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昨日は、横坂源さんというお若い方のチェロリサイタルを聴きました。

横坂さんは、ジャン・ギアン・ケラスのお弟子さん。

その話をたまたまFMラジオの番組で耳にしたのですが、まさかその人の演奏会に行こうとは。

 

 

さて、まだまだお若い演奏家、ピアノの人も若かったな。

 

最初は、全然音が鳴らなくて、ピアノの音の方が立ってしまったようでしたが、だんだん鳴り始めて、音が伸びやかになり、持ち前の(多分)自然でピュアな音色が出て来たように思いました。今時の若い人らしく、超絶技巧も余裕で、前回の市民コンサートに来た向山さんよりは断然良かったです。

 

しかしヘンデルのラルゴは、まだもう少し熟成して欲しいなあ。

 

最後のベートーベンのソナタ3番は、気合も十分入っていたので聞き応えがありました。

 

でもここで信じられない光景を見てしまったのでした。

私は、前列から2列目の真ん中よりやや右側に座っていたのですが、同じく2列目の、私よりももっとど真ん中に座っていたやや年配の女性二人が、なんと、舞台で演奏している横坂さんをスケッチしていたのです。

 

前半でもラフなスケッチしていたらしく、後半の曲になっていよいよ、鉛筆で激しく描き込んでいこうとしているらしく、シャカシャカ音が一層激しく聞こえて来るわ、スケッチに熱がこもって、演奏聴いているフリをして、視線を舞台と手元のスケッチを行ったり来たりさせているのが見えるわ、で、

 

スケッチやめろ

 

と言いたくなりました。

 

その前列では子供がずらりと並んでいて、集中力がなくなってガサガサしていたのですが、大人の方が、こういうことをやっているのです。

 

聴いているフリをして、客席は暗いし、分からないと思っている、そういうフリをする人が一番嫌です。それで演奏が終わったら何知らん顔して、大きく拍手したりするのです。

 

失礼なことをしていると自覚がないのです。

 

しかし、これも人生の一部なのでしょう。

 

聴く人、演奏する人がお互い気持ちよくできるようになればいいですね。

 

 

さて、演奏後の交流会は楽しかったです。

でも場所はお寿司屋さん、沢血料理と握り寿司。午後10時から食べ始めるという・・

頑張ったけど、

やっぱり胃がもたれて気持ち悪くなってしまいました。

 

(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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昨日は、徳島交響楽団のジュニアオーケストラコンサートの日でした。

 

 

早いものでお手伝いし始めてから3年が経ち、卒業していくのを見送った子供達も随分増えました。

 

今回もこれを最後に高校2年生の子達が卒業していきます。

またバイオリンの子が、ごっそりいなくなるな・・と寂しい気もしますが、

 

チェロの子供達は一向に卒業せず、大学生になっても来てくれてるし、今高校3年生の子も大学生になっても来ることになっているので、ありがたいような、これでいいのかなという複雑な心境(^_^;

 

曲の方も、ベートーヴェンの交響曲第5番を2年間やってきましたが、ようやくこれも卒業して、次はドボルザークの交響曲第8番をやることになりました。

 

私の中でも、ベートーヴェンの5番は高校1年生の時に初めて演奏した、思い出深い曲で、その曲を2年もやって、ようやくそこから卒業できるので、嬉しいです。

次にドボルザークの8番をやるのも因縁で、いつもこの曲をやると決まった途端、オーケストラをやめてしまって、結局今までやらないままきてしまった曲なので、今度こそやり遂げねばならない曲なのであります(^_^;

 

今回の演奏会では、パッフェルベルの「カノン」を演奏したのですが、これも思い出深い曲の一つです。

 

この曲には、今年亡くなった蜷川幸雄さんと、平幹二朗さんのコンビでとても人気のあった舞台「タンゴ・冬の終わりに」に使われていたことがあり、歌手の方がアレンジで歌っていたのですけど、とても印象的でした。

 

その頃は、まだ若くて、どうも思った以上に人生がうまくいかなくて、底に沈んでいるような時期でした。毎晩「タンゴ・冬の終わりに」のビデオを必死に観ていました。

今年、お二人が揃って亡くなり、ああまた一つの時代が終わったなーと感じています。

 

 

演奏会の合間を縫って(!?)注文のケーキを作っていたところ、失敗して作り直すというハプニングが起きました(>_<)

 

いつも材料をミキサーで混ぜた時に、立ち上ってくる香りと味が、いつものとちょっと違う感じがして、

まるで、知ってる人が現れるはずなのに、違う人が現れたような感じでした。

 

色々確認したけど、特に原因は見当たらず、でも気になったので、もう一度作り直すことにしました。

材料を全部確認しながら作業して、ミキサーを回した直後に、いつもの知っている香りと味が立ち現れて、「ああよかった。知ってる人だ」とホッとしました(´∀`)ケーキの話ですけれど。

 

ケーキは友人。

しかしこの失敗作はもちろん、全部私の腹に収めるのだ。

 

(´∀`)

 

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今月は絵本の読み聞せに大忙し!

