコップ一杯Lサイズのバリウムが来る。えぇいままよとごくんごくん飲み下します。味ははっきり言ってヨーグルト。若干甘めの味がついてるから僕的にはまずいとは感じない。それを飲んでからが、あの、炭酸を腹にとどめておくのが大変なんだ。

去年もおもしろがった面はあるけど、あの、遊園地のアトラクション的宇宙飛行士体験遊具に似たベッドにしがみつく。が、実際は「そこであおむけぇ」や「お腹をつけてぇ」の指示に従うのはなかなかしんどい。何せ、腹は炭酸を留めとく為にゲップを「んぐんぐ」こらえてるから現在進行形の「く、苦し」モード。まぁどうにか終わりました。

で、看護士さんに「去年は相当苦しんだ」旨を伝えたところ、下剤を3つくれました。1回2錠飲まされるんだが、それを3回分くれました。


健診はこのバリウムで終了。用意してある水ですぐに2錠飲みました。

姉はまだだったから、車の中でしばし待つ。10分くらいで姉がやって来ました。

二人ともやれやれで、ノドが渇いたからコンビニに寄ろうかとしてたら、「いや、もう家に行って!」と訴える。「出る!」だって。早っ!


帰宅して、その日はピアノレッスンだったから若干復習をして出かけました。まだ僕には「来ない」。レッスンの最中にも全く。

ピアノを終えて店に行き、ロースターの掃除などやってたらおもむろに「来ました」。1回目が来ましたよ。

硬度の低い、送り出すのに難度の低いものでした。白いやつ。ただ量的にはたいしたことなく、「まだ終わりじゃない」だろうなと。

そのあと、普段通りに食事して、通常ならそこで「しばらくしたら来る」んだが今日はないだろうと考えてたらば、また「来ました」(2回目)。体内時計かな?さっき送り出してから30分です。が、今度のは「硬度がチョー限りなくゼロに近い」、送り出しの難度など存在しない駆け足のランナウェイ。困ったのは、ガスと言うお友達を連れてきてること。羞恥度高っ!!うちのトイレは集合トイレです。テナントの他店舗の店子さんと共同使用。だから、「誰も来ないでぇ!」って願いました。


一息ついたあと、去年の事をじぃっと考えててある事に思い当たりました。去年は初めての体験で、バリウムそのものはむしろうまいと感じました。人から聞くほどにはまずくないじゃん?と感じた。が、お腹の中にゲップをとどめておくというのがうまくいかず、ベッドで健診が始まって「あおむけになってぇ」に従ってたら途中で「げふふぅぅ」っと(たぶんあらいざらい)出ちまったのです。「・・・あ・・・もう一度飲んでもらえますかぁ?」と言われたのだった。検査技師のセリフで空白の部分は(あぁしぼんじまった)だと思う。それほどまずくもなかったし、「あぁはいはい」と言って喜んでもう一杯、ごぶごぶ飲んだのでした。どうやらそれがポイントなんではなかろうかと。倍の量を飲んでるから出すのに苦労したのだ。初体験だから、あんなことになるなどとは思いもよらず、その時になって初めて悲痛な叫びを発したのです。今年はゲップを何とか我慢できて1杯だけで、だから恐れる事もないかなと考えました。下剤も余分にもらったからきっと大丈夫。

その日(木曜日)は店が終わるまで便意などなく、でも「もう1回はあるかも?」と思ってました。

帰宅して、夜のご飯を軽く(いつもこの時間は軽い)食べ、念のためと思って食事後に下剤を飲んでおきました。

翌朝(昼頃)、起き抜けに、というかそれで起こされてトイレに駆け込みました。「来ました(3回目)」なんだかやたらと早足のやつで、硬度のないモノたちがとっとこ出て行きました。あぁ終わったなと感じました。2杯飲んだ去年とは違い、今年は「出せない」という「ウミの苦しみ」はなさそうです。はぁよかったよかった。


が、実はこれで終わらなかった。

その数時間後に、よもやあのような体験をしようとは夢にも思わず。










店でいつものように仕事を始め、いつもの時間に母と食事をしました。体内時計の影響で、いつも通りに便意があるやも?と思ってたら案の定、どうやら「来ました(4回目)」。

僕としては、もうひと通り出て行ったから、最後はちょっと硬いのが来るか、もしくは柔らかいものが少量だろうかなんて思いながら、何気に「屁(おなら)」をこいたのです。



「ん?」


「!!!!」

「な・・・こ、これは・・・?」


おいおいウソやろ?勘弁してくれぇ!!

もらした。チョーやわらかいのを。


言い訳ですが、通常の下痢は下腹に独特の感覚を覚えます。出口の辺りにも違う何かを感じます。そこでドンドン戸を叩くみたいな、出よう出ようという切迫感があります。だからこそ慌ててトイレに駆け込む。しかし、これはうかつでした。たぶん下剤の影響でしょうけども、何にもそういうのはなかった。ヘが出る感覚しかなくて、それを出したら違ったのです。情けなぁ。

懸命にパンツについたものを拭き取りましたが、「牛乳壜のフタ」サイズのしみが付いちゃった。しょうがないからいったん家に帰って(車で10分弱)着替えました。もちろんシャワーで洗い流した。


火曜日の夜からの一連の流れをまとめます。

健診に行くつもりで夜9時~朝まで9時間の断食をして、行こうとしたらば10時半までの受付と知らなかったからその日は行けず、再びその夜は空腹の9時間断食に耐え、翌日半分寝ぼけたまま検査を受け、バリウムの恐怖におののきながら不安な下腹部を抱え、去年は2杯飲んだことを思い出してやや安堵し、どうにか出たなと、やれやれと思ってたらそうやって安心しきっていた健診の翌日(金曜日)の夕方になって、「まだ終わってなかったぁ」のハリウッド映画のラストシーンを思わせるような「今年は硬い恐怖でなくってやわらか攻撃!!」の衝撃が待ち構えていた、と。


70歳を越えておもらしなら「悲しき現実」と受け止めもするが、なんとも受け入れ難いこの事実。

皆さん、くれぐれもお気をつけ下さい。

参考記事:バリウム怖い(前)

参考記事:バリウムの白い恐怖~完結編