自己骨髄で心臓再生

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8月27日、産経新聞の記事です。

埼玉医大病院(埼玉県毛呂山町)は二十七日、虚血性心筋症で補助人工心臓を装着した男性患者(61)に本人の骨髄細胞を心臓に移植する再生治療を行い、補助人工心臓を取り外すまでに回復したと発表した。同病院によると、世界でこの症例の報告はないという。患者は同日午前に退院した。
 治療に当たったのは、同大心臓血管外科の許俊鋭教授らの医師グループ。男性は二月に急性心筋梗塞を発症。その後、多機能不全に陥ったため補助人工心臓と心筋に血液を送る冠動脈バイパス手術を実施した。
 しかし回復がみられなかったため、五月に心臓再生治療に踏み切った。男性の腰骨から骨髄液を採取。遠心分離機にかけるなどして血管を作る細胞などを取り出し、カテーテルを通じて心臓に注入した。
 同グループは、移植した細胞が新しい血管を作ったことなどが心臓の回復につながったとみている。男性は細胞治療の約一カ月半後には心臓機能などの改善がみられたため、補助人工心臓を取り外した。現在は室内で自転車をこぐまでに回復しているという。
 人工心臓を装着した患者が長期的に生存するためには心臓移植しかないのが現状。しかしドナー(臓器提供者)は世界的に不足しており、国内でも心臓の臓器移植手術は限られている。男性は年齢や透析治療を受けているという理由で臓器移植の適用外だった。
 許教授は「臓器移植を待つ人や条件的に移植が受けられない人の新たな治療の選択肢になれば」と話している。
 男性は「新しい治療で同じ病に苦しむ多くの人が助かるようになればと祈っている」とコメントした。


臓器移植の問題点は、過去記事でもかなり書いています。美しい言葉で臓器提供が語られ、美辞麗句が並べられていますね。助かる命があるんだ、と。

その一方で臓器の摘出=合法殺人だと僕は考えています。何故なら、脳の機能は未知の部分が依然として多く残されていて、脳死状態が果たしてどんな状態なのかさえ、医学的な見解はまちまちです。「脳死という概念」そのものが臓器移植の為に作られたものである事は既に常識であり、脳死を死と認める意見を持つ人も、確たる理由なんてないまま賛同しているのが現状です。そういう、どちらかと言えばある種の洗脳ともいえる状態を作られて(脳死移植に)賛同した人たちの中には、特に欧米ですが、「知れば知るほど怖くなったし、自分は何も知らなかった」という意見に変わってきています。脳死を死と認めない人が増えているのです。これは、同じ情報を基にして認める?認めない?ではありません。知らなかったから「認めていいと思った」で、知ったら「とても認められなくなった」です。


国内では、郵政選挙のおかげで臓器移植法改正案が先送りになり、近頃は話題にものぼりません。僕はほっと胸をなで下ろしています。

このように、再生医療が進んで移植なんて必要がない時がいずれやってきます。そのときまでのつなぎの医療なのですよ、臓器移植は。そのために、まだ生きている人から心臓を取り出すのが臓器移植であって、僕はまだまだこの問題には関心を失わずにいたいと思います。

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清峰の夏は終わらず

昨日、載せるつもりでいたのが、苫小牧の話ですっかり忘れてしまってました。


髪を切り終えて代金を払い、奥さんがアイスコーヒーなど出してくれたのでくつろいでいたら、高校生が二人店にやってきました。髪は切りません。

店主は「おう!待っとったぞぉ!」と歓喜の声をあげました。


照れながら高校生が袋から取り出した何やらが、写真のそれです。

床屋店主の彼がボールとミニバットをどこぞで買ってきたらしく、それにサインを頼んでいたものが届いたわけです。丁度居合わせた僕としても、「ふん、興味ないね」で済むわけがない。早速組み立てて、「写真撮らせろぉ!」と相成りました。

