11月21日「経済同友会創立70周年記念式典」が行われた。
    私は、6年間「サービス産業活性化委員会」等の委員長を務め、本年4月より監査役となり、古株の一人となったが、式典の冒頭20分間の「経済同友会の歴史」の映像を見て、14分と15分頃のところに企業の社会的責任について発表する 故小林陽太郎代表幹事の隣に映っている10数年前の自分を見て、1999年に経済同友会に入会した頃のことを思い出した。(添付をクリックすると映像が見れます。長いですが日本の戦後経済活動の歴史として勉強になります)
    実は2001年度から「市場の進化と21世紀の企業研究会」の座長を務めたのだが、昨日発行された「経済同友会70年史」(これも添付をクリックすると全文読むことが出来ます)にその頃の活動が記述されており、事務局の几帳面な記録に驚くと共に感謝する。その部分を以下にコピーした。

「経済同友会70年史」511〜513ページ 
第五章 市場主義への回答[1995~2002年度] 
10. 市場の進化の実践としてのCSR

    こうした企業の社会的責任について、小林代表幹事時代の経済同友会は、さらに一歩を踏み出すことになる。 
    〇二年九月二九日からは、渡邉専務理事を団長に「市場の進化と二一世紀の企業」研究会(斎藤敏一座長)の メンバーなど九名が英国、ベルギー、ドイツ、スイスを訪問した。欧州で注目されている「企業の社会的責任= CSR」(Corporate Social Responsibility)の動向、SRIのために企業を評価している機関、CSRに取り組 む企業など二一カ所を視察し、帰国後に欧州のCSRの全貌を明らかにした。  
    『二一世紀宣言』で提唱した「経済性」「社会性」「人間性」を含めて、企業を評価する進化した市場の実態を 探ってきたわけである。  
    この研究会は、『二一世紀宣言』を受けて〇一年度に会員自主プロジェクトとして勉強会を続けていた「社会貢献型企業研究会」(斎藤敏一座長)を発展・改組させたものである。
    研究会では、「市場の進化」の一つの姿として欧州に広がりつつあったCSRに着目していた。  小林代表幹事が『二一世紀宣言』をベースとした企業経営のあり方を『企業白書』としてまとめる方針を示し、 この研究会と問題意識が同じだったことから、メンバーを拡充し、「市場の進化と二一世紀の企業」研究会として、欧州視察、『企業白書』作成に取り組んだ。  
    視察先では、社会性、環境などの観点から、分野ごとに基準を設け、それを基にCSRに対する各企業の取り組みを評価していた。
    明らかになったポイントは次の通りだ。 
    ▽CSRを社会貢献と位置づけている限り、企業にとっては「コスト」だが、欧州では、将来および長期的な 利益創出に結びつく「投資」と認識、マネジメントの中核として位置づけている。
    ▽確実に企業の将来を左右する大きな潮流として、グローバルな競争の舞台を動かす倫理になろうとしている。
    ▽部品の一部にCSRに反する方法で製造したものが含まれていた場合、最終製品メーカーにも責任が及ぶため、メーカーがサプライチェーンの全企業に遵守を求め、基準を満たせない企業とは取引を停止する例も増えている。
    ▽欧州の企業評価・格付け機関などから日本企業に様々な質問票が送付されてくるが、日本側が適切に対応できず、企業の評価・格付けが不利になっている場合が多い。  
    〇三年一月幹事会での白書案の審議では、「日本にとっては『勝てる可能性のあるゲーム』であり、CSRを 欧州のように戦略的に武器にして、強い日本企業をつくっていく必要があるのではないか」(斎藤座長)と、日本企業が積極的にCSRに取り組むことを提案している。  
    〇二年一〇月の秋季セミナーの「市場の進化と二一世紀のあるべき企業像」では、研究会の村上雅彦委員が欧 州視察を踏まえて問題提起し、「長期の社会的投資で、ステークホルダーバリューの向上は結果的に株主価値増大につながる」「社会の富を増大させることで新市場の開拓を行える側面もある」「日本企業はCSRに対する認識が希薄で、環境面での評価は高いが、経済性・社会性における評価は低い」といった点を指摘した。  
    小林代表幹事も総括で、「九〇年代後半以降の日本はあまりにも株主価値の極大化にアテンションが注がれすぎた。市場は短期的な経済価値、ROEだけで企業を判断していない」「日本的な社会的価値、大切にすべきも のは何かをあらためて議論すべきでないか」と述べている。 
    こうした検討を経た後、〇三年三月二六日、第一五回企業白書『「市場の進化」と社会的責任経営―企業の信頼構築と持続的な価値創造に向けて』が発表された。  
    小林代表幹事と研究会が作成した力作で、CSRの考え方や欧州の動向を詳しく紹介しただけでなく、日本でも経営者が自社のCSRへの取り組みの度合いを自己評価できるように、「市場」「環境」「人間」「社会」の四分野で八三項目、「コーポレート・ガバナンス」で二七項目、計一一〇項目の評価基準を提示したことが特徴だ。 
    各分野の主要項目は、次の通りである。
    ▽市場...顧客満足度、株主価値、公正取引など
    ▽環境...環境負荷軽減の取り組み、環境報告書など
    ▽人間...雇用の多様性、人材育成、ファミリー・フレンドリー施策など
    ▽社会...社会貢献、政治・行政との適切な関係など
    ▽コーポレート・ガバナンス...理念とリーダーシップ、マネジメント体制、コンプライアンス、ディスクロージャーとコミュニケーション
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インド酷暑の旅(28)

