サッカーの耐えられない軽さ | picture of player

サッカーの耐えられない軽さ

みなさん、いい季節になりましたね。

脳が半分溶けるような地獄の季節も去り、Jリーグ観戦がしやすい季節になってきました。おまけに優勝争い、降格争い、昇格争いが過熱気味。過ごしやすく飯もうまいこの季節に、休日を家でだらだらすごすなんてもったいない! ビールを買い、スタジアムグルメに舌鼓を打ちながら、贔屓のチームの主に絶望を味わいにスタジアムに足を運ぶ…なんて素敵な休日のすごし方。こりゃ、掃除洗濯、地震雷カジヒデキをさっさと済ませて、電車に飛び乗るしかない!!


でも…スタジアムに行く暇がないんだ…。


そう、年をとってからは雑事が増えてくる。30も過ぎれば、仕事、結婚など次第に責任は倍加。子供の世話をしなくてはならなかったり、かわいいあの子のパイオツを揉みしだいたり、かわいいあいつの胸板を揉みしだいたり(アッー!)、色々と忙しい。そうなってくると、次第にサッカーのプライオリティは下がってくる。「あれ? 今日試合はしごできるじゃん…?」なんて言って湘南新宿ラインに飛び乗ったり、多動気味の生活を送っていたサッカージャンキーも次第に試合を見ることができなくなってくる。そうなると後は簡単で、テレビで見ることも少なくなり、休日は主に昼間からビールを飲んで小便製造機と化すのが関の山である。

俺にとってのNBA、NFLがそうなっている。NBAは最近は選手の名前もあやふやで、この前の世界選手権に出てる選手なんかほとんど知らなかった。NFLも一時は全チームのロースターが言えたほどだが、今では1試合通してみるのはスーパーボウルくらいだ。あと、NHLは元々見たことがないので関係がなかった。

サッカーでも同じだ。最近ではこういう会話が頻繁に起こる。
「いやー、やっぱクリロナまじぱねえっす!」
「あー、すごいね。でも昔ポルトガルにはフィーゴっていう選手がいてね…」
「誰すか、それ!」
「いや、レアルとバルサにいて、すごいドリブラーで」
「マジすか! 戦前の話すか!」
「いや、5年くらい前だけどね。バルサからレアルに移籍して、そんですごいブーイン…」
「ゲロシャブっすね! マジパネエ! そういえば、最近バルサのブスケッツもマジパネエっすよ!」
「ブスケッツ? あのへたくそなキーパーの?」
「え?」
「え?」

全く持って悲しい話である。ただ、おじさん・おばさんと呼ばれる年になってくると、どの分野の趣味でもそうだが、こうした悩みも共通のものと思われる。趣味にかけられる時間がなくなってきた人間が、どういう態度でその趣味と向き合っていくのか。サッカーを題材として、分類をしてみたいと思う。

■生涯最前線型
サッカーブログ界で言えば、武藤文雄さん タイプ。贔屓チームの試合に足しげく通い、日本代表の試合はすべてフォロー。その裏で欧州トップモードもつまみ食いしつつ、ワールドカップともなれば全試合を生中継で欠かさず見る。これならば若者の話題にも同世代でついていきつつ、経験を生かして古い話も織り交ぜながら、一目置かれることが可能である。ただし、そのためには本人の超人的な努力もさることながら、周囲の理解が絶対に必要である。年齢的に要職につき、試合を見まくった上で、少年サッカー団の審判もしてるという武藤さんみたいな真似は中々できない。まったくきちがい地味たうらやましい話である。

■戦艦大和型
リソースを集中する一点豪華主義タイプ。スペインリーグだけ異常に詳しかったり、J1の特定のチームだけ詳しかったりする。話題がその守備範囲に集中したときに、異常に頼られることがある。ただ、あまりに範囲を狭めすぎると、「謎の北信越狂信者」や「マインツ至上主義者」、「田原豊を日本代表に推薦する会・会長」、「リー・ボウヤーが悔しがるときの顔真似がうまい人」などという当人以外にとっては全くわからない肩書きを手に入れてしまうことになってしまうので要注意。

