前略 大嶺君

ぶしつけだとは思いますが、プロ野球の先輩として、またドラフト経験者として、黙っていられなくなってペンを執りました。

君の経緯は聞いています。ソフトバンクが指名するという話を聞いていながら、本番では全く予想外の球団であるロッテも名乗りを挙げた。競合となった結果、くじを引き当てたのはロッテだったそうですね。君の気持ちはソフトバンクだけにしかなかったでしょうから、ロッテから指名を受ける事は光栄には思っても、入団する気持ちにはなかなかなれないでしょう。それはよくわかります。しかし、ひと呼吸おいてよく考えて欲しいのです。ドラフトの制度上、ロッテという球団が1位指名に及ぶ事は決してアンフェアな話ではありません。マスコミは「横取り」とか「強奪」などと書き立てますが、ルール上何も問題はないのです。むしろ、「ロッテが評価してくれている」という事実の方を重く考えた方がいいのではありませんか?ソフトバンクと相思相愛だと公表されている君を指名する事は、ロッテにとってはリスクを抱えた賭けなのです。競合する事はわかってますから、くじに外れた時の策も考慮した上で、敢えて君を指名した。入団させるには君を説得しなければいけない。そういうリスクを背負った上での事です。それほど君を評価しているのです。僕の仲間には、既に戦力外を通告されて引退したものがいます。プレイ中に大ケガを負って野球をすることさえできなくなったものもいます。力を評価してもらって必要とされるという事、野球が出来る環境が用意されているという事は、『実にこの上ない幸せ』なんですよ?頭が真っ白になって何も考えられない状態であれば、幸せなどという言葉も届かないかもしれませんが。


僕の事も少し話させてください。

僕の時は、君はまだ生まれたばかり・・・そう考えると、僕も長くやってるんだなと、そこは感慨もありますが。僕を指名すると手を挙げてくれた球団は巨人でした。関西出身の僕ですが、実は密かに巨人ファンだったのです。巨人のスカウトが僕の力を評価してくれた時、もうそれは天にも昇る気持ちでした。ドラフトの当日は興奮して、胸がばくばくと高鳴って、その瞬間を今か今かと待ち構えていたものです。その瞬間、呼ばれた名前は僕ではありませんでした。これは夢に違いないと思いました。これが現実であるわけがないとしか思えませんでした。僕の名前が呼ばれないばかりか、しかもその時に呼ばれたのはチームメイトの、桑田だったのです。真っ白というか、身体の中から力がすうと抜けて、ほとんど気絶しかけた事を覚えています。しかしマスコミが駆けつけていて、僕は気を失うわけにもいかず、何とか持ちこたえました。そして、そこで西武ライオンズに指名されたのです。わけがわかりませんでした。そのことの意味をつかむのにかなり時間がかかったはずです。それよりも、巨人に入団する事は出来ないという事の方を僕はまず理解し、途端に胸の中から熱いものが込み上げてきて、すごく悲しくなったのです。

君を指名すると言ったソフトバンクはちゃんと約束を守ったんですよ?僕は約束を破られました。完全に裏切られたのです。その後、西武の偉い方が何人もやってきて、僕を熱心に口説いてくれましたが、西武への入団を決意したいきさつは正直言ってあまりよく覚えていません。振り返ってみると、僕をこれほど長く選手でいられるよう育ててくれたのは間違いなく西武ライオンズだし、本当によくしてもらえて球団には感謝しています。西武を断って一年浪人するとか、大学や社会人に進むとか、そういう事はあまり検討しなかったような気がします。何せ僕は野球が大好きで、そこに野球が出来る環境があるなら全てを忘れて打ち込む事が出来たのです。1年後の事なんて誰にもわかりませんし、ドラフトからしばらくの間、失意のどん底にいた事は間違いありませんが、1日でも早く、もっともっと野球がうまくなりたい一心だったというのもあります。


野球が好きなだけの男が全国の人から応援されるようになり、相応にお金を稼ぐ事も出来るというプロの世界は、高校生だった頃の僕には夢の場所でした。しかし大人になって解る事もまた本当にたくさんあって、あの「ドラフトというものの正体」もあとで理解できました。生きていくという現実は、想像もしない事がわかって行く事であり、逆にわからなくなる事でもあります。その過程では、運があれば不運もあります。

それでも生きていく。

自分が何者なのかわからなくても、「自分に何が出来るのかを探し続けていけば」、答えはきっと「自分の中から見つかる」という気がします。それが「己を成長させていくという事」じゃないかなと僕なんかは思います。


僕の「あの時の経験」と、「今の僕」とを見てもらって、そして「今の君の状態」を比較したら君の進路の助けになるのではないでしょうか。


出来たら君と対戦してみたいと、そこは野球人ですから、僕はそんな事を考えています。


早々

清原和博


この文章は僕が勝手に清原と大嶺を比較して書いた創作です。清原のドラフト当時の状況は、はっきり言ってうろ覚えで書きました。全くの創作物ですのでご了承ください。


大嶺よ!ロッテに入って、パリーグの星になれ!島んちゅのど根性を見せてくれェ!