わかりづらいかもしれませんが、向かって左のバットが「古川秀一 エース」

右のバットが「森大雅」奥にあるバットが大石君のサイン入りで、ボールの方には大石君のサインが見えます。ボールには、それぞれ古川、森、のサインがありますが、反対側なので見えません。ちなみに、野元君もボールに「ついでに」サインしてくれてます。


8月の23日、24日に毎年近くの町で夏祭りがあり、盛大な花火が上がります。そこに遊びに出かけた森君は、もう行く先々で握手攻めに遭い、それはもう大騒ぎだったそうです。そんな話も聞かせてくれました。それを届けてくれた二人は同級生ながら野球部ではなく、テニス部だとか。それでも、僕は嬉しくって「おめでとう!熱い夏をありがとう!」なんて握手しちゃいましたけどね。


まだまだ町民の期待は大きく、古川君が選出されている9月2日の「AAAアジア選手権」、岡山で行なわれる「秋の国体」と、本当に楽しみですよ!


焼肉の店で、なじみのお客さんにそれを見せたらすぐさま、「転送して転送!携帯どこの?ドコモ?赤外線で送って!」と大喜びしてました。


ついでに床屋店主の思い出深い応援グッズ、メガホンと帽子も載せときます。




清峰メガホン


清峰サインボール

駒大苫小牧への処分

しばらくお休みしておりました、redqでございます。

一度休み癖がついてしまうといけませんね。

「もうどうでもいいや」ってな気分になっておりました。ただ、休んでいた間にも訪問してくださった方がいて、その方はさぞがっかり?されたんではないかなどとも考え、少し反省もしました。身体が現実的にぐたぐただったんで、致し方ないかなとも思いますが、また休む時もあるかと思いますが、ひとつどうぞよろしくお願いします。


本日は床屋に行って参りました。

髪を切るとリフレッシュして、「やっぞ!は、やっぞ!」みたいな気分にもなり、顔はちっとも変わってはいないわけですが、男前?な匂いだけはします。

その床屋は地元の商工会青年部のお仲間でして、出身は違うんで学校の同級生ではありませんが同い年の友人です。下る事や下らない事をあぁだこうだと喋って、これも気持ちの切り替えに大変有効です。

そこで話題にのぼったのは、やはり清峰高校!なんと!彼は初戦の名電戦と二回戦の済美戦の両方、応援に行ったとげな。聞き忘れたけど、床屋の営業は休んだのか?


で、駒大苫小牧はどうなる?で盛り上がり?ました。優勝の取り消しはなかろうで意見が一致しましたが、僕は「春のセンバツにつながる道大会は辞退せざるを得ないんじゃなかろうか」と思ってました。彼の方は、「暴力行為をやった部長の処分だけ」と言い張り、そこはそれ、僕らが決める事じゃないし、もちろん結論は出ませんでした。

ネットにニュースが出ていて、どうやら「彼の意見が正しい」となったようですが、これはかなり高野連も苦しんだみたいです。明徳義塾は辞退なのに?と処分に差が出てはいないかとクレームがつきそうです。明徳の場合は部員そのものが暴力を働いていて、駒大苫小牧は被害者だからというのが理由のようですが、どうもしっくりいかない面が残る事も確かです。というのは、暴力を働いた部長が野球以外の理由で(または部員以外の生徒に対して)行ったのならともかく、部員との指導の中で行なわれた事であって、部員が関わった中での話です。事実関係(殴った数とか、平手かグーかスリッパかその他もろもろ)が揺らいでいますが、部員の態度の悪さが発端ではないのか?それで、結果的に野球部に対するペナルティが全くなしというのは「本当にそれでいいの?」との思いが残ります。僕は何も、「今回露見した以外にも、きっとまだまだあるんだろうから」のような憶測をもって罰を与えよと言ってるんではありません。

「公正を欠くんじゃないか?」です。

学校は隠してましたし、報告しなかった理由を父兄に転嫁しようとするなど、対応はかなりまずいものでした。その辺りを踏まえると、選手たちには気の毒ながら「学校の不誠実さ」の責任として、「学校が春の出場を辞退する」「学校に出場辞退を勧告する」という事があってもよさそうなのです。

