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2005年07月30日 04時39分28秒

水泳の話 5(最終回)

テーマ:昔のはなし

水泳の話はこれを最終回とします。こんなに何本も書くつもりではなかったんですが、「どうせならちゃんと」と思っていたらこういう分量になってしまいました。


大会の日に合わせて、練習メニューは次第に増えていきました。最初4キロ程度だったのが1キロづつ増えて、とうとうピーク時8.5キロほどの量がありました。泳ぎ始めの頃に比べて倍!!です。各メニューが単純に10本が20本という具合になったのですよ。

ただ、毎日泳いでいると、なんかスタミナついたのかなぁと思う時もやっぱりありました。泳いでいて楽しいのは、練習を始めたばかりの時間帯からメニューを3ぶんの1くらいこなしたあたりでしょう。身体が軽いんです。もう「す~いすい」って感じで、自分の泳ぎにアメンボを連想してひとりごちるわけです・・・あくまでもバテのバの字もない段階までですが。


大会当日がやってきました。中学1年の時、「先生、僕は泳げないからマネージャーでいいです」と言い放った僕が水泳選手!として出場するのです。何か、言葉に出来ない感慨といおうか、「とうとうここまで」という思いはありました。わくわくしながらドキドキです。ひとつ心配だったのは、泳いでいる最中に足がつらないか?でした。これをやってしまうと、まずはそこで棄権です。僕は練習中にも一度もそれを経験していませんでしたから、なおのこと不安が頭をよぎるのです。そして、ベストタイムを出せるのか?も心配です。自分のタイムがかなりのものとは聞いてなかったし、少なくとも一緒に泳ぐやつには負けない気持ちでいましたが、求められるのは自分の最高を出せるかどうか?です。これは速さを競う競技に共通しますが、それが何番であれ自分のベストなのかどうか?ある意味それこそが重要と言っても言い過ぎではありません。


そして、自分が予選の何組で泳ぐのか、何コースなのかを聞かされました。

それは・・・もちろんそんなに速いとは思ってませんが、僕にはかなりのショックでした。予選第1組の6コースです。

はて?これは何を意味するのでしょう?

予選の組み合わせはくじ引きで決まるわけではありません。くじ引きなら、1番くじを連想させる1組だし、どうせなら早く終わっちゃった方がとなりますが、違います。事前に練習におけるベストタイムが伝えられていて、それを参考タイムとして組み合わせを決めるのです。僕の記憶では全部で6組くらいでしたので、8コース×6組で48人。約50名の選手がいます。第1組ということは、要するに50人中最も遅い8人の中に入っているわけですよ。そして、4コースと5コースが8人中の最も速い2人となります。その次が3と6で、順に2と7、1と8になります。従って、選手が力どおりの泳ぎをすればきれいにヴイの字を描きながらゴールに向かうのが普通なのです。もちろん、あくまでも参考タイムだし、それより大幅に上回るタイムを出す本番に強い、あるいは成長著しい選手もいるでしょう。でも、それはそれ。僕は50人中で最も遅い8人に入り、更にその中の2人に既に抜かれ、順位としてはケツから数えて5番か6番だという事がわかってしまいました。

これは性格なんでしょうか?そんなこと、よく考えたら「その辺りが妥当」なんですが、僕のやる気はがっくり失せてしまったのです。たとえその組で1番になったところで、上に40人いますから決勝(速い順に8人)に進める可能性なんてゼロです。え?決勝に進む気でいたのかって?いやいやそんな大それたこと考えてもいませんでしたが、ふたを開ける前からそれがわかってしまうと・・・ねぇ?


「よーい。。。。。。。バンッ!」

水に飛び込んでも、僕の気持ちは重いままでした。そんなことでどうする?せっかくここまで来たんだから精一杯ベストタイム出そうや!ほんの何年か前まではカナヅチ同然だった僕じゃないか!こんな風に大勢が注目する中で泳ぐなんて考えられなかった事やろ!?「もうさっさと終わらせようとか、どうでもいいやとか」思いながら、肉体の限界の他に、自身の葛藤とも闘いながら競技を終えたのでした。

結果は8人中の2位。でももちろん予選敗退。しかもベストタイムではありませんでした。俺って「気持ちの弱い」やつです。

例えば、びっしびっし三振を取ってるのに変なところでフォアボールを出してしまい、すると途端に崩れる投手。先頭バッターではよくヒットを放つのに、得点圏に走者がいるチャンスに打席に立つと簡単に凡退する打者。

