バルジャンはロイヤルウエディングの日、何を着るべきか?
テーマ:レミゼその他ロンドンのレミゼの公式ツイッターをフォローしているのですが
いつもこんなアホな記事が多くて、和ませていただいております。
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今年最初のレミゼで心わしづかまれた上原アンジョを間近で堪能すべく、今日(もう昨日だけど)は1階前方席を予約し、いそいそと出かけたのである。終わって劇場を出る時に、こんなに複雑な気分を抱えることになろうとは思いもせずに。
1幕まではこれまで観たとおりだったの。「カリスマ」という言葉はこの人のためにあるのだと思わせるほど、学生を束ねるオーラ出まくり。深く太く艶のある声と陰影たたえる眼差しで、凛と背を伸ばし「♪市民は立つ!声を聞いて群れとなりて!」と呼びかけられたら、もう心は上原アンジョ一色になる。客席からも拍手で称賛を送らずにいられない。
だけど2幕、エポニーヌの死を区切りに、彼の中に変化が起きた。「恵みの雨」では、何かをかみしめるように目をそらさず彼女をじっと見つめ続けている。そして戦いを経て「過ぎた日に乾杯」。「♪死も恐れぬか」と戦いへの疑問を吐露するグランテールに向かって、冷徹な一瞥をくれて再びバリケードに戻っていく上原アンジョを目で追うときに、注目してしまうのは後ろ姿の弱々しさだ。今までのカリスマっぷりが幻だったのかのように、小さく背を丸め、力なく砦に足をかけているのは、どうして? グランテールのひとことに、自分の中で封印していた何かを見て、うろたえているかのようだ。「彼を帰して」が始まるころには、とうとうバリケードの頂上でへたりこみ、うなだれてしまう。ここで立ち続けず座ってしまうアンジョは、めずらしい。立っていられなくなるほどの、どんな混乱に陥っているんだろう。
プレビューで初めて上原アンジョを観た時ももちろんこの動きには気づいていたんだけど、いま一つピンとこなかった。でも今日は、少しだけわかった気がする。自分の胸にある戦いへの恐れや信念への懐疑を、上原アンジョは見つめているんじゃないかな。エポの最期やグランの問いかけを通して死をみつめたことで自分の中の弱さを認めたのかもしれない。
だからこそ“市民に見捨てられ”るというショックを受けてもなお、優しく「♪子どもある者と女たちは去りなさい」」と言えたのではないだろうか。
ガブちゃんが命を落としたあと「♪死のう!僕らは敵など恐れはしない」と叫んだ時の気持ちは、バリケードが出来上がったとき自信たっぷりに歌い上げていた「♪恐れるな信じるのだ」での気持ちと、まったく違っているだろう。弱さを知った人間の強さを、今日の上原アンジョの最期の声「♪立つのだ仲間よ 世界に自由を!」に感じた。
前向き一直線なアンジョではない。理想に燃えながら悩み、自分と仲間が戦う意味をみずからに問い続けているアンジョ。そこに思いをはせると、なんだか胸が苦しい。好きなのに。そしてもっと観たくなる。
●阿部アンジョが「民衆の歌」シーンの最後、リヤカーに乗って舞台からはけていくときに叫んでいる言葉。
まったく聞き取れなかったのだけど、わりと長めの、難しい系の言葉を発していたような…??
余談だけど、このセリフ、役者によって傾向がわかれる。「行くぞー」「フランスに自由を!」みたいなわかりやすい短い言葉を発する役者と、「王宮前広場へ集まろう!(←ちょっと違うミュージカルから引用)」みたいな聞きなれない長い言葉を述べる役者がいる。上原アンジョは短い系だよね。
●吉原バルジャンがリトルコゼットを「高い高い」している理由。
「取引」の最後、リトルコゼットを救い出して着替えさせたあと抱き上げるけど、そこで定番通り「くるくる回る」のではなく、「高い高いをしながら回る」という新しい動きを見せておりました。
「高い高い」すると、コゼットが1歳くらいの赤ちゃんみたいに見えてくるのは、私だけでしょうか。リトルコゼットくらいの年で「高い高い」って、普通するかなあ…?。幼さを強調するために、あえて吉原バルジャンはやってるのでしょうか。
今年はフイイの当たり年だね!