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厄介な10月期ドラマ

地上波テレビのタイムテーブルが秋の改変期にあたり、近頃はろくな番組がありません。バラエティ番組を嫌っているわけでは決してないんですが、さすがにかなり飽きた。お笑いタレントの粒もひと通り揃ったようで、彼らも番組を持ちたいんでしょうが、いかんせん枠が不足気味です。で、10月に入ってからのドラマに期待していますが、どうも今度の秋はかなりきついのです。非常に厄介になりそうだと感じております。何が厄介かというと、見たいプログラムが目白押しなのですよ。


僕はお店があるので、きっちり観ることに決めた番組はビデオに録画しておいて仕事が終わってから楽しむのですが、多いんですな、これが。既に番宣などいくらか流れてますが、ネットで調べたりして検討した結果、悩みに悩んだ末に決めました。


月曜日 「のだめカンタービレ」 フジの9時枠。

これはどうやらクラシック音楽の世界が舞台になっているようで、漫画が原作です。何しろ上野樹里が出てるのなら見なきゃならん。彼女は「スイングガールズ」から注目していますが、あまりテレビに出てこないんでやや落胆しておりました。ライオンのCMでちょっとみかけるだけだもんなぁ。少し前に上戸彩堀北真希上野樹里の三人が主役を務めるオムニバスドラマがあり、やっぱり存在感を感じました。昔の沢口靖子みたく、映画専門にしかやらないのかなと思ってましたが、僕には待ってましたの彼女です。水川あさみもいる。参考記事:スイングすっぞっ!


火曜日 「役者魂!」 フジの9時枠。

二日連続なんで、かなり悩みました。でも、君塚良一の脚本だから見ることに決めました。松たか子藤田まことの組み合わせって・・・?どんなものになるんかよくわからない。それに、芸能界が舞台のようだけど、コメディなのか、恋愛物なのか、サスペンスではないだろうし、どんなお話なのか・・・コメディだろうけど、でも、君塚氏がどのような脚本を書いているのか見届けないわけにはいかないという結論に達したのです。躍るシリーズの方ですから、テンポのよい、エンタテイナーで、笑いもあってほろり涙も時にはという、そういう話を期待します。


水曜日 「相棒」 テレ朝の9時枠。

右京(水谷豊)が帰ってきました。薫ちゃんを連れて。この枠はたぶん、沢口靖子の「科捜研の女」も使うところです。前回のクールではこれをみていたわけで、こお二人のこの作品は、僕には御馴染みの絶対に外せない番組です。「相棒」の話は前にも書いたけど、要は待ってましたなのです。


参考記事:相棒4を見た! 及び正しい「相棒」の見方

二本目 「14才の母」 日テレの10時枠。

「女王の教室」でマヤのいじめに耐え抜いた、「エヘッ?」の和美です。志田未来が主演を張るそうです。確かに、将来に期待のもてる大物女優になりそうな彼女ですが、まだ主演は早いんではないかなと心配します。14才で妊娠する役みたいですが、「女王の教室」みたいに物議を醸す作品になったりして大きな反響を呼ぶものなのか、逆に(主役がまだ幼い為に中途半端に)甘い脚本でつまらないドラマになるのか、どうでしょう。


木曜日 「Dr.コトー診療所」 フジの10時枠。

原作の漫画作品も全て読んでいて、今回は敢えて見るのやめようかなと、考えていました。コトーを演じる吉岡秀隆ははまっているとは思いますが、何せ話は全て知っています。前回の時も、ほとんどきっちり原作を再現してありましたから、もういいかなと。ところが、看護士の仲依ミナ役に蒼井優を起用しているっ!こ、これは見なければならなくなった。頑張ってみます。


金曜日 「セーラー服と機関銃」 TBSの10時枠。

ご存知、薬師丸ひろこが演じたやつのリメイクです。実は、この作品を僕は見ていないんだな、これが。長澤まさみは、少し前に出演した「功名が辻」における演技が印象的でした。役の幅をかなり拡げているようです。近年では最も忙しく、また成長著しい女優の一人です。


日曜日 「功名が辻」 NHKの8時枠。

大河ドラマって、長いんですなぁ。頑張って見てますが。今回のクールでも、これはちゃんと追っかけねばなりません。


え~と、月・火・水・木・金・日曜日の7本(水曜日は休みなので頑張って2本)と相成りました。ドラマ漬けです。これに、ものによっては土曜日の映画とか、サスペンスとか、そういうのもおさえる羽目になります。ネットで色々とみていたら、今回のクールから始まる昼ドラマにもちょっと目が行きました。酒井美紀主演のやつとか、はしのえみのやつとか、でも、さすがにそこまでは手が回らない。勘弁して。


