みずからの手を信じて--リコネクション仙台ブログ

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リコネクティブ・ヒーリング®/リコネクション®の専門院 『リコネクション仙台』です。-山形・宮城(仙台)・福島(福島・郡山)-

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エンティティーへの写真提出サービスについて


概要


これは様々な理由でカーサに直接行くことができない方の写真を「ブラジルのカーサに持参し、セッション時にエンティティー(ジョン・オブ・ゴッド)に診せる」という機会の提供です。

ご病気の方のみではなく、霊性の向上を願う方、またヒーリング能力の格段の向上を願う方もお申し込みいただけます。

これについては、かねてより、海外在住の公式ガイドたちにより行われてきましたが、精査しましたところ、それらは海外から日本への郵送料を含めて比較的高額なサービスになっていること、外国語によるやり取りは面倒な上に十分な意思疎通が出来ない場合があること、また、これは日本人公式ガイドの役割として、日本の方々へ行うべきことの一つとの考えから、この度、当方からも提供させていただく次第となりました。

加えて、エンティティーからのメッセージがあった場合にはお預かりして確実にお伝えします。また、事前・事後の打ち合わせ・ご相談にも丁寧に対応いたす所存です。

別の観点からですが、このことはエンティティーとのつながりを確実に持つということであり、これをきっかけに到底行くことは無理だと思っていたブラジル カーサへ万難を排して導かれる方も多いことと存じます。

※写真提出はエンティティーによる遠隔ヒーリングが行われることを意味しますが、「霊的手術 Spiritual Operation」を意味するものではありません。

料金について


8,000円(1名につき)
※内訳はハーブ代金(実費約3,000円)、ブラジルからの郵送料(荷物として持ち込めない場合があります)、国内郵送料、手数料です。
大概の場合、ハーブが処方されます。ハーブは当方の帰国後、ご指定の住所にお送りいたします。ハーブが処方されなかった場合、3,000円を返金いたします。その際は銀行口座番号をご連絡ください。

●ペットを含む動物の場合 5,000円(1個体につき)
※人間以外にハーブは処方されません。

●プレーヤー(Prayer)
※「写真を預かり、カーサの三角形の底辺に挟んで祈りを捧げてくること」についてはいずれも無料で行っております。

その他
上記有料のサービスについては、カーサクリスタル・祝福された水(小瓶30ml)を同梱あるいは個別発送にてお届けします。

◇カーサクリスタルは大きなものではなく、記念のお守り的な意味合いです。ただし、当方がジョン・オブ・ゴッドのクリスタルショップにて選りすぐり、カレントルームにてセッションを行うことでエンティティーによる祝福がなされるものです。

◇「祝福された水」については「水への祈り」によって、ほかのはミネラルウォーター等へ転写・拡張することが可能です。詳しくはこちらをご覧ください。

事前の重要な確認事項


◆ハーブが処方された場合、以下の通り、禁忌事項があります(ハーブを飲み終えるまで約2ヶ月間です)。必ずご確認ください。また当人に代わって手続きをされる方はご当人の承諾を事前に必ず得るようにしてください。後から本人に説明したり、説得したりということは厳に慎んでください。


ハーブを服用している期間、アルコール類全般・胡椒・唐辛子類(黒胡椒・白胡椒・唐辛子、わさび、カイエンペッパー〔Cayenne pepper〕・チリ類・パプリカ等々)・有精卵および有精卵を含む食品全般を口にすることはできません。

※また当然、食品類の制限にはご家族のご協力も必要ですのでよろしくお願いします。

お申し込み方法・手順


1.最初にご連絡事項を含めて下記メールアドレスまでご連絡ください。
ap@reconnect333.jp

◎返信は3日以内に行います。
携帯およびスマホのメールアドレスでお申し込みの方でPCからのメールが届かない方が多いように思います。お申し込みの前に、PCからのメール(ap@reconnect333.jp)が受信できるよう設定をご確認ください。また、3日以内返事がお届けできていない場合には、フリーダイヤル等でご連絡いただけますようお願いいたします。

2.次に、当方よりの返信メールが届いてから、プリント写真に必要事項をご記入の上、郵送でその返信メールに記載のある住所にお送りください。お支払いの詳細もメールに記載ございます。

※お写真は画像ファイルとしてメール添付の形で収受させていただくことも可能です。その際にはメール本文に必要事項をご記入ください。また、願い事・病名等の英文への翻訳・記載も承っております。

※①メールの添付写真を当方でプリントアウトすること、②裏面の英文翻訳・写真への記載を依頼される場合、手数料はそれぞれ1,000円追加となります。最初のメールにて、その旨お申し付けください。翻訳は正確に行います。

※事前に確認したいこと等がある場合には「リコネクション仙台」のフリーダイヤル「0120-404-133」あるいは「090-1371-8188」までお願いします。

申し込み締め切り


2015年2月24日(火)※3月ツアー時携行分として

写真の要件について


◆2ヶ月以内のもの

◆全身の写っている、鮮明で少し大きめのもの(2L、カラー撮影)をご用意ください。白い服である必要はありませんが、服、背景ともにうるさくない程度にお願いします。

◆写真の裏に以下の項目をご記入ください。

○ご病気の方の場合
1.お名前(ローマ字と漢字両方で)
2.生年月日(例:December 14th, 2010)
3.ご住所(ローマ字と漢字両方で)
4.ご病名 医師の診断によるもの
5.原因と症状を2、3行に簡潔にまとめてください。
6.お願いしたい癒やしを3つまで。(簡潔にまとめてください)※「4.」、「5.」、「6.」ともに英語でおねがいします。

○霊性の向上を願う方、ヒーリング能力の格段の向上を願う方の場合
1.お名前(ローマ字と漢字両方で)
2.生年月日(例:December 14th, 2010)
3.ご住所(ローマ字と漢字両方で)
4.願い事を3つまで。(簡潔にまとめてください)※英語でおねがいします。


その他重要事項


●セッション時にエンティティーが写真にチェック(×〔ばってん〕等)をした場合、それは「写真の当人がカーサに直接来なければならない」ということです。めったにないことですが、その際はご相談させていただきます。チェックされた写真は返却いたします。

●写真を見て貰った当人が、その後、カーサに行った場合には最初にセカンドタイムラインへ列ぶことになります。※写真にチェックされた方の場合ではありません。

●このサービスはご当人が全体性を取り戻すためのスピリチュアルプロセスのサポートです。具体的な「効果」を保証するものではありません。

●写真はセッション終了後、最終的にカーサの三角形の底辺に入れて祈ります。持ち帰りはしませんのでご了承ください。

●カーサでは色々なことが起こります。何らかの事情でセッション時に写真を提出できなかった場合には、当該写真の返却と全額返金にて免責とさせていただきます。

以上

リコネクション仙台
      森 貴浩  2015/01/05

-リコネクション仙台季節だより-2014年5月


クンダリーニ上昇に伴う身体症状への対処法について

スピリチュアル・エマージェンシー(Spiritual Emergency)
-頭痛・めまい・ふらつき等-


この記事はあくまでも、体調が悪くなったときに一から行法をやっている暇はない、という考えのもと、緊急避難的ツールとしてブログに置いておきたい(たとえば学校に設置されているAEDのように)ということで書かせて頂きました。「クンダリーニ」というような単語は耳慣れないかも知れませんので、もし、今現在、心の琴線に触れることがない、という場合には「ここにある」ということだけおぼえて頂き、もし緊急の時は「ここに来れば読める・なんとかなる」ということ思い出していただければ、と存じます。

当方はエネルギーを受け取ったことで、肉体的な病を含め、精神的こと、環境的なこと等すべてが良い方向に向かったのですが(経緯についてはこちらをご参照ください)、その長いプロセスにおいてエネルギーに関連するいくつかの身体的症状に悩まされた時期があります。

そして『リコネクティブヒーリングⒸ』あるいは『リコネクションⒸ』でエネルギーを受け取られたクライアント様の中で、その後、セッション時に当方がおすすめしている浄化のテクニックやセルフヒーリング等を日課にされてエネルギーを強化されてきた方々、あるいは『意識の超次元トレーニング』をやってこられた方々で、当方が経験したものと似た身体症状が現れる方々がおられます。