フイイがいかに頼もしいかが、ABCカフェからバリケードシーンにかけての感動を左右するといっても過言ではないと思う。個性の強い学生たちを受け止める、優しい兄貴キャラなフイイ。アンジョルラスが描く理想を、民衆の心に訴え続けるフイイ。みんなが頼りにしたくなるこのキャラクターが舞台で生き生き活躍してこそ、客席にいながら「自分も革命についていこう!」と感情移入してしまうんだよね。まるでABCの学生たちに加わるべく背中を押されているかのような気さえするから不思議だ。
プレビュー初日で観たフイイがあまりに完成度高くて驚いたのだけど、2009年出演の鎌田フイイ が続投していたんですね。ABCカフェから街へ出たあと、「民衆の歌」のソロでしっかり聴かせる深い覚悟、アンジョを乗せたリヤカーを先頭で手を振り導くときの希望で輝くばかりの表情。心の熱さをこんなふうに伝えてくるフイイ、私には民衆の歌のシーンでひときわ光って見える。素敵だ!
もうひとりのフイイ、宇部フイイは阿部アンジョルラスとの組み合わせのときに観たのだけど、「♪ 来い相手になるぞ~~」の太い叫びを聞いて、アンジョの頼れる参謀であることがはっきりと分かった。阿部アンジョも含めたバリケードみんなの心のよりどころとなりうる安定感がある。アンジョやグランテールやほかの学生たちが少々脱線しても宇部フイイがいてくれれば大丈夫だろうな、と思わせる存在だ。
開幕間もないこの時期でも、ABCカフェの学生たちに深く思いを重ねることができているのは、今年のフイイ2人の力量に負うところが大きい。彼らのフイイに出会えて、よかったな。
今年のプレビュー1回目も本公演初回もjenniferエポだったんだけど、すごく等身大に感じながら、すごく新鮮だった。こんなエポニーヌに出会ったの、初めてだな。
いや、正確にいうと初めてじゃなくて、数年前にロンドンで観たエポニーヌのイメージに近いかも。置かれた境遇の哀しさよりも、それを生きる意思のほうを強く感じるエポという感じ。
彼女のエポは決して“かわいそうな子”っぽくやせ細っているわけはなく、ぼろぼろのキャミから出ている二の腕は普通にたくましかったりする(笑)。でも、マリウスを思う一途さや自分の運命から逃げない心が、確かな歌唱力に乗って客席まで力強く伝わってくるから、惹かれずにいられなくなる。
jenifferエポがすごいのは、それらがいい意味で芝居じみてないところだと思う。彼女の歌う「♪その髪好きだわ」とか「♪コゼット変わった…みじめな今のあたしを見て」を初めて聞いたとき、1832年のパリに生きる少女の台詞だけには聞こえなかった。2011年の東京の、渋谷や新宿のビルの陰で、普通の女の子が現実につぶやいている言葉のように聞こえてならなかった。そんなふうに感じた人、いないかなあ…。彼女の歌はミュージカルの台詞というよりも、街角のリアルな女の子の声のように伝わってくる。いまこの時代を生きているjenniferという女の子の生身の感情がが舞台でエポニーヌに吹き込まれているから、そう思えるのかもしれないね。「エポニーヌを演じている」んじゃなくて、「エポニーヌを生きている」というほうが近いのかも、彼女の場合。
On my ownも、豊かな声量で余裕を持って歌いこなしているけど、彼女の想いは叙情的なメロディに流されたり埋没したりすることがない。むしろ際立ってくる、せつなさが。友達に語りかけるように歌う「♪雨の舗道は銀色…」で目の奥が濡れてしまったのは、いつかのスペシャル公演で観た島田エポ以来のことだ。うつむきがちな笑顔で口にするそのワンフレーズだけで、想像の世界で得る喜びとそれが現実にはなりえないむなしさとが、ごちゃまぜになって胸をしめつけてくる。
「♪知ってる 夢見るだけ」からクライマックスまで一気に駆け抜けるように歌うのは、ちょっと力みすぎているような気がしないでもないけど、jenniferエポならありかな、と思う。そうやって夜の街にひとり、想いをはきださずにはいられなかんだったろうな。
今までいそうでいなかった、現代にも通じる女の子の等身大な想いを表現するエポニーヌ。素敵なキャラクターに出会えて、今年のレミゼがまた楽しくなった。
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