メンタルな部分ってすごく大事なんだなあと僕はつくづく思います。


そうして、僕は高校の3年間をごくごく平凡な水泳部員として過ごしました。僕がベストタイムを更新するのは、こんな時です。

例えば、400のタイムトライアルで女子マネージャーがタイムを取ったとき。50のベストは男女一緒に競う形でリレーをやったとき。200のベストタイムが出たのは練習に入るその2時間ほど前、ある女の子にコクられてOK返事をした日でした。ある意味おバカです。


もともと、僕が200と400を専門種目にした(自ら選択したのでなくT先生が指名したのですが)のは、短距離を泳ぐには速くなく、さりとて長距離を泳ぐ持久力もなかったからです。でも、毎日打ち込むものがあったのは幸せだったという思いは確かにあります。40を越えた今では見る影もありませんが、身体は痩せ型ながらぼんやりとした逆三角が作られました。また、自分はスピードはないけども、泳げるんだという自負がありますので、日本が沈没してもどこかの島にきっとたどり着けると思います。
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2005年07月29日 04時37分43秒

この臓器、使える?

テーマ:脳死 臓器移植

続きを書かねばと思いながら延ばし延ばしになっていました。最近トラックバックステーションにもこの問題がとりあげられています。


まず、前回のお話(数々の疑惑 その3 )の最後に予告した事は、

「杜撰な脳死判定や数々の不備があったにも拘らず、何故問題にされないのか?」についてでした。


・・・以上のような事態を徹底検証する使命を担った委員会や作業班も、本来の使命を果たしたとは言いがたい。そればかりか、問題を隠蔽ないしは正当化するように機能していると見なせるだろう。そもそも、「臓器移植専門委員会」の20名のメンバーは、1人ないしは2人を例外として、脳死・臓器移植推進論者で固められており、また、「厚生省基準」そのものをも含めて検討対象とすべき「医学的評価作業班」も、班長自体が「厚生省基準」作成の最高責任者でもあった。検証システムのメンバー構成がこうでは、真っ当な検証など望めるはずはないだろう。


これは、小松美彦著「脳死・臓器移植の本当の話」からの引用です。

つまり、臓器移植の問題点は、ガラス張りでないことです。中で何が行なわれているのかを医師や病院側でないサイドには知らされないのです。更に、スリと疑われた人物をスリ犯が裁くとすれば、それは真っ当な真実の結果が導き出されるとは到底思えません。臓器移植が適正に行なわれたかどうかを検証する人が臓器移植推進派によって固められていれば、「適正」という答えが出る事は誰が考えても明らかなのです。これは検証という形をとった「事後承諾」のシステムに過ぎません。そもそも「厚生省基準」自体、問題があると認識している医者が多くいるのにも拘わらず、現行の基準が通されています。今回(高知赤十字病院における第1例)の現場においても基準の怪しさが露呈し、それは移植推進派や基準作成側によってうやむやにされました。


僕はこの問題を知るほどに、まさに戦慄を覚えるのです

しかも、善意、命のリレー、愛などといった美辞麗句を並べ立て、臓器移植を推進する事は博愛精神に満ちた崇高な行為であるという文脈でその全てが語られるのです。


これはちょっと言い過ぎかもしれませんが、あえて言いましょう。臓器移植はテレビマスコミや雑誌、媒体、PR活動における表の顔に対して、ドナーカードを見て、「いざ鎌倉」とばかりに臓器移植の現場に入った途端、明らかに裏の顔が覗くのです。


「この命、助ける!」から「この臓器、使える?」への移行です。


さて、次回はおぞましい「臓器移植の行き先」を話します。

小松 美彦
脳死・臓器移植の本当の話

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2005年07月29日 03時35分04秒

水泳の話 4

テーマ:昔のはなし

昨日からのさらに続きです。長い!


当初は4キロ弱だった練習メニューは、次第次第に増えていきました。5キロ、6キロ、7キロとです。そしてT先生も僕らが(女性陣は皆こつこつとやっていて、さぼっているのは男子だとちゃんと知っている)さぼらないように結構早くプールにやってきて練習を見るようになりました。個人的にフォームの修正をしたり、ターンを集中してやらせたりします。


僕は中学の時に何とか泳げるようになって以来、とりあえずは400メートルとか800メートルを泳げる体力も身につけていましたが、エントリーするという1500は未体験の距離です。或る日、1500のタイムを計るという事になり、「まぁどれくらいできるかとりあえず泳いでみろ」とのたまいます。

はぁ~っと気が重い僕。1500も泳げるかなぁ?途中で足つっちゃうんでないの?