こりゃほんとにドラマ漬けだな。


リア・ディゾンは神の仕業か

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民主主義の国と世に生まれながら、今ほど格差や不平等を思わない社会はない。新しい総理大臣は「再チャレンジ」だとかおっしゃるが、果たして。ワーキングプア(働く貧困層)が約400万人?にのぼるそうで、格差がこれほど開いた状態では「再チャレンジ」などという言葉は空しく響くだけという気がする。


これほど不平等を実感する社会に、まさに人類の神秘というか、これはもう神に選ばれたと思うしかないような美女が現れた。リア・ディゾンだそうだ。絶世の美女などという言葉を僕は口にした事もないが、もうそう言うしかない。他に表現しようがない。


これからメディアへの露出が増えれば、「彼女も人の子なんだなぁ」とか、「あぁそれは苦手なのね」とか、「・・・それはちょっと人並みですね」とかいう面も見せるのかもしれないが、ひとまず現段階では飛びぬけた存在感に満ちている。どうやらビクターから歌手デビューするそうだが、歌唱力はどんなものだろう?アメリカ人だが、フランス系アメリカ人の母と中国系フィリピン人の父との間に生まれたそうだ。・・・うむむ。む、難しい。ボンソワ系にアメリカナイズされたオリエンタルなエキゾチック?こういう子供が生まれるわけか。何せ4カ国の血が入っている。


歌手として活動するよりも、女優としてスクリーンで活躍して欲しいと思うが。

動画をみつけたので見てみたが、これはかなりエロい。いちおう二十歳になったばかりなのだが、日本の二十歳とは全く育ち方が違うようだ。かなり露出度も高い。素の状態では、割合と子供っぽさも垣間見えた。従ってそこそこ演技の方でもいけると感じた。


沢尻エリカがややかすんで見えたのは、たぶん僕だけではないと思う。彼女は決して悪くないが。

ブログもある。アメーバで。


ディゾン1


ディゾン2

タバコのはなし

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コンビニに陳列してあるたばこの棚が、近頃妙に明るくファッショナブルで、「何でかなぁ?」などと考えた。

たばこの害というものが散々言われていて、なかなかやめられない人たちは肩身の狭い思いをしていると思う。僕なんかは自営の身だから、親から時折思い出したように非難される程度で済んでいて、まだましな方だろう。実際、喫煙者の総数はここ10年くらいでわずかずつ減っているはずで、これはまぁ当然のことだと思う。何年か前に新聞で見たが、確か男性の喫煙率は下がっていて、しかし逆に女性の方は上がっているとか。これは、男女雇用機会均等法が浸透して責任のある職に就く女性の増加に伴い、職業における女性のストレスが増しているというのが背景にあると見た。それだけではないだろうと思うが。それに、中高年以上の年配者では健康ブームの影響もあってたばこをやめる人もいるのに、むしろ若年者の喫煙者が増えているらしい。従って、喫煙者が減っていると思われがちだが総数ではそれほどでもないとかで、吸う人は開き直って?がんがん吸っているという状態なのかもしれない。そうは言っても、今後はやっぱり徐々に減ってはいくんだろうなと、そのようには思う。


たばこには様々な規制がある。例えばテレビコマーシャル。夜の10時だったかな?定かでないが、それ以降の時間にならないとCMは流せなくって、しかしそれも何年か前に完全にダメになったんではないだろうか。近頃は全くたばこのCMを見ないから、たぶん今はダメなんだと思う。また、流せている時代にも、その広告を流してよい期間が定められていた。で、メーカーはどういう事をするかというと、「ロングが出ました」と言ってCMを流し、「パッケージが新しくなりました」と言っては“新製品でござる”とCMを流す。そうして人々になるだけ新味を打ち出して販売にこれ努めていたわけだ。