テーマ:
皆さんおはようございます。1週間毎日38度以上、時々43度に達するという、真夏のインド旅行から無事帰って来ました。
留守中ありがとうございました。又、明日から日常が始まります。

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インド酷暑の旅(27)

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    ヒンドゥー教石窟寺院第16窟を見学した後は自由時間となったが、駆け足で、17窟、18窟、19窟、20窟の入り口の写真を撮りながら、第21窟の内部を見学した。第16窟とは比べようはないが、美しい石像とリンガがあり、ヒンドゥー教石窟の典型と言えるのだろう。
    集合の時間が近づいて来たので、22窟以下はあきらめて、合流し、インド定食なる簡単なランチを食べた。日本人向けに辛さを控えてくれたか、完食できた。正直なところ、ホテルのカレーは辛くて食べられず、魚料理などもカレー味が多い。
    日本人の醤油・味噌みたいなイメージか?

    ここまで見学に来る観光客は殆どいないが、もっと涼しかったら1日中見学する価値はある。
    とにかく、40度近い気温の中、石窟に出入りするわけだから、水分補給だけではミネラル分が不足してしまい、ツアーコンダクターに配られた粉末ポカリスウェットを水に溶かして補給しなければならない。

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インド酷暑の旅(26)

テーマ:
    さて、本日の最大の観光スポット、ヒンドゥー教石窟寺院第16窟を見学した。
    とにかく写真を撮りまくってきたが、描写は、インターネットの「インドの旅、エローラ石窟寺院」から引用する。

ヒンドゥー教石窟寺院第16窟

ヒンドゥー教石窟は7世紀頃から作られ始めた。第16窟はエローラを代表する石窟で、岩山を天井から掘り抜いて造られている。100年以上の歳月をかけて、上から・手前から掘り抜き、彫刻を加えた。ひとつの複雑な寺院建築物を、1枚の巨大な岩盤をくり抜き、精巧な彫刻をほどこして造るというのは、当時、どれだけのエネルギーと年月をかけて成し遂げたことなのだろうか。石を積み上げて造る建造物より丈夫だということだが、建造の困難さや技術的なものはどうなのだろうか。

最初の石窟が5世紀から7世紀にかけ、仏教寺院から始まり、続いて7世紀からヒンドゥー寺院の建設が始まった。どういう事情があったのかわからないが、アジャンタ仏教石窟寺院に関わった石工たちがエローラに移り、ヒンドゥー寺院の建設にとりかかったといわれている。