泳ぎ始めて、まぁ800までは経験があるのでまだいいです。1000を超えたあたりで、身体の感覚がない事を自分で意識します。機械的に反復運動を繰り返し、まぁ進んではいますが泳いでいて全く泳いでいる気がしない。気持ちよくないし、推進力を自分で感じない。こりゃ少なくとも「かなり遅いな」とわかります。

・・・そして、泳ぎ終えて、身体から力が全て抜けた感じ。


実際の試合では、記憶が定かでないですが25分か30分か、確か制限タイムのようなものがあります。それを過ぎると、プログラム進行の妨げになるので「もういい」とばかりに止められてしまうのです。僕の最初の試し泳ぎタイムは・・・確か40分近かったような記憶があります。こりゃ止められる。少なくとも、試合に出るからには制限タイム以内でコンスタントに泳げないと話しになりません。実際に止められた日にゃ顔から火が出るほど恥ずかしいですよ。T先生は、「まぁ最初はこんなもんやろ」とそれほど意に介さない様子でした。

「先生~!自分とこの選手が止められるとこ見たくはないでしょ?指導者としても恥ずかしいはずだ。誰か他の人を出してちょーだい!!」

と内心思いましたが、僕にもちょこっとは意地がありますから口には出しませんでした。とりあえず、まずは400のタイムを上げるよう、400のスピードを身体に覚えこませろと言われ、その日からは練習メニュー以外に400のタイムトライアルを一日5本づつやらされたのでした。


そんな折、僕に幸か不幸か「ある事故」が起こります。

体育の時間にバスケットボールをやっていて、何と足をひねって捻挫してしまったのです。練習を3日ほど休み、泳ぎ始めてからも「長い距離は当分やるな」と言われ、400のタイムトライアルも課されませんでした。そうして、やるのは200のタイムトライアルに集中していきました。何か、楽をさせてもらってる気分にもなり、自然に200を泳ぐ事には気合いがいや増していきました。泳ぐたびにタイムが上がり、がぜん燃えても来ます。少しでもたくさんの水を、それも強く掻き出し、足の蹴りが衰えないよう腰に意識を持ち、集中力を切らさず前を目指します。

もっと前へ!1秒でも早く!


与えられた練習メニューを(そこそこ)こなし、自分の種目のタイムトライアルをやり、速いターンを練習し、がっつり(放課後はパンをふたつ)食って、帰ってもまた晩飯食ってぐっすり寝る。そんな日々を過ごしていれば16歳の伸び盛りの時でもあり、それなりにスタミナもつき、タイムも上がっていきました。


そしていよいよ試合の日がやってきました。高総体(当時は高体連と呼んでいた)です。僕のエントリー種目は200と400。そうです。結局1500は充分な練習ができなかったという事でエントリーなしでした。はぁ~よかった!


次回はいよいよ最終回とあいなりまする。

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2005年07月28日 01時20分47秒

水泳の話 3

テーマ:昔のはなし

昨日からの続きです。


「同好会やけん、半分は遊びさ」と言う友人の言葉に誘われましたが、僕自身、もっとうまく、もっと速く泳げるようになりたい気持ちがあった事は確かです。もし、初めから水泳部が存在し、県下に名をとどろかせるような強さを持っていたとしたら僕は入部しなかったかもしれません。同好会ゆえの入りやすさはありました。


同好会の発足当初、2年生は男子4人と女子3人。1年生は僕を含めた男子3人と女子が2人。プラス2年生女子のマネージャーが1人。総勢13人の部員でそれはスタートしました。

速いという2年生の女子はFさんで、もう水着になんかならなくても見ただけでわかりました。僕はウルトラマンに登場した怪獣を思い出します。もともとは地球人なのに、宇宙空間で漂流の末に放射能を浴びて変異してしまったという元宇宙パイロットのなれの果て、そうジャミラです。ちなみにジャミラの弱点は「水に弱い事」でしたが。

首の根元から肩の筋肉が出っ張り、水着でもないのに「飛び込みたくってうずうずしている」様子です。どうやら、他の部員も2年生についてはFさんと仲の良い人達のようで、非常にアットホームな雰囲気がありました。


