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2006年06月29日 02時46分51秒

永遠に届くまで 8(最終)

テーマ:家族のこと

最後です。少し長くなりました。


4月4日の朝。

母にすっとんきょうな叫び声で叩き起こされたのが午前6時だったから、まずは本気でうんざりした。しかし、階下で動き回るその足音はかなり騒々しく、これはただごとではないという空気が二階の僕の部屋にも伝わって来た。「家族全員来て下さい」と言われたそうで、これまでのような「医師(せんせい)のお話」では済みそうになかった。母は僕らの準備を待ちきれずに自分の車で先に出て、いよいよその時なのかと心がまえをして、僕は病院へと急いだ。


まずは医師が状況を説明する。

先日から言われていたように、父の腎臓はまともに機能しておらず身体の中に排泄されない尿が溜まってきているとの話。今後は、心臓がどれだけ持つだろうかという事だった。昨夜から意識はなく昏睡状態だそうで、「本人はおそらく寝ている感覚」であるらしい。家族としては、(血圧を上げる)昇圧剤や人工心臓(レスピレータ)に関しては「もうやらなくっていいです」と伝えてあり、要は「父の心臓がギブアップするまでの命」という事になった。ここまで来ると、もうあとは「いつ亡くなってもおかしくはない」という状況。

家族が全員呼ばれた事を思えば、本当に今日亡くなるのだなと僕は考えていたのだが、それに反して、医師はいわばどっちつかずの言い方をした。

「予断を許さないという状況には違いないんですが、このまま・・・例えば一ヶ月・・・くらいは・・・長ければ頑張る・・・という事もあり得ます。・・・もちろん、明日、息を引き取られるかも・・・わかりません。正直、こればっかりは・・・その時になってみないとわからない事なんです。」

先日、僕は医師にひとつだけ訴えた事がある。4月6日の誕生日を乗り越えて、せめて73歳まで頑張ってもらいたいのだと。享年72だろうが73だろうが、大きな違いはないのだが、それはもう、慰めに近いものだった。医師の話だと、どうやら73歳の誕生日は迎えられるのかなという印象を、その時の僕は受けた。


病室に行ってみると、父はやはり相当苦しそうな様子だ。看護士さんがそばについていて、脈をとったりなどして状況を注視していた。すぐに気付いた事は、呼吸の間隔が長くなっていたことだ。通常、吸っては吐くというその呼吸が、吸うにしても吐くにしても、やたらに長いのだ。え?呼吸をしてない?と思って見ていたら、父は思い出したように身体を揺すって大きく息を吸い込んだ。そうして吸い込んだ息をとことん身体に溜めて、溜めたら今度は一気に吐き出す。吐き出し終えると父は微動だにせず、え?え?と思っていたら、また思い出したように息を大きく吸い込む。その繰り返しだった。


確かに、その呼吸の様子は難儀そうに見える。そうは見えるのだが、父の表情については、それに反して随分と穏やかだった。実際、口を半開きにして天井を望む顔は、疲れた仕事をした日の、熟睡している時の父の寝顔だ。ふと、僕は8年ほど前に亡くなった祖父の寝顔を思い浮かべた。寝たきりだった祖父は、見舞いに行ってもいつも口を半開きにして目を閉じていた。ずっと意識を失ったままそのまま亡くなっていった。父の顔がそれに重なっていた。

「意識はあるんですか?」と医師に尋ねると、「いや、ずっと寝てらっしゃいます。今朝は・・・たぶん目覚めてらっしゃいませんね」

「呼吸が苦しそうですけど、本人は自覚してないんですか?」

「尿が外に出ないせいで、状態としては溺れている感じのはずなんですけど、ただ本人さんはもう麻痺してますから、何も感じてないと思います。モルヒネも、今は打ってませんし。」


父はあと何日生きられるのだろうか?

こういう状態が続くという事は、しじゅう家族の誰かが病院に詰めていなければならない事になる。最低でも1週間くらいは必要なのかもしれない。僕は病室の外に母を呼び出し、親戚に連絡をした方がいいのではという話をした。既に、永くないという事は伝えてあるが、今日か明日かという危篤の状態だという事は改めて知らせた方がいいのではという話だ。


父の病室はナースステーションから最も近い位置にあり、その病室のドア越しに、ステーション内に置いてある心電図計が見えた。父の傍にいても、その数字が確認できるのだ。それを見て、姉が「数字が減ってる!」という事を僕らに知らせに来た。確かに最初に見たときは3桁だったのが、90いくつかの数字に減っているようだった。あれ?何らかの処置をしてくれないのかなと僕は感じた。はて?その処置は昇圧剤の投与という事になり、それは「しなくていいです」と言ってあるから、しないという事なのだろうか?見守るだけなのかな?