ヒンドゥー教石窟寺院第16窟の玄関をくぐると、シヴァ神の第一夫人のパールヴァティが迎える。彼女はインド随一の美人ということになっていて、なかなかなまめかしい。像はだいぶ痛んだり風化しているが、彫像の表現の素晴らしさがわかる。
このヒンドゥー寺院の主役はシヴァ神だが、パールヴァティやドルガー夫人などと一緒にいる彫刻が多い。仏教では考えられないが、インドの神様は夫人連れで描かれることが多い。その時のパールヴァティの体のラインやしぐさがかわいらしい。古代エジブトの神殿の女神やギリシャの彫刻もすばらしい造形だが、それにに比べて、優しく家庭的で愛らしく描かれているように思う。インドの神様は特に女神は皆チャーミングで魅力的で、現実的・実利的である。不思議な神様たちだ。

16窟に入って左手の広場。塔と象の石像がかなりよい状態で残っている。  
寺院の周りは回廊のように広い通路が造られている。広場の塔や象も1枚岩から掘り出されたものである。

寺院の土台はたくさんの象が建物を支えているような構造になっている。一頭一頭の象の表情が異なり、表情豊かに個性的に掘り出されている。
中央の寺院の周りを通路や広場が囲み、さらにその周りを岩をくり抜いた回廊と部屋が配置されていて、寺院機能を配置した壮大な造りとなっている。
 
インドヒンドゥー教の魅力は、多彩な神様の人間的な様態にあるのではないか。女神ドゥルガーやカーリーの破壊的な魅力もさることながら、シヴァ神と妻パールヴァティとの仲睦まじい夫婦像は、日本の仏像のイメージとは違いすぎる。
ヒンドゥー教は、カーストや輪廻の暗い思想の反面、インド人の夢と希望が託されたような「破壊と再生」の神シヴァ神を生み出し、その妻ドゥルガーやカーリーのような破壊と殺戮の無敵の女神をも取り込む。

    ラーマーヤナとマハーバーラタのレリーフで飾られた中央の寺院の中にはヒンドゥー教のシヴァ神の象徴ともいえるリンガが祀られている。老若男女を問わずリンガに触り祈って行く様は、無邪気さを通り越して神々しい。前室には天井画があり、精巧な石像が安置されている。

圧倒されまくった。

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インド酷暑の旅(25)

テーマ:
ジャイナ教寺院の石窟を見た後、再びバスに乗り、駐車場まで戻り、歩いて仏教寺院の石窟のなかで最も壮麗な第10窟を見学にいく。昨日アジャンター石窟でも見た形の僧院だが、時代がアジャンターより新しく5世紀から7世紀の作品なので、形も進歩している。
    10窟の美しい石像を見た後、3階建を1枚岩から掘りおろした第12窟を見学する。石像は3階に集中しているが、手彫りの時代にこれだけの掘削を指揮する人の頭の中はどうなっているのだろう。
    9窟は1人で駆け足で見て、8窟以下は遠景の写真だけとなった。

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インド酷暑の旅(24)

テーマ:
    5月7日、インド観光もいよいよ最終日だ。
    今日は、比較的ゆっくり、9時にホテルを出発し、エローラ石窟寺院群に向かった。
    1時間半くらいで、駐車場に着くと、遠くにエローラ石窟・第16窟 カイラサナータ寺院が見える。
    エローラ石窟寺院群は全部で34窟あり、掘られた順に、仏教寺院が第1窟から第12窟、ヒンドゥー教寺院が第13窟から29窟の17窟、ジャイナ教寺院が第30窟から第34窟の5窟ある。
    バスを乗り換えて、時代は逆になるが、ジャイナ教寺院の第32窟から見学する。
    エローラ石窟寺院には壁画が少ないのだが、この32窟には天井画がみられる。
    仏教の瞑想は座禅の形で行なうのが一般的だが、ジャイナ教では僧は身に何も着けずに立って瞑想を行なうこともあり、何年も立ったまま瞑想をし、植物が足にまとわりついたという伝説を現したレリーフもある。
ジャイナ教寺院は2階部分で、33窟、34窟と繋がっている。31窟30窟は、未完成でもあり、他の3窟に比べ見劣りする。

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インド酷暑の旅(23)