顧問の先生は倫理・社会の教科を教わってるT先生で、これも「和む」要素になりました。


練習は、マネージャーがT先生から預かってくる「練習メニュー」に全て書かれています。その通りに各自でメニューをこなすわけです。

例えばこうです。

ウオームアップ  50M×4本

キック      50M×10本

プル       50M×10本

スイム      50M×20本

スイム(ロング)100M×10本

ダッシュ     25M×10本

ダウン      50M×4本

                  以上で3650メートルの距離になります。

キックはビート板を持って足だけで泳ぐやつ。プルはビート板を股に挟んで手だけで泳ぐやつ。

スイムに関しては、普通1分おきにやります。プールサイドに置かれた大きなタイマーを見ながら、秒針がちょうど12時のところに来たらスタートします。反対側でターンして戻ってきたら大体40秒くらいです。20秒ほど休んだら2本目のスタートです。当然、本数が進むに従って遅くなり、一息つける時間がどんどん無くなって行きますね。

ダッシュは概ねマネージャーが付いていて揃って飛び込み台から行い、一番速く着いた人のところでタイムを教えます。「用~意!ピッ!」・・・・マネージャーはプールの25Mサイドに走る。「ハイッ、15(秒)!」

あとはそこで「16!17!18!」などと叫ぶわけです。これも、30秒になったら次のスタートとなります。


で、上記の「その通りに各自で」の部分を太字にしていますが、そうです。揃ってやらされるダッシュの前の部分は、かなりアバウトなわけです。進捗状況は誰も監視してはいませんから、自己申告なのです。10本とか20本とかありますが、実際は半分もやってませ~ん。友人と水中プロレスをしてました。身体が浮くんで、水中ではバックドロップやらブレーンバスターの大技も可能です。もちろんダメージなんて双方共にありませんが、そういうワザの真似事が簡単にできるのがいいんですよ!

そんな風にサボれるのはT先生がプールに来ていない時間帯です。Tが来ると、「来た来た!ヤバイ!」っつって、涼しい顔で泳ぎ始めます。それからあとは、一応メニューをやんわりとこなします。「お~い、ダッシュやるぞぉ。あとどれ位で終わるかぁ?」なんて聞かれたら、「あと3本で終わりま~す」とそれらしい返事。同好会のお気楽さです。


それでも、それでもですね?

試合が近くなってくると、あんまりのんびりもしていられなくなります。

何と、僕は自由形の200Mと400M、更に1500MにエントリーするとT先生が言うではありませんか!

「げっ!マジ!?俺、出るの?」

「そりゃそうさぁ。励みにもなるやろうが~」

俺なんかでいいの?って感じです。


今日は、ここまでにしときます。
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2005年07月27日 04時40分59秒

終戦の日

テーマ:巨人、プロ野球関連


「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日

幾夜もごねたがポツダム受諾。そういう語呂合わせで覚えたのは1945年の8月15日。そう、終戦の日です。


広島カープの自力優勝が消滅したのが7月14日


そして、巨人の終戦の日がやって来ました。7月26日。自力V消滅。カープより12日も粘ったのでした、パチパチ。あぁ。

残り56試合、全部勝っても優勝できないのです。これは巨人球団史上ワースト最速記録

だそうな。


残り56試合、全部勝つ?はぁ?今まで90試合やっててよぉ、そのうち39回しか勝てないのに、更に、こんだけ負けが込んでて、チームで一番いいピッチャーが4試合連続で負けてんじゃんよぉ。残り試合だってまともに勝てるわけねえんだよ!!カンカンカンカン!

・・・と、魔邪っぽく言ってみました。


本日の堀内ことば。

「取ったら取られる展開だった。 最悪だった。上原が先に点を取られると、ショックが大きい。後はリリーフがばたばたと点を取られ、どうしようもなかった」


そのコメントからして、どうしようもないですね。


確かに、巨人だけが優勝し続ければいいってもんじゃない。それはむしろ変。

変だけれども、オールスター明けて1試合目で目標が無くなるってのも、やっぱり変です。プロ意識が果たしてありやなしや?

テレビ中継って、何百万円ではできない世界だと思います。すんごくお金がかかってる。その中継をするために何十人、いや何百人もの裏方が働いています。その視聴率がどん底では、当然見直しが迫られるわけで、それを「一定の価値がある」なんてほざいて維持するのもまた、かなりの無駄遣いでしょう。

いっそのこと、やめた方がいいんじゃない?多チャンネル時代に既になってるんだし、どうしても新聞やスポーツニュースでは満足できないファンは自分で視聴料払えば観れるんだから。

テレビ中継はすぱっとやめて、衛星に絞って、んでもって、強くてしょうがなくって、「Gタス」とかいう巨人チャンネルの加入が爆発的に増えるとか、その価値が回復したらまたテレビを再開したら?もう、今の状況は惨めな姿をさらしているだけの「ファンいじめ」と化しています。


