人気ブログランキングへ
2006年05月31日 02時51分23秒

永遠に届くまで 5

テーマ:家族のこと

前回のお話はここです。


そのH中央病院の医師は、50歳には届いたかなという、キャリア的には心配なさそうな方だった。ま、この期に及んでは治療らしい治療など出来うるべくもなく、息子としては厄介な患者でどうもすみませんという気持ちの方が強かった。ヒゲの剃り跡が青々しくって、それに対するネクタイの晴れがましさに落差を感じた。

医師は、付き添ってきた母と僕、それに姉を、「帰る前にちょっとお時間を」と別室に呼んだ。まず、父の状況についての家族の現状認識を尋ねてきた。「もうあとは死を待つばかり」という、「家族は覚悟が出来ています」という旨の答えを返す。医師は言葉を選びながら、前の病院から届いている父の病状に関する資料を示し、レントゲンを見せ、(家族はそれらの内容についてはひと通り聞いていたから正直繰り返しだった)「もって半年だろう」という話をした。この病院に入る時も、合わせて1時間くらいかけていくつかの検査をしていて、ぶっちゃけた話、僕は「検査そのものが父の死期を早めてないか?」とさえ感じた。そうして、全部おしなべて悪くなっているのだという事実を僕らは確認し、ただうなずき、ただよろしくお願いしますを繰り返すしかなかった。


帰る時がちょうどお昼で、既に父の昼食も用意されていて、父は母にうどんを食べさせて貰っていた。病院の食事だから無理もないが、見たところ何の変哲もない、醤油でだしをとってあるらしい白いうどん。父は、そのうどんをもぞもぞと、しかしとてもおいしそうに食べるのだった。いや、他人がそれを見れば、おいしそうにとは見えないかもしれない。でも僕にはわかった。父がおかゆ以外のものを食べるのを本当に久しぶりに見た。あとで粗相をするんじゃないかと内心思いはしたが、今の父はたぶんほとんど何を食べてもそうだし、だったら食べるときにおいしかったらそれだけで得ではないかなどと思った。


翌日、午前中から着替えをたずさえて病院に行っていた母からその夕方話を聞くと、父は相部屋ではなく個室に移されていたという。

「え?」という感じ。「昨日の今日で?」

やっぱり車に乗って病院までドライブしたり、いくつかの検査を受けたりしたのが負担になったんではないかという思いを強くする。母が行った時もほとんど寝たままで、いくつか言葉は交わしたらしいが鎮静剤のせいで反応は鈍かったらしい。


更にその翌日。入院した日から2日目の午前中。10時頃だったろうか?病院から連絡が入って、「先生(医師)から話がありますので来て貰えますか?」と言う。母は仕入れに出かけていて不在で、僕は一緒に聞いた方がいいと思ったから携帯に連絡をしてみたが、案の定電話には出なかった。それで僕は一人で出かけて話を聞いた。


続く

いいね!した人  |  リブログ(0)
2006年05月25日 04時58分00秒

永遠に届くまで 4

テーマ:家族のこと

前回の記事はこちらです。


父が下痢をやらかしていた当初は、「あぁ、食べ過ぎたんだ」とか「あれとあれがたぶんいけなかったんだ」とか、何かしら結果が出たあとでの原因に思い当たるふしが見つかっていた。おかゆならまず失敗がなかったから、毎度毎度の食事はおかゆに落ち着くのだったが、それでは当然父も飽きる。で、体調のいい時は図に乗って色んなものに手を出すのだが、結果、やらかしてしまうのだ。そうなると、父も家族に迷惑をかけると思ってかおかゆを我慢して食べることが多くなった。父の世話を主にしていた姉は「気にせんで食べてよかって。骨は拾ってやるけん!」などとエールを送っていたのだが、時間の経過と共に、本人にも食欲が次第になくなってきていた。それどころか、何にも口にせずとも吐き気をもよおし、胃液を吐く状態になっていた。

父の肝臓はほとんどその機能を果たさなくなっていて、その臓器の周辺にある、例えば食道にしてからが炎症を起こしていて、顔には明らかな黄疸が出ていて、声はか細く、腹は腹水で今にも破裂せんばかりだった。母によると、夜寝床で苦しむようになったという。うんうん唸っていた。一日中寝ているようになり、起きたときは胃液をげえげえ吐くか、または下痢だった。3月に入り、そういう父の状態を見るにつけ、自宅療養が限界に来ているのではないかと家族は考え始めた。下痢をするなら好きなだけさせたらよい。しかし、苦悶の表情を浮かべて苦しむのを見ると、やはり病院にいるべきではないかと思うのだ。ひとしきり苦しんで、それを耐えぬいたらあとは楽になるらしく本人は「ほっとけ」と言うのだが、家族としてはそれにも限界があるのだった。やはり、痛みを緩和するような、何かしらの処置をしてもらいたいのだ。