そんな事を考えていたら、本当にその数字はみるみる減っていくではないか!?90が80に落ち、70、60とどんどん下がっていった。父の様子は見た目には変わらないし、腹水によって膨らんだ大きなお腹は何とか、やっとこさっとこ上下していた。姉が慌てて父を起こしにかかった。

「お父さん!ちょっと起きて!お父さん!このままじゃ死んでしまう!」

僕も慌てて父の腕を取ってそれを握り締め、手の平を叩いてふと心電図を見ると、そのモニターには数字ではなく1本の線だけが表示されていた。かすかにピーという音が聞こえるのと同時に、父は「はい、ここまで」とでもいうようにぴたりと動かなくなった。肩をぐらぐら揺り動かしても、父はもう微動だにしなかった。

4月4日、午前8時8分。享年72歳。


人の命はそれが続く限り「生」であり、途絶えた時に「死」がおとずれる。「有限」のものが「無限」に変わる瞬間だ。無論、「生」は限りあるもので、それを「無限」と言うのは生者の理屈。

父の遺伝子の、いったい何を受け継いだのかと訝るほど、僕自身は父の得意なことがひとつもできない。例えば大工仕事であったり、機械をいじったりモノを作ったりという仕事は、四六時中父がやっていた事で、しかし僕は何ひとつそういう事が出来ない。苦手だし、やってもほとんど出来ない。父がその人生においてやって来た仕事と、僕のこれまでの仕事は何ひとつ重ならないのだ。不思議だがそうなのだ。父に似ているのはむしろ姉の方で、魚類やアルコールが好きだし、家の周りの草刈りなんて、やっていてむしろ楽しいのだという。激昂しやすい性格だとか、よく似ている。でも、僕も父の子なんだなと思う瞬間がないではない。ここでは書かないが、ひとつ挙げるとすれば理屈っぽいところだろうか?


父は僕や家族の中に永遠のものとして残っている。

父にほめられたことや叱られた事。笑った顔や困った顔。父の匂い。父と過ごした多くの時間は僕の記憶の中に生き続け、これからの僕の人生にも多くの示唆を与えてくれる事だろう。


おとうさん、ありがとう。

僕のようなバカ息子を見ていて随分と気苦労が絶えなかった筈だから、今はゆっくり休んでください。あとは何とかします。
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2006年06月15日 02時45分36秒

永遠に届くまで 7

テーマ:家族のこと

前回の記事はこれです。


土曜日はそこそこ忙しかったせいもあって、日曜の朝八時から電話で呼び出されたのには少々弱った。けれども、「先生がお話があるそうなので至急いらして下さい」と言われたら、駆けつけないわけにはいかなかった。家には誰もいなくて、やはり僕一人で出かけた。


まず、モルヒネを打ちますと言う事を医師は言った。前回、尿の量が減っているという話をされたが、いわゆる「ショック尿量」という状態になっているという事だった。人は1時間に20ccの小便をするらしい。1日で約480だから、まぁ5リットルだ。その量が生命が危機にさらされる場合の目安になるそうで、普通の人がその量しか出ないという事はまずない。つまり、もうこの人は長くないなという状態になると尿の量が極端に減って行って、その500を切ると危ない、と。父が入院してからというもの、その尿量は減り続けており、既に500を切ってなお減少傾向が消えないと言う。

「その・・・排出されない尿はどこに行ってるんですか?」

「えぇ。それなんです。減少傾向が見られて以降、点滴を減らしたりとか、水分が身体に入らないよう出来るだけ気をつけてるんですが・・・。身体から出ない尿はですね・・・結局はお腹に溜まっていってるんですよ。これがどんどん進んで行くと、要は溺れているような状況になります。」

その尿を外科的に「抜く」事が可能かを聞くと、それは「ショック死」を招く危険が伴い、今の弱った父の身体を見ると、それも難しいと言う。従って、今後は出来る限り(つまり死なない程度に)水分の摂取量を減らしていき、注意深く観察を続ける以外にない。患者本人は溺れている状況に近い苦しみを感じているはずで、それを和らげる為にモルヒネを投与すると言う。

父の腎臓はほとんどまともに機能しておらず、その尿は身体から出ていかなくなっていた。いよいよだ。


病室に行くと、父はぼうっと天井を見上げていた。あぁ起きてるなと思ったのも束の間で、その目の焦点が定まっていない事に気付く。どうやら目が覚めはしたものの、おそらくモルヒネのせいか頭がぼうっとするらしい。