中身はちっとも変わらないのに、CMを流す為だけにそんな事をして果たしてメリットがあるのか?実はある。今はコンビニで販売される比率がかなり高いと思うが、タバコという商品は、昔は販売機で売れていたものだ。そのもっと前になると、かどのタバコ屋の看板娘が存在していて対面販売が当たり前だった事になる。タバコという商品を、商店がいくらで仕入れているのか?実は、9個の値段で10個を仕入れている。従って、仕入れたタバコの10個目が売れない限りそのお店に利益はない。だから、ちゃんと客のついていない銘柄は置きたくないのだ。忘れた頃に1個売れるような銘柄では、利益なんぞ出ないのだ。そうして、近所同士の付き合いが濃密だったそういう時代は、世間話をしながら、カートンで買ってくれる客が一番嬉しかったのだ。・・・販売機の話だった。販売機は、メーカーがリースで置いているものと商店主が購入して置いているものの大きく分けて二つがある。前者は、メーカーが定期的に掃除してくれたり新製品のシールを貼ってくれたりという、経費もそれほどかからないメリットがある。老朽化すれば新しいのに交換してもくれる。しかしデメリットもある。販売機に入れられる銘柄(置ける商品)の数をコラムというが、たとえば16コラムの販売機の場合、半分の8コラム程度から16コラムまで幅はあるものの、そのメーカーの銘柄で縛られるのだ。メーカーさんの手先になるという事。喫煙者の微減傾向に伴ってタバコ販売にうまみがなくなり、店主のやる気が萎えてそれはだんだん増えていき、終いには全部そのメーカーで埋まってしまう傾向も高くなった。メーカーさんはそれをどう埋めるのか?ここでやっと出てきた。ロングや、ちょっとデザインの違う丸いのや、ソフトタイプやボックスタイプ、そういう中身は同じタバコをずらりと並べるわけだ。で、販売機そのもののデザインは自分のとこの代表的な銘柄のロゴ(ラークとかラッキーストライク)をででんと載せる。つまり広告看板代わりに使うという事だ。最近はほとんどこの手だ。店主が買い取って置いている販売機はどうか?これは、店主が自由に何を入れて売ってもいい。どの銘柄が売れるのか?店主の腕の見せ所となる。しかし、こういう店は少なくなっている。だって売れないからだ。それに、自分で何十万も出して買ったものの、掃除をしたりシールやステッカーを貼ったりの作業は結構しんどい。タバコ屋の店主に広告センスを求めるのは酷だが、客から見て、魅力的な販売機にはあまりならない。喫煙者が多い時代は通用したんだがね。


ところで、JTの販売機があったらマイルドセブンを探してみるといい。おそらく、コインを投入する口に最も近い場所にそれはある。一番売れている銘柄をコイン投入口の傍に置くのが鉄則なのだ。あ、それと、JTが扱っているマルボロというタバコ。これはフィリップモリス(PM)の製品だ。何故そのPM製のマルボロをJTが販売しているのか?輸入タバコが一斉に店頭に並ぶようになったのは何年だったかな?つまり、外国から日本への参入がなった時に、JTが要求したものなのだ。「一番売れてる銘柄をよこせ」と。「日本への参入を許す代わりに俺にもうまみをくれよ」と、そういう取引でマルボロはJTが扱っている。確かそのはず。


え~と、タバコメーカーさんが何を考えているのか?全体的に喫煙者が減る中で、若年層には一定の割合で喫煙者が存在する。夜回り先生も苦労している。で、健康ブームも結構あるからあまり大っぴらにはタバコの宣伝も難しい。色々と規制もある。次の手は?と考えて、タバコをファッションの一部としてそこに特化して売っているんではなかろうか?コンビニでの売上げが増えている事を逆手にとった戦略と思われます。


今日の文章、今のだけでよかったですな。

田中将大の潔さ

駒大苫小牧の田中を僕はあまり好きではなかった。

甲子園での連続優勝などというすごい事をやってのけた力は認める。けれどもマウンドでの、あのふてぶてしい態度といい、顔色ひとつ変えない冷静さといい、もう少し高校生なりの弱さもどこかにあろう筈なのに、それを全く見せない完成度が憎憎しかった。高校野球では、当然我が清峰高校を応援するわけで、苫小牧は勝ち抜けば対戦する可能性のある敵でしかない。国体や神宮大会でも負けているし、今度こそは倒して欲しい宿敵なのだ。しかし、この夏の甲子園では清峰のもろさばかりが見えて、結局勝ち抜けず、リベンジの機会はなかった。今年の夏は、エース田中の調子は今ひとつで、「こりゃ連続優勝は厳しいな」と、「どこが負かしてくれるんかな」と楽しみにしていた。ノックアウトされてマウンドから降りていく田中を密かに見たいと思ったりしていた。しかし、苫小牧は勝ち進んでいく。田中の調子が悪いなら、打線が援護するぞとばかりに危うい試合を何度もものにして、とうとう決勝まで勝ち進んでしまった。そして、あの引き分け再試合を含む決勝戦だ。

僕は自分が恥ずかしくなった。あんなにまでして、力を絞りきり、ひり出し、それこそ内臓脂肪まで燃焼させたかという130%を傾けた壮絶な死闘。最後に出た準優勝という結果は力の差ではないと思う。あれは神様が決めたのだ。「まだまだ伸びていけ」と神様が仕組んだシナリオなのだ、きっと。「天狗になることなく、もっともっと」という。早実の斎藤投手に喫した空振り三振でのゲームセット。あの時の笑顔は僕に鮮やかな印象を残した。


早くから、「プロなら12球団どこでも」と宣言していた田中にも、意中の球団があるんではと思っていた。そして、交渉権獲得球団が決まった時には、何らかの反応がきっとあると考えていた。しかし彼は冷静だった。そして、その場ですんなり楽天への入団をこともなげに口にするのだ。

