59冊目『極光のかげに シベリア俘虜記』(高杉一郎 岩波文庫) | 図書礼賛!

図書礼賛!

死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

四年にも及ぶシベリア抑留を経験した著者の俘虜記である。

本書を読めば、誰しも気づくと思うが、著者は相当のインテリである。外国語も出来るし、多くの書物の知識を持っている。シベリア抑留以前に、社会主義の思想など読んでいる人は、かなり少数であったろう。

本書を読んで、これまで私が考えていたシベリア抑留の実態に多少変更を加えなければならないと思った。
著者もまたソ連で収容所を転々と移動し、重労働で苦しみ、アクチーヴに攻撃されるという悲惨な経験の持ち主だが、著者がやや郷愁めいて語るブラーツク収容所での俘虜の生活は、著者にとって少なからぬ潤いであったようである。収容所事務室で勤務することが多かった著者は、ソ連人将官と仲良くなり、同じ事務所で働くソ連人婦人とも親しく交際していた。とくにマルーシャという女性が印象に残っているようで、彼女の家で食事したり、散歩したりといったことを自身の生涯の大事な思い出として綴っている。

こうした話に私は少なからず安堵を覚える。約60万人の日本軍人・民間人が強制抑留され、約6万人が死んだとされるシベリア抑留という悪夢の歴史は、ソ連の蛮行以外なにものでもない。しかし、社会主義国家ソ連という官僚機構の中にいる人間にも、温かな心を持った人がおり、抑留者との間に精神の交流があったことは、理不尽な状況に投げ込まれている中で、いくぶんかの救いにはなっていただろうと思うのである。

もちろん、収容所によっては、俘虜をノルマ達成の単なる仕事上の道具としか思っていない将官も数多くいたはずで、誰もがこうような経験をしたわけではないだろう。むしろ、著者のような境遇にあったい人間は稀だろう。シベリア抑留は概括的に捉えられない。ひとりひとりの生の営みがそこにはあるからだ。