これらの症状をもたらしているものは一般的に『クンダリーニ(クンダリニー)Kundalini』と呼ばれます。これは基底のチャクラ→仙骨のチャクラ→太陽神経叢のチャクラ→ハートのチャクラ→喉のチャクラ→額のチャクラ→クラウンチャクラと順番に登ってくるエネルギーです。

ある種の人々はこのエネルギーを肉体に深刻なダメージをもたらす(たとえば精神障害等)恐ろしいもののように考え、「クンダリーニ症候群」などと呼ぶことがありますが、自然な流れを大事にしながら適切に扱えば、なにも恐れるような現象ではありません。このエネルギーの上昇は「肉体の中に宿る魂の覚醒」のことです。それぞれのチャクラに達しながらさまざまな気づきをもたらします。そして当方のクライアント様はリコネクティブ周波数を適切に受け取り、当方のアドバイスのもと、これまで浄化とグラウンディングをされてきた方々ですので全く心配しておりません。

ただ、エネルギーが頭部に達したときにいくつかの身体症状が出た経験があり、その対処の過程で気づいたことがあったのでお伝えしたいということです。身体症状の具体については表題にあります、頭痛・めまい・ふらつきの他、仙骨の痛み、仙骨が変な感じ(むず痒いような、動いているような、変な感じとしかいいようがありません)、体のエネルギー振動が強くなる、体が熱い、寝ているあいだに体が冷える等があります。

当方の場合、その中でも特に偏頭痛には困りました。生あくび、ひどい痛み(労作性頭痛〔ろうさせいずつう〕といって踏ん張ったり、重いものを持ったりすると強くなるように感じました)、涙目等です。発熱は無かったように思います。仙骨に沿って熱があがってくるような感じはありました。それが背骨に沿って頭の中にも入ってきます。当初は頭痛の原因がわからず、浄化が出来ていないためなのでは、グラウンディングがうまくいっていないのでは、といろいろ考えていたのですが、それは今まで通りなので違っているようでした。

頭を使わずにリラックスして過ごせば、ある程度軽減し、それと寝ることでエネルギーはゆっくりと頭部から抜けるようですが、エネルギーが頻繁に上がってくるようになるとそうも言っていられません。なんせ、現実的には生活者としてやらなければならないことがたくさんあります。

そしてあるとき、ふと背中を登って眉間や頭頂まで達する熱のようなものと関係があること気づき、昔やっていた行法をためしたところ、そうしたことがなくなりました。いつも自分のこととなるとさっぱりわからなくなるのだから不思議です。


スシュムナの浄化法

その行法についてですが、これは一般的に『スシュムナの浄化法』と呼ばれています。「スシュムナSushumna」というのはヨガの言葉で「イダIda」と「ピンガラPingala」という言葉と一緒に使われます。他の分野で「スシュムナ」に相当する概念はないのでこれはこのまま使いたいと思います。これについては後述しました。

それからここでの「スシュムナの浄化法」はヨガの方法を取り組みやすいように当方が若干アレンジしましたがその効果は変わりません。

では、手順から説明したいと思います。


始める前に

雑念がいろいろわき出してくる場合には適当な箱をイメージして気になることはすべてそこに入れておくことにしましょう。『新・ハトホルの書』のなかにある『架空の箱』も同じ意味あいです。

すわり方

まず、背筋を伸ばして座ります。座り方は色々あります。普通に座禅やヨガの座法が出来る方はそれでよいと思います。座法が苦手な方はイスに浅く座り、背筋を伸ばします。もちろん、深く座ったほうが安定するという方は深くても構いません。要は背筋がまっすぐになっていればいい、ということです。


私自身は体が硬いこともあり、よくイスに座ってやっています。電車の中でもやっています。イラストは普通のイスですが、クッション等で多少おしりの後ろを上げたり、背もたれのクッションを工夫するともっと楽に背骨をまっすぐできると思います。座り方はもっといろいろあり、さらに詳しくは以下のページを参考にしてください。海外のサイトですが写真が載ってますので写真をみるだけでも充分わかると思います。

POSTURE for MEDITATION

ただ、逆説的ですが、しっかりと空(くう)とつながっていれば、自然と背筋が伸びるので、最初だけすわり方に気を配ってみてください。


準備運動

まず、準備運動のようなものですが、最初に何回かゆっくりと深い空気の取り入れをして、肺を十分に広げてください。ふだん、われわれは深い息をしていません。こうした準備をせずに急にはじめると肺が痛くなることもあります。

それが終わったら本番です。

雑念を一時的に手放す

当然、心配事や雑念があれば、できないと思いますので、そうしたときは『新・ハトホルの書』にあるようにパンドラの箱を利用することで、そうした想念を一時的にでも、手放しておきましょう。
 

手について

まず、手ですが、親指は人差し指とあわせます。座法の場合はひざの近く、イスの場合は太ももの付け根あたりに手の平を上にして載せておきます(体幹からの遠近はあまり気にしないことにします)。これは「ムドラ」や「印」と呼ばれ、よくみかけるポーズですのでやり方の説明はあまり要らないかと思いますが、ヨーガにおいて、これはなにをしているのかというと、親指というのは第2のチャクラ=仙骨のチャクラに対応し、人差し指は第5のチャクラ=喉のチャクラに対応しているのですが、これをつなげることでエネルギーが登りやすくなるというとことです。

呼吸と会陰部の締め付け

次に息を細くゆっくり、鼻から吸っていきます。同時に会陰部をゆっくりと上に引き上げるように締めます。会陰の締め付けは慣れないとうまくいかないかもしれません。会陰周辺の肛門等にも力が入り、一緒に締めることになることもあるでしょう。最初はそれでも構いませんが、最終的には会陰だけを締めるということです。やっているうちにコツがわかってくると思いますが、最初に座法やイスに座ってではなく、立ってやってみるとやりやすいかも知れません。

そして息を吸いながらエネルギーが会陰部から入り、体のまっすぐ中心を通って、お腹、胸、首、頭、その上と通り抜けていくのを感じてください。頭をとおったら、エネルギーとともに自分自身が上に登っていくのを感じてください。熱が登っていくのを感じることもあります。

そして息を吸いきったら、止めます。当人はずっと肉体の上の方に「意識」として行くということ、そこに行ってハイヤーセルフや他のその人を助けてくれる霊的な存在とともに一緒に居る・留まってる、と感じましょう(実際にそうなのですが)。しばしばとても強い愛の感覚(無償の愛)、静けさ、すばらしい居心地の良さ等を感じると思います。

そして適当なタイミングで降りてきます。会陰を緩めながら、息をゆっくりと吐いてゆきます。そして自身とともにエネルギーとしてさっきと逆の道筋を意識します。頭頂部、頭、喉、ハート、太陽神経叢、仙骨、その下というような感じです。

これは繰り返すトレーニングです。息が本当に苦しくなるまでとめずに(留まらずに)、自分の思う適当なタイミングで下降しましょう。そしてエネルギーを第一のチャクラまで落とします。切れ目なく続けなくてはならないということはありません。最初は1回やるでも疲れるかも知れません。つかれたら休みましょう。行法全般に言えることですが、だれでも初めての人は最初から完璧にはできません。最初は「こんな感じかな」というような気持ちでよいと思います。上方へいくはずが、まったく意識が変わらないように感じることもあるかもしれません。それでも繰り返しているうちにコツがわかってくるはずです。

息を吸っているときに同時に感じられることを列挙すると、
・エネルギーが背筋→首筋を登る、
・頭部にエネルギーが流れ込み、顔の上半分の表皮の間や鼻に充満してから(これは温かい煙が首から入ってきて充満するような感じです)上に流れていき、最終的には一点からではなく、頭部上半分全体を使ってゆっくり抜けていく感じです、
・頭皮上部に線状・帯状の圧力あるいは圧点が加わる、
・味覚の変化(なにを食べても美味しく感じる-口の中自体は美味しい銅をなめたような?感じ)、
・終わった後は声が良くなっている(自分の声との違いははっきり分かる)、