この潔さはなんだ。

汚い大人の代表であるおやじのハートを、君はがっちりつかんでしまったよ、田中君。


先行きの見えない現代。プロ野球選手になったからといって、将来は何も保障されない。ケガで引退する選手だってたくさんいる。野球はひとりでやるもんではなく、野手に点を獲ってもらわないと勝ち投手にはなれない。どんなに凄い球を投げようとも、負け投手にスポットライトは当たらない。ならば、少しでも得点能力の見込める、実績のあるチームに入りたいのは人情だ。しかし、「そういう制度だ」と見事に割り切り、そして、『本当の意味で挑戦者になれる』とまで言い切ったのだ。その意気やよし。


胸があつくなったぞ。


君を応援するぞ。


来季の楽天は盛り上がるぞ。


仙台は牛タンだぞ。


桑田がチームメイトになるかもしれないなぁ。




あぁボキャブラ

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うちの店は狭いので、食材の保管用に、店の裏に冷蔵庫を置いています。裏口から出ないといけない。実際、営業中に何度も裏の冷蔵庫と店内を行ったり来たりする羽目になります。店内にいる姉の横をすり抜けて裏に行ってた時に、姉が母に話し掛ける言葉が耳に入りました。

朝、醤油ば蹴ったって?

僕は冷蔵庫をまさぐりながら思ったものです。全く、母にも困ったもんだ。なんで醤油を蹴ったりなんかするんだ。だいいち、蹴るような場所に置いとく方が悪い。どうせ、びんから醤油差しに移してて、その作業がきちんと終わらないうちに他の事をやり始めて、それで床に置きっ放しにしていたんだろう?それをすっかり忘れて、また更に、何かをやってる時に蹴ってしまったというわけだ。そんなの子供だってしないぞ。


僕はあきれつつ、店内に戻って二人に向かって、つい、やや問い詰めるような口調で聞きました。

「醤油ば床に置いとったとね?」

「・・・は?」

「醤油ば蹴ったとやろが?」

「・・・何の話?」

何だよ?今言ってた事を・・・とぼけんなよ。

「今、言いよったやろ?朝、醤油ば蹴ったって!


しばしの沈黙の後、二人同時に口を開きました。
























「『朝青龍負けたって』言うたとぉ!!!」



「朝、醤油ば蹴った」

「朝青龍負けた」


負けるなんて滅多にない朝青龍が、負けたという事で、いくらか信じられないという勢いで言ったみたいです。「あさしょうりゅまけぇたぁ~てぇ?


3人揃って大笑い。

お客さんがいたから口を抑えて、腹も抑えて苦しみ笑い。



YUIと鬼束~その母性と父性 まとめ

テーマ:

鬼束の詩とYUIの詩を取り上げて考えてみた。


鬼束の詩は、「この世界は腐敗している」という前提に立ち、「苦しみばかりが溢れかえっている」さなかで、しかし「私は神の子」なのだからきっと可能性は見出せる。それが月夜に輝く「月光」なのだと歌っている。

詩を少し噛み砕くと、突風効かない薬、という言葉は、現実社会という「暗闇」の中に潜んでいる、例えば「世間の風当たり」や「しがらみ」、「徒労」、などに置き換えられないだろうか?僕には、この詩世界が描いているものはまさに「男たちの働く社会」だと思えるのだ。社会で働く人たちは、誰しもが大志とは言わずとも何かしらの理想を抱いて生きている。しかしながら現実はなかなかそううまくはいかず、自らの壁にぶち当たり、それをはねのけても様々な要素によって苦しむ事の方が多い。そんな苦しみの連続に打ちのめされて、この社会全てが暗闇に見えても、それでも「月がほらそこに」輝いている。そういうエールだと思える。それでいて、この詩の最後は「こんな場所でどうやって生きろと言うの?」と問いかけで終わっている。「あなたは神の子なんだから、自分で答えを見つけられるはず」と下駄を預けているのだ。このあたりはどうにも男たちの間で時折交わされる会話に似ている。「ま、きっと答えは見つかるさ。頑張れよ」とポンと肩を叩くかのようだ。そういうわけで、僕にはこの詩が非常に男っぽく、父の温かみを思わせるものと感じられる。


YUIの詩は自分を出発点に置いている。自分の弱さや脆さ、小さき自分を意識して自己嫌悪になり、逃げ出そうとしている。しかし、ここで再び自分に戻り、「幼き日々に描いた宇宙」に遊んで、そうして「痛みをこらえる覚悟」を決めて走り出すのだ。この過程は、いかにも女性的なのだ。現代っ子はどうか定かでないが、将来の夢を尋ねられて「花嫁さん」と答える女の子が一定の割合で存在すると思う。では、「お父さんになる」とか「おむこさんになる」と答える男の子が果たしてどれくらいいるだろうか?どう考えても女の子の場合よりも少ないだろう。(一定の地位を社会的に確立するという意味での)何らかの理想を語る女の子は男の子より少ない。これは、少なくともある年齢までは男性よりも女性の方が「自分を過小評価している」ことに他ならない。そんな自分が夢を持ったとき、その為の痛みならきっと耐えられるし、耐えるのだという決意はやっぱり女性的だ。男性ならどう考えるのか?「どんなに耐えたってダメなものはダメ」だ。そうして「理由」を探し始めるのが男という生き物で、「理由(あるいは大義)」があれば逆に耐えられる。自分の夢だから耐えられるし、だから楽しいのが女性で、自分の夢であっても「理由」がなければ耐えても意味がないと考えるのが男性ではないだろうか?そうして「理由」を探して、ひいては「それに耐えても意味がないという『理由(言い訳)』を見つけて」夢をあきらめるのも男性だ。