テーマ:
    ビー・ビー・カ・マクバラーの見学からアウランガーバードに帰り、この旅初めて同じホテルに連泊となった。
    ホテルは前日から泊まっている「WELCOM HOTEL RAMA INTERNATIONAL」。低層でプールもある、リゾート風ホテルで、テニスコートも有るらしい。
    ツアーメンバーのもう1組の母娘が部屋で持参の食事で済ますとの事で、クラブツーリズムのツアーコンダクターの子安麻莉さんとインド人の現地ガイド兼通訳のラジクマール・ライさんと同じテーブルで夕食を摂りながらいろいろインドの話しをした。  
    子安さんはインドに何回も来ているベテランで、ライさんは日本からのVIPの案内もする様なベテランガイドだ。日本の事も良く知っている。
    普通は政治向きの話はしないのだが、愛国心のあるライさんと、インドと周辺国との関係の話になり、国境でトラブルのある、パキスタンと中国の話になると彼は熱くなる。
    日本には、陸続きの隣国が無いだけ、領有権の問題は抱えていても、意識は低い。

    また、ライさんは日本人の幸福度の意識についても知識を持っており、私が隣国のブータンの幸福度の高さについて話すと、行かれた事があるらしく、実際はブータンの若者はそんなに幸福に思っていないのだと、力説する。
    インド人の幸福度の事は聞かなかったが、カースト制の事は、彼自ら宗教の問題に絡めてよく話しをされた。
    インド人の81%はヒンドゥー教徒、イスラム教徒が13.4%、キリスト教徒が2.3%、スィク教徒1.9%、仏教徒0.8%、ジァイナ教徒0.4%となっていると、観光の本には書いてあるが、もっぱらライさんが話題に出すのは、ヒンドゥー教、イスラム教、仏教、ジァイナ教の事だ。
    観光する対象がこの4つの宗教施設なので、そうなるのだろうが、彼はヒンドゥー教の起源は、海底遺跡などにより、7,000年前頃までは証明されているという。
    観光の本には紀元前1,500年頃からインドに浸入し始めたアーリア人が持って来たバラモン教がヒンドゥー教のルーツだとある。そうすると、3,500年前頃となるのだが。
    ジァイナ教はヴァルダマーナ(紀元前547年~477頃)が開祖で、仏教は今から2,500年前に生まれた 仏陀が開祖ということなので、両宗教共2,500年前頃の起源だ。
    古さの順序はヒンドゥー教が最も古い事は歴然としている。ただ、歴代の権力者がどの宗教に帰依するかで、どの宗教が隆盛になるかを左右し、少なくとも、この3つの宗教がお互いに影響しあっていることは間違いない。
    それでもインド人で、ジァイナ教は残っているが、仏教はインドでは消滅したと思っている人が多いのには驚いた。
    どうも、インドの仏教徒は、カーストが低い人達が多いらしい。カースト制はヒンドゥー教に由来するわけで、ヒンドゥー教の低いカーストの人々が、差別に耐えられず、仏教徒やジァイナ教に改宗する例が多かったが、かえって、ヒンドゥー教から仏教徒に改宗した人々が低いカーストのまま定着したという説もあるらしい。
     アジャンター石窟寺院は仏教が盛んな頃のの遺跡であり、エローラの石窟寺院も建造された時期により、3分の1は仏教の遺跡だ。
    日本政府が一生懸命両遺跡の保存と環境整備に援助しているようだが、一般の人は、なぜ日本人は仏教遺跡ばかり見に来るのだろう、と思っているらしい。
    我々日本人は曲がりなりにも、仏教徒が圧倒的に多いのだが、その仏教のルーツがインドだと思って、インドで仏教の痕跡を探し歩いても、仏陀の足跡にちなんで散見される仏教関連施設は、アジャンター、エローラの世界遺産級の遺跡を除くと、日本や、中国や、ブータンや、東南アジアの仏教国がお金を出して作った小規模な寺院又は記念碑というケースが多い。
    やはり、来てみないとわからないという事は多い。
    モディ インド首相が2014年8月、日本を訪問し、昨年12月、安倍首相がインドを訪問したりして、今、インド人の対日感情はかなり良いようだ。
    しかし、一部の産業を除くと、日本のビジネスの存在感はまだ薄い。
     ところで、フィットネスクラブは今インドでブームのようだ。
    肥満者の少ない日本人に比べ、アメリカ人のような、超肥満の人は少ないが、低所得者を除くとお腹の出ているインド人はかなり目立つ。
    私は今回は全くの観光旅行だったので施設は見学しなかったが、近い将来、インド市場を研究する必要が出てくるかもしれない。
 