といった感じでしょうか。これはあくまでも私の体感なので人によって多少違うと思われます。

念頭に置くこと

念頭に置いて欲しいことは、
・エネルギーは必ず頭上に抜くことが出来るということ。
・世界と自分が頭蓋骨や頭皮を境に別れている(分離している)わけではないこと。
・ワンネス(すべては繋がっていること)に気づけばエネルギーの移動などは何でもないこと、最初から境目などなかったということ。
・エネルギーの肉体への滞留という症状自体が思い込み・信念によって形作られている、ということ。

トレーニングを終えるタイミングは会陰の締め付けができなくなったら、やめればよいのではないかと思います。

注意事項

会陰を締めることはわれわれは肉体ですので筋肉には限界があり、疲れます。ですので回数にこだわることなく出来る範囲でやってください。ただ、締めるときはゆっくりと締めるということと、それに吸気を同調させることについてはよく意識して行ってください。

あくまでもエネルギーの上昇を肉体の感覚で認識している方・それにともなう症状に悩まされている方を対象に緊急避難的な意味合いで書いておりますが、この行法はクンダリーニ上昇に関わる全ての症状に有効であり、強力なものです。また、当方はクンダリーニ上昇に伴う体の反応に関して、それがなにか特別な価値を持っている、熱を持つのがすごいことだ、というようなことを言っているわけではありません。ある種の人々はこれらのプロセスを通ることがある、というだけです。ただ、何の身体症状もなくクンダリーニの上昇のプロセスを通り抜けることが出来る人がいるのかどうかについては不勉強のため、あいにく存じあげません。

また、これはハートのチャクラ、喉のチャクラ、眉間のチャクラ(この3箇所は一般に『エネルギーの関所』と呼ばれています)でエネルギーが詰まっている方についての対処法ではありません。こうした関門としてのチャクラにおいてエネルギーをどのように通すのかについては大変な情報量になりますのでここでは書きません。

ですから、ここで解説している自然にエネルギーが登ってきたという状況とは違って、現在なにも感じておらず、単にクンダリーニに興味のある方、修行によってクンダリーニを上昇させたいという方は、チベット体操・タントラヨーガ・クンダリーニヨーガ等の基本的なことから始めて、安全にクンダリーニエネルギーとお付き合いくださいますようお願いいたします。

クンダリーニにまつわるトラブルの多くは、その効果のみに目が行き、実践を急ぎすぎるあまりに起きることばかりですので(たまに事故によることもあります)、取り組む方はあせらずにゆっくりとエネルギーに馴染むことと、「そのエネルギーとともに在るという意識」を自分のいま生きている日常生活に浸透させていくことを心掛けていただけますようお願いいたします。ブログの最後に参考になる書籍をいくつか示したいと思います。

用語解説

「スシュムナ」、「イダ」、「ピンガラ」

「イダ」は基底のチャクラの左側から始まり、鼻の左側に到達します。イダは女性性を表し、その役割はエネルギーの温存、マインドの静穏さを促進すること、母性を拡大していくこと等と言われています。また、月とも関連しています。

「ピンガラ」は基底のチャクラの右から始まり鼻の右に到達します。ピンガラは男性性を表し、物理的な現実における活動にエネルギーを供給すること、精神的活動への対応を機敏にすること、建設的な活動をサポートすること等と言われております。そして太陽と関係しています。

イダ管とピンガラ管はスシュムナ管の上で交わるのですが、このときにエネルギーの渦ができ、これがいわゆる「チャクラ」と呼ばれます。

最後に「スシュムナ」ですが、これは脊椎を通る中央のナディと言われています。基底のチャクラの中心から始まり、クラウンチャクラに達します。基底のチャクラからまっすぐに登ってきたエネルギーは首から頭の中に入り、二つの流れに別れます。一つは額のチャクラに方向に流れます。もう一つは脳とクラウンチャクラの間にある、ブラフマンの門(百会)に達します。スシュムナ管は3層(3layer)になっていると言われておりますが、難解になってきますのでここでは割愛させて頂きます。もう少し詳しくお知りになりたい方は右上の『チャクラの覚醒と解脱』本山博著『密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法』本山博著もご参考になさってください。

「スピリチュアル・エマージェンシーSpiritual Emergency」(スピリチュアル・クライシスSpiritual Crisis)

これはトランスパーソナル心理学のスタニスロフ・グロフ、クリスティーナ・グロフ夫妻によって作られた言葉です。ある種の非日常的意識状態・感覚という形で現れ、強烈な感情、各種のヴィジョンをみること、さまざまな身体的兆候、五感の変化、通常と異なった思考等を引き起こすもので、その表面的な症状(状態)の類似により、現代精神医療の診断による不適切な病名のレッテルが貼られ、誤解されることが非常に多いのですが、実は霊的な成長のプロセスにおいて個人がより大きな広がりをもった存在になっていく動きにともなうものであり、とくにそのプロセスが急速かつ劇的に進むときに現れます。スピリチュアル・エマージェンシーの諸形態としては、ここで述べた「クンダリーニ上昇」の他、至高体験、臨死体験、憑依状態、過去世の記憶出現、体外離脱体験等があります。

これはわれわれの身体が成長期に肉体的発達を遂げる性質と同じように自然なことであり、急速な成長に伴う痛みは、膝や股関節などに多く見られる成長痛(Growing Pains)にたとえられるかと思います。しかし、それらに関する理解が進まない現状においては、病理的なもの、あるいはそこまでいかずともおかしな人間としてとらえられてしまう事が多く、その無理解ゆえにをスピリチュアル・エマージェンシーを経験した当人のその後の人生が大きく停滞したり、回り道になってしまうことを危惧したグロフ夫妻によって、その諸相がまとめられました。

蛇足かもしれませんが、こうした私の書いているアメーバブログもそうですが、個人の体験を綴ったブログ等拝見していると、「クンダリーニ上昇」一つとってみても、その発現でとても困った経験のある方、人生の一部が台無しになってしまったことを後悔される方をしばしばお見受けいたします。個人の霊的成長のプロセスとはそうしたトラブルが起こることも織り込み済みである、という考え方もあるかとは思いますが、そのことの意味がわかり、適切なアドバイスと対処があれば必ず症状の軽減・適応が可能であるということを考慮すると、現況は嘆かわしい限りです。知っているのと知らないのとではその人の生き方がまるで変わってくることを念頭に、人生の本当に大切な時期に足踏みをさせないためにも、スピリチュアル・エマージェンシーに対する我々の社会全体としてのさらなる理解が進むことを期待したいと思っております。


参考資料

クンダリーニ(クンダリニー)に関する資料をいくつかご紹介いたします。

『クンダリニー』ゴーピ・クリシュナ著

この本は著者のゴーピ・クリシュナ氏がある日突然、クンダリーニが上昇し、その体験と顛末をまとめたものです。1987年に日本で出版された古い本ですが絶版にもならず、いまだに読み継がれている名著です。肉体の劇的な変化や身体症状に苦しむ様子がリアルに書いてあるので、恐ろしく感じることもあるかもしれませんが、先に申し上げました通り、そのことを理解し、適切に対応すれば恐れるほどのことではありません。そしてゴーピ・クリシュナ氏がクンダリーニ覚醒後に見た本当の世界の様にもよくよく注意を向けてください。



『クンダリニーとは何か』ジョン・ホワイト著



この本も1983年出版の古い本ですが、これは一つの体験談ではなく、クンダリニーにまつわる個人的体験、諸説、科学的な研究等をまとめたものです。












『クンダリーニ大全』
ボニー グリーンウェル著

この本はクンダリーニ体験のうち、症状としての内容に焦点を当てているように思います。情報は客観的かつ網羅的です。ご自身にとって今必要な情報が見つかるかも知れません。ただ、身体症状ばかりに気を取られずに霊性向上のプロセスに重きを置くことが大事なので、前述の本山氏の書籍と併せて、読んで欲しいように思います。
なお、この本については訳がこなれていないのがとても残念です。


-リコネクション仙台季節だより-2014年3月


『意識の超次元トレーニングⒸ』をやってみた!!!-奮闘50日の記録

はじめに

このトレーニングを始めるにあたっては心しておくべき点がいくつかあるように思いますので簡単にまとめておきます。なお、「Ⓒ」とあるとおり、このトレーニングには著作権があり、トレーニングの具体的手順をここに記すことはできませんので、『新・ハトホルの書』をご参照ください。