誰かの言葉につまずきたくない 惑わされたくない」という部分は、「私の夢に妙な意味付けをしてくれるな」という主張だ。理由なんて要らないからだ。「逃げ出すまでの口実に迷う」面も見せるが、すぐに「ちぎれた記憶を辿ればあの頃にだって戻れる」立ち直りの早さがある。そう考えていくと、やっぱりこの詩はまっすぐで女性的に思えるのだ。


≪歌い方を比べてみる≫で比較したが、鬼束は裸足で立って歌っている。その姿は聴衆を導くようで、その注目を一心に集めて、その裸足の足からパワーを大地に響かせんばかりの歌い方だ。どこか選挙演説と共通している部分を感じる。父的なのだ。


YUIは床にあぐらをかいて、ギターを抱えて歌う。聴衆の方なんかほとんど見ない。ギターと彼女自身がいたらそれでいい。それは本当に赤ん坊をあやしながら子守唄を歌う母親そのものなのだ。母的だ。あくまでも屋内での話で、野外でのライブはまた違うと思うが。


以上のような理由で、YUIを聴いているとやたらに鬼束を思い出す。YUIに母性的なものを感じれば感じるだけ、その対極とも言える鬼束の父性を思い起こさずにはいられない。

鬼束ちひろが再び歌い出す日はいつの事だろう?


前編はこれ

中編はこれ

これがラスト前

桑田のつぶやきは何だった?

巨人の桑田が巨人を辞めると言ってるようです。

プロ選手として限界なら、それも致し方ないこと。誰にでもその瞬間は訪れる。

ただ、巨人を辞めるとは言ってるが野球選手を辞めるとは言ってないようです。どうもその辺がはっきりしません。彼が「自分に登板機会を与えない巨人を見限った」のなら、他球団でプレーするという選択肢が残されてはいます。しかしながら、彼を獲得する球団が果たしてあるのか?球団が一軍に上げない理由は明らかです。使えないからです。巨人というチームにいれば、彼自身解っているでしょうけど、使えないなら捨てるだけです。桑田が長くチームに貢献していたからこそ、そこは温情で置いてやっているだけ。


全盛期ほどには速球のスピードがなく、全盛期ほどにはそのキレもない。更に全盛期ほどには思ったところに投げられるコントロールがない。これでは、たとえどんなにカーブが曲がっても打たれます。引退した星野(長くオリックスにいて、晩年は阪神に在籍)という投手はおそろしく遅い速球を投げていましたが、彼にはそれよりもっと遅い変化球がありました。この速球と変化球のスピードに落差があったから彼は通用したのです。また、投げ方も変則的で、球の出所がわかりにくく、遅い直球も打者には速く見えた。桑田の場合はオーソドックスな右の本格派ですから、ちゃんとキレのある速球がないと通用しません。

彼が巨人を辞めるにしても、まだ現役にこだわり続けるというなら、もう楽天くらいしか道はなく、しかしあの野村監督が桑田を使おうと考えるかどうか?


ニュースを見ると、この桑田の文章は球団にとって全く関知していなかった突然の発表だったそうです。球団から「来季の戦力外」を通告される前に、否が応でも今後の身の振り方についての話し合いを求めるという桑田のプライドがさせたものという見方もあります。その場合、桑田は投手コーチとしての入閣あるいは球団の背広組への就職を求めるでしょうか?今季のチームには斎藤・尾花の投手コーチがいて、若手もまずまず育っており、枠はありません。たぶん無理でしょう。で、将来の幹部候補生として、たとえば仲良くしているメジャーの2Aとか3Aとかにコーチ留学するとか?桑田はかなりの理論派と聞いていますが、しかしそれは彼独自の理論が強いのではないかと考えます。他の選手に通用するのかはちょっと疑問です。むしろ、口数の少ない彼の指導では選手がついてこない事もありうる。実現性は低い。従ってコーチには向かないと僕なんかは思うのです。