自力V消滅に華を添えた主砲の空砲。



上原君、いつもながら、その顔は今日も泣きそうです。本日、9敗目。

上原泣きそう


清原の空砲

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2005年07月27日 03時37分23秒

水泳の話 2

テーマ:昔のはなし

昨日の続きです。


中学1年の時に(マネージャーとして)入部した僕の、当時の泳ぎは全くもって最悪でした。手足をばたつかせれば浮いてはいるので、ほんのり?進む事は可能です。ただし息継ぎができない為、息が切れたらそこで止まります。つまり足をついて立ってしまうわけです。ご存知のように水泳は体力を消耗するものですよね?目的地が目の前にあれば、わざとなのか無意識なのか誰にも(もちろん本人にも)わかりませんが(笑)、つい足を前に出して歩いてしまうものです。そう、きっとそうなんです!それは僕だけではないはず!

「お?少し近づいたな?でも・・・泳がなきゃまずいな。見られてるし。ただ、泳いだところでまた立つしかないんだな、これが。だいいち、泳ぐより歩く方が速いし。」

情けないながら、これが僕の現実でした。


もともと、喘息持ちに効果があると勧められたのは、水泳によって心肺機能が高まる事を期待したものです。大人たちの思いに反して、僕はといえば「泳げないからマネージャー」とのたまったのでした。マネージャーでは水泳部に入った意味がありません。笑っちゃいます。

この、自分の経験に照らして思うのは、子供にも「子供の自我」がちゃんとあるということです。「絶対にイ・ヤ・ダ!」と主張できる子はまだいいです。次の展開があるでしょう。ですが僕はそうは言えない子供でした。自分に一番近い存在である、母親とクラス担任から「そうしなさい」と諭されると、心の中の「イヤダ」に反して「はい」と言ってしまうのでした。そうして、矛盾を知りつつも「マネージャー」を提案するトホホな僕。そこで、先生は「お前はな~んば言いよるとか?泳がんならな~んもならんやっかぁ」とは言いませんでした。僕は、内心ほっとしながら、そのくせうしろめたい気持ちを持ったのです。ですから、逆に言い出した手前、マネージャーとして役に立とうと仕事にいそしみました。そのあたりは担任のY先生の方が1枚うわてで、僕の性格を見抜いた上でうまく誘導してくれたんだなぁと、今になって思います。


「練習生」として(昨日の記事を参照)泳ぎ始めた僕は、何とか息継ぎが出来るようになり、25メートルを泳いで更に、ターンまで身に付けました。もちろん、男女の全部員を含めて最も遅かったのは言うまでもありませんが、主力の練習にマネージャーとして仕事をこなし、それが概ね終わったら自分がざぶんと飛び込んで指導を受ける日々でした。慣れてくると、先生ではなく、先輩が指導してくれたりもしました。


「腕をもっと小さく!」

あごを引いて!」

ローリングしよるぞ!平面を意識して!平面!」


腕の振りは、水から抜いた腕を前に戻す時のことです。それが大きいのはフォーム的に無駄です。抜いたら小さく前に戻すのが原則です。当然その後、水をかく時には推進のために力強くかきます。

あごは、息継ぎの時です。どうしても空気を吸おうとして口を大きく開けがちですが、空気は吸うのではなく、「噛む」意識です。吸うと「はぁー」ですが、噛むと「ぱくっ」で済み、一瞬で息継ぎが終わるわけです。あごを引くことで、水中から水面へ最短距離で口を出す事ができます。

そういった、無駄のないフォームを意識する事は、身体を出来る限り平面に保つ、「ローリングの少ない泳ぎ」を生みます。


次第次第に、泳ぎに格好もついてきた僕ですが、中学時代は結局「練習生」で終わりました。試合に出るためには速さが求められます。僕はようやく「泳げるレベル」には到達したものの、「速さ」や「スタミナ」の面で全く「選手」としての使い物にはならなかったというわけです。


あれ?・・・高校に入ってたんでしたね?

じゃあ、続きをまたお楽しみに。

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2005年07月26日 04時18分05秒

水泳の話 1

テーマ:昔のはなし

何をかくそう、僕が中学から高校を通じて、ずっとやってたスポーツが水泳です。

なんつっても、身体が(喘息もちで)弱かった僕に、中1の担任(水泳部顧問)から勧められて始めたのがきっかけです。勧められたというのも、家庭訪問で母がそそのかされて?「先生、よろしくお願いします」なんて頭下げちゃったもんだから・・・。

ちょっと待て!僕は泳げないんだぞ!なのになんで入部させるわけ?冗談じゃない!