まず、考え方として、このトレーニングをどのよう受け入れるかということについてですが、集合意識ハトホルは私たちのいま経験している体験の本質を次のように表現します。

「人間が経験している現実は、多次元的現実の一つの側面にすぎず、三次元的現実を超えたところにそのひとの別の側面が存在する」

そしてこのトレーニングを行うことによって、自分の多次元的な性質を概念としてではなく、実際の体験としてじかに感じたり経験したりできるようになる、ということです。

具体的にトレーニングに取り組む際に大事なことは、トム・ケニオン氏も述べているとおり、自分の頭脳にとって自然なやり方で幾何学パターンを描くことになります。そしてこれは、ビジュアライゼーションの訓練ではない、いうことも言っております。

人には視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった五感と呼ばれる感覚があり、これらを通じて外界を認識しているわけですが、各人にはそれぞれ、その五感の中でも優勢なものがあり、その一つか二つの感覚を通じてこの幾何学パターンを認識することになります。

ですのでその人にはその人なりのやり方があって良いということです。ケニオン氏もそれぞれのパターンについて、ある程度の枠組みは示していますが、それほど厳密にその形状や距離感などについて言及しているわけではありません。

それ故、私も自分が気づいたコツをこれから書こうとしているわけですが、著者注にもあるとおり、「自分自身で探求し、習得し、向上することを目的としています」ので、これは私のプロセスであって、私が気づいたこと、あるいは得られた成果である、ということをどうぞご理解ください。

押さえるべきポイント


とはいえ、押さえておくポイントはいくつかあります。

1.とにかく急いで動かさないこと。ゆっくり動かすことが何より大事。

2.あきらめずに取り組み続けること。
人の脳はある一定の処理能力を超えると物事を回避する傾向にありますが、使っていなかった部分の神経回路をつなぐ作業をしているのですから、大変なのは当たり前です。私も当初始めた際には、とにかくイスに座って始めるまでに時間が掛かりました。なにやら別のやること・言い訳を見つけては時間を取っている感じでした。

3.やめてしまわないこと。
トム・ケニオン氏も指摘しているとおり、やめるといったん開発した神経回路はもとに戻ってしまいます。書籍にあるような間隔でワークをすることで、回路を維持したいものです。語学の勉強で、いったん他言語を習得しても、使っていないうちに忘れてしまうことに似ているかも知れません。

4.向上のスパイラル

最初はなにやらわからなくて始める
          ↓
ちょっと効果を感じる
          ↓
少し面白くなって、また続ける
          ↓
もっと効果を実感する
          ↓
もっと面白くなっていく

このワークには上記のような向上のスパイラルがあるように思います。


コツのいくつか


1.〈無限パターン〉

始めたのは2014年1月10日でした。

イメージを思い浮かべるのは昔から得意で遠隔リコネクティブヒーリングにおいても、対象の体のイメージを思い浮かべ、それに対してエネルギーを当てていくということをやっておりましたので、無限パターン(∞)なんか楽勝、と思っていたのですが……全然動いてくれません。第一、光の点のはずが光っていません。

黒いピンポン球くらいのかたまりのように見えます。しかも、トム・ケニオン氏も言っているように、その軌道はひしゃげていたり、輪がつながっていなかったり、回ってくれなかったりします。そして突然暴走したりもします。たぶん、頭の中は「ゆっくり動く光」というようなものにほとんど慣れていないのでは、と推察しました。

おまけに体のいろんなところに力が入っているのがわかります。しかし、力を抜くと集中できないし、というような困った状況でした。

これは何とかしなくてはと、いろいろ考え、自分の手からでるヒーリングエネルギーは目の辺りに当たるとまぶしくなることに思い当たりました。顔の前で動かしてみたところ、光の点が動きました。手で描いているのですから当たり前です。

そしてこれはうまくいきました。少し慣れてくるまで手を使い、やがて手を使わなくても回るようになりました。

※それでもときどき「光」――つまり発光する点にならないことがあるのですが、これは心の中で「光の点」と言えば、光になることがわかりました。

※私の場合、目は動きます。最初から動いていたように思います。意識的に動かしてはいません。

※繰り返しになりますが、光の点の大きさ、無限パターン(∞)の深さ(距離感)・大きさはこれを行う当人の体験ですので、こだわりなくやって大丈夫と思います。そしてあまり細かいことに執着しないほうが、うまくやれていない、というような自分からのプレッシャーがなく、うまくいくような気がします。

正逆両方でスムーズに、きれいに、そしてなによりゆっくりといった、自分で納得がいくまでになったのは1月19日でした。一週間以上かかりました。


2.〈原子パターン〉

1月20日から原子パターンに取り組みました。

原子パターンは無限パターン(∞)同様、グルグルと回すとどんどん速くなっていってしまいますので、最初は開始点で止めていました。その後、開始点でスピードダウンしてゆっくり回すようにしました。

頭や体が光と一緒に動きました。それは良いのですが、頭や体は動き始めると慣性でも動いており、いつの間にか光の点が無くなっていることがありましたので、光の点に意識を集中することが何より重要と感じました。

水平に回す場合には頭のどの位置(たとえば目の位置、あるいは額の位置)で回すかは、はっきり決めないと、やっている途中でブレが出て、円がデコボコになってきますので、これは決めておきました。

斜め45度は難しいので最初は肘から指先の間を目のにかざして(プロレス技の「チョップ」といえばよいでしょうか)、角度だけはしっかりとキープしてやっておりました。というのも垂直に回す際には角度がズレやすいのですが、まっすぐ正面で回すのと少しズレて回すのとでは肉体の反応が違っているように感じたためです。ですので最初は多少ズレても良いのかもしれませんが、最終的には正しい角度に持っていきたいものです。

慣れてくると光の点に頭が引っ張られて動いているように感じ、同時に光の点から頭に向かってビームが発射されて、それを頭皮の方ではかすかな圧力(触感)として感じているように思います。

これも無限パターン(∞)同様、力をとにかく抜いた方が軽く動いてくれます。

この分子パターンは仰向けに横になってもできるようになりました。そしてこの方が光の点が回っているのを体全体で感じますし、体調の悪いときなどは光の点を回し始めると体のどこかで反応します。私の場合は、その後、その箇所についてのセルフヒーリングを行いますが、分子を回しているだけでもかなりのヒーリング効果があると思います。

分子パターンは記憶を呼び起こす効果もあるようで、やっている最中あるいはその後に忘れていた記憶などがありありと浮かんでくることがあります。このことはトム・ケニオン氏が〔背中に火のついた女性〕として本の中でも触れているとおり、人は記憶や印象などを体の周辺に保持していて、それがこのトレーニングによって活性化するということだと思います。


3.〈正八面体パターン〉

正八面体パターンを始めたのは1月29日でした。

これらのワークは続けてやることになっていますので、無限パターンは正逆の回転でそれぞれ30秒~1分ですので、それほど掛かりませんが、分子パターンは9セットあり、それぞれが30秒~1分ですので、今のところ最大合計11分掛かることになります。

しかし、私の場合、実際はやっている最中にいろいろな気づきがあって、しばし感心してひたっていたり、うまくいかなくて余計に時間を取ったりということがありますので、前出2パターンで30分くらい掛かっています。そこにこの正八面体パターンということで最初は通しで、1時間掛かっています。

そして頭が疲れている日は正八面体までやる気力がありません。まあ、でもその頃にはそこまで来るまでにも、いろいろな効果が現れ始めていましたので、その効果をさらに追求したいという気持ちでなんとか取り組むことが出来たように思います。

正八面体パターンに取り組む際に、正八面体は自分の中にある、という考え方を受け入れて始めるのとそれを受け入れずに始めるのではずいぶんと習熟度が違うのではないかと思います。これについては『新・ハトホルの書』の正八面体のワークに関する説明と、加えて神聖幾何学について書かれた部分がありますので、一度は目を通しているかと思いますが、もう一度読み直したくなるような気がします。

このワークは「回転」、「距離を置いて眺める」、「黄金の光を降ろして回転」という3つにパーツに分けられると思います。

回転
まず、「回転」については私の場合、また、手を使いました。正八面体自体はイメージできるのですが、回転させるということは回転している途中のイメージもはっきりと思い描くということですのでなかなか回転してくれませんでした。上半分見えていても下半分は見えない、ということもありました。