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インド酷暑の旅(22)

テーマ:
    
    アジャンター石窟群を見学して13時頃から昼食をとり、また2時間余りバスに乗ってアウランガーバードの近くに戻り、ビー・ビー・カ・マクバラーを見学した。

    ビービー・カー・マクバラー (Bibi Ka Maqbara)は、インドのアウランガーバードにあるムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの妃、ディルラース・バーヌー・ベーグムの廟墓である。

    17世紀後半に息子のアーザム・シャーにより構築された。

     この名前は、翻訳すると「婦人の墓(Tomb of the Lady)」の意味だが、タージ・マハルとの類似のために「貧乏人のタージ」の愛称を得ている。  

     ガイドの説明によると、タージ・マハルが完成する2年前から建設を始め、10年で完成したそうだが、タージ・マハルの建設に3,000万ルピー掛かったそうだが、ビー・ビー・カ・マクバラーの建設には70万ルピーしか掛からなかったそうだ。
    この話を聞かなくてもタージ・マハルを見た後では感動は少なく、見学の順序は逆にしたほうがよさそうだ。

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インド酷暑の旅(21)

テーマ:

    第19窟の中は仏体を中に入れたストゥーパが真ん中にあり、精巧な石像が回りを囲んでいる。
    第24窟は未完のまま放棄された石窟で、岩石を彫る手順がわかる。
    第26窟は見学した最後の石窟だが、インド最大の釈迦涅槃像があり、その上には釈迦が自分達の側に来て喜ぶ天使像がある。入口も手が込んでいる。
    全てを見終わって外に出ると、石窟群が見渡せ、インドでは今は廃れてしまった、かっての仏教の隆盛に想いを巡らせてしまう。

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    ウィキペディアによると、
    アジャンター石窟(寺院)群とは、インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。

発見の経緯

    アジャンター石窟寺院は、1819年4月、ハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。
    彼がアジャンターの石窟寺院を発見したとき、すっかり放棄されてコウモリのすみかになっていた。のちの第10石窟に自分の名前を記した。

開窟年代と石窟の種類 

    アジャンター石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた僧院(ヴィハーラ)を石窟におきかえたヴィハーラ窟とブッダを象徴する「聖なるもの」(チャイティヤ)として仏塔などが据えられたチャイティヤ窟がある。アジャンターでは、9,10,19,26,29窟の5つがチャイティヤ窟で残りはすべてヴィハーラ窟である。
    平地では中庭を囲むように僧室をつくるが、ヴィハーラ窟では、一面を採光のために外部に開き、中庭を列柱で囲むようにして僧室との間に回廊をつくる。
    一方チャイティヤ窟は、2層分の高さに天井を高くして、天井は断面半円形をなし、平面プランは細長い馬蹄形で奥の半円形部分に仏塔を配置する。共通する特徴は、元来木造である僧院とチャイティヤ堂を模倣することにこだわり、柱や梁や垂木を彫り込んでいる。

    また開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれている。ヴィハーラ窟としては第12窟、第13窟、第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟、第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行の空間であったためにいずれも装飾が少なく小型で簡素な造りであったと考えられる。

    後期である5世紀後半から6世紀頃になると、ヴィハーラ窟は、奥壁中央に仏殿が設けられ、本尊として説法印を結んだ仏陀座像が脇侍菩薩を従えて安置され、仏殿としての性格が強くなる。つまり寄進者は、聖なる存在としての仏陀に永久に残る住居である窟院をささげることに功徳を見いだすという目的で石窟を築いたと考えられる。

    後期の年代であるが第16窟、第17窟は、ヴァーカータカ朝(英語版)のハリシュナ王(位462-481)の治世に寄進されたこと、アシュマカ族を制圧したことが銘文から読みとれる。またより新しい時期と思われる第26窟では、アシュマカの大臣をたたえる銘文が見られ、ヴァーカータカ朝の支配が揺らいだことを示唆していると思われる。6世紀半ばと考えられるアウランガーバードの石窟寺院に見られる特徴がアジャンターで見られないことを考えるとアジャンターの年代は6世紀半ばくらいまでに築かれて一部開窟途中のまま放棄されたと考えられる。