全国的な注目度はもちろんの事、57年ぶりの夏連覇の偉業を達成した「高校野球界の大目標」です。ここは、潔く春のセンバツまでは「辞退」した方があとあといいような気がするのです。現在の2年生は、来年の夏に向けた3連覇という大きな目標を失わずに練習する事ができます。「意味のない練習」や「目標が無くなる」事態にはならない。これで全て処分は終わり、となれば、な~んとなく、「夏・春連続優勝」あたりの話題を失いたくなくて?という見方もできそうです。ちょっとひねくれてるかもしれませんがね。



ミュージックバトン

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とうとう来ました。僕にもミュージックバトンが。

他ブログでこれを見たときは、「ふぅ~ん」ってな感じしかなくて、僕には読者の方もそんなにいないし、縁のないものだろうと思っていました。

ま、ご指名なので、ひとつやってみようかと思います。


しかしながら、僕にはそれほど「それを聞いた人から共感される」ような音楽体験はありません。少なくとも自分ではそう思います。それを踏まえて・・・。


コンピュータに入っている音楽ファイルの容量

ゼロです。僕はパソコンでは音楽を全く聞かない主義です。聞くのはもっぱらラジカセでしたが、それもCDが回らなくなって(壊れて)しまい、従って部屋では聞きません。聞くのは車の中のCDのみでございます。


今聞いている曲

だから聞いてないってば。


最後に買ったCD

平原綾香の「ジュピター」

とっくにブレイクしたあと、「あぁつくづく世界観の広さ感じる」と思ってCDショップに行きました。1枚だけ残ってました。ラッキー。


よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

40年も生きてると思い入れのある曲は山ほどあって、「5曲なんてムリ!」と拒否したいところですが、仕方ないので今頭に浮かぶものをいちおう挙げます。


尾崎豊「15の夜」 カラオケで必ず歌いたい曲です。同席した顔ぶれによっては控えます。他にも尾崎はいっぱい好きです。


松任谷由実「やさしさに包まれたなら」 ち~いさ~いころ~~は~♪と口ずさんだだけで泣けます。ユーミンのナンバーは思い出いっぱいあります。


中島みゆき「誕生」 6月6日 に記事内に取り上げたんですが、胸を打たれます。


クライズラー&カンパニー「to love you more」 葉加瀬太郎は見た目暑苦しいですが、その音楽は認めざるを得ません。評価しています。嫁さんの高田万由子も、好きじゃないけどテレビに出てると見ざるを得ない。


レッドツェッペリン「天国への階段」 高校時代にバンドを組んでいて、別のバンドにボーカルとして誘われ、この曲を練習しました。演奏する側が、「やっぱり長すぎるばい」ということでやめました。

組んでいたバンドでは僕はドラム担当で、浜田省吾とかサザンとか稲垣潤一をやりました。「思い入れ」という言葉からちょっと昔を想い出したら、このへんの記憶が甦ったもので。


バトンを渡す5人

これには困ったもんですね。音楽ジャンルの読者はいないし、果たして誰に渡したらいいものやら・・・。

kilakila709 さん thistle-05315 さん 

このお二人を挙げておきますが、処置に困るようならどうぞ遠慮なく放置して下さいね?

ほかの読者の方で、「あぁ、ちょうどいいネタになるじゃん!」とか「それ、渡されてみたかった!」とか思う方がいたら、よろしくお願いします。これって、結局は名指しすることになるわけで、やりずらいです。


基本的に僕の頭の中では、必要な時はみずから音楽がなり始めます。それは哀しい時であったり、うきうきわくわくだったり、思わずコブシが握られている時だったりと色々です。その状況により、40年の歳月の中で耳に入って残っているものが「ほろほろふわぁ~ん」と溢れます。携帯で音楽を聞ける時代ですが、そこまでしなくてもいつでも、僕の中には音楽が眠っています。



いやいや、57年ぶりの夏連覇とはっ!

駒沢苫小牧高校、おめでとうございます!!