結局200勝を達成できなかった彼は、名球会に入れずじまいです。名球会に入ったかどうかで、引退後の解説者としての待遇にはかなりの開きがあるそうで。桑田がそこにこだわったのも、プロ入りした最初の目標がそこにあったとしても無理からぬ話です。とすれば引退後に解説者になるなら日本テレビ系列に行く事が楽な道とは言える。しかし、自分を「自分の望まない形で」干した読売グループにへこへこ就職するとも思えないわけです。


全くの突飛な話かもしれませんが、桑田はチームに長く在籍したおかげで外国人助っ人に結構友達がいます。クロマティあたりをはじめとして、他にも仲がいいらしいのがいたなぁ。誰だっけか?まぁ、いいや。日本のプロ野球の中では、実績があるからこそ周りからしのごの言われずに、自分のペースでやってこれた彼です。なんとなく、彼はひとりの野球人として、独自の道を歩みそうな気がするのです、つまり、アメリカに渡って3Aの監督を目指すのです。もちろんそれは手始めの事で、いずれはメジャー球団の監督になる。そういうのもおもしろいかもしれないなと考えます。桑田なら、そういうとんでもない事をやってのけそうです。


僕は以前外資系の保険会社に勤めていました。日本の会社と違い、非常にドライでストレートな毎日でした。「やるのか?やらないのか?」を単刀直入に求められます。「やるのなら、何をどうするのだ?自分で決めろ」です。自主性を尊重し、アドバイスはしても最終判断は自己責任です。なんか、そういう場所の方が桑田にはあいそうです。そんな気がするのです。


江川の「スポーツうるぐす」で、江川氏が言っていました。巨人を辞めると示唆しながら、引退の二文字には言及しなかった彼に対して、氏はこのような事を言ったのです。

「どういう道に進むのであれ、球団と円満な形で退団して欲しい」と。なんか、球団側に立った発言と僕は捉えました。「も一回身体を作り直せば、他球団で技巧派としてもう一花咲かせられる可能性も」あるとかないとか、そのパーセンテージはたとえ低くても、そんなエールを送って欲しかったなと、そのように思いました。

江川、来季はヘッドコーチとして入閣したりして。それで球団を擁護してたりして。

YUIの「トゥモローズウエイ」

なぜこの曲なのか?泣けたから。とにかく泣けたのでこれにした。

1番 いまを壊してしまいたい いまにすがりついていたい 自分のことはわからない

やり直せるはずないよ 知らない街に隠れてみても窓越しにただ今を想う

逃げ出したい衝動から 逃げ出すまでの口実に迷う

ちぎれた記憶を辿れば あの頃にだって戻れる いつかの少年みたいに

叶える為 生まれてきたの 幼き日々に描いた宇宙

アイムアベイビー 泣きたくもなる 手に入れるための傷みならソーグッド

2番 生きることが戦いなら 勝ち負けも仕方がないこと

そんな事くらいわかっているよ

泣き出したい衝撃から走り出した明日へと鼓動が騒ぐ

まっすぐに生きてゆきたい ただまっすぐに生きていたい あの日の少年みたいに

(中略)

誰かの言葉につまずきたくない 惑わされたくない

明日もきっと 輝いている 幼き日々にもどらなくていい

トゥモローズウエイオブライフ怖がりだけど 引き返せない道に立ってる

叶える為 生まれてきたの 幼き日々に描いた宇宙

アイムアベイビー 泣いたりしない 手に入れるための傷みならソーグッド


1番では、現実というものに押し潰されそうになっている姿が描かれている。「壊してしまいたい」とか逆に現状維持とも取れる「すがりついていたい」が来て、そうして「自分のことはわからない」といくらか投げやりな面も垣間見える。やり直したい気持ちがあるのに、それも「無理よ」とヤケ気味で、誰も知らない街に隠れようかなどと考え、なお今を想うだけ。迷いの真っ只中にたたずんでいることが知れる。「逃げ出したい衝動」を抱えながら、言い訳を探すあたりは自分を飾る気持ちに邪魔をされてるという事を吐露している。そうして彼女は原点に帰ろうとするのだ。子供の頃に描いた夢は何だったのか?私は何のために生まれてきたんだろう?そこで、何かを手に入れる為なら場合によっては何かを失うのだと改めて自覚する。最後に、手に入れる為なら「それもいい」と考える。


2番では、「生きることが戦いなら勝ち負けも仕方ない」と、ひとつ成長した考えを見せ始める。「泣き出したい」ほどの衝撃を抱えながら、それでも目標に向かって「走り出した」未来への可能性へ心をときめかせ、「ただまっすぐに生きてゆきたい」と願うのだ。

2番を終えてからは、彼女はもう走り出している。「誰かの言葉につまずいたり」、「惑わされたり」さえなければいい。そうすれば、「明日もきっと輝いている」し、第一、私はもう「引き返せない道」に立っているのだという覚悟が見える。その証拠に、締めくくりに来る言葉は、それまで「泣きたくもなる」だったものが「泣いたりしない」という決意に昇華しているではないか。