しかし、年末に入っていた佐世保市のS病院には「絶対行かんっ!」と言う。大きな病院だし、敢えていうなら「病気は診るが患者は見ない」という印象を抱いているのだった。「あそこにまた入るくらいなら死んだ方がましだ」そうだ。かかりつけの地元の医院は看護体制が整っていなくて、目を離せない患者の受け入れは無理との事だった。その先生に相談した結果、郡部ではそこそこの規模を持つH中央病院ならどうかとなり、父もそれをとうとう受け入れた。3月の下旬の事だった。


入院する朝、助手席に乗る父に手を貸そうとすると、「心配ないない」と払いのけ、父はゆっくりゆっくり車に乗り込んだ。自分で外出着に着替え、帽子をかぶり、靴箱の奥から革靴を取り出して来て精一杯めかしこんで。

病院に向かう車中では、何も心配いらないのに道順についてあれこれうるさかった。ただ、あまりに声が小さくて聞き取れず、「心配ないから」と僕は繰り返した。もう我が家に帰ってくる事はないだろうなと、僕も母も、そして父自身も思っていた。


続く

いいね!した人  |  リブログ(0)
2006年05月23日 04時29分57秒

永遠に届くまで 3

テーマ:家族のこと

前回の記事はこちら


介護保険のおかげで、家の中の父は以前より楽に過ごせるようになった。

しかし、それにも増して父の容態は悪化していた。

ある日、また粗相をやらかした父は姉に世話をしてもらっていた。後始末をする姉がトイレの隣りにある洗い場でパンツを洗ったりおしめを始末していたら、便器に座る父が独り言のように呟いたという。

「お父さんは・・・もう・・死んだ方がよかとかなぁ・・・」

「・・・ほらほらぁ。またおかしか事ばいいよるねぇ。・・・まだ夢の中におるばいねぇ?」

姉は雑巾を洗いながら、涙がとめどなく溢れて困ったそうだ。

また、台所で母と二人でいる時に、ぼんやりテレビを眺めながら、父はこんな事を言った。

「お母さん・・・今度結婚する時は・・・俺はやめとけね。もっとよか男ば見つけろよね」

母は聞こえない振りをしたそうだ。


退院した時もそうだったが、父はそれより尚痩せていった。食事をろくに摂れないのだからそれも当然だろう。そうして痩せていく上半身に反比例して、父の下腹部は次第次第に膨れ上がっていった。腹水だ。初めのうちは、この腹水を「抜いてもらう事」を考えていた。しかし、この腹水は抜けば抜いただけもとの状態に戻るのだそうだ。そして、その後は倍返しでもっと多くの量に増量するケースがあるという。入院しているのなら、その量に合わせて頻繁に抜く事も可能だろうが、自宅にいる父の場合、迅速にそれが出来るわけではない。へたに量が増えると、容態急変ののち、危ない状態に陥らないとも限らない。見た目は確かにギョッとさせられるのだが、本人はそれによって苦しんでいるわけではなさそうで、従って抜かない方がベターだそうだ。腹だけ見れば、ほとんど「平成狸合戦ぽんぽこ」を思わせる状態だった。


ある日の夜、僕が仕事を終えて家に帰った12時半頃、父は台所にじっと座っているのだった。見ると、手にバナナを握り締めている。

「ただいま・・・バナナ・・・食べるの?」

「近頃のバナナは硬かなぁ。・・・むけんぞ」

「どら、貸してみ?むいてやるけん」

僕は父の手からバナナを取り上げ、むいてやる。

「おぉう、全部はむくな。少しでよか」

ほんの一口でいいと言うので、半分ほど剥いてから渡したが、父はそれをじっと見つめたまま動かない。「食べんとね?」

「なんやら・・・匂いかいだら食べとうなくなった・・・もう寝る」

おそらく、匂いが吐き気をもよおしたらしく、結局一口も食べられなかった。こういう状態は母や姉から聞き及んではいたものの、もう、父が食事を摂れない状況というのは、かなりの深刻なレベルに達しているらしい事が知れた。夕方の仕込をしている最中に、丸ボーロとか、ヤクルトとか、割合に甘いものを食べたいと言って電話してくる父。食べたいときに食べさせてやりたいから誰かが仕事を中断して家まで買って持っていくが、そういう食事が父には実に貴重なものになっていた。


続く

いいね!した人  |  リブログ(0)
2006年05月11日 02時53分17秒

永遠に届くまで 2

テーマ:家族のこと

前回の記事はこちら です。


二月に入ると、父は急速に衰えを見せ始めた。

父の時間は、僕らの5倍ものスピードで流れているように思われた。何かの記念日に奮発して買った1足3000円の靴下だって、それは洗濯するたびにいつの間にかだらりとしなびていく。もちろん父は生きているのだし、細胞は日々生まれ変わると聞く。しかし父の中にある生命のともしびは、その病魔によって次第次第に蝕まれていっているように見えた。

僕ら家族の心配は、父に食欲がない事だった。朝はみそ汁を一杯やっとの思いですするだけだし、昼はバナナとか、果物をようやく口にするに過ぎなかった。夜は、何かしらのおかずを母が準備して店に出るが、いったい何を食べたのやら、そのおかずはほとんどそのまま手をつけられていなかったりが続いた。姉によると、ご飯を茶碗に半分食べるのがやっとで、あとは欲しくないのだという。いや、全く欲しないわけではない。食べ始めると欲しくなくなり、時折は吐き気をもよおして、それ以上食べられないらしい。