・垂直軸回転
それで手の平をこめかみあたりで頭のカーブに沿ってコマを回すように回してみました。するとあっさり回りました。イメージもくっきりしています。正八面体のかどを手の平に当てるような感じで回すので回転速度はどのようにでも調整可能です。私は極力ゆっくり回すようにしてみました。1分ほど回すのですが、3、4回も回さないうちに時間になります。

正八面体の大きさについては人それぞれで良いのではないかと思います。ちなみに私の場合は頭蓋骨内いっぱい、あるいははみ出るくらいに描いています。

・水平軸回転
水平の軸の場合、回転する角が頭の上と首の中になりますので、角を回すのではなく、こめかみのちょっと後ろ位でピラミッドの四面をしっかりつかんでいるようなイメージで回してみました。これも最初は手を使いました。


眺める
次に「眺める」ですが、頭の中の正八面体を眺めるということで頭の外枠も一緒にイメージするのですが、これは当初一緒にイメージすることは出来なかったので外枠は後回しにしました。

やっていてわかったことはこの「すぐ前」、「30」、「60」、「90」センチという距離ですがこれは(もちろん私の場合だけかも知れませんが)イメージの中では測ることができないということです。つまり、ふだん、私がこの三次元の現実の中であるものを30センチの距離で眺める場合があるとして、そのものに意識を集中した場合、この現実においてもその距離は30センチではありませんし、もっと近くに見えたり、意識を少しゆるめると遠かったりと、その範囲は広い、ということです。これは絵画における心象風景の距離感と同じ事と思います。

で、どうしたかといいますと、またまた手を使いました。両手を30センチあたりに持ってきて正八面体を囲うようにすれば、30センチで見ていることにしました。90センチについては手の長さが足りませんので、手を目一杯伸ばしてその先に正八面体を描きました。手で囲う代わりに正八面体の紙模型を使うのも良いのではないでしょうか。
以下に正八面体の展開図(のりしろ付き)がありますので、ご紹介しておきます。
http://hakomaniax.net/?p=325

光を降ろして回転
これは前出の「回転」ができれば、そこに黄金の光を降ろすだけですので簡単かと思われます。「光が降りてくる」イメージは日常に割と多いかと思います。私の場合は、プラーナ管に頭上からエネルギーを流すというワーク(『新・ハトホルの書』にもありますが)をずっとやっていたのでそれほど難しくはなかったのですが、その光が絶えることなく一定に流れて、脳にあふれるというイメージにするために、呼吸を利用し、「細く息を吸う・吐く」という作業を補助的にやってみました。

全般的なこと


とても喉が渇くので水を用意してやっておりました。

やっている最中、高周波音の耳鳴りがするときがあります(いつもではありません)。

一通りできるようになってからは2日に一度程度取り組むようになりました。時間は40~50分くらいです。

このワークにはデトックスの効果もあるようですので(私の場合は特に感じませんでしたが)、トム・ケニオン氏が『新・ハトホルの書』の中で参照ページを示しておりますので日本語訳のURLを改めて、下に記します。

スピリチュアルマインドの解毒
http://tomkenyon.com/japanese-10


効果について


実際、始める前とその後で、私の場合、どのような違いがあったかについてですが、

1.睡眠時間が若干短くなる。
1時間くらいですが、睡眠時間が短くなり、それで十分になっています(老化現象ではないように思います)。そしてその後も少しずつ短くなってきているように思います。おそらく日中の活動時間に得た情報の処理が速くなっているのでは、と思っております。脳の疲れも以前より早くとれるような気がしています。

2.思考の停止
ワークを通してですが、光の点に集中しながら、他のことを考えることはできず、雑念の入る隙がありませんので、思考が消えます。これは「いまにある」状態でもあります。私にとってはこれがなによりの効果で、これは瞑想に近いのでは、と思っております。もちろん瞑想には目的によっても、色々ありますので、瞑想がうまくいかない場合の代用になるかどうかはわかりません。

3.プラーナ管から熱が上がる。
クンダリーニ(クンダリニー)のトレーニングについてはここでは割愛しますが、このワーク中は同じような現象が体に起きているように思います。

4.日常の気づきが多くなって、1日にやれる仕事量が増えている。


最後に

最初に申し上げました通り、このワークは個別性の高いもので、自分なりのやり方を自分なりに見つけ出す、というプロセスもこのワークの一部なのかと存じます。ですので自分の見つけたコツをここで書くのはどうかとも思いましたが、まったく出来ない、あるいは、ある地点以降はできない、と諦めている方に対するヒント、もしくは勇気づけにはなるかもしれない、と思いましたので、記録として書きとめました。

また、今後、中・長期的な効果もあるかと思いますので、ある程度まとまり次第、このブログにて紹介したいと思います。

進撃の『時の石』 Attack on "The Stone of time"


あらすじ


話は変わりますが、皆様は『時の石』という小説をご存じでしょうか。

昭和56年(1981年)に出版され、SFの中編3本をおさめています。表題の『時の石』はその中の一つです。作者は栗本薫さんです。

栗本薫さんと彼女の作品については深い思い入れがあり、彼女の卒業した大学と学部を選んで受験し、彼女の後輩になったのもあこがれからです。でも、このブログの主旨からは逸れますので、そのことはいつかべつの場所で書いてみたいと思っています。

簡単にあらすじを説明します。
登場人物ですが、
・主人公は谷本治郎(たにもと じろう)。高校二年生です。
・クラス一番の秀才でガリ勉の友人、飯沼(いいぬま)。
・中学時代からの親友で、趣味や話の合う楠木(くすき)。楠木は体も大きく、次郎の庇護者的な存在でもあります。
・それから有沢先生(ありさわ 女性29歳 独身 担任)です。谷本治郎はこの有沢先生に恋心を抱いています。

二学期の期末試験期間中のこと、次郎は話したいことがあるから一緒に帰ろうと飯沼に誘われます。飯沼はなにか思い詰めているようです。次郎は学校からの帰り道、多摩川の土手で飯沼の悩みを聞くことになるですが、聞いている最中、そこで奇妙な石をみつけます。
「直径七、八センチの妙なかたちをした石――色は何色にも見え、その表面もざらざらしているとも、すべっこく冷ややかだとも、やわらかそうだとも、なんとでもいえるのだった。そしてそれは――ぼくの手のなかで、まるで押しちぢめた、地球全体を、持っているかと思うほどに、痺れるくらい重く、冷(ひゃ)っこかった」

しかし、飯沼が持つと軽々と持ち上がります。そして不思議なことにそれまで、親や周りの者への不満、将来に対する不安をぶちまけていたのに、いままでの険しい雰囲気と打って変わって、至福の音楽を聴いているような、とてもなごやかでまどろんだようになって、子供の頃の楽しかった思い出などを次郎に話します。そして飯沼はそのままその石を持って帰ってしまいます。

それから飯沼は残りの試験を欠席し、夏休みが始まってすぐ、その飯沼が睡眠薬を飲んで自殺を図った、という知らせが次郎のもとに飛び込んできます。親友の楠木とともに病院に駆けつけると、体温と脈拍だけが異常に低下し、昏睡というよりは冬眠に近い状態で、こんこんと眠り続ける飯沼の姿がありました。先に来ていた有沢先生は、問題がないと思っていた自分のクラスの子が突然こうしたことになったことにショックを受けると同時に、自分を責めていました。そして次郎は眠り続ける飯沼の手の中にあの石が握られているのを見つけます。

有沢先生は最悪の事態の想像に囚われ、病院の廊下でうずくまってしまいます。次郎は有沢先生の話に耳を傾け、その痛々しい姿を見るにつけ、守ってあげたい、自分が受け止められるのではないか、というようなうれしさを伴った思いを抱きます。しかし、同時に、こんなときに、劣情を抱き、死線をさまよっている友人のことを失念しかけている自分がいる、という内面に葛藤を感じます。加えてその場に居合わせた楠木の自分を見る目に嫉妬の感情を見つけ、楠木も有沢先生を好きでいることを直感します。