今朝は、小学4年生に「月がくれたきんか」という絵本を読みました。

 

貧しい農民と、お金持ちの農民、一方は貧しいけど親切、そしてお金持ちの方は人を騙して意地悪なことをするという、大変分かりやすい話です。

 

親切な農民は月から金貨をもらって、ささやかな願いを叶えるのですが、昔から月は金運をもたらすものとして、伝えられてきたのでしょうか。

 

今も、満月の夜にお財布を振るとお金が入ってくるというので、せっせと振っていたりしますが。。。

 

逆に太陽からお金をもらうという話は覚えている限り、思い出せません。

 

昔話を月、太陽、星に分けて分類したら何か見えてきそうで面白そうです。

 

ちなみに星にまつわる話は、大体「流れ星」が多いです。

 

星や月は、「それを取りたい」と願う人々が、よく出てきます。そこから「こっちからは何も取れないけど、向こうから何かもらえる」という願望に繋がるのかもしれません。

 

作者はルッサントというドイツ人女性。翻訳の言葉遣いが丁寧でこなれているので、とても読みやすく、内容とともに絵本としてとても優れた作品と思います。

 

先日、ヘルマン・ヘッセの作品をご紹介しましたが、今は「シッダールタ」という作品を読んでいます。

 

確か本棚にあったと思っていたのですが、探したけど見つからず、新しく買い直して読みました。

「シッダールタ」というタイトルからして、釈迦・ブッダの話だと思っていたら、読んでいくうちによく似てはいるけど、違う人物を描いているということが分かりました。

 

ブッダは作中既に、悟りを開いていて、涅槃に到達した人としてシッダールタの前に現れます。シッダールタはブッダに感銘を受けるのですが、しかし弟子にはならず、自分の内側の声に従って生きることを選びます。

 

ヘッセは、一家がキリスト教の宣教師でもあったので、より深くキリスト教に関わっていたことに加えて、インドで布教活動していた祖父の影響でインド哲学や仏教に幼い頃から馴染んでいました。さらに父親がキリスト教の宣教師であったにもかかわらず、中国の老子に傾倒し、研究をしていました。ヘッセにも老子を勧めていたこともあって、常にヘッセの中では、西洋、インド、中国が存在していたことから、シッダールタが、仏教的に涅槃に至る道をただ一つの道として、描くことはできなかったようです。

 

それはヘッセ自身がその道を辿ることはないだろうと知っていたからでしょう。むしろ自分がキリスト教、仏教、老子の思想から学び、しかしそれとは全く関係なく、別のところで第一次世界大戦中に置かれたヘッセの環境から体験したことを、そこで思索し到達した目覚めのことなどを、シッダールタに重ね合わせて語らせています。

 

ヘッセがその頃目標としていた自己の統一、自己実現へ至るプロセスは、何の教えもなしで、信仰も、経典も必要とせず、自らの人生で体験したことから学び得た発見のプロセスでした。

 

この本が出版されたのは1920~1921年ごろと思うのですが、多分、今出版されたら、「自己実現本」あるいは「スピリチュアル本」としてベストセラーになるんじゃないかと思うぐらいです。同じドイツ人で「ニューアース」という本を書いてベストセラーになったエックハルト・トールとどこか似ている気がします。

 

内容的にも読んだ記憶が全くなかったので、てっきり、日本語訳は読んでいない、と思っていたのですが、ドイツ語で書かれたペーパーブックの方に、一箇所だけ下線を引いた部分があるのを見つけて、びっくりしました。

しかも、そこは、「人は目標を持つと、それしか見えなくなって目の前のことがわからなくなってしまう」というようなことが書かれたところで、25年前にこの本を買った時に、この言葉によって救われ、その後も長い間、私の中で支えてくれたもっとも大切な言葉の一つだったのでした。

 

今はその頃の苦しみもすっかり癒えて、日本語訳で読み直した時もすっかり見落としていたぐらいだったのですが、しかし今また、再びこの言葉に出会って、しばし呆然としました。

 