全国制覇自体がとんでもない事なのに、それを2年連続でやってのけるとは、もんのすごいはなれわざですよ、これは。

僕は個人的には京都外大西の本田投手が可愛かったせいもあって、何せ、あれで1年生なんだからと思って見ておりました。ま~だ、あと2年あるんだからという意見もあるでしょうが、すごい伸びのある球を投げてたし、1年生で甲子園優勝投手って、現巨人の桑田がそうなのかな?あんまりいないから期待してたんですが。いやいや、すごい結末になってしまいました。駒苫に改めて拍手です。君たちはすごいことをやった!


さてさて。


僕は高校野球の熱烈なファンというわけでなし、全く詳しくもありません。実際、例年それほど見ていません。でも今年の夏は、母校が生まれて(創設して)初めて(50年目にして)甲子園の土を踏むという、晴天の霹靂のおかげで、感動と興奮の日々を送ることができました。本当に後輩たちに感謝しています。


ところで。


清峰が大阪桐蔭に敗れてからは、あぁとため息をつきながら、大阪桐蔭に優勝してほしいなぁなんて見ていましたが、ちょっと思ったことがあります。

横浜貴公子さんのブログ を見て、僕もコメントをしていますが、連戦と連投で、選手はほとほと疲れているんですよね?準決勝に残っていた4校は、それが象徴的に出ていたと思うのです。ご承知のように、4校のうち決勝に残った駒苫と京都外大西は、いずれも投手を複数使って勝ち進んできています。大阪桐蔭の辻内君は150キロ超の球を投げる今大会屈指の左腕。また、宇部商の好永君も切れ味鋭いスライダーを持つ(清峰・古川君に似た)好投手でした。しかし、準決勝では球が走らず、(試合を全部見ていたわけではないけど)辻内君はピッチャー前の小フライを取り損ねるなど、身体そのものの切れも落ちていました。両投手、共に全試合を完投してきた大黒柱で、はっきり言ってへとへとだったはずです。

ここにきて、これはもう、野球というゲームの名を借りた「疲労の我慢比べ」になっているんではないかと。僕は7月12日 に橋本真也氏の突然の訃報に記事を寄せているのですが、あの「痛みをこらえあうのがプロレス」という状況にかなり近いんじゃないかと思うのです。そう考えた場合、或いはこれは飛躍に過ぎるでしょうか?

汗まみれ、泥まみれで灼熱の太陽の下、打球の伸びや風を測りながら駆ける外野手。グランドの状態を注視しながらイレギュラーを警戒してゴロをさばく内野手。握力の落ちた己(おのれ)の利き腕をじっと見つめて「スライダーよ抜けるなよ」と念じながらふぅと息を吐くマウンドの大黒柱。

観衆は自軍の攻撃の時はこう思います。お互いにそれを願います。

「悪送球しろ」「そこでこけろ、足よもつれろ」「ほら、ワイルドピッチだ」

ある意味、残酷だよなぁ。

これが、お互いベストコンディションであれば「ミスをした方が負けに傾く」のは当たり前ですが、こうも連戦が続くようだと「ミスをするのはお互い当然」で、どちらがより「ミスをかばえるか」の争いになってしまっている。


それを、「本人の気合い」や「声援や祈り」を「力に変えた方」が勝つのが高校野球だと言ってしまえばしまいですが、少し時代錯誤な気もしてきます。彼らの何割かは、間違いなくプロの道に進むわけで、高校生といえば発展途上であって、才能が未開花の選手もいて、あまりにも短期間に肉体を酷使するのは決していいことではないでしょう。

プロ選手でも、特にリリーフ投手なんかは連投連投で大活躍しても、翌年はさっぱりダメで、結局肘や肩にメスを入れて1シーズンを棒に振るというケースがあるはずです。先発投手も登板間隔を適度に開けるのが今や常識。横浜ベイスターズの元監督で現役時代に投手だった権藤氏は、(僕は小さかったから知りませんが)かつてこんな風に言われたと聞いています。

「権藤・権藤・雨・権藤」

雨さえ降らなければ、毎試合投げていたというわけです。


少なくとも、日程はもう少し調整すべきだと思います。

準決勝、決勝の試合は、どうにも「コロシアム」の様相を呈していると、僕にはそう見えたのです。

アメブロ大人気!?