誰か助けて!・・・と心の中で叫んではみたものの、その頃の僕にとって、先生とは従うべきもので、決して悪いようにはなさらないという神話じみたものがありました。

で、「先生、僕泳げないからとりあえず(っていつまで?)マネージャーでいいです」と言ったら「おう、わかった」と先生は心よく応じてくれました。


しかし、先生の中にはある作戦があったのだと思います。

マネージャーとして、一応練習に毎日顔を出すようになり、タイムを取ったり、ビート板の片付けをしたりすっかり溶け込んでいた或る日の事、「おーい、プールに入れぇ~」って何とはなしに水に入らされ、「泳いでみろ」と直接の指導が始まったのでした。

全く泳げないわけではありませんが、要は息継ぎができない僕でした。

腕をこうだ足がどうだと指導されてるうちに、「あぁこうやれば息が出来るなぁ」というこつをつかんだ僕は、何とか25メートルを泳げるようになったのでした。それまでは、たて(25メートル)ではなく、横(たぶん12メートルくらい?)を息継ぎ無しで泳ぎきるのが精一杯だったんです。

バッしゃんバッしゃん、ゼェー(息継ぎ)。バッしゃんバッしゃん・・・ンハァー(息継ぎ)。ごぼごぼ・・・ゼハァーってなもんで、はたから見れば「泳ぎながらも溺れてる」か「溺れつつ進んでは、いる」状態でした。

その日から、僕は(マネージャーのはずなんだが)先輩たち(の後ろ)に混じって、へろへろ泳ぐようになりました。もちろん、25メートルを泳ぐのがやっとのヤツが大会の選手に選ばれるわけはありません。中学校時代は、「マネージャー的練習生」としてその活動を終えたのでした。


高校に入って、僕は特に運動部に入る気はありませんでした。

あぁ、水泳?そん~な、部活動としてやるようなレベルでないし、だいいち水泳部がなかったのですよ。あ~やれやれ。

ところが・・・。


「お前、なんも入っとらんやろ?水泳部に入ろうで」と友人が言って来たのです。

「なんやそれ?水泳部なんかなかぞ?」

「うんにゃ。同好会の出来たとさ」

「え~?同好会~?」

「なんか入っとかんば、色々うるさかって。よかけん、入ろうで。同好会やけん、半分は遊びに決まっとるさ」

何やら、2年生の女子に中学で鳴らしたらしい速い人がいて、これまでは水泳経験のある先生に個人的に指導されていたらしく、今年に入って一定人数の部員が集まれば同好会として認められるというのです。そうなればその人は大会への出場も可能となるわけで、「半分は遊び」の言葉につられて入部してしまいました。


・・・というところで、今日は止めておきます。続きは次回に。

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2005年07月25日 05時21分09秒

やった!甲子園だ!

テーマ:がんばれ!清峰高校!

えっ?!うぞっ?!まさかとは思ってたけど、勝っちゃったよ、おい!

わが母校が甲子園に出場決定!!もちろん、昭和27年の学校創設始まって以来の初出場!

やったぁ~!!おめでとう!!

ここ2~3年、一度、NHK杯で優勝したのかな?んで、春のセンバツだと思いますが、21世紀枠の候補に選ばれたりして、それは結局洩れましたが、甲子園への機運が俄然高まってはおったとです。去年は県の決勝で惜しくも敗れて準優勝。

ま、そんなもんやろ。決勝まで進めば上等よってなもんでした。ところが、今年は本当に雪辱を果たして、勝ってしまったのです。

地区予選から、その予感はありました。当然シードされていましたが、各試合が全て圧勝です。1試合目~3試合目まで全て5回コールド勝ち。3試合での失点はわずかに1です。ベスト4で当たった波佐見高校とは7-5で勝利しました。この相手が事実上の難敵だったわけです。優勝戦は13-8ですが、エースを温存しての8失点です。高校野球は投手のずば抜けていいのがいると、かなりのところまで勝ち進んでいくものですが、えてしてそういうチームは打線が弱く、せいぜい5点どまり。1点差や2点差の僅差のゲームをものにして、投手力を中心とした守りのチームになりがちですが、いやいや打線もワンランク上の力をもっていそうなのです。