その頃、父は伝わり歩きがひどくなり、布団から起き上がるのにも誰かの助けが必要な状態に陥り始めていた。また、風呂にも一人では入れなくなっていた。我が家の風呂はお湯を足して入るタイプだが、その際は浴室内にあるノブをめいっぱい熱くする必要がある。

父は言った。「ノブが壊れとる」「回らんぞ」「○○を呼んで明日修理して貰え」

ノブは壊れてなどいない。そのノブを回す力が、父にはもうないのだった。だから、父が風呂に入る時は誰かがお湯の調節をする為に付き添う必要があった。

母が誰から聞いてきたのか、「介護保険の認定を受けてみたらどうか」と口添えされた。介護保険?

確かに、父の今の状態は、おむつの必要性が日に日に高まっているし、何かにつかまらないと家の中を歩く事もままならない。我が家には手すりなんてなかったし、時々よろけるから危ない事この上ない。テレビでCMをやっている電動ベッドなら、寝起きもかなり楽になるだろうと思われた。だが、「介助」は明らかに必要でも、「介護」までは・・・?果たして今の父の状態で、公的保険である介護保険の認定が受けられるんだろうか?家族はかなりそれについて疑問に思ってはいたが、おむつ代だってかさむとばかにならないし、布団から続く導線に手すりがあれば、助かるのは間違いない。家族は、ダメもとでその介護認定を受けてみることにした。


家族が考えているよりも、父の状態はひどかったらしい。

介護認定を受けた結果は、要介護認定のレベル2だそうで、それにより、色々と費用が出て、手すりをつけるなどの改装費用もそれで賄えるという事が決まった。早速、父のもとに電動ベッドが貸し出される事になった。背中からリモコンでウイーンと持ち上がる、あれだ。持ち上がったら、向きを変えるだけで両足で立つ状態にもって来れるし、布団よりも随分いいようだった。加えて、廊下には手すりがつけられ、トイレや風呂にもその工事が施された。敷居の部分に段差があったのも解消してフラットになり、父にとってより快適な我が家にリニューアルが完成した。


続く

いいね!した人  |  リブログ(0)
2006年05月05日 03時25分45秒

永遠に届くまで 1

テーマ:家族のこと

「次の正月は迎えられるかわかりません」と医師に告げられたのは、平成17年の2月にS病院を退院する時だった。「お話がありますのでお父さんとは別にいらしてください」と言われて母と二人で話を聞いた。父の様子を見るとにわかには信じ難かったが、「覚悟」という言葉をはじめて意識した。

それでも、退院後の父はすこぶる元気になり、「またばりばり働くぞ」などと息巻いていたものだ。家族は父の状態を知っているから無理をするなと言うのだが、動く身体をそのままにしておく父ではなく、また何やかやと家の周りの草刈りだとか、町役場から出ている派遣の仕事(シルバー人材)に行くのだった。夏場は体力の消耗が激しいと見えて一日寝込んでいる時もあったが、体の動く限り父はじっとしてはいなかった。


秋から冬にかけて冷え込みが増すようになると、父は次第に元気を失くし、ある時職場でこっぴどい下痢をもよおしたのを境に布団に寝込むようになった。かかりつけの病院に状態を報告すると、入院を勧められ、父は再びS病院に入院。この時の話は退院の日 という記事に書いているが、家族は「医師の言葉どおりに」父のいない正月をイメージしていた。

幸い、父は正月を家で穏やかに迎える事ができ、その頃は、「1日でも長く」というそれだけを願う日々だった。

しかし、人の身体というものが、心身ともにあるのだという事をこの時ほど考えさせられた時はない。医師の言葉をどこまで信じたらいいのかわからない程に、家に戻った父の身体はウソのように元気を取り戻したのだ。「正月」というチェックポイントを通過したおかげとでもいうのか、精神的な安定を得た父は、「この分ならまだまだいけそうだ」と思えたほどで、いつもの口うるさい厄介な存在になっていた。


しかし、もう仕事はできんなと自分でも言っていて、さすがに父も、完全なる引退生活を意識していたようだ。身体が動く日は近くの家庭菜園まで出かけて水を撒いたり、作物の様子を眺めたりしていた。この家庭菜園を我が家では「畑」と呼び習わしているが、その言葉どおりに、そこには様々な作物が生育している。キャベツ・大根・ピーマン・タマネギ・人参・ネギ・サニーレタス・じゃがいも・トマト・とうもろこし・ほうれん草・・・その他色々。僕はこの程度しか知らないが、父と母がそれこそ色んなものを育てている。他にももっとあると思う。だから今後は身体と相談しながら、ぼちぼちと、そういったものの成長を見守りつつ、夕方再放送されている水戸黄門と、高校野球と、大相撲あたりを楽しみに日々を過ごして欲しかった。


続く。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。