■戦線縮小型
これが常識的な対応だろうか。段々と手を出す範囲を狭めていくタイプ。まずスタジアム観戦を切り、次にヨーロッパ戦線を離脱、ブログ更新回数を減らしてtwitterに移行、ワールドカップなどのビッグイベントには参加するが、現地に行くほどでもなく、テレビ観戦。最終的にはすぽるとを毎晩チェックするくらいになる。常識的である反面、一抹の寂しさともののあはれを感じさせる対応である。次第にコミュニティの中で存在感を消していき、気づいたらいなくなっている。自然死タイプ。

■退役兵型
現状のシーンは一切追わないというすがすがしいスタイル。「メッシ?しらねーよ。やっぱマラドーナとベッケンバウアーだよな!」という温故知新のオールドスクール。印象としては、日本リーグ以前のファンからの人が、Jリーグになったところで途切れてしまった、という人が多い。縦社会的なコミュニティの中では、きちんと若者は話を聞いてくれるかもしれない。若者にとっては、「サッカーむかしばなし」を聞いていることになるので、会話が成立しないことが多々ある。神話の弾き語り的な位置づけだが、押し付けすぎるとかえって若者をサッカーから離れさせる諸刃の剣。

■戦争なんてなかったよ型
自分がサッカーを好きだったことをなかったことにするタイプ。昔サッカーに盛り上がっていたことをひた隠しにし、ある拍子にその話が出ると、「あー、そういうこともあったねー。それより、うちの息子がさー」と話をワンステップでロングサイドチェンジすること多し。会話はあまり成立しない上に、多数になると、次第にコミュニティ全体の興味をサッカーから引き離す力を持っている。静かなる革命タイプである。

■俺がいるところが最前線型
戦争なんてなかったよ型の進化型である。たとえば車などに興味が移ってしまって話題の中心はそれになる。たまにサッカーを見ているという話をすると「ちょwww まだww サッカーなんかwww」という反応を見せることが多々あり。この反応は禁煙に成功した人が喫煙者に見せる苛烈なまでの嫌悪感に近いものがある。周りからの反応は芳しいものでなくなるのは確かだが、主導権を握られることは絶対いやだ! 俺はネコじゃなくてタチなんだ! というすべて自分の土俵で勝負したい人にはオススメ。完全に私見ではあるが、この手のタイプは「寝てない自慢」をすることが多い気がする。

■21世紀の共産主義型
革命いまだ続行中! というキューバ・北朝鮮スタイル。年を取ってからのほうが、異常に情熱を傾けてしまうタイプである。それまではテレビで見るだけだったのが、いつの間にか毎週末スタジアムに入り浸り、鉄の規律の元に怒号を響かせ、弛んだ裸体を惜しげもなく披露するようになる。また、使うアテのない金を惜しげもなく注いでレプリカを大量に購入し、若い連中を飲みに連れて行って幅を利かせることも可能である。弱点としては、常につきまとう「年甲斐もなく…」という反応と、「あの人、いい年してるのに暇じゃね?」という若者の気づき。それを回避するためにも、普段から意味なく携帯で偽電話をして、頻繁に仕事をしているフリをして、「体力が有り余っているタフガイ」という印象を植えつけることが肝要。

■燃え尽きた地図型
コミュニティから完全失踪するパターン。サッカーだけがすべてではないのだが、それにプライオリティが置けない現在の環境をすべて投げ捨てるという最も男らしいスタイル。いい年になるとそのまま社会的に終了する可能性が高いということも含めて、なかなか取れる選択肢ではない。でも、ごくまれにいる。「純粋なのね・・・あなたって・・・」。はぐれボランチ純情系。


さて、いくつかの類型を上げてみたが、どれに当てはまるだろうか? おれ自身は「戦線縮小型」なのだが、こういうタイプが多いのかもしれない。まあ、本人の状況によるが、「生涯最前線型」とか「21世紀の共産主義型」が幸せかというとそれはそれで微妙な気がする。本人は超楽しいかもしれんが。ただ、「俺がいるところが最前線型」だけにはならないように気をつけたいものである。


みなさんも、時間をうまく使って幸せなサッカーライフを。