長崎県の代表として、堂々と闘ってきて欲しいですぅ。


わが母校は清峰高校。「せいほう」と読みます。

でもね、ちょっと複雑な気分なのですよ。

というのは、僕が卒業したのは北松南(ほくしょうみなみ)高校です。3年くらい前かな?校名を変えるとか言って、名前を公募していました。決まったのが、この清峰(せいほう)です。なんか、「欧州産のぶどうみたいな名前」という印象が未だに消えません。どうしても「巨峰」を連想してしまうのですよ。いったい誰が言い出したのか知りませんが、勝手に名前を変えてしまった。ま、それで心機一転、いろんな面で新しくなって優秀な生徒が集まって・・・というのであれば、それはいいことなんでしょうけどね。


最後のバッターが三振に倒れ、エースがマウンド上で両手を高々と突き上げ、おとずれる歓喜の瞬間。抱き合うバッテリーになだれ込むナインたち。あぁ、本当に勝ったんだ!

それはもう、やっぱり感慨深いものがありましたよ、はい。僕はとりたてて母校に何かを残したわけでもありませんし、後輩たちの前で講演したりしたこともありません。ただの、単なるOBです。でもこんな、歴史に残る偉業を成し遂げてくれるなんて、本当におめでとう!そして、ありがとう!です。君たちは誇りだ!

在校生から見れば、僕は単なるオヤジに過ぎませんが、その君たちとオヤジが見えない糸で結ばれる、僕らが共感できる瞬間がこれから訪れるんだ!そう、校歌です。一緒にそれを歌おうではないか!肩を組め!手をつなげ!共に朗々と歌い上げようぞ!


テレビを見ながら、僕はやや、うるんでいました。それはもう、何やら言葉にできない感動です。音楽が聞こえてきます。ん、ん、ん、とリズムを取り、出だしはどんなだったっけ?ちょっと忘れちゃったなぁ。

・・・ん?・・・ん?


おいおい、お~い!

こいつら、校歌まで変わっちゃってるじゃんよ!

歌えねぇ~って!


清峰

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2005年07月24日 04時14分08秒

プロスポーツの厳しさ 2

テーマ:巨人、プロ野球関連

昨日の続きです。


もう限界か?潮時なのか?と言われながらどっこい頑張ってちゃんと結果を出している人もいます。

まず、オリックスの吉井投手

プロ入りしたのは近鉄で、4年目に頭角を現し、抑えとして34SPを挙げる。10年間の在籍を経てヤクルト(FAだったかな?)に移籍。今度は先発として在籍した3年間、全て2ケタの勝ち星を残す。その後、メジャーに殴りこみ、メッツロッキーズエクスポズ(そのあと、ブルワースやタイガースにもちょっといた)と渡り歩き(その間、5年)、2003年に日本球界復帰を果たす。しかしケガもあり、満足な成績を残せないまま2004年オフにクビになる。

ところが、2005年にテスト入団?で再びオリックスと契約する。

前半戦を終わって4勝0敗。防御率の2.11はかなりの上出来ぶり。

いつだったかスポーツのコラムで、吉井が今シーズン勝ち星を挙げることの出来る理由みたいな文章を読んだ記憶がある。確か、相手に絶対に先制点を与えない、5回まで何とかへろへろでも凌ぐ・・・へばったら次の投手へバトンタッチ、みたいな記述だった。それだけ聞けば、取り立てて抜群の投球をしているわけでもなさそうだが、野球というスポーツが点取りゲームであることを思い起こせば、それはまさにセオリーで、ばったばったと連続三振を取らずともそれ相応の成績は残せるのだ。速い球を投げられた時代に抑えとして活躍していた我が身を思えば、「俺も衰えたなぁ」とため息のひとつも出る事だろう。けれどもこの道一筋で20年過ごした、日米通算6球団を渡り歩いた彼ならではの経験から繰り出される老練かつ老獪な投球術はまだまだ、いやもう少しは?通用しそうだ。


次は、ソフトバンクホークスの宮地選手

尽誠学園高校からドラフト4位指名で西武ライオンズに入団。地味ながら、堅実なプレーで活躍するも、西武を解雇されてしまう。それが去年かおとどしだったか(プロフィールをホークスのサイトから拾っているんで)不明だが、ホークスのトライアウトを経て拾われる。そして、プロ入り16年目にして初のオールスター出場(拍手!!)だ。