枕もとまで歩み寄って「・・・おはよう。・・・どがんね?」と声をかけると、父は「・・・あぁ、来たか」と答えた。

やや間があり、「・・・おまえひとりか?」

「うん、ひとりで来たよ」

「どうも・・・ぽわんとするとは薬のせいじゃろか?・・・く・・・薬ば替えるごと・・・先生に言うとけ」

言いながら、父の目はゆっくりと閉じたり開いたりを緩慢に繰り返していて、やはり薬の影響が全身に及んでいるように見えた。

「痛みはなかね?」

「・・・うん、なか」

「ご飯は食べたね?」

「・・・いらん」

父の手を握ってみた。温かみのある、しかしごつごつとしわだらけの手。子供の頃には、確かたくましさと大きな包容力を感じた筈だが、今は小さく感じた。

「店は行かんとか?」

朝っぱらから店の心配をする父には、僕が出かけていて留守の方がむしろ安心できると見える。「俺の心配をするヒマがあったら店で仕事をしろ」という事のようだ。

「たぶん、明日はお母さんも一緒に来るけん」

「・・・うん、そうか」

父はうんうんとうなづき、安堵したかのようにゆっくりと目を閉じた。

それが、父との最期のやりとりになった。


たぶん、次回が最後です。

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2006年06月08日 03時01分59秒

永遠に届くまで 6

テーマ:家族のこと

前回のお話はここです


父の容態が、想定していたよりもずっとよくないのだという事を医師は言った。ちょうどどこかの病院で安楽死の問題が事件になっており、病院の倫理委に諮らずに医師が独断で判断したのが殺人に問われるとか問われないとかの話題がマスコミを賑わしていて、そのせいもあったのだと思う。家族の承諾なしにはやりづらいのだという風に僕には感じた。「何度も時間を割いて貰ってすみません」と。

割合に細かい(と僕には思えた)事を医師はひとつひとつ聞いて来た。例えば、今後心臓が停止した場合には人工心臓(レスピレータ)を使うのかどうかとか、血圧の低下に際して昇圧剤を用いるのかどうかとか、痛みに対してモルヒネを使ってよいかどうかなどだ。父の最期がもうすぐそこにあることは家族がみんな理解していた。最期は、みんなで見守ってあげたい一心しかなかったから、そりゃもちろん、1日でも長く生き長らえて欲しいが、できれば、すんなり安らかにいってもらいたいし、とりわけ、いたずらに生と死の狭間で葛藤する姿は見たくなかった。レスピレータを使えば、心臓が停止しても生命を維持する事は可能で、しかし、自らの心臓が停止した状態では自発呼吸がなく、覚醒は望めない。それでは会話は出来ない。昇圧剤にしたって、それは血圧低下、つまり生命の営みが限りなく終息に向かっている状態で身体機能を薬で持ち上げる行為になるだろう。このふたつに関して言えば、少なくとも父の意識は完全に失われている状況で、肉体の身体機能だけを人工的に生かしている時に用いるモノのはずだ。

僕は、そのふたつとも、「やらなくていいです」と答えた。意見がわかれる部分だろうとは思うが、延命治療を施してもらったところで、よくなる見込みのない治療なんて、望んではいない。もう家族はその覚悟が出来ているはずだからだ。


ただ、モルヒネに関しては、やってもらう事にした。苦しんで欲しくなかったからだ。よくなる見込みがあるのなら、苦しむ甲斐のある痛みなら頑張って欲しいが、もうそうではなかった。痛みは出来る限り和らげて欲しかった。モルヒネを打つ打たないが身体にどう影響するのかはよく知らなくて、それについてはもう聞かなかったが、ひとまずそれはお願いしますと答えた。


医師は、水分を摂っているのに小便が出ていないのだということを心配していた。既に腎臓の機能が著しく低下していて、排泄そのものがまともに行なわれていないという事だった。


病室に行くと、父は気持ち良さそうに眠っていた。既に身体には、排泄物に関するチューブが取り付けられていて、身体を起こされたりする事も少ないらしく、何の心配もないという様子ですやすやと眠っていた。飯は食ったのかなと思ったが、それも点滴が流し込まれているようだったから本人に確かめる必要もなく、もうそのまま起こさずに帰った。


僕はこの日、医師にひとつだけ具体的なお願いをした。父の誕生日が近付いていて、それは4月の6日だった。この日は3月の31日だったが、あと6日で父は誕生日を迎え、73歳になる予定だったのだ。「あと1週間という事はないでしょう」と医師は請合ってくれた。もう特に何を期待するという事はなかったけれど、せめて73歳の誕生日を迎えて欲しいという、そういう気持ちだったのだ。1日でも長くと考えれば、1週間後の誕生日なんて低いハードルは考えないが、もうおおむね気持ちの整理も出来ているはずだから、せめて、まぁひとつの慰めかなと、その程度の願いだった。


続く

このシリーズ、もう少しで終わります。

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