    アジャンター石窟寺院の美術的価値は、やはり後期窟に集中しているといえる。第1,2,16,17窟は、入口柱や天井にミトゥナ像や飛天、蓮華や鳥獣の画像が描かれたりレリーフとして刻まれたりしている。またこれらの代表的なヴィハーラ窟の壁面には本生譚(ジャータカ)などの説話図が描かれた。これらは、悟りを開いたものとしてのブッダが送った模範的生涯を表現する絵解きによって、よりいっそうの信仰心をもつよう巡礼に来た人々を教育する目的ももっていた。

    第1窟には、回廊左手にマハーシャーナカ本生譚が描かれている。これは、ブッダの前生(ぜんじょう)の姿であるマハーシャーナカ王子が世俗の快楽を捨て去る決心をして、妃シヴァリーが踊り子たちとともに出家を思いとどまらせようとするが、引き止めきれず、王子はゾウの背に乗って王宮を去り、残された妃は深く絶望し、奴隷たちに囲まれて快楽にうずもれてゆくという場面である。
    第1窟の天井には、想像上の動物や人間の姿が描かれている。猿の悪ふざけにうんざりした水牛が猿をころそうとするが、贈り物をさしだして水牛を説得する人間の姿などが描かれている。また有名な「蓮華を持つ菩薩像」が後廊の仏殿入り口付近に描かれている。
    第17窟には、裕福な商人の息子であるシンハラの物語が描かれている。シンハラは、父の忠告を聞かずに出航するが船が難破し、遭難してしまう。ようやくスリランカの浜辺にたどりつくものの、鬼女たちに襲われ、天を飛ぶことのできる白馬に助けられ、帰国を果たすことができる。シンハラは心を入れ替えて魔物たちを退治するという話である。これらの説話図の描写は、説話の舞台ごとに王宮、山中などにまとめられ、構図も楕円形に人物を配置する独特の遠近法で描かれている。前述したように寄進者はヴァーカータカ朝の君主であるが美術的には典型的なグプタ様式と言える。

インド酷暑の旅(20)

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    昨日ムンバイを15時頃発ち、1時間余りでアウランガーバードの飛行場に着いた。
    この町はアジャンターやエローラ観光のベースになる人口120万人の町だ。
    今日は酷暑の中階段を上り下りするという、最も過酷な観光になる、アジャンター石窟寺院だ。

     バスで2時間余り、日本の援助で整備したという道を走り、アジャンターの駐車場に着き、バスを乗り換え、石窟寺院に到着する。
     ここからは、28窟ある石窟群のうち、10窟くらいの主だった石窟を、階段を上り下りしながら、中へは靴を脱いで入るという、荒行の様な観光となる。
     まず第1窟、ここは、アジャンター石窟群の中でも最高の見どころで、よく美術や歴史の教科書で見られる、法隆寺金堂の菩薩像の遠いルーツと言われる蓮華手菩薩と金剛手菩薩の壁画が左右に見える。
    うまい具合にフラッシュ無しでも写真に収める事ができる程度の照明システムも日本の援助だそうだ。
    第2窟奥には、日本では鬼子母神として知られるハーリティーと財宝神のパーンチカの夫婦像があり、本堂両脇には千体仏が壁一面に描かれている。
    アジャンターで最も大きな石窟である第4窟には壁画はないが、悟りを開いた仏陀の石像がある。ここは入口の写真も撮っている。
    第10窟は広くて、真ん中に大きなストゥーパがあり、柱にも絵が描かれている。ここの柱の一つに、1,819年にこれらの石窟群を発見した、マドラス(現チェンナイ)駐屯のイギリス騎兵隊士官の落書きが残されている。
  「John Smith,28th Cavalry(第28騎兵隊),28th April 1819」とあるそうだが、写真を撮っても全部は読み取れなかった。
    第16窟には、入口に両脇に象の石像があり、内部の奥には足を地に着けた釈迦の石像がある。柱が天井を支える部分に相撲取りの様な石像があったり、仏教にしてはいささか官能的な石像があったりする。
    第17窟の中は仏陀の前世をつづった本生譚がほとんどだ。

    第19窟以降は次のブログにつづく。

    アジャンター石窟群の観光案内は以下の通り。
    
    
    
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