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近頃ブログが重いのは、僕のPCのせいでしょうか?


おぼろげな記憶だけども、僕がこのアメブロでブログを始めたのは4月の終わりで、その時の数はジャンル(日記)で30万件全体で32万件くらいじゃなかったかな~と思う。

夏ごろかな?大幅なリニューアルをやるというのでアメブロさんが何日間かお休みをなさった。その後、お休み前より悪くなったというのでかなりの苦情が殺到し、僕も辟易したものです。

しばらくして何とか動くようにはなったんだが、またぞろ鈍いというかとろい状況に陥ってる感じがする。何せ、今のブログ件数はジャンル(日記)で45万件弱全体で51万件あるんだから、そりゃそうだわなという感じ。

僕のPCのせいなら仕方がないんだが、そうでないなら1日も早く対策をとってもらいたいもんです。


だけど、毎日きっちり更新している人は全体の半分程度じゃないかしらん?

近頃やたらとアクセスが増えていて、訪問者数及びランキングがぐぐ~んと上昇しております。これは多分、清峰高校の話題のせいではないかと。それだけ全国的にも注目されたのだろうと想像いたします。


何事にも言えると思いますが、ステップアップはどうしたら可能なのでしょうか?


130キロのボールは打てるが、140キロのスピードにはついて行けなかった。

正面のゴロは捕球できるが、逆サイド(捕球する側と反対側)の打球は止めるのが精一杯だった。


トヨタの営業マンがトヨタユーザーの買い替えでは商談を成立させるが、他車ユーザーの自車への切り替えだけは未だに成し遂げられない。


目玉焼きはこんがりおいしく焼けるが、卵焼きとなると、自分で食べても切ないほどまずい。カレーはおいしいと彼も言ってくれたし自分でも納得するのにシチューは「向いてない」と言われた。


浜崎あゆみはレパートリー多いけど、宇多田ヒカルは歌っててもちっとも気分よくならない。

おばさんキラーって言われても嬉しくない。同年代の彼女が欲しい。


自転車に乗れるのに原付バイクは怖くて苦手。


数学の因数分解はおもしろかったけど、グラフがからむ応用問題はお手上げだった。


日本史は好きだったけど、「国際社会における日本」とか言われると考えるのが面倒。


子供の時にヤマハの教室に通ったから、「ねこふんじゃった」ならリズムよく弾けます。


好きこそものの上手なれと言います。これと思わないものがうまくできなくても、それほど気にはなりませんが、自分の得意分野と言えるものなら、もっとうまくなろうとしますよね?

そんな時、上達するのはいつでしょうか?


それは限界のその先にきっと答えがあるでしょう。


メジャーリーガーのイチローが前にこんなことを言ってました。

「自分の力以上のプレーはできないし、やる必要もない」

常に自分の限界に挑戦して、自分の100%を出し切っている人の言葉です。最大限、目一杯ができているかどうかなんですよね?それが出来て初めて成長がある。

変な話ですが、腹筋運動を考えるとわかりやすいかもしれません。腹筋をやれば30回が限度という人に、10回やらせてもたいした鍛錬にはなりません。せいぜい調整?30回が限度なら、プラス10回に挑戦しなければ意味はない。その限界を超えようとするところにしか成長はないのです。


清峰ナインを見て僕は思ったのです。強豪校の名前に押され、「対戦できるだけで幸せ」なんてミーハーな気分でやっていたらああいう結果は出ていません。どこまで通用するのか、それは「やってみなければわからん!」「やる前から結果を考えてどうするのだ!」と。結果を考えずに、「自分たちの100%を出し切れ!」という姿勢がミラクルを呼んだのです。

いえ、少なくとも彼らの全力は強豪校とほぼ互角でしたが、そこにこそ周りの人たちは感動したのです


振り返ってみると、自分ははて?どうだったか?