この25年間に経験したことは、シッダールタが、ブッダに別れを告げ、市井生活に身を投げ出し、肉体的快楽、金銭的快楽に耽り、自分を貶めていくところや、その後、川の渡し守りとなって、川の水面を眺めながら、川と対話し、自己省察を深めていくところなどと重なります。そして、かなりいいところまで来たと思っていたのに、かつての愛人と息子が現れて、息子への煩悩的な愛に溺れ、自己をコントロールできなくなっていくところなどにも、少なからず共感を覚え、まるでいまの自分を振り返らされるようでした。

もちろん、子供への煩悩的な愛を経験したという訳ではありません。魂の成長が螺旋的に上昇していく過程において、同じようなことを経験してもくるりと一回りした上のところでいるという感覚を嬉しく思って持ち合わせていたら、またしても水が下へ流れていくのを止められないが如く、下降したような感覚に陥り、そこで自分をまたもや見失ってしまう、という、そういう体験です。

 

もし、今でもそうやって道に迷っているとしたら、それは求めすぎているからだ、という警告なのかもしれません。

 


求めてばかりいると、そればかり気に取られて他の何も受け入れようとしない。

知識も、言葉も、重要ではない。

自分で発見することだよ、とシッダールタは、最後に邂逅した幼馴染のゴーヴィンダに語ります。

 

求めるということは目標を持つということだ。目標にばかりとらわれて、いまこの瞬間に目を向けることができない。

とシッダールタは言います。

時間こそ、苦しみ、悩みの元になっている。時間は存在しない。あるのはいまこの瞬間だけというヘッセ自身の考えが投影されています。

そして、いまこの瞬間に生きていれば自由になり、悩むこともない、とゴーヴィンダに言うのですが、ゴーヴィンダは、求道者の思考から離れることができず、シッダールタの言葉を理解できません。

 

そこでシッダールタはゴーヴィンダに頬に触れるように言います。そこに口付けたゴーヴィンダは、言葉ではなく知識でもなく、信仰でもなく教えでもなく、全てを体験し、シッダールタの言わんとしたことを理解します。

全てが同時に存在し、ただ変化しているだけと言うことを体験するのです。

 

そして多分、彼も求めることをやめるのだろうというところで、話は終わりです。

 

でもそれは二人がめでたく涅槃へ入ったのを描いたのではないと思われます。ヘッセは、仏教には、解脱して涅槃に入ったらそれで生は終わりだというところに、疑問を抱いていたようです。

それよりも、何度も再生し、人生を生き切るところを描きたかったようです。

だから、この先、また続いていくのを感じます。

 

ヘッセ自身、終生ヨーロッパ人として生き抜いた人でしたから、仙人みたいになることはできないと分かっていたのでしょう。

 

私は、20年ぐらい前に、エルベ川のほとりで輪廻転生について考えたことを今でも覚えています。その時、ちょうどドイツへ旅行中で、旅立つ直前にある本を読んだのがきっかけでした。そのことについてもっと知りたい気持ちが湧き上がっていました。しかし、その道には行かず、お菓子の勉強と店の経営について学び、普通の社会生活を経験しました。

 

10年経って再び、スピリチュアル的な道を志したい気持ちが湧き、振り返ってどうしてエルベ川のほとりに立ったあの時、その道へ進まなかったのだろう、と後悔しました。それからたくさんの本を読み、セミナーに参加したりして、その世界について深く知ろうとしてきました。

 

今は、またその気持ちが収まって、ただ目の前にあることをやるだけになりました。

 

目標を持たないことも意識し始めるようになりました。

 

ちょうどその時に、この本を読んだのです。

 

 

 

ヘッセの作品は、いろいろ研究されているのをネットで検索して読むことができて、とても面白いです。

その中で意外に思ったのが、高橋健二さんという翻訳者についてです。

翻訳が変だと指摘している人がいました。私も、他に翻訳したのがないかなと探したのですが、ないのですね。

まあその時代特有の言い回し、と言うのもありますね。

格調高いと言えばその通りなのです。

 

しかし、今読むと、うーん。こんな風に訳すのかな?と思う箇所があります。でも、こんなものなのかなと思ってあえて何も思わないようにしていたのですけど。

ひょっとして、ドイツ文学をやっている人でも変な日本語、と思っていても、誰も言えないでいるのでしょうか。

 

中でも、シッダールタの中で変だなと思ったのは、「kindermensch」という言葉を「小児人」と訳していることです。

「小児人」なんて、一体誰が使っているでしょうか。

意味も分かりませんよね。

 

文の流れからして、「幼稚な人たち」とか、今なら「小市民」とかが妥当でしょうか。

 

他にもまあ色々と。作品自体は普遍的名作なのですから、時代を超えて読み継がれますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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