それから次郎は有沢先生から飯沼が薬を飲んだ理由を一緒に見つけてくれるよう、頼まれます。飯沼の話をし、有沢先生と一緒に飯沼の部屋で手がかりを探します。飯沼はあの石のことを日記に『時の石』と書いていました。次郎は有沢先生と一緒に行動しているうちにとても親しくなっていきます。そして有沢先生が飯沼の件で学校から責められ、退職も考えるほど深く悩んでいることを知ります。そうしたさなか、飯沼が一度も目覚めぬまま病院で亡くなります。有沢先生はずっと張り詰めていた心の糸が切れ、次郎は導かれるままに男女の一線を越えてしまいます。

次郎はその日以来、風邪で高熱を出し、飯沼の葬儀にも出席しないまま、日々が過ぎていきます。そうした中、楠木が次郎の家に突然訪れ、次郎は楠木に石に関することを相談し、二人は石の真相に近づいていきます。そして「石」の所在を確認するために、楠木とともに有沢先生のアパートに向かうとそこには・・・・・・。


……………………………………………………………………………………………
というようなお話です。結末はもちろんナイショです。

鍵となる『時の石』ですが、それは意識だけを「幸福だと感じた過去の記憶」に運び、それを現実として感じさせる装置で、それを持つ人の、「現在の心理的な充足度」に応じて働くようになっています。ですので飯沼のような現実に不満を持っている者には極めて効果的に働きますが、次郎のような、いまを生きているものにはうまく働きません。そして未来から来たと思われるその装置は、ほかに肉体の機能・恒常性を維持する装置とペアで稼働させなければ、飯沼のような結果を招くもの、と物語の中では推察されています。

まあ、でも『石』はこの物語のちょっとした装置であり、それよりも主人公の次郎が親友の楠木の家でこっそりとマンガを描かせてもらっていたり、有沢先生への本当に不器用で痛々しい恋があったりといった、思春期ならではの喜びや悩み・葛藤が上手に盛り込まれた読み応えのある内容で、むしろ作者はこちらを描きたかったのではないか、と思われます。そして洗練はされていませんが、強烈なイメージと感覚・感情に突き刺さるような表現で、読み手を物語の中に引き込み、ダイナミックに翻弄する手腕は、当時の「現代の語り部」という名に恥じないものであったように思います。とにかく一度読んで欲しい本です。いまはAmazonで文庫本(しかも中古)しか売っていないのが残念です。

当時の私は、ちょうど高校受験が終わった春休みに、解放されてほっとした気分で読みましたので、ことさら印象に残っていました。

そして高校に入ってから、みんなに読んで欲しくて、いろんな同級生に貸していたのですが、その一人がなくしてしまいました。その友人は野球部に入っていたのですが、バッグを部室に置いておき、何かの用事があって急いで部室に戻ってその本をバッグにしまったようなのですが、あの頃の野球部は、全員が同じ黒のアディダスのエナメルバッグでそろえていたので(あの現象はルーズソックスと同じ原理に基づいているのでしょうか)、おそらく別の人のバッグに入れてしまったのではないかと、いまでは思っています。

とても好きな本だったので、大学に入ってから、授業で使う教科書を古本屋に探しにいったとき、偶然見つけて買い直しました。

ある晩のこと

ところでこうして長々と『時の石』について書いたのには理由があります。

モルダバイトと一緒に寝ていたある日の晩、このタイトルが頭の中によみがえりました。最初にタイトルと前出の印象的な表紙が浮かび、それからページが開いていきました。あの頃は、自慢ではないですが、小説は読んだものを一度でかなりの部分暗記しました。ページを画像のようにとらえていたような気がします(まあ、それにしても、買い物にメモを持って出かけても、2、3個忘れてくる、いまのこの、ていたらくはなんなのでしょうか)。

そして、また、同じように活字で浮かんできました。記憶とは、一体どこにしまわれているのでしょうか、とても頭の中に入っているとは思えません――寝ている間にもう一度読み通していました。寝起きは疲れていて、とても7時間寝ていた、とは思えないような目覚めです。


起きてから、気になって、この本を探してみました。震災があって、次の地震のことも考え、蔵書は三分の一くらいを残して、すべてブックオフに引き取って貰いました。あの本を残したかどうか、憶えていなかったのですが、すぐに見つかりました。表紙は少し色が飛んでいます。開いてみると、今更ながら昔の本は単行本でも活字が小さいことに気づきました。そして老眼鏡を掛けないと読みにくいこともわかり、時の流れを感じました。

そして、なぜ、自分がいま、もう一度この小説を読まされたのか、に気づいたのはさらに次の日になってからでした。

必要性は恐れ


気づきは一瞬でした。

モルダバイトは大いに役に立ってくれました。異界とのコミュニケーションの窓を広げてくれたのはおそらくモルダバイトでしょうし、なにより、私自身が癒やされ、より純粋なエネルギーの媒介として機能するため、さらに自我を退けてくれたのもこの石です。それは間違いありません。しかし、それでもなお、ヒーラーはそれに頼ってはならない、ということでしょう。「執着は必要性に等しく、必要性は恐れに等しい」というのはエリック・パール氏の言葉ですが、ヒーリングをより効果的にするために、ほかになにか必要なものがある、と考えるのは「自分が完全ではないという恐れ」から来ている、ということを誰か(他の存在かもしれませんし、自分自身かもしれませんが)が私に伝えている、ということだ、とはっきりわかりました。

そしてもし、この「恐れ=必要性」を手放さず、意識も変えぬまま進んだ場合の行き着く先は、『繭(まゆ)』でしょう。『時の石』の表紙はまさしく『繭』そのものです。つぎはモルダバイトの効果をさらに強める、といわれる石を買うことを思いつくかも知れません。あるいはさらに強い力を持つといわれる別の石を求めるかも知れません。石はどんどん増えていくでしょう。そしてそのときの自分はこんな感じかも知れません――この石とこの石は喧嘩するので少し離して置かなければならない、この石とこの石は満月の日に月光浴をさせて……この子は塩水で洗ってあげなくちゃ・・・・・。そして一つ一つの石には名前が付いていることでしょう。

それは、石を握りしめて、親子で行った海水浴の思い出にひたりながら、ゆっくりと生きることをやめた飯沼の姿と重なります。石を愛(め)で、石とともに深い穴の中に落ちていくこと、石のハーレムで生きていくこと――これが意味することは、見た目の不気味さ以上に、自分自身のヒーラーとしての成長・霊性の向上をあきらめることでもあるように思われます。


試してみたいことはたくさんあります。それはやはり自分の新たな能力として、パワーストーンのさまざまな波動が感じられる、という事実があるのですから、これをなにかに活かせないか、と考えることは自然なことでしょう。

カービング(彫刻)されたモルダバイトはもっと強力だと聞くがその波動を確かめたい、ガネーシャの彫刻がいいのか、それともラクシュミーか、数珠のタイプはどうなのか、チェコのものではなくアフリカから産出されるというモルダバイトはどうだろう……。モルダバイトの特徴(龍紋、細長い気泡等)に頼ることなく、真贋の鑑定だって朝飯前でしょう。アジアのどこかの言語で書かれた証明書よりもよっぽど確かです。だれよりすごいパワーストーン鑑定士になれるような気もします。

でもその思いは封印します。知識や物を集めて「スピリチュアルな繭」になろうとするのは、そのことがその人のためになるかどうかとは一切関係なく、変化を嫌い、現状を維持しようとする、「スピリチュアル化したエゴ」の欲求だからです。

ヒーラーはいつも迷っています。
神のみが真のヒーラーであり、ヒーラーは導管・触媒だとしても、より良い導管であるためにはどうしたら良いのか。「エネルギーは完全だ」、というのであれば、ヒーラー自身の霊的な向上は、自身の関わるヒーリングに資することはないのか。「ヒーラーがクライアントが全体性を取り戻すための方程式の一部になる」というプロセスが「全て導きによるもの」だとするならば、ヒーラーのエゴによって、あるいはヒーラーが情報の非対称性(あるいはウソ)を利用することで、何度も盲目的にヒーリングを受けさせられている(たかられている)人々はなんなのか。また、そういう人たちのやっていること自体、ヒーリングなのか。結果としてめざましいヒーリングが起きるヒーラーに、組織の与える資格は必要なのか――。