「できない言い訳」を用意してないか?

「これが自分の精一杯」と天地神明に誓って言えるのか?

「人の目」や「格好」を気にしてる部分はないと言い切れるのか?

「楽な方に」逃げていないか?


「僕らは全力です!」と彼らはプレーで示してくれました。


清峰高校は秋の国体に出場する事が決まりました。

彼らはその時までに、またきっと、もっともっと練習して力をつけて出てきます。

実に楽しみです。


自分も彼らに負けないよう、全力を傾けて、日々を過ごしていきます。


長崎新聞読んで涙ちょちょぎれたもので、年甲斐もなく、今日はちょっと青くさい記事でした。


清峰ナイン

対大阪桐蔭戦は4対1で敗れました。惜敗です。残念です。

初回の2アウト満塁で6番打者に投じたカーブ?が真んまん中に入り、走者一掃の3失点。

痛かった。古川は立ち上がりが課題とされていて、やはりコントロールにばらつきがあったようです。大阪桐蔭を相手にいきなりの3点はやはり重かった。

ただ、その後は走者を背負う場面でもランナーを牽制で刺すなど落ち着いていて、8回?は確かノーアウト2塁のピンチでしたが三者連続三振に仕留めました。トータルでも6個の三振を取っており、ここぞという時にきっちり流れを止めていました。

清峰の各バッターは、辻内投手の150キロ超の速球と変化球のコンビネーションに翻弄され、粘って四球で出塁しても安打はおろかバントさえまともに決められず得点機を逸しました。

それでも、強打者揃いの相手を4失点で切り抜けた古川に応えるべく、野手陣もじりじりと辻内投手ににじり寄り、最終回、大石剛君が鮮やかなバックスクリーンへの本塁打で一矢報います。続く主砲森君がしぶとく三遊間を抜き、このあたりは辻内君の投球もストライクが入らずに四球の連発。いっぱいいっぱいで、プロなら間違いなくマウンドから引きずり下ろされる場面です。しかも回ってくる打順が古川君。ミラクルを誰もが思い描き、祈ったはずです。走者一掃をお返ししてやれと祈りに祈ってもう涙ちょちょぎれていました。

・・・空振り・・・あぁ。

甲子園にサイレンが鳴り響き、清峰の夏は終わった。


よくやった。君たちは本当によくぞここまで戦ってくれた!

名電戦しかり、済美戦しかり、あきらかに格上のチームを全員が一丸となって基本に忠実なプレーで撃破しました。済美戦では森君にホームランが飛び出しましたが、少なくとも清峰ナインには飛びぬけて高校生離れした選手などはいません。それでも、自分がチームに貢献できる事は何だ?と常に考え、欲張らず、焦らず、じっくりボールを見極めて犠打を決め、四球で出塁する。その過酷なまでに「熱情を秘めた冷静さ」が名電をおたおたさせ、済美の動揺を引き出したのです。

「ツキも実力のうち」とよく言いますが、そのツキを呼ぶためには「堅実なプレーを当たり前に出来る」力が最低限必要です。彼らの冷静さは間違いなく練習の積み重ねに裏打ちされたもので、一朝一夕にできるものではないのです。


彼らのプレーを見ると、きっと死ぬほど練習したんだろうなと思わずにはいられません。いやむしろ、それも楽しんでやったという気がします。

ニュースその他で言われているように、清峰には県外出身者は1人もいません。

「なんばしよっとや?(何をやってるんだい?)」「よかよか(いいよいいよ)」

人口1万3000人。今年は合併で揺れましたが、隣町が佐世保市との合併を決めた後も、我が佐々町(さざちょう)は当面単独で北松浦郡に属したままです。


切磋琢磨して、自分を信じて、不安ならもっと練習して、なお不安なら更に練習して臨めばこんなすごいこともやってのけられる。

仲間たちと一緒に大好きな野球を少しでも長くやっていたい。

古川投手の冷静なマウンドさばきは、バックを信頼しているからこそであり、バックは古川の頑張りに応える為にもしっかり守る。

すばらしきかな!この野球!

