RC住宅の新企画もあり、しばらくブログをさぼりました。
その間に、色々考えた事があります。
日本の住宅に一番適している建物は何なのか?
それを自分なりに考えてみました。
その前に、RC住宅を始めた経緯を書きます。
私は、幼稚園の頃から、家を作る仕事がしたいと思い、大工さんになると決めていました。
中学生の頃から、友人の家が大工さんをしている事もあり、良く仕事の手伝いをしていました。
希望の高校は熊谷工業高校建築科、
中3の冬、受験のさなかでしたが、大工は体力や、力が必要と思い柔道場に通いました。
その事もあり、高校時代は、柔道部でした。
(当時の体重は57kgで軽量級です)
でも、自分の2倍以上ある120kg以上の相手を投げ飛ばした事は、何度もあります。
その頃から、「やれば出来る、不可能は無い」 と思い込んでいました。
その後、念願の大工になる修行をしました。
当時は、木造の家の柱、梁は手で刻み、全て天然の無垢材を使用していました。
壁は、竹を編んで土を何層にも塗り重ねた土壁です。
(すごいと思った事が、棟梁が、ベニヤ板に書いた図面だけで、木造の家を作れてしまうという事です。)
これが,本来の、高温多湿に対応した、日本の住宅の歴史で、木造の姿だと思います。
数年すると、木造住宅の様子が変わってきた事に気づきました。
外壁は、サイディングになり、室内もクロス張り、木材も集成材が支流になり、なんとなく違和感がありました。
そんな時に、父親が、土木の会社を興し、手伝う事になりました。
小さい頃から、父親に連れられ、勤めていた会社に行き、トラックや重機を見ていましたから、機械を操作するのが好きでした、今考えると、「親の陰謀」だったのかも知れませんが。
仕事は、見て覚え、その後、23歳で、独立しました。(子供が生まれたので、決意しました。ちなみに現在、息子は20歳です)
その時は数人、高校中退のやんちゃな悪がきを集め、素人集団を結成し、奇跡的に仕事をこなしました。
主に大東建託の重量鉄骨マンションの仕事をしていました。
ろくに経験の無いのに、鉄筋を曲げる機械を購入し、基礎から、外構工事、大型の防火水槽、浄化槽、土木を始め、どんな工事もこなしてきました。
水道の本管の埋設工事、公園の数キロもある電気、給排水の配管工事や、木造基礎工事もこなしました。
解体もやった事が無いのに、重機を操作するのが好きでしたのでやりました。
(バックホーを乗りこなす、設計士はあまり居ないと思いますが)
今まで、あまり人に教わった事が無く、常に自分で考えやり方を研究してきました。
(隣は杭を打つ機械です。建設屋で杭の機械を持っている所はまれです)
そんな時、小さい頃からの夢だった念願のマイホームを作ろうと思い、色々研究しました。
当時独学で2級建築士は持っていました。
住宅展示場を幾つも廻り、しつこい営業マンをかわし、参考になる箇所を探しました。
RC住宅は理想でしたが、結露や予算の問題で断念し、木造で建築しました。
60坪、2600万円 原価です。
出来る所は、仕事の合間に自分で施工しました。
(3000万借りたのですが、4tダンプを買ってしまいました)
当時、ソーラーサーキットの初期の物を参考にし、基礎内部を断熱し、高基礎にし風窓を無くし、壁はへーベル、断熱材も2倍の100mm、サッシは、当時珍しい、輸入のペアガラスサッシを使い、構造も形もシンプルな山小屋風の家にしました。
最先端で、床暖房を取り入れ、快適な生活を期待していました。
ところが、、当時一番安い灯油を使って工夫しましたが、大型のエアコンを数台導入した事もあり、ランニングコストが高くなり、おまけに、寒い、(他の木造よりは数段良いですが)、
大風で揺れる (屋根の高さは、山小屋風なので 10mくらいありました)
なぜそう感じたのか、今考えると、前に住んでいたのがRC(鉄筋コンクリート)の県営住宅、
結露に悩まされたが、冬は、ストーブ一台で快適、風が吹いてもゆれないし、地震の揺れも少ない。
「日本人は木造の家」とずっと考えていた事が、根本的に崩れました。
ここまでやっても、RCには かなわない事を改めて実感しました。
そんな時、画期的なRCの工法に出会いました。
(作業場の一番奥に見える茶色の三角屋根の家が以前のマイホームです。)
長い話になりそうなので、次回につづきます。
若林