しかし、ヒーラーを志したならば(聖なる契約としてあるならば)、多くの深刻な疑問や葛藤を抱えつつ、それでもなお、登り続けねばならない階段があります。これはそのステップの一つでしょう。そのためにはどれほど、物質から遠く離れて、この次元と私の知らない他の次元群にまたがって存在しているように思える「もの」であったとしても、生まれたときから自分の肉体の一部のように錯覚さえおぼえる「もの」であっても、「自分以外のもの」は、手放す必要がある――そのことを私に教えるために30数年の時を経て、『時の石』は蘇ったのでしょう。言い換えれば、このことをいまの私に教えるために高校生だった私はこの物語を夢中になって読んだ、ということでしょうか。

手放すこと

気づいてもなお、まだモルダバイトを手放せずにいる自分がいました。しかし、きっかけは自然にやってきました。

その頃、すでにモルダバイトをもって、私に力を貸してくれているエンティティーの名前※を自然と心の中で呼ぶことで、遍在するエンティティーのエネルギーを波のように感じることができるようになっていました。その感じは「感動したときの鳥肌」にも似ていますが、もっと体の内部を振動させるものです。「感動の鳥肌」は体の表面の感覚ですが、これは(表現が難しいのですが)、体が竹ひごの束だとして、それを下から押されて、それが密度的に5本に1本くらいの割合で上に飛び出してしまう感じ、とでもいいますか(すみません。こんな風にしか言い表せません)。そしてこれを感じているとき、クライアント様も何かを感じます。私が三回感じれば、クライアント様もその後の感想で「三回波が来た」といいます。私はこれを『エンティティーの波』と呼んでいます。
※このエンティティーの名前が気になる方もおられると思いますが、クライアント様のセッションでの体験を純粋なものとして、受け取ってもらえるよう(事前に知る先入観を無くすために)、ここで公にすることはできません。ご了承ください。

そして、洗わずに使っていた梵字(ぼんじ)の巾着が、かぐわしいニオイを放ち始めた頃のことです。お風呂に入ったとき、首からさげていたモルダバイトをお風呂場の脱衣カゴに忘れました。その日はいつものように、夜の遠隔リコネクティブヒーリングを始めのですが、自分がモルダバイトを付けていないことに気づいたのはセッションの半ばぐらいでした。一度、クライアント様と同化(エネルギー的に)しようとして、胸の辺りに右手を持って行ったときに、はっとしました。

しかし、動揺はしませんでした。風呂場に戻って取ってこようとも思いませんでした。そのときすでに、なんども「エンティティーの波」を自分の体の中に呼び込んでいたからです。もう、モルダバイトが無くても、大丈夫でした。

その翌日も、また次の日もモルダバイト無しでセッションを行いましたが、「波」は、その勢いが衰えることなく、やってきました。エンティティーの存在は手放しでも感じられるようになっていた、ということです。

以上が私とモルダバイトに係る顛末です。軽口のようなまとめで申し訳ありませんが、私にとってモルダバイトは文字通り、「ヒーラーの試金石」だった、ということでしょうか。そのモルダバイトはいま、部屋の整理棚の一つに収まってます。そしてときどき本当に疲れたときには癒やしてもらっています。

モルダバイトについては、情報として役立ちそうなこと、あるいは気づいたことも、もっとありますので、また機会を見つけてご紹介しようと思っています。


最後にどうでもいいこと


ウチの猫のクリプーさん(ヘッダーの画像)はモルダバイトを見せると、食べようとします。やめてください。



モルダバイト考 あるいは『時の石』  (了)

-リコネクション仙台季節だより-2014年2月


モルダバイト考 あるいは『時の石』 前編

モルダバイトとは


「モルダバイト」という石をご存じでしょうか。

エリック・パール氏の著書『リコネクション』あるいは『ザ・ゲート』をお読みの方であれば、パール氏がみずから述べているとおり、これを持つことでチャネリングと出会い、リコネクティブヒーリングⒸあるいはリコネクションⒸの哲学を支える6つのフレーズを受け取る重要な契機となった石ですので、記憶されておられる方も多いのではないか、と思います。

この石はいわゆる「パワーストーン」と呼ばれ、チェコ共和国(Czech Republic)のモルダウ川(Moldau ドイツ語)流域で採取され、モルダバイト(Moldavite)の名前の由来となっています。写真にあるように、色は苔色(こけいろ) 、ダークオリーブグリーンといった感じのくすんだような緑色や褐色で、一見アボカドのようです。隕石の衝突によって出来るガラスを「テクタイト(Tektite)」と呼ぶのですが、これはその一つで、成分は地球の鉱物と同じで二酸化ケイ素が主な成分です。一言でいえば、緑色のガラスです。由来については1450万年前の隕石の衝突によってできたとする説のほかに、隕石の衝突はなく、出自は不明とする説も在ります。

写真にあるのは私のモルダバイトで約40グラムです。こうしたギザギザのないものより、その次の写真のように地下水の浸食によって粗めパン粉で揚げたフライのような形状になったものの方が高価だ、という話です。私はつい「モルバタイト」と呼んでしまうことがあります。アメリカ人の友人は「Moldovite(モルドバイト)」と書き間違いしますので、結構間違いやすい名前ということにしましょう。


「パワーストーン」と呼ばれる理由は、これを持つことによって、次のような効果が感じられる、と言われるためです。
・意識の進化
・霊的な成長
・強力な癒やし
・自己あるいは他者へのヒーリング能力の強化ならびに負担の軽減
・カルマの解消
・内的な問題の浮上・顕在化
・富と繁栄
・ハイアーセルフとのつながりの強化
・アカシックレコードへのアクセス
・異次元の存在とのインタラクション

また、そうした効果の反面、「モルダバイト・ショック(Moldavite Shock)」と呼ばれる劇的な変化が、ある種の人々にとっては、「負の側面」として、とられることもあるようです。
具体的には、
・湯あたりのような症状
・低温火傷のような皮膚の炎症
・持っていられない
・思考がままならない
・頭痛
・気分が悪くなる
・下痢をする

感情・感覚的なこととしては「おそろしい、側に置きたくない」と思う人もいるようです。また、これは「負」とは言えませんが「偶然の一致が頻発する」ということも言われております。
もっといろいろありますが、まあ、一般的な説明はこれくらいにして私のモルダバイトとの出会いを語りたい、と思います。

モルダバイトとの出会い


私がこの石に出会ったのはヒーリングを本格的に仕事として始めて、まだ間もない頃でした。

その頃はいわゆる「パワーストーン」というものにまったく興味がありませんでした。以前、アメリカのサウスダコタ州にある友人宅に遊びに行ったとき、ブラックヒルズ(アメリカ歴代大統領の彫刻のあるラシュモア山で有名です)まで連れて行ってもらったことがあるのですが、そこにあるストーンショップに、友人の希望でちょっと立ち寄ったことがありました。ストーンショップに行ったのはそれが生涯で初めて(東北の田舎には石屋さん〔墓石がメイン〕しかありません)のことです。

アメリカは土地がたくさんあるので、店の中よりも敷地に原石がゴロゴロと置いてあり、量り売りをしています。日本に帰ってきてから調べた日本の相場と比べると3分の1くらいの値段で売られています。そして、それぞれの石は、その種類によって波動(この言葉が正確なのかどうかはよくわかりませんが)がそれぞれ違うことを発見しました。石に次々と手をかざし、あるいは触ってみて、それを実感しました。

しかし、それだけことです。鉱石にはそれぞれ固有の振動数がある、ということは科学的にもわかっていることですし、それが手でわかってもいいでしょう。それに違いがわかっても、それが何の意味があるのかもわかりません。強い波動と弱い波動。イガイガした感じと柔らかい感じ。そんなことがわかっても何の役にも立ちません。そのストーンショップでも、何も買いませんでした。

しかし、ある日、なにげに見ていたウェブサイトの一つにモルダバイトの画像があり、とてもきれいだな、と思いました。そしてブックマークだけしておきました。もちろん、見るだけです。値段はちょっとした海外旅行が出来るくらいの価格ですし、しょせんはガラスでしょ、という思いがありました。昔あったスプライトⒸのガラス瓶でも、川べりに埋まっていれば、何千年か後には瓶の底が似た形になるでしょう。そんなものにお金を掛けるわけにはいきません。