そして、可能性は誰にでもある!


ありがとう。先輩もがんばるから!

おいしい肉をお客さんに出すけんねっ!


大阪桐蔭高校の諸君!こうなったら、絶対に優勝を勝ち取ってくれ!願わくは、残りの試合は全部大差(4点差以上)で勝って、最後のインタビューでこう言って欲しい!

「ベスト8進出を決めた長崎・清峰戦が一番しんどかったですね」

そうすれば、清峰は一度の夏で決勝を3度戦った事になる?ならない?

あっぱれ古川っ!泣かんっちゃよかぞっ!

泣き顔古川

教習所の話 青春編 完結

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この記事だけ見てもつまらないので、まだの方は教習所の話 青春編 1 から順にご覧下さい。


いつものように教習所の朝が始まります。僕は今日から2段階で、教習所を飛び出して路上教習に進む事が出来るわけです。幼稚な箱庭なんか、ちゃんちゃらおかしくて走ってられませんぜ!


車のドアを閉めて密室になった瞬間、山口先生が口を開きました。

「おまえ、きのうタバコ吸いよったろ?」

「・・・は?」

この人はいったい何を言い出すのかと思いました。・・・きのうのやりとりを見ていたのか?見ていたのなら、何でわざわざ今日になってそれを持ち出して・・・?

「きのう、お前たちに注意した人、誰か知っとるとか?・・・知らんでとぼけたっちゃろ?」

「・・・」

「ありゃぁ、うちの校長ぞ?仕事しよるとか、堂々ととぼけた子がおるっちゅうて・・・そがんとが校長に通るわけなかやろが・・・」

「・・・校長!・・・先生!?

僕は絶句したまま固まってしまいました。

あのじじいが校長先生だった!なんて・・・という事は、俺が置かれている状況はなに?山口先生は次に何を言う?やばいのか?

「こういう、未成年の非行を見つけた場合、速やかに警察に連絡する事になっとるとさ」

「・・・」

「まぁ、まだ高校卒業前やけんな。ひとまずは学校に連絡するっちゅうとが筋やろ」

「・・・」

「・・・お前に選ばせてもよかとぞ?警察がいいか?学校がいいか?」

「・・・」

(ミラーをちらと見て)「おう、うしろのつまりよるぞ。よかよか。今日から路上に出るぞ、行け行け。出発進行!」

失意のうちにクルマを出した僕ですが、頭の中はまさに「上の空」です。

警察と学校?どっちも困るに決まってる!!

もうじき卒業で、進路も決まってて内申書がどうだろうと構いませんが、この時期に停学をくらって頭を丸坊主にして・・・というのは、あまりにもせつないペナルティ・・・。僕はその春に東京に出ますが、出たら最後、タバコは実質的に解禁(あくまでも未成年ですが)されたも同然。反省文を書かされるんかなぁ?いったい何を書く?

「堂々としててすいませんでした」

「勝手にただのじじいと思い込んだのはうかつでした」

そんなの書けんって!

それに、なんで俺だけがこがん(こんな)ペナルティを喰らうとや?あいつらも絶対ちくってやる!

S本君とK柳君、それに○○君と△△君も一緒に喫ってました」って書いてやるっ!

そんな事を思いながら、「いや、それは男がすたる」ぞと。ここは一切を黙って皆の罪もかぶるのが男ぢゃないか!などという考えも湧いてきます。でもそんなの、実際には「あはは、1人だけ捕まってやんの。ばかじゃーん?」って誰か言う。絶対誰か言う!


山口先生は車中でいっさい喋りませんでした。路上教習なんて上の空の僕は、「スピードはオーバーする」は、結構自分で「強くブレーキ踏んでる」は、信号待ちからの発車で「セコ発進(マニュアル車で、セカンドギアでの発進。教習中なんだからご法度)」しちまうは、散々な内容です。もう、がっくんがっくんとノッキング!