YUIのこの詩にあるのは、まず自分を出発点にして己の小ささを嘆き、自己嫌悪になり、現実から逃避する姿だ。そうしてそれを留まらせるのは、やはり自分から出てきた「幼い頃に描いた夢」なのだ。子供の頃というのは怖いもの知らずで、それこそ何者にだってなれるんだと信じて疑わない。成長するに従って、それは幻想だという事を僕らは知らされる。たいがいの人は、そういう現実を突きつけられると軌道修正してしまう場合が多いのではないだろうか?しかし、YUIは違うのだ。それじゃぁ私は何の為に生まれてきたのか?と自らに問いかけ、原点に帰り、その夢を追う覚悟を決める。それが正しいかどうかとか、そもそも自分に可能かどうかという事は極力考えないようにして、「自分は覚悟を決めたのだ」「引き返せないのだ」と退路を断って、可能性に向かって走り出す。もう決して「泣いたりしない」という心の強ささえそこには溢れている。


誰もが共感出来る詩であり、また誰にでも力と勇気を与える作品だ。日々を送る普通の人々にとって、いきなり「子供の頃の夢を追いかけろ」と言われたってどだい無理な話だ。しかしながら、すぐにそうするわけじゃなくっても、彼女の「思い悩む姿」から「可能性に向かって走り出す決意」に至る過程を描いたこの作品は無性に気持ちを奮い立たせてくれる。難しい言葉なんて何一つない。小学生にだって理解は出来る。それでいて万人にパワーを送れる作品だと僕は思う。


次回 、まとめようと考えています。


前編はこちら

中編はこちら

YUIと鬼束~その母性と父性(中編)

テーマ:

≪歌詞を比べてみる≫

これについてはそれぞれ代表的と思われる1曲を取り上げるだけなので参考にしかならないが、それでも本人の詩であることからその精神性は伺う事が可能ではないか。


鬼束の「月光」


私は神の子 この腐敗した世界に堕とされた こんな場所でどうやって生きろと言うの?

こんなもののために生まれたんじゃない 

のっけから、「私は神の子」と断言し、この世界を腐敗したモノだと言い、こんな場所では生き方もわからないと歌う。


突風に埋もれる足取り 倒れそうになるのをこの鎖が許さない 心を開け渡したままで貴方の感覚だけが散らばって私はまだ上手に片付けられずに

「理由」をもっと喋り続けて 私が眠れるまで 効かない薬ばかり転がってるけど ここに声もないのに一体何を信じれば?

足取りという言葉からしてどこかに進もうとはしているのだが、突風に遮られ、倒れそうになり、そうして時には休みたい気持ちを持ちながらも自らを縛る鎖によってそれさえも許されない。空虚な気持ちのままで流されながら、いまだ心の整理はつかない。

「理由」を知りたい。私が納得できるまで。気休めばかりが聞こえてきて、自分の中が空っぽのままでは、何を信じていいのかさっぱりわからない。


これは一番の歌詞。あくまでも歌詞だから、これを分析するなんてナンセンスではあるだろう。だだ、内容的には非常にもがき苦しんでいる事がびしびし伝わってくる。

現実の堕落・腐敗した世界を嘆き悲しみ、生きる意味を問い、答えを探して暗闇をさまよう苦痛だ。聞こえてくるのは意味をなさない空っぽの言葉だけで、自分自身は困惑するばかりだと歌っている。だが、この苦しみはどこから来るのか?わからないという苦しみは、冒頭にある「私は神の子」という言葉に象徴されるように、何にでもなれるはずだという、必ず見つかるという、可能性を信じているからこその苦しみではないのか?いわば産みの苦しみなのだ。自分の可能性は無限に広がっていて、きっと望むものになれるはず。だって「神の子」なのだから。だが、今現在の自分は腐敗した世界の現実に縛られて身動き出来ないでいる。これを簡略化して言うと、「夢と現実のギャップ」になるだろう。なんだかそう言ってしまうと身も蓋もなさそうだが。


僕がこの詩から受けた印象は、しかしもっと深いものがあった。それは「癒し」だ。

現実の厳しさや難しさ、困難に打ちひしがれて悲嘆に暮れる事は誰にも経験がある。だが、このようにどん底まで落とされると、むしろ開き直れると言うか、そんな状況こそが現実であって、自分だけが苦しいのではないと思えてくる。腐敗した、堕落したこの世界に生きているのだから苦しいのは当然のこと。そうして、そんな自分にだって可能性が広がっている事も解っている。それなら、自分の可能性を伸ばせる場所に行ったらいいじゃないか。そのためにできる事をやればいいじゃないか。悲しかったら泣けばいい。泣いて泣いて泣いて、涙が涸れるまで泣いたら次はきっと笑える。そのような、自分を切り替えるターニングポイントに我が身を持っていける。そのような感じを受けた。


え~と、なんだかだらだらと書いてしまいました。

次回は YUIの歌詞を取り上げます。


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