そして、石のことは忘れていたのですが、3日後くらいに、なぜかどうしても気になって仕方がなくなってきました。一日のうち、何度も石の画像を見てしまいます。そしてそのタイミングで思わぬ臨時収入(本業以外で)がありました。しかし、そのサイトはヨーロッパですし、英語は通じるのでしょうか。とりあえず、英語でメールしてみて、なにも返ってこなかったら、あきらめようと思い、出してみました。メールはすぐに返ってきて、しかもちょっとだけ割り引きしてくれる、という話です。ただ、いかにもあやしげな感じで、証明書もない、とのことです。ニセモノだったらどうしようと、それから一週間くらい迷っていたのですが、どうにも我慢が出来ずに、注文してしまいました。

モルダバイトにぞっこん

決済はPayPalの先払いです。すでに決済は終わっていますので、どんなものが届いても、あるいはなにも届かなくても、あきらめるしかありません。

それが届いたのは5日後です。「PRIORYTET」と大きくスタンプが押された封筒の中に幾重にも梱包されておさめられていました。最終的な包み紙は、よく食堂に置いてある、紙ナプキンでした。毛羽立たないので、トゲトゲしい石にはこれが良いのでしょうか。なん枚も重ねてあります。はやる気持ちを抑えて最後のひと剥きを終えると、その石は出てきました。

ちっちゃいピグモンのようです。なにを与えたら大きくなるのでしょうか。まあ、でも見た目はどうでもいいのです。

左の手の平に載せました。

左手が大きく反応しました。手のひらの真ん中部分――施術「リコネクションⒸ」で使うエネルギーラインを出す部分が、痛いくらいになっています。

本物です。確信しました。

石は、みずからエネルギーを放っているのか、それとも私を通じてエネルギーを引き出しているのか、それはわかりません。しかし、その石を持つことで左手が喜んでいるのがわかります。温かさとは違う「心地よさのミトン」を付けたようです。右手に持ち替えてみました。同じ心地よさがゆったりと手全体にまといつきます。左手も右手も自分の手なのにどちらも、われ先に石を持ちたがっています。

窓際に行き、日の光にかざすと、その「たどん」のような石は、またたく間に表情を変え、エメラルドの深い輝きを放っています。龍の腹が幾重にもかさなり合っているかのような、天然の文様が、複雑な光の表情を作り出し、その癒やしの光にしばらく陶然となりました。


石を手放せなくなりました。普段は、梵字(ぼんじ)の書かれた巾着にいれ、ハートのチャクラのあたりに来るようにし、瞑想では、額(眉間のチャクラ)に付けられるようなヘッドバンドを手作りし、寝ている間はクリスタル・サッコ※をまねて、子供用の小さい白いソックスを、モルダバイトをもった手に被せ、寝ている間に絶対に手放さないようにしました。
※クリスタル・サッコ――パワーストーンを持って瞑想する際に落とさないように手を入れる袋。手首のところでしめられるヒモが付いている。一般に両手に被せる。

初めてモルダバイトと一緒に寝た晩は、次の日の目覚めが抜群に良かったのをおぼえています。一度も目覚めずにこんなにしっかりと眠ったのはいつ以来だろう、と思いました。ハートのチャクラに置くようにしてからの数日は、とても気分があたたかで、薄く涙目になります。体を動かさずにじっとしていると胸から、じんわりと柔らかい波動が伝わってくるのがはっきりとわかります。

それからいろいろなことを試しました。足にも付けて寝てみました。バカみたい、と笑わないでください。ヒーリングのエネルギーを受け取って以来、エネルギーが流れているな、と特に強く感じる場所は手と足なのですが、特に足――すねの真ん中から下はものすごく流れていて、動いているときはなにも感じないのですが、いったん動きを止めるとジンジンとしてきて、痛いくらいです。

そしてこのエネルギーの流れが引き起こす痛みは、肉体の浄化が進んでいないせいなのかどうか、ということがずっと気になっていました。つまり、肉体の浄化がすすめば、肉体を流れるエネルギーの抵抗が少なくなる(痛みが無くなる)のだろうか、ということです。というのも、リコネクションの哲学のよりどころとなっている「エノクの鍵3-1-4」に『脳細胞の分極状態は「半導体群(semi-conductors)のように活動」する』とあり、エネルギーを受け取っているのは脳であり、脳の霊的な変異・進化に応じてエネルギー量が変わってくる、と理解されるからです。そしてそのことは手や足のような肉体の部分にも適用されるかどうかがずっと疑問でした。

そして、もし、この痛みが「浄化の度合いに応じたもの」ということであれば、モルダバイトを付ければ、痛みが軽減するのではないかという仮説を立ててみました。

しかし、結果としては、痛みは無くならなかったので、足の痛みと「浄化」は関係が無いことがわかりました。

異界のドクター

モルダバイトはリコネクティブヒーリングⒸやリコネクションⒸのセッションにおいてもおいても大いに役立ってくれました。それまでもエネルギーの形・状態は見えていたのですが、もっとはっきり見えるようになり、特にリコネクションという施術においては、体のラインやスポットに正確に当てていくことが重要なのですが、エネルギーラインが今どこに当たっているのかを識別するのが、極めて容易になりました。オーラについても以前は一重のボンヤリした感じしかわからなかったのですが、じっと意識を懲らすと何層かに見えます。

ただ、ちょっと困ったこともありました。まだ、石の波動に慣れていないころのことですが、クライアント様と話をしていて、ボーっとなることがあり、クライアント様が目の前で話している、その流れを追えなくなることがありました。そういうときはきまって、小さい音ですが、高周波の耳鳴りがして(この耳鳴りはエネルギーを一番初めに受け取ったときにもしていました)、自分が本当にこの世界にいるのかどうか、怪しくなってきます。しかし、そういったこともやがて無くなりました。


石を身につけてどのくらい経ったでしょうか。日常、付けていることをあまり意識しなくなった頃のことです。対面でリコネクティブヒーリングのセッションを行って、なかなかベッドから起きてくることのできない女性のクライアント様がおられました。

セッション後は肩にちょっとだけ触れて、終わったことをお伝えするのですが、ベッドから起きられないクライアント様はたくさんおられますので特に気にもせず、「時間は大丈夫ですので、ゆっくりされてください」と申し上げて自分はお湯(すみません。当院ではお湯と水、あるいはお湯と水のブレンド〔ぬるま湯だろ〕しか出していません)を飲みながらイスに座って待っていました。

ずいぶん時間がたち、もう一度眠られてしまったのでしょうか、と思っていた頃、やっと起きてベッドから降りられました。続いてセッション中に私が感じたこと、クライアント様が感じたことを互いにシェアするというのがいつもの流れです。そしてクライアント様の話に耳を傾けていたとき、外国人の男の顔が見えた、という話をされはじめました。セッション中にプラクティショナー以外の誰かに会う、という話はときどき頂いていましたので、まあ、そういこともあるでしょう、と聞いていました。

そしておもむろに「○○○○ ××××」とおっしゃいました。

息をのみました。名前です。知っています――それはカーサのエンティティーの一人です。ポルトガル系の名前で、ありふれた名前ではないので間違いようがありません。

動揺を見せないように「そうですか」と絞り出すようにいい、話をうながしました。クライアント様は話を続けていますが、もう耳に入ってきません。クライアント様が言った名前は、ときどき私がアバジャーニアで買ってきたカーサの三角形に額を付けて祈っていたエンティティーの一人のものでした。

いつも一緒だった――驚きが喜びに変わると同時に、もっと確かめたい、という気持ちがせり上がってきます。

しかし、また、我に返って、いまはセッションの途中であり、クライアント様が自身の体験をそのまま受け取って貰うことに注力しなければならない、と自分に言い聞かせ、あまり、うまくいったとは思えないのですが、なんとかセッションを終えました。

それでもドアまでクライアント様を送っていったとき、どうしても聞きたくなって、
「すみません。ジョン・オブ・ゴッドについてご存じなのですか?」と聞いてしまいました。

「えっ、なんですか」というのが答えでした。

この日の帰り道は、青葉通りをスキップしたいような気分でした。

後編へつづく