というわけで、とうとうあれよあれよと既定のコースを走りきり、教習所に戻って来ました。わきの下に冷たい汗が伝うのをはっきり感じました。

山口先生いはく、「お~い・・・よう無事に帰ってきたぞぉ?俺は生きた心地せんかったぞぉ」予定より15分も早い到着。

だって先生が威かすから。


「ま、よか薬にはなったやろ?今回の件は俺がとりなしてやるけん。」

「・・・へ?」

「見逃してやるって言いよるとやっか(言ってるんじゃないか)」

「・・・よかとですか?」

「おう。俺に任しとけ。お前のオヤジさんには俺は世話になっとるけんな」

「・・・そうですか・・・あ、ありがとうございます」

「よかかぁ?堂々と喫うなよ。未成年なら未成年らしく・・・隠れて喫え」


キツネにつままれた感が残りはしましたが、実際お咎めなしで、本当に先生がとりなしてくれたらしく、結局僕の身にはその後も何もなかったのです。「オヤジさんには世話になっとる」という言葉については、この件をオヤジに話す事はできませんでした。だって未成年でしたからね?親にも隠れて喫ってたわけだし。

先生とオヤジとの間にどんなつきあいがあったのかは、その後、10年くらい経ってから「あぁ、そういえば、あの時」とオヤジに聞いて初めてわかったのです。


先生は心の中で「借りは少しだけ返した」と思ったに違いありません。

教習所の話 青春編 2

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教習所の続きです。

僕の教習所の先生は、父が教わった先生でもありました。これは、あとで父から聞いた話で、その当時は知りませんでした。その教習所に通うことになった時点で父が電話を入れて「よろしく頼む」と伝えてあったそうで、最初に先生から「お前のオヤジも俺が教えたとぞぉ」と言われた時は「狭い町だし、単なる偶然やろ」くらいに考えていたのです。


昔の人は、免許がひとつあったら大型も何も関係なく乗れたそうです。まだ自動車というものが今ほど普及していなかった時代の話。今や大学全入時代ですが、まだ高校へ行く生徒さえ限られていた時代は、結構無免許で車を乗り回す人がいたそうですね?そんな頃、褒められた話ではありませんが、僕の父は10何年も無免許で!車に乗っていました。さすがに、捕まって色々と不都合が生じる例を聞くに及んで「今更ながらなんだけど」免許を取りに行った由。


きっかけはもうひとつありました。

父は土木工事の現場監督をしていましたが、或る日の早朝、現場の山の中でただならぬ音を聞きました。

「なんだなんだ?」

・・・車の事故です。土手に突っ込んだらしい。そこから勢い余って山裾から車が半分転落しかかっていました。こりゃぁ大変だと覗き込むと、ドライバーは幸い無事です。最初、警察だ!呼ばなきゃ!とみんなが感じていましたが、オヤジは違ったそうです。どうやらドライバーは無事だし、山の中での話で壊れたものも車のバンパーがへこんでいる程度です。「クルマを引き上げたらそれで終わり」と思ったそうです。当時、オヤジはいわゆるユニック車と言われるクレーン付きの大型車を所有していました。ドライバーに声をかけ、「おい、大丈夫か?引き上げてやろうか?」と。

ドライバーの第1声は「警察は勘弁してくれ!頼む!呼ばんでくれ!」でした。


「教習所の先生が酒酔い運転で山に突っ込んで自爆」ですから、警察を呼びたくないのは当然でしょう。


オヤジは、「どうせ警察呼んだところで、あとからまたクレーン車を手配してヒト騒動だ」と思い、「よしわかった」と自分のユニック車でなんなく車を引き上げ、若き日のその「山口先生」を助けたのです。携帯電話なんて存在しない時代ですしね。


山口青年はその場でオヤジの連絡先を聞いて礼を述べ、逃げるように走り去っていきました。で、後日、お礼の酒を携えてオヤジを尋ね、「実は自分は教習所勤務の身で、職を失うところだった」と話したのです。「何とお礼を言っていいかわからない」と。

オヤジにしてみればそれほどの意識はありませんが、その時に「ちゃんと免許をとるべかな」と思ったそうです。


続きをお楽しみに。