いつかの試合で活躍をした折、OBの池田元投手からインタビューを受けていた宮地は

「(あのヒットは)ミヤジ打法とでも呼んでください」とか何とか喜んでいたものの、

池田氏には「あ、オヤジ打法ですね?」と返され、

「いやミヤジ・・・」

「はい、オヤジ打法でした。以上、福岡ドームからでしたぁ~」

なんて茶化されていた。

宮地選手は、現在パリーグの首位を走るホークスの立派なレギュラーである。ホークスがお情けで置いてやっているわけでは全くない。プロ入り16年目の大ベテランで、かつ誰よりも練習熱心で、そして打席での粘っこさ、ねちっこさは鳥もちか納豆かというくらいのものだ。ああいう、一球に対する集中力や執着心は、33歳という年齢に達すればこそのものでもあり、やはり吉井と同様、最後まで何が起こるかわからんぞという豊富な経験がものをいってると思う。本当に、まだまだ頑張って欲しい。


僕はこういうしつこい人が好きである。

億を超える年俸を手にしていたプライドをかなぐり捨て、テスト生として入団した吉井。

ある意味引導を渡されるために来たようなトライアウトで汗びっしょりの宮地。

「人間、開き直りが肝心だよ」とか「もう通用しないって」みたいな声に耳を貸さず、「やかまし!俺は野球やりてーんだよ!」と泥にまみれる人が大好きだ。

それは誰あろう、本人が納得してないからだ。まだやれると思っている本人が結果の出ない自分に納得すればそれは終わりを迎えるが、結果はこうして出ている。


まだまだやれる。もっとうまくなれるぞ!


そういう、飽くなき探究心を絶やさずに、大好きな野球をとことんやって欲しい。

1分1秒でも長くやって欲しい。


あきらめない人の話、もう少し続けようかな?



宮地 ハイタッチ


吉井 4勝目

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2005年07月23日 05時01分23秒

プロスポーツの厳しさ 1

テーマ:巨人、プロ野球関連

先日、巨人の清原がキャッシュカードを盗まれて、300万円引き出されたという。

犯人は無事捕まったから「よかったね」だが、それよりも、個人のキャッシュカードに300万円、すこんと入っているという事の方が、僕には強い印象を残した。もちろん、清原の年俸は・・・今季はかなり下がって、それでも3億円台はあったんではなかったか。もらいすぎという批判もある。彼の場合、期待が大きいだけに裏切られた時のバッシングも激しくならざるを得ない。

今シーズンは、ホームランは出るものの低打率。それで打点もそこそこあるからチームに貢献していないわけではない。ただチームとしては、せった試合できっちり決めて欲しい想いが叶っていない印象を受ける。高年俸の人にはそれだけの活躍が求められ、ローズあたりもスポーツ紙に色々と書かれているのはご存知の通り。


閑話休題。


もう引退かと囁かれ、まさに崖っぷちの人たちがいる。

わかりやすいのは、桑田。今シーズンまだ1勝も挙げられない。本人は200勝を達成したいようだが、ちと厳しいかもしれない。

かつて、横浜ベイスターズがまだ大洋ホエールズだった頃、横浜スタジアムで桑田のピッチングを見たことがある。バックネット裏の、多少の距離があったものの、その表情ははっきりわかるくらいの位置。その球はビシュッと捕手に突き刺さり、ミットを叩く乾いた音がパーンと球場に響いていた。手元を離れた球を目で追ってもとても追い切れない、弾丸としか例えようのないスピードボールだった。もちろん巨人が強かった時代で、その試合は桑田の完投勝利。

試合を観戦しながら、横で会社の先輩が言った。

「大洋にさぁ、今日は投げないけど、欠端(かけはた)っているだろ?あいつを俺ら打てなくってさぁ。甲子園逃したんだよ。悔しかったけどよぉ、全っ然かすりもしないんだもんよぉ。」

欠端という投手は、こまが足りない時に先発する時もあったが、大抵は先発と抑えの間で投げる中継ぎを主にこなす選手だった。もちろん先発の柱に数えられていた頃もあったと思うが、僕の記憶ではだいたい中継ぎ。それも、変化球の切れと制球が命で、いい時はピシャリと抑えるが、試合をぶち壊した日もあったと思う。その投手を、先輩はかつて全く打てず、かすりもしなかったと言う。プロのレベルの高さが知れようというものだ。


一方、その桑田が、今ではストレートが全く使えず、変化球のコントロールも大味でかっぽんかっぽん打たれている。あの長島茂雄氏がドーム観戦した日に、確かテレビ中継が始まった時にはもう降板させられていた。

プロは厳しいんだなぁ。


もっと色んな選手を取り上げたいんだが、今日はちと眠い。少し前から夏ばて気味。

また今度にする。

桑田と清原

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